65 魂を縛る先
『ぎゃ――――――ッッ!!』
腹の底から絶叫したアイヴィーは、地面を蹴るように斜め上に向かって急上昇した。実際は床にも触れられないので蹴っていないが、それだけの威力で天井に張り付いた。
『なになになになに嘘でしょなにぃ!? ちょ、おわ、こっち来んな――――っ!!』
ペンタスの真横にべちゃりと落下したそれは、液状のようにボタボタと形を定めず、けれど艶めかしい腕で体を起こす動作をして、天井に張り付くアイヴィーを見上げた。
そしてそのまま、腕と胴体を伸ばしてアイヴィーに迫る。ぞわぞわとした悪寒に、アイヴィーは悲鳴を上げた。
天井を旋回して逃げるが、それは磁石でもついているかのように、どこまでもアイヴィーを追ってくる。
『ああもう! ここから離れたくなかったのに!』
文句を叫び、アイヴィーは天井を突き破って一階に出た。追ってくる気配をぞわぞわと感じ、更に天井を突き抜けて二階へ逃げる。
『って、旦那様の執務室!』
二階だが、独房の真上にあったらしい。真っ直ぐ天井を突き抜けたアイヴィーは、ニリスの目の前を通過してぎょっとした。思わず執務室の天井に張り付くように停止する。
ニリスはいつも通り仕事をしていた。
ペンタスを独房へ放り込んでおきながら、いつも通りすぎる光景だ。
思わずイラッとしたが、それどころではない。
あれは、アイヴィーを追ってきている。
ニリスの足元、床からふつふつと、泥水がコンクリートを突き抜けるようにそれは現れた。
乱れた頭部が、真っ暗な眼窩が、ひび割れた指先が、ゆっくりと形を成していく。
(さっきの勢いがない……すごく、体が重そう)
ビュンビュン飛び回っていたというのに、ずるずると尾を引くような動きになっている。伸びていた腕と胴体は、団子虫のような動きで落ち着いていた。
(急になんで? 人がいるから? でも人がいても、向こうには私達が見えていないから関係ないはず……)
などと思っていると、それは恨めしそうにアイヴィーを見上げ、ニリスの足元に絡みつく。絡みついた足を伝ってニリスの体を登り、背後に回って、最後にもう一度アイヴィーを見上げ。
『 オ チ ロ 』
ひび割れた声でそう言って、ニリスの体に沈んでいった。
悍ましい姿の化け物は、ニリスに取り憑く、推定前妻達だった。
『……旦那様から離れて動けたんだぁ……』
しかも、かなり俊敏に。
あまりの迫力に、止まった心臓が早鐘のように鳴り響いている。これも結局生前の記憶なわけだが、冷や汗が止まらない。
『食べられるかと思ったぁ……!』
比喩でもなんでもなく、頭からバリバリと食べられるところだった。
本気で捕食される直前だったからこそ、解せない。
『なんで諦めたの?』
地下ではしつこいくらい追いかけてきたのに、執務室の二階に来た途端、動きが遅くなった。
ニリスに取り憑いているから、決められた範囲内でしか動けないというのならわかる。アイヴィーもペンダントを中心に決められた範囲内でしか動けない。何がきっかけか知らないが、徐々に半径が広がっている。だから、ニリスを中心に行動範囲が決まるのだろうとなんとなく察することができた。
だがそれと、動きが遅くなった理由が繋がらない。
それに先程の、オチロという言葉の意味は。
アイヴィーはニリスの旋毛を見下ろし、自分の足元を見て、天井と床の高さを目視して。
(……さっき、飛んでなかった?)
アイヴィーを追いかけ回していた霊が、飛び回っていたのを思い出す。
(ミラノス曰く、私以外の霊って基本的に、地面を移動しているはず……なのになんで、私を追いかけて飛び回っていたの?)
そもそも天井を突き破って現れた。
(ああもう、わけわかんない。こんなときに謎を増やさないでよ!)
ペンタスの傍に行きたいのに、また襲われたら、今度こそ逃げられず食われてしまうかもしれない。
幸い、あれは生きている人間ではなくアイヴィーを狙っている。クインティーナが言っていたとおり、彷徨う魂を食べるのだろう。ペンタスが襲われる心配はない。
(万が一を考えて、狙われた私はペンタスの傍にいない方がいい……もしかして、クインティーナの傍も危険かな?)
今まで襲われたことはなかったが、いきなり襲ってきた。もしかしたら、クインティーナの傍にいても襲われるかもしれない。
(まさかクインティーナが一番安全になって、私がよくわからないのに襲われるようになるなんて。最初じゃまったく考えてなかった展開だなぁ)
アイヴィーはふわりと移動をはじめる。
まずはクインティーナに今あった事を共有して、意見を求めなければならない。ペンタスのことも伝えなければ。
ふわふわと移動して……ふと、『オチロ』の声が蘇る。
『……もしかして』
空を飛ぶアイヴィー。地面を這う魂。
ペンダントに憑依するアイヴィー。ニリスに取り憑いている魂。
憑依物を中心に、三百六十度限られた範囲を移動できるアイヴィー……それ程動き回れるのは、アイヴィーが飛べるからだ。
では、飛べない魂の行動範囲は、もっと限られるのではないか。
たとえば、飛べないのだから、憑依したものより上に行けないなど。
となれば。
『――あれは、旦那様より上に、移動できない?』
魂は、憑依物に縛られている。
規格外アイヴィー、他の魂の当たり前がわからない。




