27 解き放つのは
やってしまった。
クインティーナは口元を押さえながら、恐る恐ると視線を上げた。
立ち上がったニリスが、冷え込んだ目でクインティーナを見ている。
「誰に聞いた。それとも知っていたのか」
あまりの温度のなさに、クインティーナは逃げ出したくなった。
誤魔化さなければと、咄嗟に侍女に聞いたと口に出しかけ――それを、アイヴィーの叫びが止めた。
『ダメダメ逃げの嘘は問い詰められたら追い詰められるのが道理! 咄嗟の嘘ほど人を追い詰める物はない! 大丈夫よ諦めないでまだ逃げ道はあるから!』
こきゅ、とクインティーナの喉が鳴る。言葉を呑み込んだ音だった。
『そう、まだなんとかなる。だって私四人目であなた五人目だもの! 前妻って言われたら四人目の名前が出てもおかしくない!』
そう、アイヴィーは、クインティーナの前の妻。
他に三人いるが、クインティーナの前はアイヴィー。
五の前は四。当然の流れ。
『いける!』
拳を握って応援するアイヴィーに勇気を貰い、クインティーナはうっすら微笑んだ。
「誰に聞いたわけでもありません。前妻のペンダントと仰っていましたので、てっきり四人目の方の物かと思っただけですわ」
口元を押さえていた手を、添える程度に角度を変える。困ったように、恥じるように。
「ですが誰も、そうとは言っておりませんでしたわね。先走ってお恥ずかしいです」
ニリスのヒリついた視線を感じる。
けれど何も言わないので、退室することもできない。
アイヴィーはニリスに向かってコアリクイの威嚇ポーズをとっていた。コアリクイを知らないクインティーナからしてみれば、なんだかアイヴィーが両手を挙げて空気を和ませようと必死なように見える。
勿論、クインティーナにしか見えないのだから、威嚇されることも空気が和らぐこともない。
「誰かに聞いたりしたわけではない、と?」
「ええ。わたくしが勝手に勘違いしただけです……いいえ、アイヴィーさんの物で間違いないのなら、間違えてはおりませんわね」
「アイヴィーさん、か」
ニリスの赤い目が、歪んだ。
「男爵令嬢が、随分と親しげに呼ぶな」
(――――あ!)
今度こそ、クインティーナは固まった。
きょとんとしたアイヴィーは、ニリスの言葉の意味を図りかねた。今度はクインティーナの理解の方が早い。
それは、前世の感覚でフレンドリーなアイヴィーと、生まれたときから身分差が染みついていたクインティーナの認識の違い。
クインティーナは男爵令嬢という事になっている。そしてアイヴィーは元伯爵令嬢。しかも故人で面識のない相手。ここは「アイヴィー様」と敬称をつけて呼ぶ場面。「アイヴィーさん」などと、親しげな呼称は不適切だ。
そう、面識がないならば。
「ひっ」
『クインティーナ!』
大きな歩幅で近付いて来たニリスが、大きな手でクインティーナの顎を掴んだ。指が頬にめり込んで強い痛みを訴える。
「彼女と会ったことがあるのか」
「あ、ぁうっ」
「二年……そうだな、王都で開かれる夜会でなら、会っていてもおかしくない。交流があったか? 親しげに呼べるほどに?」
本来なら、男爵令嬢ですらないクインティーナがアイヴィーを親しげに呼ぶのも異常だ。
しかしアイヴィーは最初からクインティーナに親しげで、何なら近所のお姉さんみたいなノリで話しかけてきた。全く令嬢ぶらず、亡くなった前妻と言われても身分が頭を過らないくらいフレンドリーだった。
出会い頭の存在があやふやすぎて、うっかり親しげに呼んでしまったクインティーナを咎めもしない。クインティーナはすっかりアイヴィーに対して経緯はあれど、身分差を感じていなかった。
これは死んだからって身分差を全く気にせず、令嬢らしく一切振る舞わないアイヴィーも悪い。
そのアイヴィーは、クインティーナに掴み掛かるニリスに掴み掛かっていた。
『クインティーナを放せ! 放せ! 女の顎を鷲掴みとか何考えてんの!? 旦那様ってそんなに手が早かった!? 手が早いから私ってば一ヶ月で殺されたんだったわね! 間違いなく早かったわこの野郎! この短気!』
危機的状況なのに、ニリスを引き剥がそうと割り込むアイヴィーはとても煩い。わあわあ騒ぎながら必死に掴み掛かろうとしているが、その手は空ぶって何も掴めない。
勿論、ニリスの手も緩まない。
「元から知り合いで、見たことがあるから彼女のペンダントとわかったか? やはりお前がペンダントを持っているのか。ペンダントはどこだ」
『どんだけペンダントに固執しているの!? 怖い!! というか顎掴んでちゃ答えられるわけないでしょ!! 馬鹿なの!?』
顎と頬をまとめて掴まれているので、口が上手く動かせない。答えることは無理だ。
そもそも言葉が出てこない。どう誤魔化せばいいだろうか。混乱したクインティーナは息苦しくて、はくはくと空気を求めて唇を動かした。
その様子に、アイヴィーの猫目が吊り上がる。
『ぁあ――――ッ!! いい加減にしろよ旦那様!』
呼吸もままならず、必死に掴んでくる腕に縋り付いていたクインティーナは、アイヴィーの苛立ちと怒り。不快感の滲んだ叫びを聞いた。
同時に、青白い光がアイヴィーを取り巻く。
ダークグリーンの髪が、うねった。
『クインティーナを、放せ!!』
青白い稲妻を纏った腕が、ニリスに伸びて。
ニリスの肩から、真っ黒い何かが滲むのも見えた。
それは、幼い頃からずっと、クインティーナが慣れ親しんだ淀み。
クインティーナは、咄嗟に叫んだ。
「――ダメ! アイヴィーさん!!」
破裂音が、執務室に響いた。
ニリスの肩からなんか出た。




