19 本当の役立たずは誰か
『ペルデュラン男爵家。思っていた以上に濃かった』
使用人らしく日の出より前に目を覚ましたクインティーナ。
朝の挨拶をした後にアイヴィーが告げたのは、思わず首を傾げたくなる言葉だった。
アイヴィーは疲れたようにクインティーナの隣で寝転がっていたが、正確には寝台の上で浮いていた。なんでも通り抜けるアイヴィーにとって、だらけて見えるのもポーズでしかない。
ゆっくり寝返りを打って横向きになり、こそこそと何があったのか問いかける。
アイヴィーから語られたのは、ペルデュラン男爵家の軽い歴史――クインティーナも知らなかった、男爵家と教会の確執だった。
まず大前提として、ペルデュラン男爵家に生まれた聖人は、役目を果たせなかった。
数百年前に起きた大飢饉。干ばつからの水不足。
地上からの嘆願を伝えるのが聖人の役目。
天に御座す神に現状を伝え、解決してもらうために聖人はその身体を脱ぎ捨てた。
聖人が天へ昇った事で、飢饉は終りを迎えると思われた。
だが、飢饉は終わらなかった。
川は干上がり、作物は枯れ、民衆は飢えた。
神様がなんとかしてくれると信じていた人々は、改善されない飢饉に戸惑い怒りを抱いた。
何故神は救いを与えてくださらないのか。今までの祈りは何だったのか――不満を抱く人々に、教会は言った。
聖人が、人々の声を神へ届けられなかったのだ。
聖人が役目を果たせなかったのだ、と。
それから人々の怒りはペルデュラン男爵家へ向かった。
聖人を輩出したことで社会的地位を得ていた男爵家。それも一気に地に落ちた。
同じ貴族どころか庶民にまで石を投げられ、それを咎める者もいない状態が続いた。
それは民衆に、神へ不信感を与えない為。王家へ不満を抱かせない為。教会へ怒りを向けさせない為に捧げられた生贄だった。
それからゆっくり飢饉を乗り越え、時間が迫害を忘れさせた。
しかしした方は忘れても、された方は忘れない。
神の威光を守る為、そして自分達の保身からペルデュラン男爵家を民衆へ売った教会との確執は深い。
それは現在まで続いていて……。
『教会側に不信感がある人はその不仲を知っている人が多いから、自然とそういう人達が集まるんですって。異教徒というほどではないけれど、神様はともかく聖人のあり方に疑問を持っている人達が集まるらしいわ。特に聖人かもしれないって教会に連れて行かれたけれど結局間違いで、聖人を騙る不届き者と石を投げられ叩かれた人達とか親族とか』
「男爵家がそのような……!?」
聖人の判別はとても難しく、偽物も多くいると言われている。
聖人かもしれないと囃し立てられ間違っていたら偽物と糾弾されるのは理不尽だと思うが、実際偽物は多い。
『男爵家もわかっているから、教会側の諜報を入れないよう徹底した身分調査がされているんだって。繰り返すけど異教徒ってわけではないし、教会側も自分達の行い故って事情を把握しているから、外から見張る程度になっているんだってー……』
「見張ってはいるのですね……」
不穏分子が固まっているのなら、当然だ。
そしてそんな扱いをされたのだから、聖人が生まれても教会へ連れて行かないのも当然だ。
ここで「先祖の雪辱を果たすのだ!」とならなかったのは、聖人のお役目に疑問を抱いた所為だろう。命を懸けてお役目を果たしたのに役立たずと言われては、疑問を抱いても仕方がない。
教会の言い分を鵜呑みにせず信仰に疑問を抱けたのは、アイヴィーからしてみれば洗脳から覚醒できた証明だ。
「旦那様が教会からの要望を、無理して推し進めたのは……」
『何としても教会に借りを作りたくない思いがあったんでしょうね』
しかしそうなると、不安になる事がある。
『そんな確執があるなら、絶対こっちの不備を認めなさそうだよねー!』
ちくしょうー! と叫んだアイヴィーが寝台を転がる。横になったクインティーナをすり抜けて寝台を通り過ぎた。寝台からはみ出しても落下しないのは、アイヴィーが高さを保ち続けているからだ。
『先に言ってよー! そんな大前提があるなら、平和的に離婚なんてできないじゃないー!!』
確執があるとは聞いていたが思った以上に根深い。現在も色あせず続いているなら、教会に対して「花嫁は実子じゃありません」なんて言えるわけがない。
むしろ教会に対して思うところがありすぎてこんな暴挙に出たのではという邪推までできる。お前達の思い通りになってたまるかという奴だ。
ゴロゴロ転がったアイヴィーは一度、転がりすぎて壁を突き抜け廊下へ出た。しかしすぐに反対側に転がって戻ってくる。その様子を見たクインティーナは笑いそうになって必死にお腹に力を入れた。
(これが勢い余って壁や天井を突き破る動き……!)
ぶつからないから、どこまでも転がっていく。
寝台の高さを保ちながら転がる様子も大層シュールだ。
逃げる為の一手が使えず危機的な状況だと理解しているが、どうしても視覚情報としてアイヴィーが気になる。
転がるのをやめたアイヴィーは、クインティーナの横に浮きながら手足をばたつかせた。
『オクトスもミラノスも男爵が認めないってわかっていて、離婚じゃなくて逮捕を目論んでいたんだわ! 説得の方向性が違うのよ。間違いを認めるんじゃなくて、旦那様の悪事を暴きましょうって説得しているんだわ!』
「あ、悪事を?」
『前妻殺害事件を告発するって事。少なくとも四人目の死因が違うって、確信したわけだし』
最初からそのつもりだったんだわと憤るアイヴィーから死因と聞いて、クインティーナは戸惑った。
クインティーナは前妻が亡くなったのは知っていたが、死因までは聞き及んでいなかった。
ただライコア侯爵に嫁いだ令嬢は早世する、侯爵が手を下しているのだ、という噂だけを聞いていた。
恐らくテレーザも前妻達の死因まで把握していないだろう。ペルデュラン男爵家では、そう言った事情を調べるのはミラノスの役割だった。
――恐らく、ペルデュラン兄弟は妹を逃がしながら考えていた。逃がすだけでは時間稼ぎにしかならないとわかっていて、妹が安全に過ごせるよう調べていた。
そうでなければ、一夜にしてライコア侯爵家の情報をまとめてくるなどできるわけがない。
暴れるのをやめたアイヴィーは、拗ねた表情でふわふわと浮き上がる。
『なんだかんだあっちも情報を全部告げる気がなかったのがよーくわかったわ。きっと他にも情報を隠しているんだ。ぐぬぬ……推理担当は私じゃなくてアイツだったのか……そりゃぁ私じゃ思うように情報集められないけどさぁ……』
「アイヴィーさんは侯爵家のいろんな情報を私に教えてくれます。とても助かっています」
『んー……! ありがとぉ~』
慰められちゃったと天井付近までふらふら浮き上がるアイヴィー。
だらりと脱力していた彼女が突然、しびびっと身体を震わせた。
『えっ嘘でしょヤバイ』
「アイヴィーさん?」
『隠れてクインティーナ!』
切羽詰まった声がクインティーナを急かす。けれど寝台で横になっていた人間が、そうすぐに動けるわけもなく。
乱暴に扉が開かれてやっと、クインティーナは飛び起きた。
明らかに侍女ではない人影は真っ直ぐ寝台に近付き、扉を開けたのと同じ乱暴な手付きで天蓋の布をかき分けた。同時にアイヴィーがクインティーナの前に飛び出して、身体全体で守るように両腕を広げる。
広げられた腕の、その先。
透ける彼女の身体越しに見えたのは、式の日から一度も見かけていなかった、ニリスだった。
アイヴィー(この瞬間、私こそが役立たずー!!)




