2 五人目の花嫁は聖人さま
部屋は静寂に包まれていた。
二人揃って呆然と、言葉もない状態だった。
女性はふわふわ浮いている明らかに生きていないアイヴィーを。アイヴィーは、五人目の花嫁だろう女性を凝視した。
寝台に腰掛けて呆然としている赤毛の女性。
癖のない赤毛は丁寧に手入れされ、艶がある。見開かれたターコイズの瞳は、朱色の口紅で彩られた口と同じように丸くなっている。
身につけているのは、白いネグリジェだ。リボンや真珠の装飾が多い、眠るのには適していない一品。重ねた布の透け感から、普段使いではないと察せられる。
そう、勝負服。
新婚である花嫁の初夜を飾る、選りすぐりの勝負服だった。
(ガウンを着ていなかったら、目のやり場に困ったわね)
かといって、じろじろ見るのもよくない。
同じ女だからこそ、不躾な視線ほどよくわかるのを知っている。アイヴィーは意識して視線を上げて、女の顔を見た。
年頃は恐らく、アイヴィーと同じ二十代。アイヴィーは二十歳だったので、もしかしたら年上かもしれない。
(ううん、あれから何年か経ったはずだから、同い年かも……どっちで考えるべき? 享年?)
そもそも何年経過しているのだろうか。
部屋の照明に近い宙を漂っていたアイヴィーは、ぽかんとこちらを見上げて動かなくなった女を観察しながら首を傾げた。
その動きに、女に時が戻ってくる。
「あ、あなたは……まさか、亡くなられた前妻……?」
『そうよね。知っているわよね』
この場所、このタイミングで出てくる幽霊が無関係であるはずがない。
アイヴィーはここ数ヶ月で身につけた感覚で、高度を下げた。歩くのとは感覚が違い戸惑ったが、邸の中であれば自由自在に飛び回れる。
『私はアイヴィー。ライコア家へ嫁いできた、四人目の妻よ。あなたは五人目で合っている?』
「は、はい。クインティーナです」
視線の高さを合わせると、赤毛の女性、クインティーナは緊張しながら名乗った。緊張しているが、そこに怯えは見られない。
アイヴィーの見た目が、血を吐いて死んだ女の姿そのままだというのに。
『あなた、急に見えるようになった訳ではなさそうね』
驚いてはいたが、冷静すぎる。
クインティーナは気まずそうに頷いた。
「物心ついた頃から、彷徨う魂が見えていました。あの、ここまでしっかり意思疎通できたのは、はじめてですが」
『あら、そうなの?』
「皆さん、自分が死んでしまった事を嘆いていて、声を掛けられるような状態ではないので」
『それはそうね。納得した魂は、地上ではなく空に居るはずだし』
アイソメトリア国では、そう信じられていた。
魂は軽く、肉体は重い。
生きる重さから人は大地に縛られ、肉体を持たない神は天から人々を見守っている。
肉体の重さは神に与えられた試練。生涯を終えた者は、重い試練から解放されて天へと導かれる。
死とは解放であり、神からの祝福だ。
よって、他者を殺める行為。自ら命を絶つのは神への冒涜とされていた。
神の祝福を受け取れなかった魂は肉体の重さから解放されず、地上を彷徨い続けると言われている。
解放された後の、俗世への未練も重い。
その未練を軽くする為に祈りがあるのだと、教会は信者達へ祈りを推奨していた。
つまり信仰心が深ければ深いほど、死後スムーズに天へ昇ると言われている。
だからその辺りに居る魂は、俗世への未練の重さから天へ昇る事ができなかった魂だ。
(私はその辺り一切信じていなかったから、こうして地縛霊になったのも納得だけれど!)
祈っていたら違ったかしらなんて好奇心もあるが、そもそも前世の感覚で神様への認識がぼやっとしすぎていた。
信じたい物を信じたらいいだろ。
閑話休題。
『ここまでしっかり見えていて、何故ここに居るの? 見えているなら、あなたは聖人でしょう?』
聖人とは、肉体を持ちながら神に最も近い者。神の視点を持つ者だ。
肉体から解放された魂の姿は、肉体を持つ者からは視認できない。
しかし稀に、彷徨う魂を視認できる者がいる。
魂を視認できる者は、地上で誰よりも神に近い存在と考えられ、聖人と呼ばれていた。
神に近い存在なので、聖人である事が認められたら、教会で保護される。
万人が見えていないものを見えていると証言するのは難しいが、専用の審査がある。その審査を通過できれば、聖人として尊ばれ、教会に神に近い存在として保護される。
なので、我こそが聖人だと主張する人間が教会に保護を申し出るのは珍しくない。多くが詐欺だが、クインティーナの場合は間違いなく本物だ。
『言ってはなんだけれど、聖人として教会で保護されれば曰く付きライコア侯爵家に嫁ぐ事もなかったと思うの』
「あ、アイヴィーさんはやはり、その、侯爵様に……」
『殺されたわよ。毒殺だったわ』
クインティーナは身を縮めて怯えた。脅かす形になったが、事実なので誤魔化しようがない。何より危機感を持って貰わねば、彼女は五人目の死別した妻になってしまう。
真っ青な顔で扉を見るクインティーナに、アイヴィーはふわりと浮かんで拳を握った。
『安心して! 初夜で殺される事はないし、初夜もないから!』
「本当ですか?」
『ええ、ありきたりな事を言いには来るけれど……』
その時、ぞわっとアイヴィーの存在しない肌が粟立った。
『噂をすれば影ね……! 旦那様が来たわ』
「え!?」
アイヴィーは天井近くまで飛び上がる。真っ青になってガウンの合わせ目を握るクインティーナに、両手で握りこぶしをして見せ元気づけた。
『大丈夫よ! 言っている事も存在も怖いけれど、聞いているだけでいいわ!』
何故なら「愛するつもりはない」宣言をしに来るだけだから!
前世でも毎回思っていたのだが、訳あり夫は何故、初夜の直前にそれを言うのだろうか。
もっと早く言え。というか言うなら早い時間に来い。夜は好きな時間に寝かせてくれ。
『とってもむかつくけれど、頷いて損はないから流しましょう!』
「え、ええ……!?」
戸惑うクインティーナを置き去りに、アイヴィーの足元で寝室の扉が開いた。
現れたのは、絹糸のような金髪の、赤い目をした男。
アイヴィーにとっては元夫の、ニリス・ライコア侯爵だった。
他の幽霊は、死んだ事を自覚していなかったり当たり散らしたりで会話はできない。




