89 大地が揺れるのは
――訪れたのは静寂だった。
生き物の呼吸すら、見えていない側すら思わず息を潜めるような、前触れ。
石の欠片が落ちる音に、ピシピシと亀裂音が混じり。
小さく、徐々に大きく、地面が揺れた。
「え、これ、地震……!?」
「大きいぞ!」
『えっ揺れてる!? 今揺れてる!?』
浮いているアイヴィーだけ異変に気付けず右往左往した。
『こんなときに地震……!?』
――偶然だとは思えなかった。
人には見えない形をしていたが、より化け物らしく変質した女の魂。ああまで歪んでしまっては、女だと判別する事もできなくなっていた。
人の域を逸脱して、化け物になったようにしか見えなかった。
その魂が地面に沈み、直後に起きた大きな地震。
(まさか、何か意味があるの……!?)
ちなみにこの世界にも地震の概念はある。
前世の日本ほどではないが、何十年に一度あるかないかの頻度で地面が揺れていた。観測されていないだけで、もしかしたら日本と同じくらい小さく揺れているかもしれない。
しかし今回の揺れは、数十年振りの……クインティーナ達にとっては初めての大きな地震だった。
「う、うわあああああ!」
「ぎゃあああ!」
松明を持っていた使用人が混乱して、二人とも走り出す。一人は松明を取り落とし、一人は足を滑らせて水路に落ちた。
幸いというか、地震が起きた直後に立っている者がいなかったので、クインティーナ達が突然走り出すことはなかった。しかし対処法がわからず、オロオロと視線が彷徨っている。
『体を丸めて頭を下げて! 揺れが落ち着くまで動かないで! 頭を守る姿勢!』
叫ぶアイヴィーの指示に真っ先に従ったのはクインティーナだった。クインティーナを守るように抱きしめるオクトスの頭部に腕を回し、必死に小さくなろうとする。
続いてミラノスがニリスを押さえ付けたままのペンタスにアイヴィーの言葉を伝える。アイヴィーが言っていると言うだけで速やかに従った。
解放されたニリスだが、彼は地面に転がったまま動かなかった。
視線だけが、抱き合い庇い合うクインティーナとオクトスへと向かっている。
「揺れが全然収まらない……! ほ、本当にこのままでいいのか!?」
「こ、ここ、潰れちゃいませんか……!?」
『長いってまだ三十秒も経ってないわ! 揺れの感覚わかりにくいけど! 揺れが小さくなったらそこの松明確保して避難! 出入り口はともかく長い年月でできた空洞だからそう簡単に崩れないと信じて! できるだけ頭部を守って、押さない走らない喋らない! 復唱!』
「お、おしゃにゅいはしらにゃいしゃへらにゃい!」
「どうしたクインティーナ、呪文か?」
「なんでアンタ手慣れてるんだ……!?」
「ヴィニカリスの叡智だからに決まってるだろ!」
「聞こえていないのに断言が早すぎます……!」
「多少収まったな。逃げよう今すぐに」
「兄さんも判断が早い……!」
『全員テンション高いね!』
危機的状況が重なっている所為か、全員のテンションがやけに高かった。
オクトスの言葉に、ネズミのように素早く動いたミラノスが地面に転がる松明を持ち上げる。幸いなことに、火は消えていなかった。
「ああ、まだ揺れている気がする……」
「揺れているのでは? まだ揺れているのでは……!?」
『ごめん私浮いてるからわかんない。でも脳が揺れているだけで地面は揺れていないかも』
「脳が……!?」
「脳が、なに? 姉上はなんて? 脳?」
ペンタスとクインティーナがまだクラクラしている中で、ミラノスとオクトスは水路を確認した。
うっすらと照らされた水面に浮かぶ人影が見えて、そっと視線を逸らす。
「もう一人が応援を呼んできたら面倒だ。すぐに移動しよう」
「地上も今の揺れで大騒ぎだと思うけどね。異論はないから侯爵を連れて……」
振り返ったミラノスは、ペンタスがニリスの腕を掴んであり得ない方向に曲げようとしているのを見た。
「何してるの?」
「今後抵抗されたら面倒だから、利き腕を折る」
「拘束できないし、足を折るわけにはいかないからな。合理的だと思う」
「脳筋の合理的って物騒」
確かに、ここから出る際にニリスには自分の足で歩いて貰わなければならない。気絶させて運ぼうにも、身長のあるニリスではオクトスぐらいしか運べない。応援が来るかもしれないことを考慮すれば、オクトスの両手は空けておかねばならなかった。
だから利き手を折って反抗できないようにして、自分の足で歩かせる。
毒の山が近い場所で置いていくのは殺人と変わらないと思っての事だが、手段がとても物騒だった。
「あの、侯爵様はまったく抵抗なさいませんし、このまま一緒に脱出しても……」
『それは甘すぎるかな、今大人しくても、何かをきっかけに暴れ出すのが狂人……!』
控えめに反対意見を出したクインティーナだが、残念なことに相手が危険すぎる。クインティーナを説得するように口を開いたアイヴィーは、ペンタスがニリスの腕を折ろうと力を込める、まさにその瞬間に。
『下がってペンタス!』
地面から伸びた複数の白い手が、ニリスに絡みつくのを見た。
「う、わあ!?」
驚いた事に、その白い手はペンタスにも見えたらしい。
彼は悲鳴を上げてニリスから距離を取った。
くすくす、くすくすと鈴のような笑い声が洞窟に響く。
涼やかな声は、社交界で聞こえてくる貴婦人達の声と遜色ない女の声だ。
くすくす、くすくす―――ゲラゲラゲラゲラ!
「ひ……!」
さざなみのようだった笑い声が引いていく……かと思わせて、下品な笑い声へと変わる。
地面が揺れたと錯覚するくらいの音の衝撃。クインティーナは耳を押さえて身を竦ませ、そんな彼女をオクトスが抱き寄せた。視線は、増える腕に拘束されて行くニリスから離れない。
絡みつかれ、動けないと言うのに、ニリスの表情は変わらない。
白い手が見えているのか、笑い声が聞こえているのかもわからない。
彼はずっと、クインティーナを……クインティーナを通して、死んだ姉を見続けていた。
その目元も、白い手に覆われる。
真っ白い繭のようになったニリスは、先程の女と同じように、地面に引きずり込まれていった。
白い手の一部が、アイヴィーへ伸びる。
『オマエ』
声は、変わらなかった。悍ましく内臓をかき混ぜられるような恐怖を覚える声。
『オマエ、ナニ?』
『は?』
どろりと、白い手が溶けて地面にシミを作り、染み入るように消えていく。
ニリスが倒れていた場所には、ニリスの着ていた服と――白骨化した体が残された。
「ひい――っ!」
たった今まで生きていたはずなのに、肉だけなくした姿にクインティーナの悲鳴が響く。
全員が目にした怪奇現象に、誰もが動けなくなっていた。
『……なんで急にホラー始まったの!!』
あえて空気を読まないアイヴィーの叫びがなければ、気絶していたかもしれない。
呼吸を忘れていたミラノスは、はじめてアイヴィーの言動に感謝した。
オマエナニ?




