87 ライコア侯爵家の狂気
「伯爵令息はやはり鍛えていたか」
「気付いていたから動かなかったの? 兄さん」
一切動揺しないオクトスに、ミラノスが頭を抱える。それに頷きを返し、背負った体が思った以上に固かったと説明した。
「しかし手負いだからな。助太刀をと思ったが、俺を押した腕が存外しっかりしていたので任せることにした」
「あれで肉体戦できるとか詐欺でしょ」
「見た目は仕方がないだろう! 筋肉がつかないのは俺の所為じゃない!」
ちなみにペンタスが体を鍛えた原因は、もちろんというかアイヴィーだ。
姉の死の真相を探るため、情報収集だけでなく万が一に備えて体も鍛えていた。筋肉がつかないのは、成長期が関係している可能性もある。
ペンタスが単身侯爵家へ乗り込んだのも、正面からなら相手を捻る自信があったからだ。
結果として背後から殴られたわけだが……。
そんなやり取りの中、クインティーナは叫ぶペンタスから一歩引いた。
ニリスを押さえ付けているから、ニリスが背負っている女の魂をしっかり踏みつけているのだ。
見えていないから仕方がないが、魂も抵抗してペンタスに絡みついている。我に返ったアイヴィーが必死に引き剥がそうとしているが、増えていく女の手に対してアイヴィーの手は二本しかない。無理があった。
生者に魂は影響しないとはいえ、見えている身としては不安になる光景だ。
「キサマ……ッ」
「動くな。動いたらお前らの主人の手足を折る」
『悪役だなぁ!』
護衛の男に凄むペンタスに躊躇はない。
普通ならここで、使用人は主人のために動かなくなるだろう。
しかしライコア侯爵家の人間は違った。
「よくも侯爵様を!」
そう叫びながら、護衛の男がペンタスに切りかかる。
ニリスを取り押さえていて動けないペンタスに変わり、オクトスがその剣を受けた。暗闇の中に火花が散る。
「アイツら躊躇いなく切りかかってきやがった……!」
「……アイツら、忠誠心だと思っていたけど、もっと違うので侯爵に従っているんだね。侯爵が怪我をしても構わない様子だった」
護衛とオクトスの戦いが始まり、ミラノスは邪魔にならないようペンタスの傍に固まった。クインティーナも来いと誘導しようとして、ニリスの背から生えた女の魂がペンタスに絡んでいるのを見て、躊躇する。
オクトスの邪魔にならないようにと近寄ったが、ミラノスだってできればこの魂には近寄りたくない。
『ねえ、そういえば聞いた事なかったけれど、オクトスって強いの!?』
必死にペンタスから魂を引き離そうと猫パンチを繰り返すアイヴィーが疑問を叫ぶ。
体力があるのはわかるが、戦闘技術はわからない。
畑の害獣と戦うらしいのはわかるが、害獣と人間は違う。
「兄さんは、戦闘技術で言えばイマイチだよ」
「おい、大丈夫なのか」
『なんで戦闘要員に連れてきたの?』
姉弟の声が揃う。ミラノスは冷静に、揃った声に頷きを返した。
「兄さんに技術はないけど……力だけなら人一倍強いよ」
宣言した瞬間、バキンと硬いものが折れる音がした。
護衛の持っていた剣が真っ二つに折れていた。
「『おかしくない?』」
どうしてそうなったと姉弟の声が重なる。
これに関してはミラノスもオクトスだからとしか言えない。
ちなみにオクトスの剣は切れ味よりも頑丈さを優先してあるのでほぼ鈍器だ。相手の武器だけ壊れるのは、純粋に強度の差だ。
思わず虚無を背負った彼らの前で、ふらついた護衛が後退る。その先にいた人物に、誰もがハッとした。
『逃げてクインティーナ!』
「あ……!」
ニリスについた魂に怯え、ミラノス達と距離の空いていたクインティーナ。
逃げようとした彼女の首に太い腕が周り、見せつけるように折れた剣を突きつけられた。
「姉上を傷つけるな!」
人質になったクインティーナに全員の顔つきが厳しくなったところで、真っ先に怒鳴ったのはニリスだった。
「彼女も姉なのか……」
聖人を姉と認識するニリスの狂気を理解したペンタスは、あまりにも節操がないと苦い顔をした。そんな場合ではないが、呟かずにいられなかった。
だからこそ、聖人であり姉認定のクインティーナは安心だと思っていたミラノスは、判断が安易だったと舌打ちをした。
ニリスが前に立っていたなら、安全だった。しかしニリスと使用人達は、思想が違うらしい。クインティーナが聖人だとわかった上で、乱暴に扱っている。
「侯爵様……我々は、別にどっちでもいいんですよ」
護衛の男の声は、見た目以上にしわがれていた。見た目は壮年だというのに、まるで酒を飲み過ぎた老人のような声だった。酒の匂いはしないが、クインティーナは真っ先にそう思った。
「国の行く末とか、誰が王になるのかとか……興味はありません。ただ我々は、俺は……」
護衛の男の顔が、ニチャリと歪む。
口元が耳まで裂けたように弓なりに、目元が溶けたように三日月に、人とは思えぬほど歪に嗤った。
「ただ、血が、絶望が、死が、毒が広がっていくのが見たいんですよ……! 国の混乱が、翻弄される民衆が見たい! 本当にそれだけなんです!」
それだけ。
そう言い切った男に、ニリスとは違う狂気的な様子に、拘束されたクインティーナの血の気が引いていった。
誰もが護衛の男に集中する中で、アイヴィーは男の言動がまるで侯爵家の使用人達の総意に聞こえた。ペンタスに絡みつく魂を猫パンチで追い払いながら、灯りを持つ二人を振り返る。
視線の先で、彼らもまた、恍惚とした表情で男の言葉に頷いていた。
(おかしいでしょう――全員が同じように、そんな地獄絵図が見たいって?)
明らかにおかしい集団心理。
まるで洗脳されたように、国全体に訪れる危機を楽しみにしている。
(妻を殺害したニリスを、国に反逆するニリスを諫めるどころか協力したのは自分達の快楽のため? 使用人全員がそんな特殊性癖を発症するなんて、さすがに理由がないとおかしい。古参の様子がおかしいってマイナは言っていたから、長く使えた者ほど……侯爵家に長期滞在した者ほど様子がおかしいなら)
アイヴィーは、毒の山を仰ぎ見た。
地中にあるからどこへも行けない、人の手がなければ地上に出られない毒の岩。
アイヴィーの頭を過ったのは、昆虫を媒介して受粉を行う花。
自力で花粉を飛ばして受粉できないから、蜜を出すことで昆虫を引き寄せて花粉を運ばせる虫媒花。植物が繁殖するために他者を利用する。
人の手を介して、毒が広がっていく……広がろうとしている。
物言わぬ毒の山に、そんな意志を感じたアイヴィーは鳥肌が立った。
(そんなわけないって言い切れないのが怖い!!)
だって前世では植物にも、鉱石にも意志があると研究している人達がいた。そう考えると、毒が増えるために人間を利用している可能性が出てくる。
毒に侵された遺体も、毒素を溜める。そのまま土に埋めて、土壌を汚染する可能性も高い。
わざわざニリスが回りくどい方法に毒を選んだのも。使用人達が共通して協力的なのも。花が蜜で虫を誘うのと同じように、毒が人に対して狂わせる何かを持っているなら……。
(否定しきれないけれど全面肯定もできないのが辛い!)
求む、研究職。前世レベルの技術力。
誰か解明してくれ。
技術力がないから解明できない謎が多いね!
アイヴィーの頭の中にある知識が組み立てられていくが、他の人は何もわからない。侯爵家やべぇってことしかわからない。
侯爵家ヤベエ。




