68 気合いと実績の違い
そうと決めたクインティーナは、意外と行動が早かった。
ドレスを切った端切れに裁縫道具やら何やらを包んでいく。迷いない手際に手慣れたものを感じ、アイヴィーは慌ててクインティーナの頭上へ飛んだ。
『待って待って落ち着いて、クインティーナ』
「私は落ち着いています」
『見付かったら殺されちゃうってば!』
「弟様も、放置では死んでしまいます」
『ぐ、ぐうぅ……!』
ぐうの音が出てしまった。
「わかっています。私は非力なので、逃げ出すことはできても、私一人でお助けするのは難しいです」
『あ、あ、よかった。突撃する気はなかったのね』
「ですが、怪我の手当はできます」
アイヴィーは思わず、きゅっと口を閉じた。
「……逃がすことはできませんが、怪我の状態を見て、お助けすることはできます」
『クインティーナは、医者じゃないでしょう?』
「はい。ですが、お嬢様はお転婆でチャンバラ三昧でしたし、オクトス様もしょっちゅう害獣と戦って怪我をなさっていましたので……手当は、人並みより得意です」
『聞けば聞くほど愉快よね、男爵家』
良い感じの枝を振り回したくなる気持ちはわかるが、貴族令嬢のする事ではない。
オクトスの場合、害獣対策ではなく害獣と戦っている。何が出たんだ。猪か?
「アイヴィーさん。あなたの弟様を、私に助けさせてください」
『……』
ターコイズの目が、アイヴィーを真っ直ぐ見つめる。
――クインティーナは、いつも怯えていた。
アイヴィーと出会ったことでニリスの噂が真実だと知り、いつ殺されるかと怯えていた。
貴族令嬢の皮を被りながら、いつバレるかと心の底で怯えていた。
聖人とバレてからは、ニリスの狂気に怯えていた。
ニリスに取り憑く霊を見てからは、アイヴィーが食べられるのではないかと怯えていた。
常に彼女は怯えていた。
仕方のないことだ。彼女は殺人鬼の妻として、無理矢理侯爵家に連れて来られた平民だ。
バレたら殺されると怯えるのは当然だし、じっとしていることを望まれていた。
夫のニリスにも、必ず救うと誓うオクトス達にも。
――怯えが、なくなったわけではない。
けれど、クインティーナの拳は、震えていなかった。
『……ペンタスのことを伝えた私が言えた義理じゃないのは、本当にわかっているのだけれど』
アイヴィーはぐるっとクインティーナを中心に旋回した。そのままクインティーナの目前で止まり、そっと祈るように告げる。
『死なないでね、クインティーナ』
「はい、勿論です」
クインティーナが笑う。
貴族令嬢らしい微笑みではなく、にこっと小さな花が咲くような、愛らしさだった。
そうと決まればいざ決行だと、アイヴィーが先行して使用人の有無を確認する。
扉を突き抜けて、周辺をぐるっと飛び回った。
『さすがに廊下には見張り、いるね。そう多くはないけれど、使用人の姿も見える』
「そう簡単にはいきませんね。大騒ぎしてしまえば抜け出せたとしても、すぐ見付かってしまいますし……」
『気付かれないように抜け出して、戻ってくるのが理想だね』
「はい。今逃げ出せば、ヴィニカリスに疑いの目が向けられてしまいます」
『独房にいるペンタスに何ができるんだって話だけど……ね』
それを陽動と捉えられれば、捕まっているペンタスが不利になる。
アイヴィーは苦い顔をして、クインティーナを振り返った。
ドレスを裂いて、豊かな赤毛をポニーテールにした彼女の胸元には、アイヴィーのペンダントが揺れている。
アイヴィーの行動範囲はペンダントが中心なので、いざというときのために持ち運んで貰う事にした。うっかり行動範囲外になったらクインティーナが孤立してしまうからだ。
『となるとバレないように移動するなら、扉じゃなくて窓になるけれど……』
言いながら、アイヴィーはにゅっと壁に頭を突き刺した。
後付けとはいえ、侯爵夫人の部屋。見晴らしはとても良い。
二階と言えば高さ的に低いと思われるかも知れないが、洋館の天井は高かった。二階と侮れば、うっかり命を落とす可能性もある。
突起物が多く、ここから隣の部屋に移動できない事もないが……アイヴィーは苦い顔をして室内に引っ込んだ。
『クインティーナ、あなた……木登りの経験は?』
「幼少期に、お嬢様と少々」
『期待を裏切らないなぁお嬢様』
男爵令嬢はやっていると思っていた。
『とっても危険だから、なんとか見張りを出し抜く方法を考えない?』
「ですが時間をかけるのは、弟様が心配です。血が止まっていないのでしょう?」
『心配だよ。心配だけどぉ……! クインティーナも心配なんだよぉ』
ぐぬぐぬと呻きながら浮遊するアイヴィーをよそに、クインティーナはこっそり窓を開けていた。そうと決めた彼女の行動に迷いがなくて、アイヴィーはクインティーナに家族のように過ごしたらしい男爵令嬢と男爵令息の影を見る。
ひょっこり窓の外を、壁の装飾を確認したクインティーナは、キリッとした表情で頷いた。
「男爵家の壁より簡単そうです」
『お忍びのお決まり経路ってもしかして、私が思っているより野性的だったりする?』
いざって時の逃走経路として考えてはいたが、まさか可能なのか。
クインティーナはカーテンを窓の外に出して、それを支えによいしょと窓枠に腰掛けた。膝丈にしたスカートから白い足が覗き、大変けしからん格好だ。
「こういう時の注意点は、下を見ないことです……!」
『あっ慣れているわけではなさそうっ』
簡単そうとは言ったが、簡単だとは言っていなかった。
実はお忍びの時、危ないルートはいつもテレーザの補助が入っていた。クインティーナはどちらかというと、ちょっとどんくさい。
しかし壁を登った経験はある。だからいけると、クインティーナは気合いで進んだ。
そんなクインティーナを嘲笑うように、ぶわりと風が。
「あっ」
『わぁ――――――っ!!』
クインティーナを煽った。
アイヴィー『ガチで逃げるときはミラノス達に陽動をお願いして廊下から逃げるつもりだったよ!? 万が一の場合は窓とか考えたけれど、その場合一人じゃなくて補助要員付きで考えていたよ!? そう思っていたんだよ――!!』




