16 意外と多い、知らない部分
いつもよりちょっとソワソワしたクインティーナが眠ったのを確認し、周囲に危険がないか念入りに巡回してから、アイヴィーは屋敷の外へと飛び出した。
明かりの少ない時代、ぼんやり少ない明かりで照らされた屋敷は不気味だ。寝静まった侯爵家は巨大な怪物が丸まっているようにも見える。
時間も時間なので、室内の明かりは消えていた。執務室も、厨房の明かりも消えている。屋敷の明かりはすべて消えて、灯っているのは庭園の街灯くらいだ。
(火事が怖いってのもあるけれど、これは宗教柄だなー)
空に神がいる教えなので、大地が空より明るくなる必要がない。むしろ不敬と考えられている。
いずれ科学が発展したとしても、夜遅くまで大地を照らし続けるのは教会が許さないだろう。
きっと将来、宗教観と科学はぶつかり合う。どの時代も便利になればなったで問題が発生するものだ。
(まあ今は、そんな事どうでもいいんだけど!)
アイヴィーはただ、侯爵家の人の気配を確認しただけだ。
夜はとても暗いので、侯爵家に近づく小さな明かりが、誰かの目にとまらぬように。
ふわふわ移動したアイヴィーは、塀までやってきた。
今までアイヴィーを拒んでいた塀も、今では何の抵抗もなく素通りできる。
『んふふっ』
地味に痛かったので嬉しい。
幽霊なのに痛覚があるなんてバグだ。悪寒も覚えるので、生前の感覚に引きずられているのだろう。
(生前の感覚……このネグリジェの感触もそうかな? 私の記憶からきているのかも)
幽霊に関しては前世の記憶があってもさっぱりだ。
ホラー作品も嗜みはしたが、ああいうのは作家によって設定も変わる。暗黙の了解もあったと思うが、それも宗教観が入っていたはずだ。
(幽霊になってもわからないものはわからない。少しずつ知っていくしかないなー)
幽霊には足がない、が通説だったが、アイヴィーにはしっかり足がある。
うっすら透き通る素足を軽く上げて、ステップを踏む。ふわふわとステップを踏んでくるりと回る。ひらりと翻るネグリジェの裾が、月明かりの下でキラキラ輝いた。
『……今更ながら、私、光ってる?』
「今更だよね」
小さな燭台の明かりを頼りにここまできたミラノスが、一人ふわふわ踊っていたアイヴィーへ呆れた視線を向ける。
灯りが近付いて来ていたのは気付いていたが、自分がキラキラ光っているのは気付いていなかった。
アイヴィーは呆れた視線を向けるミラノスへ勢いよく振り返った。
『いつから? いつから私、輝いていたの!?』
「最初からだよ。魂っていつもうっすら光っているから当然だろ」
『そうなの!?』
幽霊初心者なので知らなかった。
いや、幽霊は眠らないので昼夜関係なくふらふらしていた。していたが、今まで暗闇の中でも自分の手足が見えるのを不思議に思っていなかった。
思っていなかったが改めて思えばおかしい。
結論。幽霊は光る。
「光ると言っても明るい色合いじゃなくて、禍々しく淀んだ感じが主流だよ。闇の中で更に蠢く感じが不気味で、いつも目をそらしてきた。あんたはなんか、やけにキラキラしているけど……」
『成る程規格外』
前世の記憶がある所為かもしれないと思ったので、アイヴィーは素直に頷いた。
『それにしても、あなただけ? オクトスはどうしたの』
アイヴィーは浮き上がり、ぐるっとミラノスの周囲を飛んだ。目を凝らしてみても、オクトスの姿は見当たらない。
いるのは、ボサボサの髪を外套で隠し、大きな鞄をひっさげているミラノスだけだ。
燭台の灯りが少しでも目立たないように縮こまりここまで来たのがわかる。
……夜目が利くのも幽霊になってからだ。当たり前のように見えていたが、明かりがないのに見えているのだから色々と気付くべきだった。自覚が遅い。
アイヴィーの問いに、ミラノスは嘆息した。
「兄さんは隠密に向いていないからおいてきた。他にやることもあるし」
『ふうん』
アイヴィーは聞いておいて何だが、気のない返事をして黙った。
男爵家のあれそれだろうなとは察しがついたからだ。
クインティーナとニリスが平和的に離婚するなら、ペルデュラン男爵家が非を認めなければならない。この婚姻が間違いだったと認めなければ、教会側だって離婚を認められないだろう。
男爵家が今どうなっているのか、聞くのは野暮だろう。アイヴィーにはどうする事もできないし、クインティーナに聞かせられない。
アイヴィーに今できるのは、クインティーナの周りで危険を知らせる守護霊もどきに徹する事くらいだ。
「それにしても、あんた壁を越えられたの? 昨夜は阻まれていたじゃん。てっきり侯爵家からでられないんだと思っていたのに」
『まあ色々あったのよ。色々あって、行動範囲がズレたわ』
「どういう事なの?」
ミラノスは昨夜、塀の向こうに出ようとして弾かれたアイヴィーを見ていた。
それを見て、塀の向こう側には来られないと行動範囲を推察していたらしい。
『もしかしてあなた、ああいうの何回か見た事がある?』
「あるよ。彷徨っている奴らは、どこへでも行けるわけじゃない」
『そうなの?』
「あんただって、ここから出られなかっただろ。なんか行動範囲広がったみたいだけど」
『ううん。中心がズレただけで変わってないはず』
「だからどういう事なの」
ミラノスの顔が嫌そうに歪む。
でも無視しないから、会話が打てば響くの面白いな。
アイヴィーが会話できるのは、クインティーナとミラノスだけだ。しかしクインティーナは周囲に見張りが多く、自由におしゃべりできない。よって、気にせず話せるのはミラノスだけだ。
長い事孤独だったアイヴィーは、人との関わりに飢えていた。
『あなたの方が幽霊に詳しそうだから色々聞きたいけれど、それどころじゃないわよね』
「あんたにできる事を把握したいから、いずれ聞きたいけど、そうだね。あんたよりクインティーナだ。よくわからないけど、クインティーナは問題ないの?」
『旦那様を見張れなくなっただけで、移動できる範囲はクインティーナの活動範囲内だから大丈夫。今夜も周囲に問題なかったわ』
「いつ不埒者が偲んでくるかわからないんだから、できるならあんたはずっと控えていてほしいけど……情報交換の為なら仕方がないか」
昼間に侯爵家に近付けばすぐ気付かれる。ミラノスは嘆息して下げていたカバンから書類を取り出した。
「あんたが死んでから二年。何があったのかまとめてきた」
とってもさりげなく、アイヴィーは自分が死んでから二年経っていた事を知った。
「といっても、ライコア侯爵家は不気味なくらい変化なしだよ。ニリス侯爵の両親は一番遠い領地の端で隠居生活。親族との関わりも希薄。教会との関わりはあれど、資金を落とすだけで祈りに行く様子はなし」
聖人を輩出したライコア家と教会の関わりは深い。
それは侯爵家の婚姻に手を回している事から見ても確かだ。
しかしニリス本人は、最低限の関わりのみで教会に対して最低限の交流しか持っていない。関係が密接なのは、先代の両親の方だ。
その先代は、アイヴィーが婚姻した頃……つまり二年前には既に隠居していた。結婚式にも姿を現さず、悪評を知る親族や寄子達が気まずげに参列していたのを覚えている。
長い付き合いの部下も信じないニリスは、親族に対しても冷酷だった。
ちなみにアイヴィーは(誰も信じない冷酷な侯爵様か。成る程理解)などと呑気に考えていた。
「四人目の妻が『病死』した後も、速やかに葬儀を執り行って仕事に行ったらしいね」
『ふぅん、確かに変化なし……うん?』
んー??
『待って、私『病死』した事になっているの?』
アイヴィー、死後二年経過。
そして死因が……??




