34 命ある者が生きるために
二十年生きてきたクインティーナも、吐き気を催すほど邪悪な存在に遭遇したのは、三年前の一度きりらしい。
ミラノスはクインティーナより外出する機会が少ないので、もしかしたら知らないかもしれない。
聖人の見ている世界の知識は、教会での教えで語られる内容が全てだ。
そこに魂を喰らう存在など出てこないし、悍ましい怪物の存在も語られない。
なので、クインティーナは夏の暑さが見せた悪夢だと思って忘れることにしたらしい。実際、この三年間。同じ肉屋に通っても、その怪物には出会っていない。
だが、肉屋の横にいた魂も、いなくなっていた。
「魂は、いつも気が付けばいなくなっているのです。彷徨う魂は、彷徨うのでそういうものですが……ずっと座り込んでいた魂も、いつの間にかいなくなっています。今まで気にしていませんでしたが、もしかしたらあれらも……」
『食べられていたかもしれないってことかぁ……』
相槌を打ちながら、アイヴィーは成る程ねと納得していた。
だって、思った以上に同族に出会わないのだ。同族というか、同じ幽霊に。
世界観的に、幽霊が天に昇るのはわかる。だが未練なんて必ず残るし、生者が想定している以上の霊が大地を彷徨っているとアイヴィーは思っていた。それこそ人間の数だけ幽霊はいるものと思っていたのだ。
なのに全然見当たらない。
お利口に皆天に昇っているのかと思いきや、幽霊同士が共食いをしていた。
ならば、世界が幽霊で敷き詰められていないのも納得だ。
何せこの世界には、前世のように幽霊退治を生業とする存在がいないのだ。魂を悪霊と認定する概念もない。
(ただ、その結果が共食いなら……とんでもない怪物がこの世のどこかにいるって事になっちゃったなぁ……)
いつか退治しろとか言われたらどうしよう。
そんな展開になったらオカルトファンタジーになっちゃう。
(そもそも聖人に霊を祓う能力があるのかどうかも未知数。聖人は、霊の存在を知覚できるってだけみたいだし)
そもそもこの世界には、霊が悪さをする、という認識がない。
彷徨う魂も、いずれ天に昇る。それがいつかわからないというだけで。
『……まあ、安心してクインティーナ。私はここに、一年弱はこの状態で漂っていたんだよ?』
何なら三日三晩、ニリスの枕元に立つため至近距離にいた。
『それだけの時間があったのに食べられていないんだから、問題ないと思うな。きっと大丈夫!』
涙目でアイヴィーを見上げるクインティーナに、意識して明るく笑う。くるりとスカートを翻して回って見せた。
『突然出てきたのは多分、私が攻撃しようとしたのを感知したんじゃない? 戦闘態勢ってヤツね。私が離れたらすぐに引っ込んだし、こっちが何もしなければ反応しないと思うの。今までがそうだったから』
今までがそうだったからこれからもそうだとは限らないが、クインティーナを慰める意味を込めて拳を握って断言した。
『だから取り憑いている霊は気にせずに、旦那様とだけお話しよう。まずはペンダントの在処を伝えて、侯爵家全体を働き蟻のように行ったり来たりする使用人達をなくそう! そう、脱出計画のためにも!』
握った拳を突き上げて、えいえいおーっと鼓舞するアイヴィー。
正直に言って、こうなっては法で追い詰めるとか書類で対処するとか、正攻法は意味を成さない。クインティーナが聖人とバレた今では実家に帰りますも使えない。侯爵家の罪状を暴いて捕まえようにも、つついたら爆発するような危うさがある。
クインティーナの安全を考えるなら、隙を見て逃げ出すのが一番に思えた。
それをするには、ペンダントを探し回っている使用人達が邪魔だ。
『大丈夫。私の言葉を伝えるだけでいいの。それに怪物もどきが出てきたとしても、私達って生きている人には何もできないんだから』
アイヴィーの伸ばした手が、クインティーナの頬を撫でる。ふりだけで、触れられている感触は一切しない。
『まあ、何もできないから、全部クインティーナ頼みなんだけれど……どうしても怖いなら、無理はさせられないなぁ。ミラノスに匿名で手紙を書いて貰うとかやってみようか?』
「いいえ、私、頑張ります」
寝台から起き上がったクインティーナは、ぎゅっと拳を握ってアイヴィーを見上げた。
「私が生きるために、私がなんとかしないといけないんです」
頼り切ってはいけないと、震える手を握りしめる。
そんなクインティーナを、アイヴィーは眩しそうに見下ろした。
『わかった……じゃあ、お願いね』
クインティーナとアイヴィーは、二人でニリスへ手紙を書いた。
厳密に言えばどちらもクインティーナが書いたが、内容は二人で考えた。
周囲に聖人とバレていない中で、ニリスにだけ伝わるように。途中で誰かに見られても不審に思われないように、言葉を選んだ。
『四度目になりますが、お伝えしたいことがございます。
わたくしはペンダントの在処を存じません。
厨房の近くまで、散策したことがないからです。
庭園でお茶をしたことはありますが、最近では烏が多くて不安に思い、すぐ部屋に戻っていました。
烏は恐ろしかったけれど、窓から見える木々を眺める日々は退屈です。
早くペンダントが見付かって、わたくしの疑いが晴れ、木々の下で散策できる日を望みます』
――――つもりだ。
『……割としっちゃかめっちゃかしているけれど、監禁されてちょっときていると思えばなんて事ないね! これでいこう!』
「わかってくれますかね……」
『伝わらなかったら伝わらなかったで、今夜来たときに答え合わせするだけだわ!!』
意見を出し合った結果、興奮状態だった二人はそのまま使用人へ命じて手紙をニリスへと届けさせた。
結果。
「……アイヴィーさん、外の木という木が調べられています……」
『厨房近くの木ってのは伝わらなかったか……』
相変わらずの大捜索ではあったものの。
烏の巣から、アイヴィーのペンダントは見付かった。
四度目になりますが、お伝えしたいことがございます。(四人目の妻アイヴィーより)
わたくしはペンダントの在処を存じません。(私は知らないけれどアイヴィーは知っているよ)
厨房の近くまで、散策したことがないからです。(厨房のあたりにあるって)
庭園でお茶をしたことはありますが、最近では烏が多くて不安に思い、すぐ部屋に戻っていました。(烏が持って行ったそうです)
烏は恐ろしかったけれど、窓から見える木々を眺める日々は退屈です。(烏の巣が見えない? そこだよ!)
早くペンダントが見付かって、わたくしの疑いが晴れ、木々の下で散策できる日を望みます(わかった? 木の上だからね!)
木の上、とは通じた。




