32 燃えたのは
使用人達の朝礼でさらりと告げられた内容に、マイナは愕然とした。
「どういう事!? なんで奥様が死んでいるのさ!」
マイナは同じく愕然としているフルスに掴み掛かった。兄が答えを出せるわけがないのに、思わずガクガクと揺さぶった。
それくらい動揺したし、信じられなかった。
「病死? そんなわけがないだろ……あんなにお元気なお人がなんで!」
アイヴィーの肌は健康的で、髪だって艶やかだった。
咳どころか、くしゃみ一つしている所を見たことがない。ドレスだから走り回ったりしなかったが、嫁ぐ前のヴィニカリスでの生活を楽しく聞かせてくれたので、彼女が弟を引き連れて領地を走り回っていたのを知っている。
深窓の令嬢と比べものにならないほど、アイヴィーは健康体だった。
それなのに突然の、病死。
「こんなの、こんなに突然……突然死だなんて」
突然死。
神に背くような者ほど早く、突然亡くなる。
何の確証もない教えだが、暗闇で倒れる犯罪者の話は誰もが知っていた。
「違う。奥様は違う。ヴィニカリスの叡智って呼ばれたお人だ」
呆然としていたフルスが、マイナの冷え切った手を握った。
「聖人じゃないけど、聖人って言われた人」
見上げれば、マイナと同じ緑の目は潤んでいた。そばかすだらけの顔は、涙を堪えて真っ赤だ。
「突然裁きを受けるようなお人じゃない」
フルスは無口で、滅多に喋らない。アイヴィーと会話したときも、肯定と否定しかできていなかった。
その兄からの言葉を聞いて、マイナはやっと落ち着いた。混乱で興奮していた熱が、すっと引いていく。
「じゃあなにが……」
本当に、病死なのか?
昨日まで元気だったのに?
「……ダメだ、マイナ。それ以上、考えるのはダメ」
今度はフルスが、マイナの肩に手を置いて言い聞かせた。
「俺だって信じられない。でも探ってはダメ。聞いて廻っては、ダメだ」
アイヴィーの死に疑問を持ち、探ってはならない。不審を抱いて、嗅ぎ回ってはならない。
何故なら、ここはライコア侯爵家。
誰が深く関わっているかわからない、ライコア侯爵家。
金払いがいいからと、目を逸らし続けてきた部分。警戒心の理由。
――そこでようやくマイナは、ライコア侯爵家の黒い噂と向き合った。
「……引き下がれって? こんなに怪しいのに!?」
「俺達は、無理だ。今の俺達だと、よくてクビだ」
マイナとフルスは下級使用人。
実家も貧乏な子爵家で、後ろ楯などない。むしろその実家を守らねばならない。
そんな状態で、ライコア侯爵家の闇など探れない。
「警戒心は、マイナの強み。奥様が褒めてくださったこと、忘れちゃダメだ」
「――――……っ」
『警戒心は大事だわ。生き残るために必要な、あなたの長所よ』
生き残る為に、必要な事。
ライコア侯爵家で仕事をするなら、目を逸らさなくてはいけない部分。
「わかった、わかったよ……」
マイナは項垂れた。足元に大粒の雫が落ちて、視界が歪んでいく。
(悔しい……!)
真相を暴くには、マイナ達はあまりにも無力だった。
マイナとフルスは、アイヴィーの死を棘として呑み込む事を選んだ。
だけど。
――侯爵は、土葬される予定だったアイヴィーの遺体に火を着けた。
埋葬するために掘った土に棺桶を置いて、そこに火を――――……。
今思い返しても吐き気がする光景と匂いだった。
マイナは侍女なので、墓場に同行できなかった。しかし名残惜しんで墓場の周辺にいたから、その匂いを嗅ぐことになった。
死者が脱ぎ捨てた身体を土に埋めるのは、燃やさないのは、神が禁忌にしているからに違いない。そんな教えはないけれど、マイナがそう思うくらい受け付けない匂いだった。
当然だ。人が人を焼くなど、あってはならない冒涜だ。
マイナは遠目に揺れる炎を見ながら、口と鼻を両手で抑えて吐き気を堪えた。
――ここまでする理由はなんなのか。
こんな事をする必要があったのか。
アイヴィーの実家が、ヴィニカリス伯爵家が病死に疑問を抱き、遺体の返却を望んだ話はマイナも聞いている。ライコア侯爵家が拒否した流れも聞いている。働きながら、耳だけは澄ませていたから。
だけどそれは、こんな暴挙に出る程の事だったのか。
遺体を返すのをここまで拒否した理由は。
(……やっぱり病死じゃなくて、殺害されたから?)
病死ではないとバレないように、火を着けた?
マイナにずっと、優しく語り続けた人に?
侯爵が、疑われないように。殺人の証拠を焼失させた?
そう考えた瞬間。
腹の底から、焦がすような怒りが炎のように立ち上った。
(そんなの、そんなの……許さない……!)
確信はない。
証拠もない。
誤解があるかもしれない。
だが、冤罪の可能性よりも……アイヴィーの遺体を焼いたという一点で、マイナの憤怒は噴き上がった。
それに加え、侯爵がアイヴィーを殺したのなら。
(お前も絶対、焼いてやる……!)
マイナの殺意は、炎のように腹の底で燃え続けて――今も機会を窺っている。
(――正直、あのお方のペンダントを紛失したあの女も、燃やしてやりたいくらいだけど……今頃死んだ方がマシって目にあっているはずだから、どうでもいいな)
見付からないペンダントにため息を零し、マイナは来た道を引き返した。
(そもそも遺品管理が杜撰だったから簡単に盗まれるんだ。これだけ探すくらいなら、鍵をかけて厳重にしまっておけってんだ)
マイナならそうする。
イライラと昂ぶる気持ちを抑えて、今夜も何の成果も上げられなかったと窓の外を見た。
「……?」
不意に、小さな光が揺れた。
窓に近付き、目を凝らす。ガラスに反射するのはマイナが持っている燭台の灯り。窓の外は暗く、遠くなど見えない。
だけど、夜の森の中に……塀の向こう側に、揺れる光が見えた。
その光は、どんどん小さくなっていく。
「なにあれ……?」
闇に溶けていく小さな小さな光を、マイナは見えなくなるまでじっと見ていた。
アイヴィー、いつの間にか飼い主判定されていた。
温度差よ……。




