90 地上を赤く照らすのは
「あの空洞は証拠になるけれど、封鎖した方がいいかもしれない」
呆然としていた彼らだが、アイヴィーに長居してはいけないと急かされて、なんとか脱出のために動き出した。
進むのは、ニリス達が現れた道だ。
先頭のオクトスが松明で足元を照らし、ペンタス、クインティーナ、ミラノスの順番に並んで進む。水路の横にあるのは人一人通れる程度の道幅なので、全員が壁に手を着いてゆっくり進んでいた。
この時オクトスは、なるべく水路を照らさないよう注意した。
察したアイヴィーも、水路側は飛ばないよう注意して後方組のランプ役に徹した。アイヴィーがいるからこの並びになったとも言う。
誰もが慎重に進む中で、ミラノスが小さく零した。
「侯爵家が使用していた毒の証拠で、侯爵の遺体が残されているけれど、誰も入れないようにした方がいい」
「あの毒が二度と悪用されないようにか?」
「もの凄く言いたくないけど、聖人としての忠告だよ」
ミラノスは本当に嫌そうな顔をしていた。
問いかけたペンタスは、言い返そうとして口を噤んだ。彼もまた、ニリスに絡みつく白い腕を、白骨化したニリスを目にしている。
心霊現象で霊が見えるようになったのかと焦ったが、ペンタスにもオクトスにも、アイヴィーの姿は見えていなかった。
何が起こったのかと戸惑う彼らに、これまたアイヴィーが力強くそういう事もあると断言した。
『普段は見えないのに波長が合ったとか、向こうが無理矢理見えるようにしてきたとか、色々説はあるけれど【聖人じゃなくても一時的に魂が見える事もある】から問題なし! 今回たまたま見えただけ、私が見えてないなら他の霊も見えない! そういうときもある!』
断言したが、前世のにわか知識である。
魂に対して、霊に対して知識がまったくない彼らが不安にならないように断言しただけで、ある意味とてつもないデタラメだった。
しかしそういうものだと思って貰わねば、ペンタスやオクトスまで聖人候補として教会に目をつけられることになってしまう。
(今回のことどう処理したらいいかさっぱりだけど、一応ね!)
人が一瞬で白骨化など、奇跡も魔法もないはずの世界で異質すぎる。
死んだニリスの魂が視認できなかったのも不吉だ。あの白い手は、ニリスを肉ごと地中に引きずり込んだ可能性がある。
話を聞いただけなら「日の光の届かない場所で悪徳侯爵が不審死」なので神の裁きだと言い出す人もいそうだが、ニリスにとどめを刺した白い手は明らかに、ニリスが殺した誰かだ。神ではない。
(もしかしてだけど……地下って、魂が活発に動ける要素があったりする……?)
魂は、大地に縛られている。
天に昇れない魂は、地を這いずって彷徨い続ける。
(何よりこの国は、土葬文化だし)
遺体は土に埋める。解放された肉体は土に、魂は天へ昇るのが、国教の教え。
(悪党が日の届かない地下で悪さすると不審死するって話、二酸化炭素中毒かと思っていたけれど……ガチの祟りだったかもってこと――!?)
とんでもねぇ可能性に行き当たってしまったアイヴィーは、思った以上に死後の魂のあり方は重要なのではと思えてきた。
(魂を食べるごとに変質していく様子とか、一定ラインを超えて地面に沈んでった理由とか……明らかに、法則がある。沈んだ魂がどうなったのかとか、そういうの知りたいわけだけど……地中って怖いから潜りたくないんだよね――――!)
だって「無」だった。
既に死んでいるアイヴィーだが、死の恐怖を味わった。
もう二度と潜りたくない。
死んでも嫌だ。死んでいるが。
(だって本当に、死ぬかと思った……って、あれ?)
不意に、アイヴィーは違和感を覚えた。
アイヴィーが死ぬかと思ったなら、あの悪霊染みた魂だって、そう思っているはず。
それなのに、むしろ自ら地面に沈んだ。
(私と感覚が違う?)
あまりにもあり方が違うので、その可能性もなくはない。なくはないが……。
『オマエ、ナニ?』
(私、なに?)
ねっとり耳に張り付いた声を思い出し、アイヴィーは身震いをした。
「まあ、侯爵の死を正確に伝えるのは無理だと思うんだよね。一応証明として侯爵家の家紋が掘られたボタンは取ってきたけど……これだけじゃなんの証明にもならないし」
「白骨体を見せても、信じないだろうな。俺達が侯爵の死を偽装していると思われそうだ」
「だからいっそ封鎖して、侯爵は生死不明として扱うのか? 俺達だけならまだしも、あの護衛と同じ思想の人間が侯爵家に夥しくいるわけだろう? 無理がある」
『夥しくって』
嫌悪感が滲む声音だった。
しかしあの思想の人間ばかりだと思えば、ペンタスの嫌悪感も仕方がない気がする。
「地震の時に逃げた使用人は、侯爵が白骨化したのを知らないから、なんとか言いくるめ……」
「止まれ」
「オクトス様?」
今後についての議論が白熱仕掛けたが、先頭のオクトスが歩を止める。固い声音に気付いたクインティーナが足を止め、先頭を覗き見る。ペンタスの背中で何も見えなかったが、すいっとアイヴィーが後方から前方に飛んでいくのは見えた。
『あー……あの揺れの中、逃げたわけだからね……』
納得の口調だが、とても苦々しい声音だった。
「……応援を警戒する必要、なくなった?」
『相変わらず察しがいいよね、ミラノスって』
「地震の最中に動いちゃいけないのって、これも理由?」
『そうだよ。時と場合によりけりだけれど、足を滑らせる危険性があるから』
ぼんやり照らされた地面に、転がる何かが見えて、クインティーナは身を竦ませた。
「この階段を上ろうとして、足を滑らせたな」
「灯りもなかっただろうし、むしろよくここまで水路に落ちずに辿り着いたな」
オクトスとペンタスがそう言って、階段から転げ落ちた男の遺体を道端に退ける。その先には、地上に繋がる階段があった。
もう誰も何も言わず、無心で階段を上った。
問題は山積みだが、とにかく新鮮な空気と日の光が恋しかった。
しかし男の二の舞にだけはなってはならない。
段差を確認しながら確実に、彼らは天に昇る魂達のように地下から地上へと階段を上り続けた。
そして、ようやっと突き当たりに辿り着く。
跳ね上げ式の扉を、オクトスが力尽くで押し上げた。
差し込む日の光が眩しくて、誰もが目を細める。傾きかけた橙色の日差しが熱いほどで――……。
「うそ」
思わず溢れたのは誰の声だっただろうか。
彼らの目の前で、ライコア侯爵家が、赤く、青く、燃えていた。
アイヴィー『なっっっっんでやねん!!!!!』




