第696話 癒えない傷もある
もちろんいきなり緋美子さんたちをヴィーシャさんに会わせることはできない。
アーリアへの転移経験者である緋美子さんたちは[異界言語理解]スキルを獲得していて、ヴィーシャさんの額に焼き付けられた文字が読めてしまう。
「ちょっと中で話をしてきますので、ここで待っていてください」
「わかりました。色よいお返事を期待しています」
僕とヴィクトルさんは扉をノックして、誰何に応えてから扉の中に入った。
ヴィーシャさんとエルセリーナさんの表情は重苦しく、僕らがいない間に、あまり良くない報せがあったのだとわかる。
「整形外科の医師との話があまり芳しくなかったんですね」
こちらから予想を切り出すと、ヴィーシャさんとエルセリーナさんは顔を見合わせて、そして小さく頷いた。
「ある程度の治療はできるそうです」
と、エルセリーナさんが説明を始めてくれる。
「傷を目立たなくしたり、体の他の部分から皮膚を持ってくる方法があるのだと伝えられましたが、ヴィーシャの額の部分は、その難しい言い回しだったのでよく覚えていないのですが、とにかく傷つくと治らないところにまで及んでいるそうなんです」
皮膚の深い場所まで火傷が及んだ場合、皮膚の重要な部分がダメージを受けて、火傷痕が残るということがある。
ヴィーシャさんが受けた責め苦はまさしくそれを意図的に引き起こすもので、医師の診断はおそらく間違いではない。
それはわかっていた。
問題は現代地球側の医療技術でその火傷痕をなかったことにできないか、ということなのだけど、エルセリーナさんの話しぶりからすると、それも難しいということらしい。
「サンプルとして火傷痕の治療前、治療後の絵を見せてもらいましたが、傷があったことは明確に見て取れますし、その形も残っていました。少々、色合いは薄くなり、他の部分に馴染んで目立たなくはなりますが、正面に立って額を見れば、読める程度にしか治りそうにありません」
ヴィーシャさんに刻まれた火傷痕の根幹は、その美貌が失われたことではなく、パトリックの所有物だと銘を打たれたことにある。
だからその文字が読めなくなるのが治療の最低条件だ。
「カズヤさん、ヴィーシャに聞かせたという最上級回復薬というのは実在するのですか?」
「エインフィル元伯爵の証言です。信憑性は高いと思っています。どうやら手に入れなければならないみたいですね」
「カズヤさん、危険なことはしないでくださいね」
ヴィーシャさんの心配に僕は笑う。
「大丈夫だよ。僕は臆病者だから、危険に自ら飛び込んだりはしない」
「領主の館に単身乗り込むのはそれではないのか?」
ヴィクトルさんが呆れたように言うけれど、そこはほら、勝算があったからね。
「っと、いけない。人を待たせてあるんだ。今回ヴィーシャさんの救出に協力してくれたこちらの世界の知り合いがヴィーシャさんに会いたいと言ってる。かなり無理を言って危険な場所に連れて行ったから、僕もあんまり強く出られなくてね。申し訳ないんだけど、少し彼女らと話をして欲しいんだ」
「額を隠していて失礼でなければ私は大丈夫です」
「それは言い含めておくよ」
そういうことでヴィーシャさんとエルセリーナさんが、ヴィーシャさんの額に包帯を巻いて、つばの広い帽子を被らせた。病室の中では違和感がある格好だけど、理由があるから仕方がない。
僕は一旦病室から外に出て、緋美子さんたちのところへ行った。
「会ってくれるそうですが、彼女は額に大きな火傷痕があり、回復魔法や現代医療でも治療は難しいようです。そこを隠すために包帯を巻いて、帽子を被ったままの面会になります。いいですね?」
「もちろん、構いません」
「緋美子様のお心のままに」
「では」
僕は病室に入り、緋美子さんと氷守さんを招き入れた。
緋美子さんは病室に入ると、深々と一礼した。
氷守さんもそれにまったく同期した動きを見せる。
「こんにちは。緋美子と申します。今回の事件で辛い思いをされたと聞いています。お加減はいかがですか?」
緋美子さんは迷わずベッドの上で上半身を起こしたヴィーシャさんに話しかける。
まあ、状況的に救出されたのは誰なのかわかるよね。
「こちらは氷守です。私たちは今回、カズヤさんに要請されてあなたの救出に力を貸した者です」
「まずは感謝を。お力添えのお陰でこうして生きて家族と再会することができました。心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます」
「はい。どういたしまして」
これで終わってくれたら平和なんだけど、緋美子さんはヴィーシャさんのメンタルケアができるというようなことを言っていた。
「あなたがどんな目にあったのか、人づてではありますが、聞いています。とても辛い経験をされましたね。私には理解できないほどの苦しみであったと思います」
僕がエインフィル邸にいなかった間に情報共有が行われたのだろう。
騎士アルブレヒトはおおよそ全てを知っている。
「はい。ですが、もう過ぎたことです。今は命が助かったことだけでも感謝しています」
「ですが、起きたことは今後もずっとあなたを苦しめ続けます。今は気丈に振る舞えていますが、やがて落ち着いてくると、かつての日常がもう戻ってこないことを思い知り、あなたは耐えがたい悲しみに襲われるでしょう」
僕は思わず口を挟まないではいられなかった。
「緋美子さん、彼女の助けになるはずでは?」
「そのつもりです。もう少々話の続きを聞いていただけますか?」
「内容次第では止めます。そのつもりでいてください」
「わかりました。それで構いません」
緋美子さんは僕に向かってそう言って、ヴィーシャさんに向き直った。
そして言った。
「もしも、すべてを無かったことにできるとしたら、あなたはどうしますか?」




