85 姉を亡くした弟
「そんな……夢物語を実現させるために……?」
おどろおどろしい低い声がすぐ横から聞こえて、クインティーナは思わず小さく跳ねた。
気絶していたペンタスが目を覚まし、ダークグリーンの猫目で憎しみに満ちた視線をニリスへ向けている。
どうやら会話は聞こえていたらしく、気絶していたおかげで体力も回復したようだ。先程よりもしっかりした足取りで、オクトスの背から降りた。
「新世界の神……? 毒の病で王都を囲い、教会と王家を壊滅させて、やることがそれか……?」
『ぺ、ペンタス? 怒ると血圧上がるよ? 怪我しているんだから落ち着いて?』
多少回復しても、ふらふらしているのは変わりない。ただしそれが失血のためなのか、怒りからなのかはわからない。
彼はオクトスの背から抜け出して、ゆらゆらとミラノスの隣に並んだ。血は止まっているが今にも血管が切れそうな怒りを感じ、アイヴィーはあわあわとペンタスの前で手を動かす。残念ながら見えていない。
「なるほど信仰のすり替え……もともと聖人への信仰は高い。言葉を伝えるのではなく生き神として祀れば御利益があると思わせれば印象操作はできるかもしれない……聖人のいる土地だけが無事なら周囲も騙されると踏んだのか。だとしても机上の空論、荒唐無稽にもほどがある……」
イライラした様子で、ペンタスは隣に立つミラノスの胸倉を掴み上げた。
「こんな杜撰な計画で神になれると本気で思っているのか!?」
「なる気ないしなりたくないしなれるとも思わないけど!?」
『違うペンタス! ミラノス被害者! 知らぬ間に祀り上げられそうになっている方!!』
中途半端に、かつ色々混ざって聞こえていたらしい。
仕方がない。アイヴィーも色々頭の中で混ざっていた。
神になろうとしている人と思われたミラノスは心外! を顔に出して否定している。そんなの考えたこともない。
「本当だろうな……!」
「当たり前でしょ! 普通に考えてあり得ないよ!」
ミラノス必死の弁明に、とりあえず納得したらしいペンタスが手を放す。ペンタスは目をつり上げたまま、向き合っているニリスを睨み上げた。
「お前は、聖人を神に仕立て上げるために、姉を殺したのか……!?」
『えっ』
絞り出すような慟哭に、アイヴィーの目が点になる。
「この杜撰な計画を実行するなら、ペルデュラン男爵家以外に拠り所があってはならない。となると、画期的で革命的な発想と改革を繰り返すヴィニカリスの叡智は、さぞかし邪魔だっただろうな!」
『ん――!?』
なんか壮大な勘違いが起きている。
「姉が生きていたら、確実にお前の計画は破綻する! 何故ならあの人こそが安全で効果が絶大な虫除けを作り、作物を育てるための肥料を作り、健康的で美味しい料理を布教し、領民が過ごしやすいようにと町の整備に貢献した賢人だからだ! 原因不明の病だって姉がいたらすぐに解明されたことだろう!」
『なんかすごく美化されてな――い!?』
色々やったことは確かだが「ひゃっほー! 異世界転生のお約束だぜー!」って前世の記憶を世襲しただけだ。実現するには時間がかかったが、アイヴィー個人の思いつきではない。そんな賢人知らない。
ペンタスはニリスがアイヴィーを殺害したと確信しており、その理由を探っていた。ニリス達の計画の一部を知ってここまで辿り着き、気絶している中で聞こえた内容から、アイヴィー殺害はこの計画のためと誤解したのだろう。
だが残念なことに、アイヴィー殺害、というか四人の妻の殺害はこの件と無関係である。
純粋にニリスが殺人鬼だっただけ。
純粋にってなんだ。
よって探偵役ペンタス、これは盛大な推理ミス。
お前が犯人とばかりに指を指されたニリスは不快そうに顔を顰めた。
「確かに彼女は聡明だった。生きていたなら彼女こそ生き神として頂点に立っただろう」
『立たねーが!?』
浮いているので物理的に言えば誰よりも頂点に立てるが、そういう事ではない。
そしてペンタスも、ニリスの言動に違和感を覚えた。
「確かに姉は聖人と誤解されるほどの賢人だったが、聖人ではない」
「姉は聖人だ。何よりも尊ぶべき存在だ。彼女の件は失敗だった。あの件だけは後悔している」
「……後悔だと?」
「笑って死ねるのは聖人だろう。尊ぶべき存在に、あの夜毒を盛ったこと、後悔しているとも」
瞬間、ミラノスがペンタスを取り押さえられたのは、アイヴィーに話を聞いていたからだ。
ニリスが何を言うのか察していたので、逆上するペンタスを予想することができた。
今までと違いあっさり殺害を認め、後悔する理由すら告げたニリス。しかしその内容は遺族を怒らせるものでしかない。
「邪魔立てするな! 悪魔め、殺してやる……!」
「手負いのアンタが勝てる相手じゃないでしょ!!」
『落ち着いてー! マジ落ち着いてー! 死に急がないでぇー!!』
全力で取り押さえたが、じりじりと前進しているのでミラノスが負けている。成人男性が未成年に負けている。健康体が怪我人に負けている。ミラノスの貧弱振りが露呈してしまった。
「弟様! アイヴィーさんが落ち着いて欲しいと仰っています!」
今にも殴りかかろうとするペンタスを制止するために、クインティーナがアイヴィーの言葉を届けた。
クインティーナが聖人だと知ったペンタスは、彼女の言葉で……彼女が届けたアイヴィーの言葉で立ち止まる。
振り返るペンタスの顔は、今にも泣き出しそうな程歪んでいた。
うろ、と彷徨う視線。しかし何も見つけられず、縋るような視線がクインティーナにむけられる。
泣きたいほど会いたい相手が見えない。
まるで生きているように軽快な動きをするので忘れがちだが、アイヴィーの姿は、クインティーナとミラノスにしか見えていない。
「アイヴィーさんは、弟様を、案じておいでです……どうか、落ち着いてください」
『その通り! 命大事にしてこ!』
思わずしんみりしたクインティーナだが、ペンタスのすぐ横でサムズアップしているアイヴィーが視界に入って湿った気分が吹っ飛んだ。ミラノスはぎゅっと嫌そうな顔をしながら大人しくなったペンタスを解放した。
「……姉上」
一方クインティーナの言葉を聞いたペンタスは、グッと唇を噛み締めて……呻くように姉を呼んだ。
その瞬間。
「呼ぶな」
ニリスの鋭い声が、空気を裂いた。
「お前が、姉上を、呼ぶな」
光をなくした赤い目が、ペンタスを真っ直ぐ睨み付ける。
「彼女の弟は、私だけだ」
そう言ってしゃらりと抜かれたのは、白銀の刃。
ニリスが抜刀していた。
狂人の逆鱗




