表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/5

第2話 嫌いなはずなのに

 やはり、この男が大嫌いだ。

 リディアは、再会してわずか数秒でそう確信した。


 ルーカス・アルディンは応接室の窓辺に立ち、まるで自分の屋敷であるかのように堂々と庭園を眺めていた。

 長椅子に座って待っていればよいものを、わざわざ窓辺に立っていたらしい。外から差し込む午後の日差しが、艶のある黒髪を淡く照らしている。


 整った横顔。広い肩。父よりも、さらに頭一つ近く高い。

 学園を卒業した頃よりも、ずっと大人びていた。けれど、こちらを見下ろす青い瞳に浮かぶ、人を食ったような光は何一つ変わっていない。


「相変わらず、随分と俺を待たせる」


 リディアは開いた扉の前に立ったまま、返す言葉を失った。

 約束の時刻にはまだ少し余裕がある。むしろ、早く到着したのはルーカスの方だ。それを、まるでリディアが待ち合わせに遅れたかのように言う。


「私は遅れていないわ」


 ようやくそれだけを返すと、ルーカスは目を細めた。


「昔よりは言い返せるようになったな」


「あなたが昔と変わらず失礼なだけよ」


 悪びれた様子もなく、ルーカスはリディアの頭から足元までを遠慮なく眺めた。視線が髪へ、顔へ、首元へと移り、最後には身体の線を隠すように仕立てられたドレスの上で止まる。

 あまりに不躾な見方に、リディアは反射的に腕を胸の前で組みそうになった。


「何?」


「いや」


 ルーカスは口元にかすかな笑みを浮かべた。


「少し見ない間に、随分女らしくなったと思って」


 頬に熱が集まった。褒められたからではない。品定めするような口調に腹が立ったのだ。


「久しぶりに会った女性へ、最初に言うことがそれなの? 相変わらず品のない人ね」


「褒めてるんだ。嬉しいだろ?」


 どこに喜ぶ要素があるのだろう。

 昔からそうだった。ルーカスは、リディアが怒っても、泣いても、嫌がっても、すべてを自分に都合よく解釈する。そして最後には、リディアの方が大げさに騒いでいるような顔をする。


 ルーカスは当然のように長椅子へ腰を下ろした。そのふてぶてしい態度が、いちいち鼻についた。


「座れよ。婚約相手と立ち話をする趣味はない」


「まだ婚約は決まっていないわ」


「そうなのか?」


 さも不思議そうに返され、リディアは立ったまま彼を睨んだ。


「断られないと思っているの?」


「思っている」


 リディアは返す言葉を失った。その自信がどこから来るのか、本気で分からない。


「俺の家はエヴァレット領との関係を強化できる。お前の家は優秀な婿を取れる。この上なく有益な縁談だろう」


 あまりにも合理的な答えだった。

 胸の奥がわずかに沈む。当然だ。そこに特別な理由などあるはずがない。


「それに、お前は断らない」


「……随分な自信ね」


「俺だからな」


「あなたは、自分がこの世で一番魅力的な男だとでも?」


「少なくとも、俺より顔のいい男には会ったことがないな」


 悪びれもせずそんなことを言うルーカスを見て、リディアは頭が痛くなった。

 呆れた様子のリディアに気づいたのか、ルーカスが立ち上がり、彼女のそばへ歩み寄る。


「冗談だ。何か言え」


「あなたが言うと冗談には聞こえないわ」


「だが、お前が断らないと確信しているのは本当だ」


 背の高いルーカスが、リディアに影を落とす。

 距離が近い。微かな香水と革の匂いに、学園時代の記憶が不意に蘇った。


「お前は昔から、嫌なことでも黙って受け入れるから」


 胸を突かれたような気がした。

 自分の表情を見られたくなくて、リディアは俯いた。


「勝手なことを言わないで。あなたに私の何が分かるというの」


「長い付き合いだろう」


 そう言って、ルーカスの視線がリディアの手元へ落ちた。いつの間にか、指先を強く握り込んでいる。

 ルーカスがその手をほどくように、そっと触れた。リディアの身体がびくりと震える。


「それに……俺はお前がいいんだ」


 突然の言葉に、心臓を鷲掴みにされたような気がした。

 なぜ、そんなことを言うのだろう。意味が分からない。


 婚約者を探しているなら、自分を立て、愛想よく振る舞う令嬢の方がよいはずだ。

 リディアは社交が得意ではない。夜会も好きではない。領地経営についても、後継者として一通り学んではいるものの、実務経験はほとんどなかった。


「……なぜ、私がいいの?」


 心臓が大きな音を立てている。自分はルーカスに、いったいどんな答えを期待しているのか。リディア自身にも分からなかった。

 ルーカスは彼女を見て、目を細めた。


「お前は面倒じゃないからな。一緒にいて楽なんだ」


 面倒ではない。

 その言葉に、少し落胆したような、安堵したような気持ちになった。


「……あなたが昔から何も変わっていないことが分かって、安心したわ」


「褒め言葉として受け取っておく」


 ルーカスは肩を揺らして笑った。その笑い方まで、昔と同じだった。

 リディアが言い返せずに泣き出すと、いつも彼はこんなふうに楽しそうに笑っていた。


「嫌なら、嫌だと言えばいい。なのにお前は、さっきから一度も婚約を断るとは言わないんだな」


 何も言い返せなかった。

 家のため。父のため。領地のため。断れない理由なら、いくらでも思いつく。

 自分が拒めば、父が困る。家に不利益が出るかもしれない。


 そう考えると、ただ嫌いだという理由だけで縁談を捨てることが、ひどく身勝手に思えた。


「……押せば折れる女だと思っているのね。そう思っているから、婚約を申し込んだのでしょう」


「違う」


 短い否定だった。

 いつもの軽さがなかったため、リディアは思わず顔を上げた。

 端正な顔が思いのほか近くにあり、思わず息を呑む。


「リディア。さっきも言っただろう。俺は、お前だから婚約を申し込んだんだ。お前なら……」


 ――リディア。


 その名前を、彼の口から聞くのは何年ぶりだろう。

 幼い頃も、学園でも。彼はずっと、自分を“丸パン”か“お前”としか呼ばなかった。


 真っ直ぐに自分を見る青い瞳に吸い込まれそうになり、リディアはその場から動けなくなった。


「私なら?」


「……少なくとも、俺の顔だけを見て寄ってくる女よりは信用できる」


 リディアは目を瞬いた。

 ほんの一瞬、何と返せばよいのか分からなかった。


「……からかったの?」


 ルーカスは、悪戯を成功させた子どものように笑った。先ほどまでの、相手を弄んで楽しむだけの笑い方とは、少し違って見えた。

 リディアはその違いを考えたくなくて、視線を逸らした。


「ともかく、私はあなたと結婚して幸せになれるとは思えないわ」


「昔のことを気にしているのか?」


「……っ」


 ルーカスの方からそのことに触れるとは思わなかった。リディアは動揺し、何も言えなくなる。

 ルーカスはしばらく何も言わなかった。やがて小さく息を吐き、ぽつりと呟いた。


「悪かった」


 リディアは顔を上げた。聞き間違いかと思った。


「今、何て?」


「悪かったと言った」


「あなたが? 熱でもあるの?」


「謝られておいて、その態度は何だ」


 いつもの不機嫌そうな声に戻った。それでも、先ほどまでの余裕は少し薄れていた。

 ルーカスは苛立ったように髪を掻いた。整えられていた黒髪が、わずかに乱れる。


「……お前をそこまで傷つけたとは思っていなかったんだ」


 謝罪というより、これ以上責められるのが面倒になったような口調だった。

 それでも、ルーカスが自分の非を認めたことなど、これまで一度もない。


 リディアは戸惑った。怒り続けるべきなのか、それとも謝罪を受け入れるべきなのか。どうすればよいのか分からなかった。


「それで許されると思わないで」


「思ってない」


 ルーカスは少しばつの悪そうな顔で、リディアを横目に見た。


「だが、これだけは覚えておけ」


「何?」


「俺に謝らせた女は、お前が初めてだからな」


 謝罪を受け入れる選択肢が一瞬でも浮かんだことを、リディアは後悔した。

 この男に反省を期待した自分が愚かだった。


 ため息をつき、ようやく長椅子へ腰を下ろす。立ち続けていた脚に、遅れて疲労が広がった。

 ルーカスはそれを、婚約話が一歩進んだ証拠とでも思ったのか、満足そうに口元を緩めた。


「よし、行くぞ」


「え?」


 せっかく座ったばかりなのに、突然ルーカスがリディアの腕を取り、立ち上がらせようとする。


「城下へ出かける」


「あなたと? 行くわけないでしょう」


「城下に新しい書店ができた」


 新しい書店。

 その言葉を聞いた途端、リディアの言葉が止まった。

 ルーカスはそれを見逃さなかった。


「珍しい外国の本も入れているらしい。行きたいだろ?」


「……あなたと行く必要はないわ」


「意地を張るな」


 少し強引に引き寄せられる。

 あまりにも身勝手な振る舞いだというのに、はっきりと断れない自分にも苛立った。


「嫌なら、嫌だと言えばいい」


 ルーカスが、先ほどと同じ言葉を繰り返す。

 その口元には、勝ち誇った笑みが浮かんでいた。


 断ればいい。腕を振り払い、この場から出ていけと言えばいいだけだ。

 けれど、城下に新しくできた書店には行ってみたい。珍しい外国の本があるという話も、気にならないと言えば嘘になる。


 それに――もう少しだけ、ルーカスと話してみたいと思ってしまった。


 リディアはそんな自分を認めたくなくて、顔を背けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ