表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステータス『0』の観測兵 ~クラス転移を離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~  作者: ハルキーノ
第三章 ”自己”

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

119/129

六章十三話 戻された小瓶

《王録》 六章 十三節

『残された小瓶は、死ねぬ者の名を水面に戻す。』


 救護班が来るまでの時間が、妙に長かった。


 長いはずがない。


 僕が声を出してから、走る足音が来るまで、たぶん一分も経っていない。


 でも、瓦礫の中の生命は、その間ずっと同じ場所にあった。


 ゼロではない。


 ゼロではない。


 ただ、それだけ。


 それを見ていると、息の仕方が分からなくなった。



 救護班は、最初に布を広げた。担架ではなかった。


 担架に乗せる形が、まだ残っていなかった。僕は手を出そうとして、止められた。


「見つけた人は下がってください」


「生命が」


「聞いています。下がってください」


 救護兵の声は固かった。


 怒っているのではない。


 何かを崩さないように、声を固くしている。


 袖口は濡れていた。手袋の革には、薬草と血を洗った後の匂いが残っている。僕を止めた手は乱暴ではなかったが、指先だけが妙に冷たかった。


 僕は一歩下がった。


 靴底の下で、小さな破片が鳴った。



 桜華さんだったものは、布に包まれた。


 名前を言うと、周囲の空気が少し変わった。


 桜華さんは、いつも名前より先に声が来る人だった。廊下の向こうから誰かを呼ぶ声がして、振り向くとだいたい彼女がいる。そういう印象が、布の前では役に立たなかった。


 放課後、誰かの忘れ物を見つけると、桜華さんは持ち主の名前より先に置き場所を覚えていた。机の横、窓際の鞄掛け、教卓の下。そういう細かい場所をよく覚えている人だった。


 今、その人の場所を救護班が決めている。その事実だけで、喉の奥が詰まった。


 不死。その言葉は便利すぎる。


 便利すぎて、口にした瞬間に何かを取りこぼしそうだった。


 死なない、という言葉は、この場では何の説明にもならない。


 死ねない、なら少し近いのかもしれない。


 そんなことを考えて、すぐにやめた。


 考える順番が違う。



 詰所へ戻る途中、エリカさんに呼び止められた。


 いつ来たのか分からなかった。


 冒険者協会の腕章に、泥が跳ねている。

 髪は後ろで雑に結ばれていて、結び損ねた短い毛が頬に貼りついていた。走ってきたのだと思う。呼吸は荒くないのに、肩掛け鞄の革紐だけが、胸のところで強く食い込んでいた。


「羽黒」


「はい」


 エリカさんは、布包みを差し出した。


 小さい。


 親指ほどの硝子瓶が一本、中で硬い音を立てた。

 包み布は乾いていた。乾いているのに、受け取る前から冷たそうに見えた。エリカさんの指の節には、古い傷が白く残っている。


「前に迷宮で回収した。正式には保管品だ。まだ鑑定名も固まっていない」


「それを、僕に?」


「お前にじゃない。救護班に渡せ。使うかどうかは向こうが決める」


 瓶の中には、液体が少し残っていた。


 透明ではない。


 光を当てると、底の方に薄い金色が沈む。


「遺跡から出た薬だ。古い回復薬か、聖別水の出来損ないか、その辺りだとミラは言っていた」


「危なくないんですか」


「危ない。だから、普通は使わない」


 エリカさんは、そこで一度だけ視線を戦場の方へ向けた。


「普通の形が残っているならな」


 僕は瓶を受け取らなかった。


 手が動かなかった。


 エリカさんは、布包みごと僕の胸元へ押しつけた。


「持て。お前が見つけた反応だ」


 その言い方は、優しくなかった。


 優しくないから、手が動いた。

 瓶の角が、服越しに胸へ当たった。軽いはずなのに、そこだけ重くなった。



 救護所の中は、薬草と焼けた布の匂いがした。


 桜華さんの名前は、まだ札に書かれていなかった。


 救護兵が僕の持ってきた小瓶を見る。


 顔が変わった。

 若い兵だった。頬の産毛に粉薬がついていて、目の下だけが黒くなっている。驚いた顔をしてから、すぐに仕事の顔へ戻した。


「どこから」


「冒険者協会の保管品です。迷宮の遺物だと」


「使用許可は」


「ありません」


 自分で言って、舌の裏が乾いた。許可がない。


 鑑定名もない。安全確認もない。


 あるのは、ゼロではない生命と、布に包まれた体だけだ。


 救護兵は瓶を受け取り、隣の軍医へ渡した。


 軍医は長くは迷わなかった。

 軍医の手は太かった。爪の間まで洗ってあるのに、指の腹だけが赤い。何人も触った手だった。


「薄める。直接は入れない。残存魔力を見る」


「はい」


 手順が動き始めた。


 それだけで、少し息が戻った。



 小瓶の中身は、水に落とされると、金色ではなく白く濁った。


 血の匂いと混ざる。薬の匂いはしなかった。雨の後の石に似ていた。


 軍医が布の端を少し開く。僕は目を下げた。でも、表示が見えた。


 低い。低いまま、揺れた。一度、消えかけた。


 顎の奥が、勝手に硬くなった。次の瞬間、生命がほんの少し上がった。


 精神の表示は、見えなかった。生きているのに、そこだけが白く抜けている。


 上がったのが生命だけだと分かった時、安堵より先に、新しい重さが増えた。


 周りの誰かが息を止めた。僕ではなかった、と思う。


「反応あり」


 救護兵が言った。


 軍医は頷かなかった。


「続ける。喜ぶな」


 その声で、救護所の中がまた手順に戻った。



 桜華さんの形は、すぐに戻らなかった。当たり前だ。人は壊れた物ではない。


 部品を戻せば済むわけではない。それでも生命は、ゼロから遠ざかっていた。ほんの少しずつ。


 見間違いだと言われたら、言い返せないくらい。


 でも、僕には見えていた。


 見えてしまっていた。


「羽黒さん」


 救護兵が僕を見る。


「外で待ってください」


「でも」


「ここから先は、見つけた人が見る場所ではありません」


 返事が出なかった。


「呼ばれたら戻ります」


 それだけは言えた。


 救護兵は小さく頷いた。僕を励ますためではなく、仕事の確認として。


 外へ出ると、雨は止んでいた。溝の水だけが流れている。手の中に、小瓶の布だけが残っていた。


 中身は、もうない。それでよかったのかは分からない。分からないまま、僕は布を握った。


 生命のゼロと、生きている生命が、同じ処置台の上にあった。


 救いに見えるものは、救いだけではなかった。


 桜華さんは、死ねなかった。


 僕は、それを拾ってしまった。


――――――――


面白かったら、下記のリンクから評価やレビューをいただけると嬉しいです。

https://kakuyomu.jp/works/822139841314440520/reviews

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ