11 簡単だけど難しい事
誰にも見えていないというアドバンテージを差し引いても、アイヴィーがニリスを見張るのは簡単だ。
何故ならニリスは、毎日同じルーティーンで仕事をしているからだ。
ニリスは朝から晩まで、侯爵家の執務室に籠もって代理人に任せた領地からの報告書に目を通していた。
それだけなら余裕がありそうだが、ニリスは裏取りに裏取りを重ね、一つの報告に対して四方と言わず六方向くらいから確認を重ねるので、とっても時間が掛かっている。
一つ確認するのにコストをかけすぎである。
結果、自分の時間を削って仕事をしていた。
ニリスを侯爵家で滅多に見かけないのは、彼が全く出歩いていないからだ。
コスト削減しろ。残業するな。朝から夜までとかブラックすぎる。
勿論一人で仕事をしているわけではない。執務室に部下はいるし、領地は人に任せている。その任せた仕事を、複数人から上がってくる仕事を確認する。やる事は実に単純だ。
しかしその数が多い。
仕事が多いと言うよりも、確認しなくていい部分まで裏取りをしている。それが先程言った六方向確認だ。
確認は大事だが、報告書を端から信じていない。最早上がってくる情報を元に、全ての仕事をしていると言っても過言ではない。
(人任せにできないというか、人を信じられないんだろうな)
外から執務室の壁に上半身を突っ込んで、机に向かうニリスの姿を斜め上から見下ろしながら、アイヴィーは相変わらずだと嘆息した。
彼の周囲には手足をなる人間が沢山いるが、人間不信と言って良いくらい、ニリスは他者を信じていない。
明言していないが、その仕事ぶりから見て部下を信じられていないのは明らかだ。
ぬるっと壁から侵入したアイヴィーは、天井を旋回しながら書類と向き合う男達を観察した。
(人を信用できないから、部下も信用していない。侯爵家の使用人達の事は……そもそも人間と思ってなさそう。貴族にとって使用人は家具だから、そこはある意味正常かな)
身分が高ければ高いほど、使用人を人間として見ている貴族は少ない。こればっかりは、貴族社会の価値観だ。
貴族出身の使用人もいるのだが、使用人は使用人だ。立場が決まった瞬間、明確な差が生まれる。
ニリスにもその感性が見て取れるので、クインティーナが元使用人とバレれば「家具と結婚させやがって」とキレられる可能性がある。
反応が読めないので、本当にギリギリまでバレてはいけない。
浮きながら腕を組み、いつ見ても同じ場所にいるニリスを見下ろした。
(死後、幽霊になってから旦那様を呪えないかとつけ回ったけれど、一日の行動はほぼ同じだったなー)
かなり頑張ってつけ回し、呪おうとしたのだが呪えなかった。
ぶっちゃけアイヴィーは、毒の有無がわかるより相手を呪う力が欲しかった。
(私が旦那様を呪えたら、五人目も来る事なく万事解決だったのに)
わりと本気で無念だが、できなかったのだから仕方がない。
(……むしろ……)
そっと、頭上からニリスとの距離を詰めるアイヴィー。
伸ばした手が触れるか触れないかの所で、指先がしびびっと痺れる。すぐさま距離をとった。
『やっぱり無理ー!』
ぎゅいんっと飛び上がり、天井から屋敷の外へと飛び出す。青空よこんにちは。しまった飛び出しすぎた。
アイヴィーはぐるっと身体を捻り、部屋へ出戻った。出戻ったが、近付くのはやめた。
『むしろ、呪われているのは私の方かもしれない……ひい、鳥肌がっ』
アイヴィーはニリスに近付くと、酷い悪寒に襲われる。
姿が見えなくても、なんとなく近くにいるのがわかるくらいだ。
(根性で枕に立ったけどなんの成果も得られなかったの、無念しかない)
三日で音を上げたのはアイヴィーの方である。
この悪寒がなければ、呪いが成就するまで枕に立ったというのに。
(まあ、私は旦那様に殺されたわけだし……自分を殺した相手に拒否反応を抱くのは、当然かー)
恐れより恨みの方が強い気持ちだが、実際には恐怖も根付いているのだろう。
同じ部屋に居続けるのも苦痛で、ニリスがルーティーンを変えず生活しているのに気付いてからは屋敷中を飛び回っていた。代わり映えしない恐怖対象を監視するより、幽霊の状態でできる事を探る方が有意義だった。
ちなみに毒の有無の見分けが付くと気付いたのは、使用人同士の陰湿ないじめに遭遇した所為である。
お茶に下剤を仕込むのはやり過ぎだと思う。
(まあ、そのおかげで旦那様に懇意している使用人とか割り出せたけれど)
使用人は家具と言ったが、彼らも人間である。
仕事に私情を挟んではならないが、権力も金も地位もある、顔の良い若い男がいたら欲も湧く。
そんなわけで、侍女に協力を仰ぐのはやめた方がいい。もれなく情報がニリスに流れて筒抜けになる。
ニリスに相手にされていない所為か、今のところ妻のクインティーナに矛を向ける使用人はいない。いたらとっても問題だが、それくらい質の低下を感じる。
(その点あの子なら平気かもしれないけれど、あの子はあの子でそれどころじゃないよね)
ままならないものだ。
そんなわけで、見張るのは簡単だが結構労力を使う。
それでも頑張って代わり映えしない仕事風景を眺めていたアイヴィーだが、早々に音を上げた。
『限られた人と、限られた会話しかしないから、旦那様の思想が全然わからない!』
誰も信じていないって事しか分からない。
見張るのは簡単だ。
しかし探るのは難しい。
何故ならロボットか、RPGに出てくる村人くらい、会話が少ない。いや、前世の記憶からするとロボットの方が会話をしていた気がする。
(うーんんん……書類を覗いたりできるけど持ち上げて家捜しはできないんだよね~……しまった、全然探れる気がしないわ。ちょっと方向性を見直さないとダメかも……)
動きがない様子を見張っていても、変化がなさ過ぎる。
悪寒を覚えながら見張り続けるのは苦行だ。
何の成果も得られそうにない。
(旦那様本人から見て探るのは無理そう。別の角度から探るべきだわ。どうやって探れば良いかなー)
アイヴィーは変化を求めて部屋の外に出た。扉ではなく壁を突き抜けて廊下に出る。
同時に、隣の部屋から一人の侍女が廊下に出たのが見えた。
その姿を見て、アイヴィーは思わず二度見する。
(……あれれー? おっかしいぞー?)
侯爵家には沢山の使用人がいてあちこちで仕事をしているので、侍女が部屋から出てくるのはおかしな事ではない。
だけどほぼ手ぶらの侍女が、主人のいない部屋……ニリスの私室から出てくるのは、問題だった。
姿が見えなくてもある程度近付くと悪寒が走るので、どんなときでもニリスの接近に気付くアイヴィー。




