39 姉を想う防衛本能
殺意はなかった。だから事故だ。
しかし、最初の妻の死が、捻くれた形で彼に安心感を与えてしまった。
ニリスはずっと、女が気持ち悪かった。だが姉を嫌悪したくなかった。
だから姉を女と思いたくなかった。しかし「姉」は「女」だ。それを歪めることはできなかった。
だが「聖人」が「人」でないなら。
「人」でないなら、「女」でもない。「聖人」というカテゴリになる。
脳裏に刻まれた姉の死に顔が、あまりにも人間離れした「聖人」の笑顔だったから。
それとかけ離れた「妻」の、ニリスに対して「女」を印象づけてくる「人間らしい死に顔」が、「聖人」と「人間」の解離性に確信を抱かせた。
姉は、「聖人」だったから「人間」でも「女」ではない。
ニリスの脳に、なんともぶっ飛んだ思考が刻まれてしまった。
だがそこまでなら、問題なかった。個人の思考は黙っていれば問題ない。
そうも行かなくなったのは、独り身になったニリスを教会側が放っておかなかった所為だ。
「私は二人目を、娶るつもりはなかった。だが教会側が強行して、二人目の妻がやって来た」
『碌な事しないな教会』
それほど、聖人の血筋に期待しているのか。
聖人は、複数現れるときもある。けれど全く現れない年も、勿論ある。
現に、前聖人のプリマ・ライコアが役目を終えてから二十年。教会は聖人を迎えていない。
この場合、クリスティーナやミラノスのように隠れているのは特殊ケースだ。アイソメトリア国民ならば、聖人の可能性があれば取り敢えず教会へ行く。
それはともかく、憐れにも巻き込まれた二人目の妻、ディーナ・フラジール侯爵令嬢は、ごくごく普通のご令嬢だった。
ニリスの白い結婚発言に戸惑い、数ヶ月放置されて相手が本気だと気付き、周囲に相談する程度には普通だった。
友人達のまっとうなアドバイスに従い、ニリスと距離を詰めようと努力して――嫌悪が堪えきれなくなったニリスに殺された。
ニリスが気付いたときには、ディーナの髪を鷲掴み、庭の池の前に立っていた。二人とも池の水で濡れそぼって、ディーナは息をしていなかった。
――恐怖と絶望に染まった顔は、実に人間らしかった。
三人目の妻は、はじめからニリスに対して敵愾心を剥き出しにしていた。
デルタ・パルサ伯爵令嬢は、噂通り身分違いの恋人がいた。家の都合で無理矢理嫁がされた彼女は、ニリスの白い結婚に一も二もなく飛びついた。
妻であり女であることを押しつけてこなければ問題ないと放置していたが、不貞行為は許していない。ライコア侯爵夫人の肩書きがあるうちは、妊娠されては困る。
ニリスも鬼ではないので子供を諦めるなら許したが、デルタは子を諦めなかった。愛した男と駆け落ちしようとしたので、仕方なく独房に閉じ込めた。水も食事も与えなかったので、五日で死んだ。腹の子が流れたのがショックだったのかもしれない。
――死なないでと泣きすがる姿は、実に女々しかった。
ちなみに男の方は、ニリスは関与していない。使用人達が何かしていたが、生きてはいないだろう。
ニリスの狂気的な空気に毒されたのか、彼らも初期の頃からニリスの犯行に協力的だった。
そして四人目の妻、アイヴィー・ヴィニカリス伯爵令嬢は――。
「使用人との姦淫罪の疑いで殺した」
『疑いで殺されたの――――!?』
予想外の内容に、アイヴィーは思わず天井まで吹っ飛んだ。頭が天井に突き刺さるが、真面目な話なのですぐ戻る。戻りながら、疑いの相手が誰なのかすぐ察した。
フルスだ。
アイヴィーがあの頃頻繁にあっていた使用人の男は、彼しかいない。
だが誤解だし二人きりで会った事はない。大体他の使用人、マイナなどが傍にいた。
疑いの段階で弁解の余地なしで殺されたと知ったアイヴィーは叫ぶしかなかった。
叫んで色々誤魔化すしかなかった。
ニリスは淡々と過去の犯罪歴を語っているが、そんな彼の背後には彼に殺されただろう女の魂が張り付いている。
ニリスの背中。肩甲骨の上あたりから生えた女は、ギリギリと音がしそうなくらいニリスの首を絞めている。
だがアイヴィーは知っている。幽体は人間に触れないのだ。
なので、力が入っているように見えるがニリスにはノーダメージ。ボロボロの爪がいくら肌に食い込もうと、肉を削ぐことはできない。身体を貫通しているだけだ。
正面から見せつけられているクインティーナはとうとう俯いてしまった。
ニリスの話も怖いが、目前に直接的な恐怖が鎮座していたらそりゃそうなる。
アイヴィーはクインティーナの恐怖を和らげるためにも、必死に道化を演じるしかなかった。
「殺したが……彼女に関しては、後悔している。私は間違えた」
『あっよくわからないけれど、死後誤解が解けたパターン?』
ペンダント含め、やけにアイヴィーに執着していたニリスだ。誤解で殺して終わりなら、あれほど執着を見せなかっただろう。
そう考えれば、誤解が溶けているのもわかる。
不貞の疑い筆頭のフルスが生きているのも納得だ。
……他の妻の遺品も残っているのだろうか。
遺品のペンダントに取り憑いているアイヴィーは、ニリスに直接取り憑いている(暫定)妻の魂を見ながら思案する。
話の流れ的に、持ってなさそう。
流れ的に見ても、ニリスがアイヴィーの遺品を保管している理由がわからないが――。
「彼女は聖人だった。そうだろう」
『は?』
「えっ」
問いかけているのに断言しているニリスに、思わずクインティーナも顔を上げた。
とても純粋な赤い目が、真っ直ぐ彼女を見ていた。
「だって、かのじょもわらいながらしんだ」
――人間らしくない死に様を見せたのは、四人の中でアイヴィーだけだった。
アイヴィー『えっ???????』




