37 聖人だったから
今回いつも以上に倫理観のない内容です。胸糞注意。
――聖人は、必ず役目を果たすとは限らない。
役目を果たすだけの災害が、聖人が生きている間に起こるとは限らないし、聖人が複数存在するときもある。彷徨う魂が見えることが条件なので、ときに二人以上の聖人が教会に在籍していたこともある。
聖人にとって、お役目は誉れ。
我こそはと手を上げて、誰が役目を果たすかと争うことも珍しくない。
今回はプリマ一人なので、お役目を奪い合うこともないと言って笑う神官を、ニリスは信じられない顔をして見上げていた。
何故なら、ニリスにとってプリマは、聖人ではなく姉だった。
唯一の家族だったから。
十歳のニリスには、世界が求める聖人のお役目が、求められる理由が、わからなかった。
けれど現実は残酷で、別れの時間も用意されていなかった。
血縁者でも、聖人のお役目の邪魔はできない。むしろ未練になっては聖人が役目を果たせないと、会うことは叶わなかった。
それでも姉に会いたかったニリスは、神官達の目を盗んで大聖堂へと駆けた。
大聖堂には、雲の隙間から下界を見下ろす神の絵画が祀られていた。神の姿は雲や風の描写で隠され、人によって見える神の姿が異なる。男神だと言うものもいれば、女神だと言うものもいる。
ニリスには、そこに描かれた神は姉に見えた。
走り抜けた先で、厳かに着飾った姉が女神に見えたように。
「見えざる景色をその瞳に宿し、現世の我らの声を神へ届ける聖者よ。今この瞬間より、其方は聖人としての役目を果たすため、大いなる神の御前へと至る」
着飾った姉の前には、同じく豪奢な格好をした神官がいた。
絵画の下で向き合う聖人と神官。並んだ長椅子には時の権力者達。
忍び込んだ十歳のニリスは、姉以外の権力者を見てもわからなかった。ただ姉に会いたかった。
「その前に、ここに問おう。天へ昇る魂に、未練があってはならない。神域の門を潜るものに、塵一つほどの心残りも相応しくはない。汝に果たすべく未練はあるか?」
「御座いません」
姉を呼ぼうとしたニリスは、即答した姉の言葉に息を呑んだ。
「我が身はこの日の為に。どうぞ、わたしを尊きお方の御前へと導いてください」
「よかろう」
神官の手が、プリマの顔を覆っていた目隠しを外す。
青空のように青い目が、恍惚と溶けた眼差しが、神官を通して天高くを見ている。
「役目を背負いし魂よ。さあ、栄光なる神域へむかわれよ!」
「お任せください。必ずや、役目を果たしてみせます」
白い手が伸びる。神官の持つ、黄金のゴブレットを受け取った。
恭しく、厳かに。
ゴブレットの中身を仰いだ姉は。
等しく人がそうであるように、大地に倒れた。
満ち足りた笑顔で。
ニリスの存在を、振り返ることなく。
――ニリスにとってプリマは姉だった。
だがプリマは、姉ではなく聖人であることを選んでいた。
聖人として、唯一の弟を省みることなく、役目を果たして死んだ。
人ではなく、聖人だったから。
聖人だったから――……。
その後、姉が聖人として役目を果たしたのか、雨は止んだ。
雨は止んだが、街の復旧は人の手だ。
「聖人様のおかげで助かった」
「そうだな。だがどうせなら、全て元通りになるようお願いしてくださればよかったのに。聖人様も気が利かない」
「そう言うな。神が聞き届けてくださるのは一つだけと聞く。全ては試練なのだ」
――ニリスの胸に、黒い霧が立ちこめ出したのは、この頃だ。
それからもニリスは、教会の世話になっていた。姉のいない教会は寂しく、堅牢な牢獄のようだったけれど、たった一人の聖人の血筋として守られていた。
そんなある夜のこと。
ニリスの寝室に、女の信者が忍び込んだ。
見覚えのある顔は、姉の世話をしていた信者の一人だった。
驚いたニリスは相手を突き飛ばしたが、彼女は拒んでは駄目だと言った。まるで我が儘を言う子供を宥めるかのような態度だった。
「聖人様がお役目を果たされた今、新たな聖人様がいつ現れるかわかりません。ニリス様は少しでも可能性を上げるため、子種を提供せねばなりません。これは聖人様の血族として、重大なお役目なのです」
お役目。
そう言った女は何の疑問も抱かず、光栄な役目を請け負ったものとして満ち足りた顔をしていた。
ここに来てようやく、ニリスは教会側の思惑とやらに気付いた。親切な理由も、囲い込む理由も、全ては聖人の血筋を増やすため。
(気持ち悪い)
女は暴れるニリスをシーツの上に縫い付けて、若い肌を舐め回した。
(気持ち悪い)
少年だったニリスには、成熟した大人の女を押しのける力もなく――。
「暴れないでくださいニリス様……ああ、やはり聖人様とは違うのですね。あの方は、お役目には忠実であらせられたのに」
(気持ちわる、)
「何故聖人様は、子を宿す前にお役目の時が来てしまうのでしょう……今まで一度も成功したことがないと、今回こそはと皆張り切っていましたのに」
姉は聖人だった。
聖人として誇りを持っていたから、お役目に忠実だった。
お役目だから、迷わず神の御前へと向かえた。
姉は人だ。
無垢で、無知で、純粋だった。
お役目だと言われたら、進んで毒を飲むくらい。
視界を封じられ、きっと何をされているのかもわかっていなかっただろう。
聖人ともて囃しながら、女の部分も利用した。
(気持ち悪い!!)
この世の仕組みが、気持ち悪くて仕方がなかった。
ニリスはその夜。吐き気と共に、女を知った。
アイヴィー『それ犯罪ィイイイ!!』
倫理観がない。




