69 地中の無
バランスを崩したクインティーナは、そのまま地面に向かって落ちていく。
『クインティーナ!』
アイヴィーは咄嗟に飛び出して手を伸ばした。クインティーナも咄嗟に手を伸ばした。
二人の手は重なったが、握り合うことはない。
それでも落ちていく体を追いかけ。
どすんっとぶつかる音がした。
アイヴィーは地面を突き抜けて、地下へと沈んだ。
(あ、そっか。私、地面にもぶつからないんだ)
天井だって突き抜けるのだ。地面だって突き抜ける。
(なんとなく、飛んでいるときもぶつからないようにしていたけれど……地面ってこんなに真っ暗なの?)
地下に空洞があるならまだしも、何もないなら光は通らない。
それはアイヴィーにとって初めての「無」だった。
だって夜は星空があるから闇ではなかった。曇っていても、アイヴィー自身が輝いていた。
だが地中は、自分の輝きすらかき消される。何故なら光が一切通らないから。
それは経験したことのない恐怖だった。
浮いているのか沈んでいるのか、そもそもどちらが上なのか下なのかわからない空間。
アイヴィーは恐怖で溺れた人のように藻掻いた。元から呼吸していないのに、窒息しそうな息苦しさを感じる。
水を掻くように地中から顔を出したアイヴィーは空気を求めて盛大に咳き込んだ。息をしていないけれど、酸素が恋しかった。
(――こっわ!!)
二度と経験したくない恐怖体験だった。
(って、それよりもクインティーナ! クインティーナは!?)
地面から首だけ出したアイヴィーはぐるっと周囲を見渡し。
クインティーナを姫抱きで受け止めた、オクトスを発見した。
『――何でいる!?』
明るい空の下、ライコア侯爵家の中庭にいるはずのない人物だった。
クインティーナも何が起きているのか理解できず、きょとんとオクトスを見上げている。
「オクトス様……? 何故ここに」
問いかけたクインティーナは、そのままぎゅうっと抱きしめられて言葉を失った。
大きくて熱い手の平が肩を引き寄せ、胸元に抱き寄せられる。弾力のある筋肉に包まれて、クインティーナの頬が真っ赤に染まった。
突然の登場に驚いたが、ラブの気配にアイヴィーはソワッと浮き足だつ。
「何故、は、こちらの台詞だ……っ」
「ぉあ、オクトスさ、様?」
「こんな危険な真似を……!」
『っあ――――!! 大変良いところだけど人が来てる! 人が来てるよクインティーナ――ッ!!』
空気読めない邪魔者が見えてしまい、アイヴィーは警報のように叫んだ。
甘い空気クラッシャーと言われようと、命が大事。二人とも見付かってはならない。
アイヴィーの叫びにハッと顔を上げたクインティーナだが、彼女が何かするよりバサッと布を被せられる方が早かった。
「失礼するよ! 頭下げな!」
『マイナ!?』
洗濯物を抱えたマイナが、その全てをオクトスとクインティーナに向かって放り出した。特に大きなシーツが二人を包み、身を伏せたのか山が小さくなる。
丁度その瞬間に、バケツを持った侍女が現れた。
「――あらマイナ、今日は休みじゃなかったの?」
「そのはずだったんだけど、洗濯をしろって追い出されたんだよ。こんなにぐちゃぐちゃにしてさ」
そう言って自分でぶちまけた洗濯物にため息をつく。
ちょっと無理がないかと焦るアイヴィーだが、バケツを持った侍女は同情するように眉を下げただけだった。
「あの人たち、まだ懲りないの? 手伝おうか?」
どうやら、今までも嫌がらせに近い形で仕事を押しつけられていたから、今回もそれだと思われたらしい。
「いいや、フルスが手伝ってくれたからいいよ」
「そう? じゃあお大事に」
「ああ」
特に疑問を抱かず、バケツを持った侍女は去って行く。
暫くしてから、洗濯物の山からひょこっとオクトスが顔を出す。
「もういいか?」
「静かにしな。同じ手は使えないんだ」
「兄さん、こっちに。窓から入って」
『ミラノスとフルスまでいる!?』
少し離れた別の煉に、ひょっこり顔を出すミラノスとフルスの姿を見つけてアイヴィーは思わず叫んだ。叫ぶアイヴィーを、ミラノスが呆れた視線で一瞥する。
その視線で気付いた。
アイヴィーは地中に体が埋まったままだった。
(さらし首じゃん)
気付いたら窮屈さを感じ、よいしょと抜け出す。
洗濯物まみれのまま移動するオクトスを追い越して、フルスの足元にしゃがみ込んだミラノスに突っ込む。
『どうしてここにいるの? まだ昼間だよ? とってもタイミング的には助かったけれど! ありがたいことだけれど!』
「どうしてはこっちの台詞だよ……」
真横にフルスが立っている所為か、ミラノスの声は小さい。
「こっちにも色々あったというか……ここにいる理由は、多分、あんたらが無理をした理由と一緒かな」
フルスの手を借りて洗濯物の塊になっていたオクトスが室内に入る。最後にマイナを引っ張り上げる横で、洗濯物が床に落ちた。
その下から現れたクインティーナは、天辺から爪先まで、肌を真っ赤に染めていた。
(……あ、隠れていたときの密着度……)
洗濯物の下、小さくなろうと縮こまれば密着度は上がる。布とはいえ強制的な密室。相手の息づかいが肌に触れる距離。体制を考えるなら、ほぼ押し倒されている状態。
(――ラブイベントだったか……)
これがゲームならスチルが入ったに違いない。
クインティーナが無事だった安心感から、アイヴィーの思考はかなり緩くなっていた。
「まず、情報共有」
全員と顔をつきあわせ、ミラノスが苦々しい顔でそう言うまでは。
一瞬の通過とかでなく、どっぷり地面に沈んだ経験がなくて怖かった。




