91 不幸な事故
時間は少し遡る。
独房へ向かうメンバーと別れたマイナとフルスは、その後様子を見に来た使用人達に取り押さえられた。
侯爵家の一部しか知らない独房が開かれていたのだ。その中にはついさっき伯爵家の人間を捕らえたばかり。叛意を疑われるのは同然のことだった。
侯爵の姿が見えたなら、盛大に恨み言を吐こうと思っていたが、来なかった。使用人が異変を報せに走っただけで、マイナ達の元へ侯爵は足を運ばない。
当然といえば当然だが、マイナはそれが腹立たしかった。
そしてマイナとフルスが放り込まれたのは、独房ではなかった。使用人達に反省室と呼ばれる、折檻部屋だ。
そもそも独房に侵入者が出たのだ。そこにマイナ達を連れて行けば援軍になってしまう。だから他の場所に閉じ込めた。
手足を縛られて転がされたマイナ達は、侯爵夫人も見当たらないという報せで慌ただしくなり、その場に放置される流れ。
そして縛られていた二人だが……フルスが隠し持っていた小型ナイフで拘束を解くことができた。
「抵抗の時に使わないからって、何も持っていないって油断しすぎだよ」
何故かマイナが得意げに胸を張り、縄から解放される。自由を手にした二人は、ペンタスの救出を彼らに任せて別の目的を果たすことにした。
それは、侯爵家を没落させるくらい大きな悪事の証拠を見つけることだ。
最初から想定していた狙い通り、全員侵入者に注目している。この間に、侍女長や執事長の執務室を調べて侯爵家の悪事を詳らかにするのだ。
マイナ達の家族に送られた手紙や、保管されていた虫除け……毒と思わしき農薬だけでは、立場的にも侯爵家を告発するには弱すぎた。
『証言』が強みとは言え、証拠が間接的すぎる。同じ立場の使用人の『証言』を募ろうにも、様子がおかしい者が多く見極めが難しい。マイナ達には理解できないが、進んで自らの家族を巻き込んでいる者もいた。
だからこそ侯爵家で、確かな証拠を握りたかった。
「アイヴィー様の弟君の救出を頼みはしたが、万が一もある。急いで証拠を見つけて、侯爵を脅しつけてやろう」
使用人達の出身地に薬を送っているのは、侍女長か執事長のどちらかだ。だから二人は、どちらかの部屋に証拠となる薬や指示書があると思っている。あれだけの数の土地に小分けした薬を送ったのだ。送る前の薬を保管する場所もあるはず。
そう思って執事長の部屋に忍び込んだマイナ達は、運悪く執事張本人と鉢合わせた。
執事長は、クインティーナがいなくなった事に気付いたニリスが、万が一を考えて一番安全な水路から例の洞窟へ向かったのを見送ったところだった。彼はこの後、複数ある出入り口を封鎖する指示を出す予定だった。
マイナ達と鉢合わせたのは全くの偶然で、逃げだした二人に気付き問い質すのは必然で。
カッとなったマイナが、その場にあった花瓶で執事長を殴り殺したのは当然のことだった。
そう、当然の流れだった。
「はーっ、はーっ……」
床に倒れ伏す、頭から血を流す男を見下ろして、マイナは乱れる息を整えようと呼吸を繰り返した。
「はーっ、はーっ、はーっ」
不思議なことに、回数を重ねるごとに乱れていく。
問い詰められ、首を絞められていたフルスは、妹の暴挙に目を見開いていた。
血のついた花瓶がマイナの手元から離れ、床を転がる。転がる軌跡に血が散って、床に赤い丸が描かれた。
妹の震える手を、フルスは怖々と包み込んだ。
「はーっ、フルス、あたし、はーっ、これ」
「教会へ行こう、マイナ」
「は?」
フルスの言葉に、ガンガン耳元で鳴り響いていた動機すら止まった。
目を見開いて兄を見上げれば、普段寡黙な兄は真剣な目でマイナを見下ろしていた。
「なんで」
「もう、いいだろ。ヴィニカリス伯爵家もペルデュラン男爵家も動いた。きっと今日でライコア侯爵家は終わりだ。隠していた全部が暴かれる。その前に教会へ行って、助けを求めよう」
「助け?」
「もう、いいだろ。この程度でも、神官様は許してくださる」
そう言ってフルスが手に取ったのは、家族に送られてきた薬。彼がずっとポケットに入れていた、普段は宿屋に保管していた毒薬だった。
「――これの効能も、他の使用人を使ってわかっただろ」
ミラノス達にこれは毒だと告げたとき、どうしてわかったのかと聞かれて、マイナはネズミが囓って死んだからと答えた。試していないが、ネズミが一口囓っただけで死んだから毒だとわかったと。
あれは嘘だ。
本当は、人から聞いたのだ。
両親を弔いに来た神官様に。似た症状があちこちで起きている事……皆がライコア侯爵家に関与しており、共通の薬を貰っている事を。
神官の助言から家を調べた二人は例の手紙と薬を見つけ、神官にこれがその毒薬に違いないと言われたのだ。確証はないが、各地で侯爵家がばらまいていると。
侯爵は聖人の名を隠れ蓑に国に害をなそうとしている、と神官は言っていた。
その罪を暴くために協力して欲しいと。
マイナは信じなかった。ニリスの悪事ではなく、神官に不信感を抱いていた。
フルスは信じた。信じれば、アイヴィーが殺されたことも家族が死んだことも、全てニリスが国に叛意あっての事と納得できたから。
だからフルスは、これまでのことは全て、その神官を通して教会へ伝えていた。
毒性能も、その報告に含まれる。
フルスは、料理人だ。
――同僚の賄いに毒を混ぜるなど、容易かった。
二人は、試していた。同僚達で少しずつ。手に入れ薬が、本当に毒薬なのかどうか。
それは毒味であり、治験であり、殺意だった。
そして少しずつ弱っていく同僚をみて……これが遅効性の、継続して盛ることで体調を崩す毒なのだと理解した。
侵入した彼らが使用人の数に疑問を抱いたのは、最近は体調不良を訴える者も多くなっていたからだ。
「もともと、全部、あいつらの所為にして逃げるつもりだった」
――ただの不審者だと思っていた時から、協力者に全て押しつけて、逃げるつもりだった。
「執事長のことも、全部あいつらの所為にして、教会へ逃げよう」
それが容易ではない事を、フルスはわかっていた。
しかし今は、とにかく妹をここから遠ざけたかった。
フルスの言葉を聞いて……マイナは、ガタガタと体を大きく震わせた。
「逃げろって、事かい」
「マイナ」
「まだアイヴィー様の仇も、取れていないのに?」
「マイナ」
「たかだが一人、やっちまっただけで、なんだい……! こんなの、燃やしちまえばいいじゃないか!」
「マイナ!」
叫んだマイナは、燭台を執事長の遺体に向かって倒した。
――蝋燭、一本の炎だ。本来ならば、燃え移る前に消える。
しかしここで、不幸な事故が重なった。
マイナを止めようとしたフルスの手が、例の毒薬を持っている手だったこと。
燭台にぶつかった手から溢れた毒薬の上に、燭台が倒れたこと。
火が付いた毒薬は――青い炎と白い煙を上げ、煙を吸い込む者全てに死に神の鎌を振り下ろしたこと。
全てが、実に不幸な事故だった。
>>全部ニリスの所為<<
と、神官が申しております。




