52 二年は人を変えるのか
『マイナが……マイナがぐれちゃった』
およよ、と涙を拭いながら木の枝に縋り付く。涙を拭うアイヴィーの視線の先では、小さな灯り一つを手に去って行く人影が見える。
そして木の根元では、グッタリしたミラノスが地に伏していた。
「何なのあの二人……来るかもわからない俺を待っていたとか執念深くて怖いんだけど……」
そもそも何故、塀の向こう側……ライコア侯爵家に住み込みで働く二人が、深夜に塀の外側で行動するミラノスに気付いたのかは謎だ。
グッタリしていたミラノスがのろのろと起き上がる。二人の背中を見送っていたアイヴィーも、ゆっくり下降してミラノスの隣に浮いた。
地面に座り込んだミラノスは、足を投げ出して脱力している。
「あいつらの狙いはわからないけど……少なくとも、侯爵家の味方ではなさそう」
装っているわけでもなさそうだと、ミラノスはアイヴィーに照らされて見えた、マイナの表情から推察した。
あれは本気で、侯爵に思うところのある顔だ。
「あんたはあの二人、知っているんだよね?」
『生前仲良くしてくれた使用人の兄妹だよ。身元はハッキリしている子達だし、教会側の人間ではないと思うけれど……』
言いながら、アイヴィーは首を傾げた。
二年前は違ったが、この二年で立場の変わった人など当たり前にいるだろう。
「教会側でもないでしょ。そちら側なら、問答無用で騎士を使って俺を捕まえて、裏取引で利用するよ」
『うわぁ』
実際の所、教会側がそこまでするのかわからないが、印象的にはしそうだ。
『それよりよかったの? 荷物取られちゃったよ? 荷物質として』
「仕方ないじゃん。今夜俺を解放する代わりなんだから」
ミラノスを解放して立ち去った二人だが、二人の言い分に頷いたからではない。
ご想像通り一人ではないので、仲間に確認しないと組めないとミラノスは返事を保留にした。明日の夜にもう一度、今度は別の場所で会う約束をして。
その代わり、ミラノスが逃げないようマイナはミラノスの鞄を強奪した。
揉み合っているときに鞄を気にしていたと、暗闇の中でも把握していたらしい。
「『これを返して欲しければ、明日の夜に指定された店まで来い』なんて……あの子、悪役の素質あるよ」
『そんな……ちょっとツンデレなだけなんです!』
「つんで……?」
そういうわけで、ミラノスは本日見逃されたのだ。
見逃されたので、やっぱり悪役の素質はないかもしれない。本当に悪い奴は、一度捕まえた人間を解放しないから。
「向こうの要求はわからないけど、侯爵家の情報が貰えて侵入の手引きをしてくれるなら願ったりだよ。明日はさすがに兄さんを連れて行くし、一方的な話し合いにはならないはず」
『確かにクインティーナを逃がすのにとっても助かるけどさぁ……! それに乗じて何かする気じゃん!?』
「だろうね」
『でもって責任全部こっちになるんじゃない!?』
「かもね」
『んん――――っ! 何があったのマイナぁ! なんで止めなかったのフルスぅ!!』
頭を抱えて嘆くアイヴィー。
そんな彼女を横目に、ミラノスはフルスから解放されたとき、彼が小さく呟いた言葉を拾っていた。
――人が焼ける匂いを知っているか、と。
あまりにも小さな声だったから、気の所為だったかもしれない。
見上げた先で、マイナとよく似た顔をした男は、じっとミラノスを見下ろしていた。
(不穏だよ、あのタイミングでその質問は)
アイヴィーはマイナを気にしていたので気付いていないようだが、ヒントのように零された言葉に、ミラノスは顔を引きつらせていた。
侯爵を、恨んでいるらしい使用人。
わざと不届き者を侯爵家に招くような言動を取る使用人。
そして不届き者が侵入した騒動の最中、何か目的があるらしいが――。
「――それより、話し合いはどうなったの。その感じからしてクインティーナは無事だろうけど、侯爵の思惑は?」
不穏な印象しか得られず、嫌な予感しかしなかったミラノスはわざと話題を逸らした。
いいや、元々そのためにここへ来ていたのだが、余計な横やりの所為で聞くのが遅くなった。
しかし問いながら隣を見たミラノスの視界に入ったのは、両手で顔を覆って俯くアイヴィーの姿だった。
「……なに、そんなにおかしな話だったの?」
『とってもおかしなお話だったよ……』
こうしてミラノスは、頭がおかしくなりそうなニリスの価値観と、ペルデュラン男爵家が企みに共謀している可能性を聞くことになる。
最終的に、アイヴィーと同じように両手で顔を覆った。
ミラノス(不穏な気配を察知――――って、常にどこまでも不穏でしかない)




