第698話 罪は炎によって浄化された
凄まじい熱量を持った炎の短剣を生み出した緋美子さんはヴィーシャさんに向かって訳の分からないことを言う。
彼女が戦わなければならない相手なら、僕がもう殺した。
ヴィーシャさんが剣を手にする理由なんてないはずだ。
その時、ジリリリリリ! と大きなベルの音が鳴り響いて、天井から水が散布される。緋美子さんの生み出した炎の剣に火災報知器が反応したのだ。
雨のように水が降り注ぐ中で、ヴィーシャさんは緋美子さんの生み出した炎の剣に手を伸ばした。
手が焼けるのではないかと思ったけれど、緋美子さん自身も炎の剣を生み出して戦っていたことを思い出す。おそらくあの剣は熱量を生み出してはいるけれど、ちゃんと手に取れる。そういうものなのだ。
バチバチと炎の剣に当たった水が音を立てながら蒸発する。
鳴り響くベルの中、ヴィーシャさんは炎の剣を掴むと、左手で帽子を取り払った。
顕わになる額の焼き印。
息を呑んだのは氷守さんだった。
多分、彼女だけがその具体的な内容を知らなかったのだ。
降り注ぐ水の中、炎の剣を手にするヴィーシャさんは、その刀身をじっと見つめ、そしてぎゅっと歯を食いしばった。
止めるべきだ。
いや、止めるべきじゃない。
彼女たちが何を望み、何をしようとしているのかを理解していながら、僕は身動きが取れなかった。
じゅっ! と、ああ、聞き覚えのある人の肉が焼ける音だ。
それはあたかも敬虔な信徒が神に捧げる供物を前に奉じているかのような光景だった。無神論者の僕でさえ、神秘を感じずにはいられない、そんな現実と幻想が入り交じった、奇跡の瞬間だった。
ヴィーシャさんは炎の剣を額に押し当て、自らに押された罪の烙印を、自らの手で焼き消すことにしたのだ。
歯が割れんばかりに噛みしめられ、その頬を流れる水は、スプリンクラーのものだけではないだろう。
彼女はその痛みを誰よりも知っている。自分でしたからと言って、肉を焼く痛みに違いなど無いのだ。
それでも彼女は額に炎の剣を押し当て続けた。
僕には想像もできない。真似することは絶対にできない。
ヴィーシャさんは痛みより、恐怖より、その屈辱への抵抗が勝ったのだ。
彼女が戦っていた相手は、彼女自身だったのだ。
僕らはその光景を目に焼き付ける。
いま一人の傷ついた少女が、自らの傷を焼き尽くしたのだ。
ふっと、その体から力が抜け、炎の剣はかき消えた。
ヴィーシャさんはそのまま仰向けに倒れていく。
意識を失うその瞬間まで、彼女は抗い続けた。
抗う意思が、そこに強い心があることを証明した。
僕らはその証人となった。
つまりどんな過去が彼女にあろうとも、彼女はそれに最後の最後まで抵抗ができるのだ、と。
それでも彼女が屈したのであれば、それを誰が責められるだろうか。
自らの額を炎で焼くことを厭わない少女が、それでも屈辱に塗れたのだとすれば、それは加害者が人としての心を持たぬほどに残忍だったというだけのことでしかない。
ヴィーシャさんの心が誰よりも強いことを、僕らは思い知らされたのだ。
「「ヴィーシャ!」」
ヴィクトルさんとエルセリーナさんがベッドに飛びついた。
エルセリーナさんが[中回復]魔術を構築する。しようとした。
それを僕は魔力の糸を伸ばして妨害する。
「カズヤさん!」
「使うなら[小回復]です。彼女の決意を無駄にしたくない」
[中回復]魔術はその難易度に応じて効果も上昇している。直近の火傷なら治せてしまうかもしれない。
「君はっ!」
ヴィクトルさんが唸るように言うが、僕だって苦しい。
ご両親の愛の形と、僕がヴィーシャさんに対して抱く愛情の形は違うのだ。
僕は彼女の苦しみを尊重したい。
苦痛によって癒される何かがあると信じたい。
僕は[小回復]魔術の構成を組み上げて、ヴィーシャさんに行使した。
痛々しく焼けた額の傷は、きっと彼女に押された烙印を上書きするに違いない。
それでも僕は言わずにはいられない。
「なぜ黙っていたんですか!」
それは緋美子さんに向けた言葉だった。
彼女のこの訳の分からない行動に理由があるとすればただひとつ。
彼女はこの未来を[夢見]で見たのだ。
ヴィーシャさんをそのままにしておくことが緋美子さんの何らかの悲劇に繋がったということなんだろうか。それとも[夢見]スキルということ自体がなにかの嘘だったのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
ヴィーシャさんをこんな風に傷つける形で癒すというのなら、事前に教えておいてくれてもよかったはずだ。
「事前に話すことはしていませんでしたので」
それはつまりそういう[夢見]を見たということだ。
変な女性だとは思っていたけれど、ここまで極まっているとは思わなかった。
いや、最初から知っていたじゃないか。
彼女は[夢見]で見たからと、各国の諜報員たちがひしめき合う代筆屋の事務所に姿を見せたのだ。その後に襲撃を受けることも知っていただろうに。
きっと[夢見]スキルがそう見せたのであれば、命だって投げ出すかもしれない。
いま、死ぬことがハイスコアを出す手段だと信じれば。
僕は怒ればいいのか、それともヴィーシャさんの心を救ってくれたことに感謝すればいいのか、せめぎ合うふたつの感情に挟まれてどうにかなってしまいそうだった。
「僕は、あなたが嫌いかもしれない」
「そうですか。実は私はあなたのことが苦手です」
それでも僕と緋美子さんはお互いが必要なのだ。
事情はそれぞれに違うけれど。




