98 侯爵夫人の名前
このままでは話が進まない。謝罪マシーンと化してしまったセンタスを、オクトスが一撃で昏倒させた。
父親とは言え男爵のセンタスに迷わず一撃与えるオクトス。ヴィニカリス家の面々がドン引きしようが何のその、使用人に気絶したセンタスを託し、落ち着いた面々は改めて額を突き合わせた。
「ペルデュラン男爵家の事情はわかってもらえたと思うけど、恥ずかしながらこんな物だよ」
「領地と家族を守る為に侯爵の要望を受け入れたが、それを誰にも相談しなかった結果、嫁殺しの噂がある侯爵から娘が逃げて侯爵との契約が履行できなくなると慌てた男爵が使用人をわざわざ養女にし、嫁がせたらその娘が聖人だった……と『証言』したところで、戯れ言としかとられない気もするが」
『色々おかしいもんねぇ』
事実は小説よりも奇なりとはよく言った物だが、多分クインティーナがヒロインだからこんな事になっているんだろうな、とアイヴィーは思っていた。
(……ってことは、そろそろエンディングが近い……?)
アイヴィーがそう思うのも無理はない。
ライコア侯爵家に身代わりとして嫁いだクインティーナも、無事に(?)脱出してペルデュラン男爵家に戻ってこられた。ライコア侯爵家は文字通り没落してしまったが、生き残るというミッションは達成――……。
『……あっれ待って? クインティーナ離婚できていないじゃない!』
思わぬ落とし穴に仰天した。
本来なら、物理的に脱出した後に書類処理をする予定だったが、する前にライコア家が(文字通り)没落。なんならライコア侯爵家の人間として生き残ったのは嫁入りして侯爵夫人になったクインティーナのみかもしれない。
分家も複数存在するが、その分家は王家を囲う歪な輪の一つとして、死の土地になっている。そちらも何人生き残っているのか不明だ。
『負の遺産残っちゃってる!?』
全ての元凶がニリスと知られれば、連座で処分を言い渡されかねない。
「そのことですがアイヴィーさん、実は私、結婚していなかったようで……」
『どういう事?』
「その、ライコア侯爵家に嫁入りしたのはクインティーナではなく、テレーザお嬢様になっていまして」
『……? クインティーナは身代わりだったからそれはそう……そういう意味ではないよねちょっと待って? クインティーナはクインティーナとして嫁いでいたはずで、二日目には執事長の持って来た契約書にもクインティーナの名前で署名していたはずで、それはおかしいでしょ?』
「……ハッ! そうですね、自分の名前を書きました! てっきりテレーザお嬢様と勘違いされていたと思ったのですが……!」
「……恐らく、養女が嫁いだ事を知る者が少ない結果だと思う。男爵家の娘が嫁いだのは周知の事実だが、それまで養女がいなかったのだから、周囲はテレーザ嬢が嫁いだと思っている。そもそも、テレーザ嬢が嫁ぐとされていたから当然といえば当然だ」
テレーザが嫁ぐと言われている中で、存在しなかった養女が嫁いだと誰がわかるだろうか。
クインティーナと会話するアイヴィーに、説明するようにペンタスが言葉を足す。
アイヴィーの声は聞こえていないが、クインティーナの言動から何の話か察しての参戦だった。少しソワソワした様子で、クインティーナの視線の先を確認している。そんなペンタスの様子から誰がいるのか察した護衛も、目を見開いてアイヴィーがいると思われる空間をガン見していた。
どいつもこいつも、察しがよすぎである。
「……という事は、私ではなくテレーザお嬢様が侯爵夫人……?」
「それは、違うんじゃない? 婚姻した書類はクインティーナの名前でしょ?」
『……これ、有耶無耶にできないかなぁ』
「なに言ってんの」
空中で腕を組んで寝そべりながら、すい~っとアイヴィーがミラノスの前を横切っていく。ペンタスとその護衛は必死に聖人達の視線の先を追っていた。
『だってこのままクインティーナが侯爵夫人扱いされるのは面倒じゃない? 侯爵夫人として、生き残った教会と王宮の相手をしなくちゃいけない。しかも経済状況も資産もわからない中で。ライコア侯爵家の人間は残らず死に絶えたって事にした方が、王家も迷わず侯爵家の資産を国の資金に徴収できる』
すいすい宙を漂うアイヴィーの言葉は、独り言に近い。ミラノスは眉間に皺を寄せて、クインティーナはぽそぽそとアイヴィーの言葉を通訳した。
「しかし、婚姻届けにはクインティーナの名前が載っている。印象操作で認識の齟齬を起こせても、書類は騙せないだろう」
通訳を受けたオクトスが、アイヴィーに向かって発言する。ちなみにアイヴィーの方向は向いていたが、思いっきり上を見ていたのでまさしく明後日の方向を向いていた。
『それだけれど、そもそもクインティーナ・ペルデュラン男爵家令嬢なんて存在しないとしたら?』
「……養子縁組の書類なら、父上が強行したから受理されているよ」
それが厄介だとミラノスは顔を顰める。ぎゅっと顔に集まる皺に、相変わらず嫌そうな顔が種類豊富だなぁとアイヴィーは呑気な感想を抱いた。
『でもそれって、ほぼ婚姻の日というか……数日前でしょ?』
「だから?」
『普通に考えて、侯爵家に数日前に養子にした庶民を嫁がせる?』
「……嫁がせないけどさ」
嫁がせたセンタスがいるので、あり得ないと強く言えなかったが、普通に考えれば正気の沙汰ではない。
『だからここは申し訳ないけれど、テレーザお嬢様の暴挙で書類に誤りがあったってことにしましょう』
「はわ」
クインティーナはパカッと口を開けてアイヴィーを見上げた。
アイヴィーは寝そべっていた態勢からくるんと回転して起き上がり、ビシッと天井を指差す。
『そう! ライコア侯爵夫人はテレーザお嬢様! そしてお嬢様は現在消息不明! この火事で行方不明って事にすれば自然と死亡扱いになる! クインティーナはお嬢様の婚姻後、娘がいなくて寂しがった男爵によって養女にされた庶民って事でごり押しすればいいのよ!』
「ゴリ押しすぎませんか!?」
ちなみに作戦名は「しらばっくれていこう」である。
すいーっと変な姿勢で通過しがちなアイヴィー。




