38 恐怖症ではなく嫌悪症
「――それ以来、私は女が気持ち悪くして仕方がない」
『――トラウマになってるじゃんかっっ!!』
赤裸々に全部話すニリスに向かって、アイヴィーは叫んだ。そりゃそうなると喉が裂けるくらい力強く叫んだ。幽体なので絶対裂けないけれど。
この男、本当に全部話した。一から十まで幼少期の思い出全部を吐き出した。
ちょっとは濁せ。
『つまりなんだ私が殺されたのっていずれ夫婦としてゴロニャンする予定があるとかそんなの無理ーって訴え!? いやいや初手で白い結婚を強要したのはどこの誰!? 私がいつ旦那様を押し倒そうとした!?』
赤裸々に語られたが、今問い質したのはアイヴィーを殺した理由である。
アイヴィーがニリスを無理に押し倒そうとしていたなら「トラウマが発動しちまったのか……」と(許す許さないは別として)情状酌量の余地があったかもしれないが、そんな事実はない。何なら白い結婚を受け入れて同じ部屋で休んだことすらなかった。
なので、過去の出来事は殺害動機の一部かもしれないが全容ではないのだろう。
聖人の習わしや知らなかったR指定のお役目を暴露されたクインティーナは、青ざめながらニリスの言葉の続きを待った。
案の定、ニリスは平然と話を続ける。
「それから数年後、侯爵を正式に継いだ私に妻が宛がわれた」
それが最初の妻。
ユニカ・ペトラス公爵令嬢。
「教会の選んだ娘だ。信心深く、聖人の母になるのを夢見る女だった」
「御子が聖人かどうかは、決まったわけでは」
「わかっている。わかっているが、そう信じている女だった」
『……そりゃあトラウマ直撃待ったなしね』
だが、何も間違っていない。
貴族令嬢は家の存続のため。母になるために嫁ぐのだ。
生まれてくる子が聖人になるとは限らないが、母になるため嫁ぐのは間違っていない。
ただし、ニリスのトラウマが、侯爵家の嫡男として致命的だった。
いや、教会側の余計な策略の所為で受けた傷なので、教会の所為。
「その、ユニカ様に、白い結婚の話は」
「した」
『したんかい』
「受け入れられなかったし、自分なら大丈夫だとよくわからない理論で何度も床に侵入してきた」
『思った以上にバイタリティあったな最初の奥さん』
それもあって妻の部屋はニリスの部屋から遠ざけて、執務室と夫人の部屋を交換したらしい。
夫婦の部屋が離れているのは一悶着あったからこその配置だったのかと、クインティーナは現在地、侯爵夫人の部屋をそっと見渡した。執務室だった形跡は見当たらない……という事は、大がかりな改修工事でもしたのだろう。
「その、婚姻前に話し合うことはなかったのですか」
「女性は嫌悪の対象だと教会にも訴えてきたが、聖人の血筋としてのお役目だと聞く耳を持たなかった」
『知ってたんかい!! 教会関係者!!』
全ての原因が教会に思えてきた。
しかも改善の為に夜這いに来る女性信者の数が増えたらしい。アイヴィーは『悪循環!!』と叫んでもんどり打った。勢いがよすぎて一回転している。
「……ユニカ様も、気持ち悪かったのですか?」
一回転したアイヴィーは、果敢に切り込むクインティーナにぎょっとして飛び起きた。
だってそんなの、「気持ち悪かったから殺したのか」と聞いているようなもの。
「気持ち悪かった」
そして断言するニリス。
この男、本当に一切隠さない。
「だが、あれは、半分事故だ」
彼らの新婚生活は、険悪なものだった。
役目を果たそうとするユニカと、拒否するニリス。
貴族として正しいのはユニカだが、無理なものは無理だった。ニリスは追い縋るユニカをすげなく追い返し続け、その夜も同じように手を振り払った。
しかし、場所と時間が悪かった。
階段の踊り場。日の落ちた夜。足元を照らすのは燭台の頼りない灯り。
苛立ったニリスに振り払われたユニカは、階段の段差を踏み外して宙を舞い――……。
手摺りの装飾の上に、背中から落ちた。
胸を、腹を貫くのは装飾の突起。白い足は放り出され、艶めかしくめくれ上がった夜着は真っ赤に濡れそぼっている。
深窓の淑女の落ち着いた美貌は、恐怖と絶望に歪み悪鬼のように歪んでいた。
そんな妻の死に顔を見下ろしたニリスは――心から、安堵した。
『……ん――――??』
アイヴィーは腕を組んで、身体を傾ける勢いで首を傾げた。
向かい合って話を聞いていたクインティーナは、だらだらと冷や汗が止まらない。
『おかしいな。聞き間違えたかな?』
ニリスに聞こえていないとわかっていても、アイヴィーは思わず問いかけた。クインティーナも同じ気持ちだった。しかし問い返す事はできなかった。
「とても人間らしい死に顔で、私は深く安堵したのだ」
『聞き間違いじゃなかった!!』
アイヴィーは思いっきり悲鳴を上げた。
クインティーナも思いっきり声を上げたかったが、無理だった。
――それどころではなかった。
ニリスの背後から滲む黒い光が、彼女の目に映っている。
「妻の死に顔は、人だった。実に人らしい未練にまみれた死に顔だった」
ドン引きだったアイヴィーも気付いた。
ニリスの背後からぬらりと伸びた手が、彼の首に絡みついていく。
「妻は人で、女だった。女で、人で、聖人ではなかった」
――姉の死に顔は、満ち足りた笑顔だった。
笑顔で、毒杯を煽った。
毒に苦しんでも、血を吐いても、最期は笑顔だった。
そんな死に様、人間ではない。
聖人は、人間ではない。
だから、女ではない。
「私が慕った姉上は、気持ち悪い女ではないのだ」
落ち窪んだ目が、恨めしそうにこちらを――ニリスを、見ている。
『女を嫌悪する男が、女を背負っているのって、最高の皮肉だね……』
頭パーンッとなっているニリス。思考回路はショート済み。
アイヴィーは頑張って大袈裟にリアクション取っている。クインティーナが反応できないので。




