79 安心は油断を誘う
『いや――――!?ペンタス生きてるゥッ!?』
水から顔を出した三人の内一人がグッタリしているのを見て、アイヴィーは悲鳴を上げた。
失血の状態で高所から水への落下。失血酸欠ショックと色々重なり、ペンタスは気絶していた。オクトスがしっかり掴んでいなければ、服の重みで沈んでいたかもしれない。足は着く深さだが、暗闇でいきなり水の中だ。冷静に対処できる人の方が少ない。
意外とその辺り冷静になるオクトスは、素早くペンタスとクインティーナを抱えて水面に上がっていた。その後はミラノスの声を頼りに陸に上がったので、こういう時本当に頼りになる男だ。
ただし、こいつだけ灯りのない暗闇に居るため、有事の際の初動が遅れる。
『来ちゃだめって言ったよねぇ!?』
「そ、そのつもりだったのですが」
けほけほと咳き込みながら、クインティーナが必死に説明しようとする。
『しまった生きているから酸素が必要だよね。しっかり呼吸して……あ、あまり綺麗な空気じゃないから布越しに。ミラノス! オクトスにも伝えて! でもってペンタスの口元にも……』
「布で口を覆えばいいのか?」
『あああダメダメ殺人事件になっちゃう!』
ミラノスから同時進行で解説を聞いたオクトスが、濡れたハンカチでペンタスの口元を覆おうとしたので、アイヴィーは悲鳴を上げた。濡れた布で口元を覆うんじゃない。窒息してしまう。
しかし全員濡れ鼠になっているため、乾いた布がない。そして意識のない相手に、そもそも布を載せるのは危険だ。
取り敢えず安全体勢を取らせ、万が一にも水に落ちない、毒素が直接届かない場所へ安置する。
「それで、何があったの」
「いや……その、彼が暴れてな」
『え、ペンタスが?』
ミラノスと喧嘩腰になる事はあっても、負傷から暴れる事のなかったペンタスが何故。
「申し訳ありません私がまた失言を」
「今度はなに言ったの」
呼吸が落ち着いてきたクインティーナが、蹲ったまま深々と頭を下げる。アイヴィー視点だとそれは土下座なのでやめて欲しい。
「アイヴィーさんが私に伝えてくれた内容をそのまま、オクトス様にお伝えしてしまい……」
『……ちなみになんて?』
「アイヴィーさんが、毒があるから来るなって言っていますと……そのまま……」
「バカなの?」
ミラノスは頭を抱えた。こいつは本当に、こんなんでよく貴族令嬢の皮を被っていられたものだ。
周囲が使用人ばかりで、極端に人と関わらなかったからバレなかったのかもしれない。ミラノスは本気でそう思った。
実際の所、クインティーナは頑張っていた。気を張り詰め、突然始まるアイヴィーによる笑ってはならない侯爵家が始まっても耐えていた。孤軍奮闘していた。
つまり、すっかり周囲が身内で固められ、本来のどんくさい部分が前面に出てきてしまっているのだ。今まで押さえ付けていた分が溢れ出ているともいう。
アイヴィーも頭を抱えた。咄嗟に、本当に咄嗟に叫んだが、何も言わないでいた方が彼らは無事だったかもしれない。いや、どちらにせよミラノスが落下していたので時間の問題だったとは思うが。もう少し安全に降りられたはずだ。
「姉の名前を出したからな。それも、その場にいるような言い方をしたので、伯爵令息もクインティーナの正体に気付いてしまい、かつ姉が下にいると悟ってしまってだな」
『やだ、私の弟察しがよすぎ』
それでアイヴィーに会わせろと暴れてしまったらしい。
そもそもミラノスが落下した穴の傍で立ち止まっていたので、揉み合う内に穴に落ちてしまったのだ。
『ごめんね、なんか……私の関係者が皆暴走気味で……』
「本当になんなの。アンタには関わると凶暴化する決まりでもあるの」
『面目ない……』
今丁度それらしい毒物について考えていたアイヴィーは、まさかそんな、私が毒……? と内心ドン引きだった。関わる事で何人かの脳を焼いているので、あながち間違っていない。
「あれは錯乱状態に近かったから、気絶したのはむしろ沈静化に繋がるのではないか? 目が覚めたら少しは落ち着いているだろう」
「そんな状態だったの?」
気は強そうだったが冷静だったペンタスの印象が強いので、そんな彼が暴れたと言われてもミラノスはうまく想像できない。ちなみにアイヴィーの脳裏には弟の二歳児頃の暴れっぷりが蘇っていた。そうじゃない。
「まあ、俺も気持ちはわかる。愛した身内がいると聖人に保証されて、動揺せずにいられる人もいなかろう」
「……」
それだけ、聖人の言葉は信じられる。
目に見えなくとも、聖人がそこにいると言えば、居るのだ。
そのとき生きている側が覚えるのは、再び見えた感動か。それとも、天へ昇っていない魂への絶望か。
「あの、それで……毒とは、この岩の事ですか?」
やっと落ち着いたクインティーナが恐る恐る立ち上がる。
アイヴィーから発せられる仄かな光で周囲が見えるクインティーナには、異様な光景が見えていた。彼女もまた、土の天井からつり下がる岩など見た事がない。地面も波のように隆起していて、あり得ない光景に神秘すら覚えてしまう。
アイヴィーが毒と言わなければ、近付いて触れていたかもしれない。
『そうだよ。私の予想が正しければ長居するだけでも危ないから、水路を伝って外に出よう。オクトスは前見えないだろうけれど、どっちかに手を引いて貰うとか……クインティーナにしよう。クインティーナ! オクトスが転ばないように手を引いてあげてね!』
「ひゃ、はいっ」
ピンチはチャンスに繋げなければと、アイヴィーは嬉々としてクインティーナに指示を出す。青かった顔を赤く染め、クインティーナはしっかり頷いた。
それはそれで転倒しそうだなと思ったミラノスだが、それより気になる事がある。
「その前に、もう一度この周り飛んでくれない?」
『え、なんで? 正直早く避難して欲しい……』
「なら早く」
『説明する気ないなぁ、こいつめ……』
アイヴィーは不満そうな顔をしつつ、言われるがままにもう一度、洞窟の中をぐるりと回った。
もう一度回った事で、彼女もミラノスが気にしていた事に気付いた。
『ハシゴ、複数ある!』
この場所に繋がる道は、一つではなかった。
この世界の人にとって、魂が地上にあるということは、大地を彷徨い続けるという事
ペンタスから見てアイヴィーは、殺された上に遺体を焼かれ大地を彷徨う事になった魂
お労しや姉上案件




