26 知らないはずの情報
そうして連れて来られた執務室にクインティーナが入るのは、初めての事だ。
広い部屋にいくつも机と棚が置かれ、書類が積まれている。入ったすぐ感じたのはインクの香り。インク壺には蓋がされているのに、部屋に染みつくほど使用されているのだとすぐにわかる。
まだ早い時間だからか、執務室にはニリスしかいなかった。
広い部屋の奥。同じ部屋なのに離れ島のような、ぽつんと孤立した感覚を覚えた。
ニリスは一人、大きな窓を背負って座っていた。
窓から差し込む朝日を受けて、金の髪が柔らかに輝く。キラキラとした粒子は白い肌にまで及び、繊細な美貌はまるで絵画のようだった。
(きれいなひと)
逆光からその表情は読み取りづらい。それでもその美貌は理解できるのだから、美しいとは罪だ。
絵画のような、この男性が――四人も殺した殺人鬼だなんて、全く見えない。
けれどクインティーナの目には、彼に殺された四人目の妻が映っている。
どれ程美しく、それこそ神の祝福を受けたような容姿をしていても、その為人は見ただけでは計り知れない。
部屋に入ったクインティーナは、夫婦だからとそのまま扉を閉められた。執務室に使用人の姿すら消えてしまう。
これは、ニリスの怒りを恐れてだろう。
側近とも言える部下すらいない現状が、誰もニリスの怒りに触れたくないのだと主張しているようだった。
そんな彼に呼ばれたクインティーナは、一体何を言われるのか。
クインティーナは静かに深呼吸して、なんとか怯えを表に出さないよう努めた。
だというのに。
「先程は悪かった」
ニリスからの謝罪に、思わず呼吸が乱れた。
「あなたとあの女の接触はなかった。だというのに少しでも虚言を信じた私の落ち度だ。寝起きに詰め寄るような真似をしてすまない」
『ような、じゃなくて詰め寄っていたでしょ! 寝起きの淑女に対して不躾だったでしょ! 少しでも疑わしかったら殺しますって顔していたでしょ!』
クインティーナの斜め上を浮遊するアイヴィーが、ニリスを指差しながら眦をつり上げる。書類上、ニリスとクインティーナは夫婦なので問題ないが、一度も寝起きを共にしたことがないのだからそうなる。
後半は印象からそう思っただけだが、そう思われても仕方のない目付きをしていた。
クインティーナはじっと、落ち着いてニリスの顔を見た。
よく見れば、美しい顔にうっすらと隈がある。恐らくペンダントを捜索する使用人達を、夜通し監視していたのだろう。
亡き妻の遺品を、自ら殺した妻の遺品を何故そこまでして探すのか。単純に窃盗犯が許せないのか。使用人に全て任せるだけの信頼がないのか。クインティーナにはわからない。
結局クインティーナはニリスと交流せず、アイヴィーや侍女達からニリスの情報を得ている。だからクインティーナは彼が人殺しとしか知らず、それ以外の為人はわからない。
言動は常に冷たく、他者を突き放す。取り付く島もなかった。クインティーナにはニリスが冷徹で、血も涙もない怪物のように見えていた。
しかし彼は、自分の非を認めて謝罪した。
非を認めて謝罪できる人間だった。
「――……はい。謝罪を受け入れます」
少し呆然としたが、我に返って頷く。
ここで怒っても仕方がないし、謝罪されたからと調子に乗るのも危険だ。クインティーナは小さく淑女の礼をして、退室の許可が出るのを待った。
だがやはり、少しでも情報が欲しいのか、クインティーナにペンダントの行方に心当たりはないかと問いかけてきた。
「あなたを疑っていると言うより、不審な動きをする者を見なかったか問いたい。私は執務室に籠もっていたが、あなたはよく出歩いているだろう」
『逃走準備の印象操作が原因か……!』
頭を抱えるアイヴィーに視線を動かさないよう気を付けながら、クインティーナは片手を頬に添えながら思案した。
ペンダントのありかを、ニリスに伝えるかどうか。
アイヴィーは言わなくていいと最初に言った。説明できないのだから、怪しまれるような言動をしてはいけない。相手を刺激してはいけないと主張した。
その通りだし、クインティーナも相手の気を引かぬよう大人しくしているべきだと思う。
だけどアイヴィーは、ペンダントを中心に行動範囲が決まる。
行動範囲がズレてニリスを見張れなくなったと嘆いていたのを、クインティーナは覚えていた。
(その分、塀の外に出られるようになってミラノス様と情報交換しやすくなったと仰っていましたが……どちらがよいのでしょう。ヒントだけでもお伝えしてみましょうか……)
『……クインティーナ? なんで熟考しているの? しなくて良いよ? 何も見ていませんって言っても多分殺されないよ!?』
うーんと悩むクインティーナに、アイヴィーが慌てて周囲をぐるぐる回る。その動きで考え込みすぎたと気付いたクインティーナはハッと我に返った。訝しげにこちらを見るニリスと目が合ってしまい、サッと青ざめる。
気を抜きすぎた。お腹が空いている所為かもしれない。
「も、申し訳ございません。侯爵様にとって大切な品物ならばお力になれればと、思い返していたのですが、怪しい人物に心当たりがなく」
「そうか……何も見聞きしていないなら、仕方がない」
「はい。お力になれず申し訳ございません」
「いいや。私も無理を言った。もう下がっていい」
「はい。アイヴィーさんのペンダントが早く見付かるよう、わたくしも祈っております」
失礼しますと淑女の礼をする。下げられた頭を見て、アイヴィーとニリスは同時に息を呑んだ。
『ちょ、おわ、あば!』
「……待て」
慌てるアイヴィーの声を押しのけるほど低くて冷たい声だった。
「――何故盗まれたのが、四人目の妻のペンダントだと知っている」
(あっ)
クインティーナは目を丸くして、口元を押さえた。
ニリスは前妻のペンダントとしか――四人いる妻の内の、誰のペンダントだとは、一言も言っていなかった。
『し、しまったぁ――――ッ!!』
クインティーナの代わりに吠えるアイヴィーの声も、流石にこの時は遠かった。
アイヴィーから色々聞いていた弊害。
どちらの声も聞こえるが故のミス。




