8 秒で威嚇は解いた
アイヴィーの責める口調に、ミラノスは亀のように首を竦めて縮こまった。
「仕方がないじゃないか。俺達だってまさか父上がこんな馬鹿な事をするなんて思ってなかったし。テレーザを逃がしている間にクインティーナが嫁がされるなんて予想外過ぎだし」
もごもごと口を動かして弁明するミラノスは、アイヴィーの視線から逃れたいのか視線がうろうろ彷徨っている。後ろめたいのか、じりじり足が下がっていた。
なんだ軟弱者め。アイヴィーは威嚇する猫のように毛を逆立たせた。
しかしアイヴィーが噛みつく前に、オクトスが一歩前に出る。
「通訳してくれミラノス。魂魄はなんと言っている? あの子を知っているだろうか」
「多分知っているよ絶対。睨んできているもん」
「ならば話は早い! 彼女は怯えていないだろうか。ちゃんと夜眠れているだろうか!」
(おっと?)
まず聞いて来たのがクインティーナの健康状態だったので、アイヴィーは逆立てていた毛をそっと降ろした。頑張ってこちらを見上げているオクトスをじっと見下ろす。
『最初は怯えていたけれど、今は問題なく過ごしているわ。夜もぐっすり快眠よ』
これについては中々肝が据わっていると思っている。
アイヴィーが安全を保証したからと言って、それが万全かと聞かれれば不安が残る。しかしクインティーナはぐっすり快眠。豪胆だ。
アイヴィーの言葉を復唱したミラノスに、オクトスはほっと肩の力を抜いた。
「そうか、よかった」
(……ほうほうほうほーう?)
猫のような目を煌めかせて、アイヴィーはオクトスを凝視した。
アイヴィーからオクトスの印象は、空気の読めない体育会系だ。
善意からの行動がお節介、余計なお世話に分類されるような空回りタイプ。大変失礼だが、第一印象とはそんなものだ。
しかし弟の言葉を正面から信じ、見えないアイヴィーに正面から向き合い、クインティーナの無事を知って安堵する。
ある意味印象通り真っ直ぐな男なのだろうが……安堵の滲む表情は、心から相手を案じている男のものだった。
(ほうほう。つまりこれは、そういう事?)
どういう事かって?
ラブだ。
(貴族の嫡男と平民の身分違いの恋の気配!)
男爵位だろうと貴族は貴族。でもって嫡男ならば相手が平民など許されない。
つまりこれは、貴族の過失から殺人鬼に嫁ぐ事になったクインティーナを助けるオクトスとのラブロマンス!!
(――って、いっけなーい自重自重! ちょっとテンション上がっちゃった。まだラブの気配を感じただけなんだから決めつけちゃダメよね。たとえそうだとしても、今は義兄妹になっていて複雑な関係な訳だし)
そう、今のクインティーナはペルデュラン男爵家に養子として迎えられた立場。無理矢理とはいえ縁が繋がったので彼らは義理の兄妹だ。兄妹のように過ごすのとは話が違う。
男爵の行動は予想外だと言っているし、巻き添えになった侍女を心配しているだけかもしれない。クインティーナは男爵令嬢と姉妹のように過ごしたというし、彼らとも兄弟のように過ごしただろう。
つまり長男の責務として、義妹を心配している可能性が――。
(待って。そもそもこの聖人同士、お互いの立場わかっているの?)
クインティーナは一言も、他に隠れている聖人がいるなどと言わなかった。
出会ったばかりのアイヴィーを警戒して黙っているならわかるが、とても素直なクインティーナがそんな重大なことを隠し通せるだろうか。
(いやまだそこまであの子のことわかっているつもりはないけれど。でも隠せなさそう)
そのあたりだろうなんだ。
「魂魄よ。図々しいとは思うが、どうか教えてはくれまいか。侯爵家は悪い噂が絶えないが、真偽はいかようだろうか。私はあの子が幸せならばそれでいいが、侯爵家は果たして彼女にとって居心地の良い場所だろうか」
気になったが、オクトスの問いかけに片眉を上げた。
『ふぅん? 幸せになれなさそうって言ったらどうするつもり? ライコア家に直談判でもするの? 騙し討ちのように平民を嫁がせた男爵家が?』
「できるわけがないだろ。まだバレていないのが奇跡なだけで、本来なら契約不履行で賠償金どころの話じゃない」
(あ、やっぱりそうなのね)
男爵家、養子の事実は隠して嫁がせたらしい。
その癖に「ペルデュラン男爵家のテレーザ」ではなく「ペルデュラン男爵家のクインティーナ」として嫁がせたのは何故だろう。
すぐに調べれば養子と発覚するのに、養子にしたから我が子ですなんて世迷い言を言うつもりだろうか。
別に血縁関係がないと家族になれないなど言うつもりはないが、これは精神論ではない。貴族の結びつきは結局血縁、貴族の青き血なのだ。
生まれが平民だろうと才能があるなら気にしない場合もあるが、それだって前情報があって受け入れているのだ。養子で平民だと言わず我が子として嫁がせたなら、男爵家は正当な契約ができないと責められて当然だ。
『そうね、バレたら大騒ぎだわ。一番の懸念は、騙されたと激昂した侯爵があの子を殺してしまわないかよ』
「……! 侯爵は、やっぱりそうなのか?」
途端に表情を険しくするミラノス。内容がわからなくても察したらしいオクトスも眉をひそめた。そんな二人に、アイヴィーは深く頷いた。
『私より前の三人がどうなったのかは断言できないけれど、四番目の妻が彼に殺されたのは確かよ。情報源は私。よくわかっているわ』
「……つまり、あんたは」
よいしょと浮き上がったアイヴィーは、スカートをつまんで淑女の礼をした。
『こんばんはペルデュラン男爵家の方々。私はアイヴィー・ヴィニカリス伯爵令嬢』
塀の上からなので、彼らとは距離がある。塀から先には行けないので、礼をする時少し下がった。見えない境界線に淑女の礼をとって頭をぶつけるなんてへまはしない。
そしてミラノスには、月明かりで見えているはずだ。
白いネグリジェを染める、胸元の赤が。
『アイヴィー・ライコアになって一ヶ月で毒殺された、ライコア侯爵家四人目の妻よ』
彼女が幸せならそれでいいと言った。
だけどアイヴィーの存在を知って、果たして彼女は――クインティーナは幸せになれると思えるか?
(思えないよね)
推定四人殺している男の傍で、呑気に妻などできるはずがない。
(心配よね)
その出所が恋情か、親愛か知らないが、こんな時間に様子を窺いに来るくらい心配しただろう。
(まともな良識があるなら、見逃せないよね)
正義感があれば尚よし。
そんな人は、危ない立場にいるクインティーナを見捨てられない。
『よろしくね』
(丁度、協力者が欲しかったの!)
クインティーナを逃がす為の味方が、何人でも欲しい。
月明かりの下で、アイヴィーは艶然と微笑んだ。
ヴィニカリスの叡智は、ヴィニカリスの魔女でもあったらしい。
微笑みを唯一目撃したミラノスは、女って怖いと縮こまった。
そこそこ高いし暗いからスカートの中は見えていないはずっと心の中で唱えていたアイヴィー。




