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ステータス『0』の観測兵 ~クラス転移を離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~  作者: ハルキーノ
第二章 "道筋"

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二章十二話 盤の外の手

《教導書》 二章 十二節

『盤の外にある手ほど、駒の痛みを早く知る。』


 昼過ぎ、工房に城仕えの兵がやってきた。


「羽黒承二等兵。騎士長閣下がお呼びだ」


 その言葉だけで、親方も僕も手を止めた。アンテラル騎士長に呼ばれること自体は、もう珍しくない。だが今回は、何となく空気が違った。


「行ってこい」


 ガント親方は短く言った。


「……何の用だと思いますか」


「知るか。だが、戻ってくる頃には、今より面倒な顔してるだろうよ」


 全く励ましになっていない。けれど、少し肩の力はゆるんだ。



 アンテラル騎士長の執務室は、相変わらず飾り気がなかった。広い机。積まれた書類。壁にかかった地図。手入れだけは行き届いているが、居心地のよさとは無縁の部屋だ。


 騎士長は窓際に立ち、北方方面の地図を見ていた。僕が入っても、すぐには振り返らない。


「来たか」


「お呼びと聞いて」


「座れ」


 命令口調なのに、いつもより少し静かだった。勧められた椅子に座る。革張りの座面がやけに硬い。


「単刀直入に言う」


 騎士長はようやくこちらを見た。


「貴様、この城に居続ける気はあるか」


 予想していなかったわけではない。けれど、真正面から言葉にされると、息が詰まった。


「……それは、どういう意味ですか」


「言葉通りだ」


 騎士長は机の端を指で叩いた。


「このまま城に残れば、貴様は工房、兵站、補助幕僚、その辺りを回されながら便利に使われる。悪い待遇ではない。飢えもせん。腕も磨かれる」


 そこで一度、言葉が切れる。


「だが、貴様が望んでいるのは、おそらくそれではない」


 胸の奥のどこかを、無造作に掴まれた気がした。


「……望んでることなんて、自分でもまだ」


「分からんだろうな」


 騎士長はあっさり言う。


「分からんまま飼い殺しになる手合いを、私は何人も見てきた」


 飼い殺し。その言葉の下品さに、逆に現実味があった。


「それで、質問だ」


 騎士長は引き出しから一枚の封書を取り出した。王城の紋章はない。代わりに簡素な封蝋が押されている。


「城の外でやってみる気はあるか」


「……外?」


「王都外縁、ならびに周辺街道。最近、補給路の荒れと流民の流入で、目に見えん歪みが増えている。魔物だけの話ではない。物資、人、噂、利権――そういうものを、表向き軍籍を離れた立場の方が探りやすい」


 言っていることは理解できた。だが、それをなぜ僕に言うのかがすぐには飲み込めない。


「諜報、ですか」


「そこまで上等なものでもない。観察、整理、判断、必要なら工作だ」


 騎士長は少し口元を歪めた。


「貴様の得意分野だろう」


「それは……」


 否定できなかった。


「もちろん、これは公にはしない」


 騎士長の声がさらに低くなる。


「森田ロハンにも最低限の話は通す。建前上は『実地経験のための外部研修』だ。体よく言えば出向、悪く言えば放逐だな」


 放逐。自分で考えていたより先に、その言葉が相手の口から出た。


「僕を、城から追い出したいんですか」


 騎士長は即答しなかった。数秒の沈黙のあと、淡々と答える。


「半分はそうだ」


 あまりにも正直で、僕は言葉を失った。


「貴様は今の城の秩序にとって、収まりが悪い。便利だが、綺麗に分類しきれん。戦闘組の隣に置いても歪む。工房に固定しても燻る」


 机の上の地図に、騎士長の指が触れる。


「なら、外に出した方がいい」


「残り半分は」


 気づけば、そう聞いていた。騎士長は初めて、ほんのわずかに目を細めた。


「貴様が、外で伸びる可能性を見ている」


 執務室は静かだった。窓の外では兵の掛け声が聞こえるのに、この部屋だけ別の空気に切り離されているみたいだった。


「すぐ答えろとは言わん」


 騎士長は封書を机の上に置いた。


「だが、時間はやらん。三日だ」


「三日」


「長い方だ」


 その言い方が、妙にこの人らしかった。


「受けるなら、城を出る準備をしろ。断るなら、ここで今まで通り使われろ。それだけだ」


「城の保証は、どこまでですか」


「紹介状と、最初の連絡先までだ。協会で通用するかは、向こうが決める」


「護衛は」


「ない」


 封書が急に薄く見えた。紙一枚の向こうに、寝床も食事も用意されてはいない。


 それだけ。なのに、その二つはあまりにも遠かった。



 工房へ戻る途中、僕はしばらくまともに歩けなかった。城を出る。その選択肢は、昨日までぼんやりとした輪郭しか持っていなかった。けれど今は違う。日付も、条件も、理由もついた。現実になった途端、怖さが増した。


 この城の中なら、朝になれば行く机がある。僕を探してくれる声もある。衣食住も、仕事も、ある程度は保証される。外は違う。


 何者でもなくなる。守られなくなる。失敗すれば、今度こそ本当に、誰にも拾われずに終わるかもしれない。


 それでも。


 どこかほっとしている自分もいた。



 工房に戻ると、親方は僕の顔を見た瞬間に舌打ちした。


「面倒な話だったな」


「顔に出てましたか」


「出てる。朝より悪化してる」


 僕は迷った末、内容をかいつまんで話した。騎士長から、城の外へ出る任務を示されたこと。紹介状の先は自分で通し、護衛もなく、三日で決めろと言われたこと。


 親方は最後まで口を挟まなかった。全部聞き終えてから、短く息を吐く。


「あの赤マント、やっぱり性格が悪ぃな」


「否定はしません」


 親方は工具箱の留め金を二度外し、二度とも閉じた。


「三日で引き継げると思ってやがるのか、あの赤マント」


「そこですか」


「そこだ。浄水器の注文が六件、北倉庫の軸受けが八つ、お前しか途中を知らん修理が二つある」


 親方は指を折り、最後の二本を立てたまま僕を見た。


「行くな、とは言わん。だが、行かれると困る。勝手に綺麗な話にするな」


「ただし」


 親方は工具箱の蓋を閉める。


「外に出りゃ、今よりしんどいぞ。親切なやつばかりでもねぇ。今みてぇに、お前が何をできるか最初から知ってる人間もいない」


「……でしょうね」


「だから、行けとは言わん」


 そこで親方は、珍しく少し笑った。


「だが、お前が『残る理由』より『出る理由』を多く数え始めてる顔してるのは分かる」


 返事の代わりに、僕は途中の修理札を机へ集めた。三日で説明を書ける量ではなかった。



 夜、兵站区画の裏でカルマン曹長にも話した。曹長は腕を組んだまま、しばらく黙っていた。


「なるほどな」


 それだけ言って、空を見た。


「惜しいな」


「……引き留めますか」


「しない」


 曹長は首を横に振った。曹長は再配置表を出した。今朝見た時にはなかった名前が、僕の担当欄へ三人書き足されている。


「行くなら、この三人に倉庫を教えろ。残るなら二人は元の班へ戻す」


「もう決めたんですか」


「三日しかないんだろうが。お前の気持ちが決まるまで、荷車は待たん」


「それと」


 曹長は腰の小袋から古びたコンパスを取り出した。


「持っていけ」


「え」


「予備だ。精度は少し甘いが、ないよりマシだ」


「まだ行くって決めたわけじゃ」


「決めてから渡すと、送り出す側みてぇで癪だ」


 そう言って無理やり僕に押しつける。針は北を指すまで一度迷い、縁に触れて止まった。



 自室に戻った後も、僕はしばらく封書を開けずに机に置いていた。赤い封蝋を見つめる。


 そこに書かれている内容は、たぶん大した差ではない。任務の概要、連絡先、建前上の処理。そんなところだろう。


 封蝋を割れば、明日の作業が増える。割らなければ、親方の修理札が十二枚待っている。


 窓の外には、第二王城の灯りが広がっていた。


 ここには、もう僕の椅子がないわけではない。むしろ、ある。だからこそ迷う。座れる椅子があるのに、立ち上がるかもしれない。


 机の引き出しを開ける。昨日しまった小さな銀色の記章が、静かにそこにあった。記章を指先で押すと、引き出しの底で少し滑った。


 僕は封書へ戻り、蝋の端へ爪を入れた。一度では割れず、赤い欠片だけが机に落ちた。

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