33 招く手は黒い
翌朝、ミラノスとの情報交換を終えて戻って来たアイヴィーから聞いた言葉に、クインティーナは思わず青ざめた。
クインティーナが聖人と知り、殺害対象から外れた可能性。
けれど聖人だからこそ、アイヴィーから殺人事件を知らされている……クインティーナにニリスの罪が知らされているのを、知っている可能性。
ややこしい。
『で、旦那様にはバレているからここはもう開き直って、直接旦那様と話そうと思うの』
その場合、クインティーナの協力が不可避なのだけれど……そう言ったアイヴィーの顔は、とても心配そうだった。
クインティーナの顔色は、アイヴィーと同じくらい青ざめていた。
つまり、死人と同じくらい青い。
『クインティーナ? ちょっと大丈夫? クインティーナァアー!?』
朝食を届けに来た侍女にも心配されて、今日は寝台で横になる事になった。
監禁生活で気疲れしたクインティーナを慮ったのか、若い侍女が控え室に下がる。思わず流れで、クインティーナはアイヴィーと交流する機会を得た。
「侯爵は、私が全部知っているとわかっていてあの態度だったのですか……?」
『それも怖いよね。意に介していないあたりがとっても』
扱いは丁寧になったが、ニリスが今気にしているのは聖人の事実より亡き妻の現状だ。
言い方はおかしいが、死後のアイヴィーがニリスをどう思っているのか。それを知りたがっている。
「正直にお伝えして、逆上しないとも思えませんが」
『まあ、ふざけるなって思っているしね』
殺されたのだから当然だ。ここで温かな言葉が出てくると思う方がおかしい。進んで恨み言を聞きたいならもっとおかしい。
『旦那様が、一体私からなんて言われたいのかさっぱりわからないけれど……少しでも情報を聞き出して、ミラノスにパスできたらいいと思うの』
「……ミラノス様は、侯爵様と一緒にいる魂についてなにも仰らなかったのですか?」
『魂について? ミラノスも、そういうのは見たことがないって言っていたけれど?』
「……そうですか」
『どうかしたの?』
顔色の悪いクインティーナは、寝返りを打って縮こまる。
すっかり脅えているようだが、気にしているのがニリスではない。いや、ニリスも意味がわからなくて恐怖だが、クインティーナが脅えているのはもっと別のところだった。
『旦那様に取り憑いているの、そんなに怖い奴なの?』
暫定、アイヴィー以外の前妻。
髪の色も目の色も変わり果て、誰だかわからない女の魂。
悍ましいほど邪悪な空気を纏っていたが、彷徨う魂とはそういうものだ。アイヴィーは見た目で驚いたが、クインティーナは見慣れているはず。
思えば、あの魂がニリスから生えた瞬間、クインティーナはアイヴィーに「ダメ」といった。
アイヴィーは、その理由が少し気になった。
クインティーナは祈るように両手を組んで、胎児のように身体を丸めている。
「もしかしたらこれは、ミラノス様も知らないことかもしれません。ミラノス様は、外に出るのを嫌がっておられましたし……私だって、一度しか目にしたことがありません」
『何を?』
「魂が、魂を食べるところを」
アイヴィーはぎょっとしてクインティーナを覗き込んだ。
クインティーナはぎゅっと目を瞑って、まるで告解するかのように、切迫した様子で声を絞り出す。
「魂同士は、お互い見えていないように、干渉しません。ですが、ですが……! 中には、魂を食べる魂が、いるのです!」
クインティーナが見たのは三年前。テレーザと出かけた先でのことだった。
お気に入りの肉屋で値段交渉をするテレーザの横。そこには、いつも膝を抱えて鬱々としている魂がいた。
魂は彷徨う。だが、肉体から解放されても尚、大地に縛られる魂は、じっとしていることが多い。肉屋の横にいたのは、そんな魂だった。
いつもの光景だった。
肉屋の裏手から、黒い影が伸びてくるまでは。
「一瞬のことで、私も詳細はわかりません。ですが肉屋の裏手から伸びてきた黒い影が、その魂に突き刺さったのは見えました。濁った悲鳴が聞こえて……魂の光を点滅させて、それは動かなくなって……肉屋の裏手に引きずられていったんです。その後、骨を砕くような音がして、別の魂が出てきました」
それは、人の形をしていなかった。
顔らしきものは一つなのに対し、複数の人間をぐちゃぐちゃに丸めたような身体をしていた。身体からは複数の手足が飛び出して、まるで毛髪のように揺れている。
それは悍ましいほど強い輝きを放っていた。夜の闇に蠢くような、黒々とした輝き。
日中に見るには闇が深すぎて、脂汗が噴き出て止まらない。
それはテレーザの隣を通過し、クインティーナの背後をねっとり進んだ。
背後から聞こえたのは、鬱々とした……先程まで座り込んでいた魂の声。
あの瞬間、あの魂が、あの怪物の一部になったのだと――理解したクインティーナは吐き気を堪えきれず倒れた。
「魂を見て倒れたのは、あれがはじめてです。お嬢様は夏の病と勘違いなさっていましたが、それだけ悍ましい存在でした」
(ごめん。肉屋の存在が強くて危機感が伝わらない)
深刻な表情のクインティーナに、アイヴィーも深刻な表情で応じた。ただし内容の悍ましさは肉屋でかき消された。
肉屋に値段交渉する男爵令嬢ってなに。
ただの我が儘お嬢様の印象が強かったテレーザに一気に会いたくなってしまう。
「私は、見えるだけで魂に詳しいわけではありません。ですが侯爵の背にいた魂は、あの時みた怪物によく似た悍ましさを感じました」
あれは、魂を食った魂だ。
そう思ったから、クインティーナはアイヴィーがニリスに近付くのを恐れている。
近付けば、アイヴィーがあの魂に食われてしまうかもしれないから。
震えるクインティーナを見つめ、アイヴィーはふわりと浮き上がった。腕を組み、視線を天井に向けて……思った以上に危険かもしれない存在に冷や汗を流す。
(もしかして、旦那様に取り憑いている霊――……歴代の妻全員の可能性、ある?)
お前も仲間になるんだよぉ。
なんて言葉が脳裏に浮かび、アイヴィーは自らをぎゅっと抱きしめた。
侍女がシリアスしている前で、肉屋と舌戦を繰り広げていたテレーザ男爵令嬢当時17歳。




