64 負の喜悦
――ミステリーの醍醐味は、謎解きだ。
探偵役と犯人の心理戦や巧妙なトリック。その中でもお約束とも言える謎解きは、始まった瞬間姿勢を正すくらいの見せ場だ。
追い詰められていく犯人の姿には臨場感が溢れていた。
それと同時に、読者はハラハラしながらも期待感に擽られる。
追い詰められた犯人が逆上して、最後の足掻きに、盛大に何かやらかしやしないかと――……。
(そう、こんなふうにね――――っっ!!)
探偵役よろしく謎解きを披露していたペンタスは今、頭から血を流しながら侯爵家の独房に倒れ伏していた。
(一人なのに謎解きをはじめるから! 姉殺しの容疑者といるのに、余罪について追及をはじめるから――――っ!!)
アイヴィーは半泣きになりながら、動かない弟に縋っていた。
ニリスを追い詰めていたペンタスだが、殴りかかったのはニリスではなく、同席していた使用人だ。
目の前のニリスに集中していたペンタスは、背後から近付く黒尽くめ(執事服)の男に気付かなかった。
気付いたアイヴィーが間に割り込んだが、透明な体は肉壁になれない。使用人が振りかぶった小さな置物は、アイヴィーをすり抜けてペンタスの頭部を殴打した。
アイヴィーの悲鳴も、制止も、誰の耳に届かなかった。
殴られて、倒れたペンタスを見ても、ニリスは表情を変えなかった。一言も指示を出さなかった。けれど使用人達はテキパキと、気絶したペンタスを独房へと運んだ。
部屋に入る前から、そういう指示だったのだろう。護衛を中に入れない時点でお察しだ。
(でも外にいた護衛が、戻らないペンタスを不審がって行動するはず)
幸いというか、あの護衛とは昔からの付き合いだ。戻らない主を置いて帰るような護衛ではない。
それはそうと。
『ああ、どうしよう。血が止まらない……っ』
手当をする事なく、ペンタスは独房に放り込まれた。ペンタスの傷口からは、じわじわと血が溢れている。
わかっているのに、霊体のアイヴィーはその傷口を押さえることも手当てもできない。
『私、何もできないじゃない……っ』
クインティーナが襲われていたときもそうだ。
危険を知らせても、間に合わない。そもそもペンタスには声が届かない。
「う……っ」
『ペンタス!』
呻き声を上げて、ペンタスが身を起こした。ぎこちないが起き上がったペンタスに、アイヴィーはほっとする。
しかし殴られたのは頭だ。血も止まっていないし、動くのはよくない。
『ダメだよペンタス立たないで座ってステイ! ステイ! ダウン! ダウンしてて!!』
「ここはどこだ……? 俺は、侯爵の前で……」
『背後からの殴打だから記憶にないかも!』
使用人の忍び足は暗殺者のそれだった。
気付かれないように近寄った足運びは、貴族に気付かれないよう周囲を整える事に秀でた使用人の鑑ではある。
(――それにしても、躊躇いがなかったな)
記憶を反芻しているペンタスと一緒に、ペンタスが殴られた瞬間を思い返す。
通常、前もって指示を出されていたとしても、人に危害を与える行為はブレーキがかかる。同族殺しは大罪だと倫理に組み込まれているはずで、傷害に及ぶ前に理性が邪魔をするはずなのに。
(旦那様の命令に忠実だった、というよりは……)
思い出すのは、鈍器を振りかぶった男の顔。
無抵抗の相手を害するその瞬間、あの男は……歪に笑っていた。
指先が凍るような悪寒が、アイヴィーの背筋を走る。
――ライコア侯爵家の使用人の半数は、最初の妻が亡くなったときに率先してその隠蔽を行った。
それからニリスが妻を殺害するたび、彼らが隠蔽工作を行っている。
事情を知らない使用人達も、屋敷の異様な空気には影響を受けていて……。
(むしろ、喜んでいる?)
誰かを傷つける、後ろ暗いその行為を。
「いた……っ、くそ、何を考えているんだ侯爵は……っ」
身を起こして頭部の傷に気付いたペンタスは、ハンカチを取り出して頭部を押させた。薄緑色のハンカチが、じわじわと赤く染まっていく。
「俺に危害を与えたところで、ヴィニカリスが気付いた事実は消えない。俺がここに来た記録も、外の護衛も追い返せないのに……まさか、考えなしか?」
『そう見えるよねー!』
それなーっ! とアイヴィーは全力で同意した。
あまりにも動きが奇っ怪すぎて、実は考えなしの行き当たりばったりなのではないかと邪推してしまう。
衝動で妻を殺害していた部分もあるので、全てが緻密な計画ではないだろう。
しかしいくら狂人とはいえ、ここでペンタスに危害を与えた場合に陥る不利な状況に気付かないはずがない。
(それなのにこんな強行を決め打つって事は……揉み消す自信があるか、それ以上の事件が控えているか)
ペンタスは嫁いできた妻達とは違う。
今までのように殺害して、揉み消すことはできないはず。
はず、だが。
血が足りないのだろう、顔色の悪いペンタスは暴れることより体力の温存を選び、壁により掛かるように座った。
(放置されても、人は死ぬ)
三番目の妻は衰弱死したと聞く。ニリスもそれを知っている。
(このまま――放置して、ペンタスを殺す気だとしたら)
ざわ、とアイヴィーのダークグリーンの髪が揺れた。
同じ色の猫目に、不穏な光が灯る。
『だとしたら、絶対に、許さな――……』
ぽた。
アイヴィーの頬に、何か落ちた。
『え?』
久しぶりの感触に、アイヴィーは目を見開く。
そう、全て通り過ぎるはずのアイヴィーに、何か触れた。
咄嗟に頬に触れる。指先に濡れた感触。水滴が上から落ちてきた。アイヴィーに触れる水滴が、上から。
上を見上げたアイヴィーは。
自分に向かって落ちてくる、口が裂けるほど大きくなった女を見た。
常に脳内再生余裕だったところに突然の、接触。




