92 煙が導く死神
轟々と燃え盛る炎に、地下から這い上がった者達は現実が飲み込めず呆然とした。
夕暮れの空に伸びるのは黒い煙と白い煙。屋敷を包む真っ赤な炎に、所々に見える青い炎。
まるで人魂みたいだと一瞬思ったアイヴィーだが、青い炎は余程の高温でないと見られない。現実的に考えて、火事で青い炎は発生しない、はず。
ではあれは何か。
考えられるのは化学反応。
化学反応ということは――……あ、ニンニク臭。
『……煙吸っちゃダメだコレ!! 毒!!!! 逃げて!!!!!』
その場で飛び上がって、呆然としている脱出組に退避を命じた。
『アカンこれマジでアカン!! ヒ素燃えた!? 燃えちゃった!? 燃やしちゃダメだよあの劇物!! いや違う毒かもだけど毒燃やしたら煙が毒になるんだよわかる!? わかるわけないかー! 誰も教えてくれないよねー!!』
呆然と、ぱかりと口の開いているクインティーナの目前で口を閉じろとジェスチャーをする。地下にいたときよりもダイレクトにヤバイ。アイヴィーは全員再び地下に潜ることを検討した。
毒の山があるのに地下の方が安全なんて事ある?
幸いだったのは風向きだ。丁度彼らが脱出した場所が、侯爵家を下から見上げる位置で、煙の来ない風向きだった。これが侯爵家より立地が上だったなら、問答無用で煙の被害に遭っていた。
(あれ? 侯爵より上の立地って……)
ふと気付いて侯爵家を見上げたアイヴィーは、黒煙と白煙に混じっている光を見てぎょっとした。
『苦悶の表情をした霊が煙と一緒に天へ昇ってるぅ――!!』
複数の魂が呻き声を上げながら、煙の勢いに巻き込まれるように天へ昇っていくのが見えた。
自ら昇っているのではなく、強制的に昇っている。それだけなら成仏と思うが、誰もが苦痛を訴える顔をしていた。
「……アイツら全員、侯爵家の使用人だと思う?」
アイヴィーの言葉に従って口元を押さえ、煙を避けるように侯爵家から距離をとったミラノスが、アイヴィーと同じように煙を見上げて呟いた。
クインティーナは呆然としすぎて、現実が処理できていない。口元を覆ってはいるが、頭はまったく働いていなかった。
『火の手は侯爵家。あの青い炎は毒が燃えているからで……煙には毒がたっぷり含まれているはず。だから、残念だけど、侯爵家に滞在している人間はほぼ全滅している、はずよ』
だから、あの煙で巻き上げられているのは全て使用人だろう。
(マイナとフルスは? 炎から逃げられても、煙からは逃げられない……あの子達も巻き込まれてしまった?)
煙を吸って肺に毒を取り込み、急性中毒を引き起こす。炎から逃げられても煙からは逃げられず、毒で倒れて炎に焼かれてしまうだろう。
逃げていて欲しいと願うが、捕まってしまったならこの火事に巻き込まれている可能性の方が高い。
「侯爵家の使用人が、簡単に天へ昇れると思う?」
「……アイツらも侯爵と同類なら、そう簡単に天へは昇れまい。自らの悦楽のため間接的、直接的に殺めたなら、神は人をお許しにならない」
「どうした、ミラノス。何が見えている?」
指示されたとおり煙を吸わないよう下を向いている二人が、燃え盛る侯爵家を見上げる聖人二人に訝しげな顔をする。
それでもペンタスは、ミラノスの質問にしっかり答えた。彼の発言は一般的で、恐らく侯爵家の罪を知る者なら誰もが同じ答えを返すだろう。
地下で死んだ護衛も同じ。
あんなことがなければ、彼は地を彷徨う魂として黒く濁っていっただろう。
やっと我に返ったクインティーナだったが、相変わらず立ち上る煙から……天へと昇っていく人数から目が離せなかった。自分を落ち着かせようと、首から下げっぱなしのペンダントを握りしめる。冷たい石の感触が、離れていても感じる熱気を和らげる気がした。
「たくさんの魂が、煙に乗って天へ昇っている。誰もが苦しげで、とてもじゃないが安らかじゃない」
「天へ昇っているならよいことだと思うが……」
「侯爵家の使用人なら、大地を数百年は這いずるべきだ。そう簡単に天へ昇れるとは思えない。事情を知らない使用人達の魂じゃないか?」
『うちの弟がとっても過激』
魂については、わからない事だらけだ。
アイヴィーが規格外なのはもう分かりきったことだが、煙に煽られて天へ昇っていく魂達の苦悶の表情もわからない。焼け死んだ所為だろうか。
(……あそこにいるの全部焼け死んだ人だと思うと虚しくなってくるなぁ……)
あれだけの数が侯爵家にいたのだ。
いや、この被害は侯爵家に留まらない。煙が届く範囲で死傷者が出ているはずだ。
『そうだ……火を消そうとして近付いて、煙を吸って毒で死ぬ……って二次被害が!』
「もう出ていると思うよ。バカばかりじゃないから煙のこともわかってるから、消火の気配がないんだと思う」
アイヴィーは今気付いたが、ミラノスは既に察していたらしい。煙の行き先を厳しい目付きで追っていた。
「この煙が届く範囲は、毒による大量虐殺の範囲内だ……侯爵は死んだけど、彼の目的は達成されたみたいだね」
「どういう事だ?」
「煙の行き先を見てみなよ」
いわれて誰もが侯爵家を見上げる。
轟々と燃える屋敷はその規模もあり、勢いが弱まる様子もない。
「ここの立地は、地位が高いほど高い場所にある。ライコア侯爵家より高い立場の人達って、何処に住んでいるんだろうね」
『あ』
先程過った違和感に、アイヴィーは大きく口を開ける。
『教会と王城も、巻き込まれてる……』
毒の煙は下に流れず、ひたすら上に上にと流れ続け。
風の流れか、それともニリスの怨讐か。
その影響は、離れた教会と王城にまで伸びていた。
ニリスの望んだ、権力者達の失墜。
皮肉にも、侯爵家が燃えることで、毒は予想以上の猛威を振るっていた。
アイヴィー『……はっ!! 待って!! 炎上Endなんて爆破オチと同じくらいサイテーでは!?』




