10 聖人の子は聖人か?
『おかしいと思っていたのよ。悪評ある侯爵家だとしても、男爵家から嫁を取るなんて』
複数の侍女によって鏡台に導かれて身支度を調えられているクインティーナの後ろ。頭より少し高い位置で、顎に手を当てたアイヴィーが浮遊する。
侍女達がいるので振り返る事はできないが、アイヴィーの姿は鏡に映っていた。
鏡とは不思議なもので、普段見えていない人にも鏡を介せば彷徨う魂が見える時がある。それも一瞬で、目を凝らせば消えてしまう儚いものだ。
気の所為として処理されがちなその現象に、クインティーナはいつもハラハラしている。
そんな事知らないアイヴィーは、鏡越しに身振り手振りしながら持論を語り続けている。興奮しているのか、普段青白い頬が薔薇色だ。
『悪い噂があっても、侯爵家に娘を高く売りたい身分だけは高い貴族だってまだいるはず。それにあの外見だから、コロッと惚れちゃう娘は結構居たのよ。居たわよ私の時も、羨ましいですーって本気で言うご令嬢。妻殺し疑惑がなければ、旦那様ってアンニュイな美青年だもの仕方がないわ。でも見ればわかるけれど遊び歩く暇も無いくらい忙しいの。過労死が心配になるくらい』
残念ながらクインティーナは、ニリスの姿をあれ以来見ていない。
なので、彼がどう過ごしているのかわからない。
わからないが、侯爵家の中なら壁を通り抜けてどこへでも行けるアイヴィーが言うのだからそうなのだろう。
それにしても。
(かろうしって何でしょう?)
知らない言葉が出てきたが、問う事はできない。
侍女達に髪を梳き化粧を施されている手前、首を傾げる事もできなかった
『そう、ライコア侯爵家は地位も権威も財力もある。社会的信頼はちょっと危ういけれど、教会からも王室からも子供を期待されている。どちらもが、侯爵家の血筋に期待しているの』
男爵は貴族だが、貴族としての地位は一番下だ。
本来なら、血筋に拘る彼らは絶対選ばない。
それでも選ばれたなら、理由がある。
クインティーナは彼らがなりふり構っていられなくなったのかと思っていたが、アイヴィーはずっと引っかかっていたらしい。
『ペルデュラン男爵家から、過去に聖人がいたなら話は別よ』
聖人の親は聖人ではない。
しかし聖人の血筋から、また聖人が生まれるかもしれない。
『周囲は旦那様に何としても聖人の血筋を残して貰いたい。でも悉く失敗して、不吉な噂が広まっている。だから五人目に、役立たずとか気になる単語はあったけれど、聖人の系譜を持つペルデュラン男爵家を選んだ』
未婚の娘がいたから丁度良いと思ったのだろう。
もしかしたら教会的には恩着せがましく、汚名返上の機会を与えたつもりかもしれないとアイヴィーは唸った。
『むかつく事にペルデュラン男爵家から聖人が生まれているから、教会側の血筋がどうのって主張、まかり通るのよ……遺伝かなー』
(ミラノス様が、私と同じ聖人……)
ミラノスは気付いていたらしいが、クインティーナは全く気付いていなかった。
クインティーナは、ペルデュラン男爵家の長女テレーザの傍で姉妹のように育った。
必然的に、テレーザの兄であるオクトスとミラノスとも親しくさせて貰った。
お転婆なテレーザと一緒に走り回ったのが長兄オクトスで、二人に振り回されていたのが次兄ミラノスだ。
行動的な二人と違い内向的だったミラノスは、二人に捕まらないよう部屋に引きこもって書物を読んでいた。
そんな彼を心配してオクトスとテレーザはミラノスを部屋から引きずり出す算段を立てていたが、あれは完全にありがた迷惑だっただろう。
察してはいたが、大好きな二人が楽しそうだったので、クインティーナは何も言えなかった。引きずり出されては恨めしそうな顔をするミラノスに、いつも苦笑で応えていた。
そんな彼はいつも、外は怖いと言っていた。
内向的だから、人見知りしているだけだと思っていた。
今思えば、彷徨える魂がどこにいるかわからず恐ろしくて部屋に籠もっていたのかもしれない。
クインティーナも、お遣いで屋敷を出る時はいつも緊張した。
そんな彼らだが、兄弟仲は悪くない。
オクトスはミラノスが本当に嫌がれば手を出さなかったし、ミラノスは自分でできない事はちゃんと兄に頼れる弟だった。テレーザも、ミラノス兄様はわたくしより弱いと言いながら、頭を使う時はもっぱらミラノスを頼っていた。
だから、テレーザが逃げる時、兄達に協力を仰いで兄達もそれを受け入れた。
ミラノスが計画して、オクトスが人脈を駆使して、テレーザが逃げる時間をクインティーナが工作して……。
彼らがテレーザを逃がす不在の間に、クインティーナはテレーザの身代わりにされた。
(オクトス様……)
思い出すのは、泥だらけの闊達な笑顔。
領地の畑仕事に参加して、綺麗な服を汚しては怒られていた。侍女頭に気付かれる前に、クインティーナが洗濯した事もある。
そしてこっそりと手渡された白い花。小さな花の束がニンジンの花だと知った時は、思わず笑ってしまった。
明るくて気易いのに、どっしり構えて頼りになる人。
クインティーナにとって、烏滸がましくも焦がれてしまった、憧れの人。
テレーザの代わりに嫁いだからには、もう二度と会う事もないと思っていたのに。
ところがどっこい、オクトスがクインティーナの為に、危険を冒してまで様子を窺いに来てくれた。
手紙を出して様子伺いをする暇さえ惜しみ、少しでも様子を知りたくて。
貴族としては失格だ。
でもクインティーナは、花畑に柔らかく放り出されたような心地になった。
顔が緩みそうになって、ピクリと頬が揺れる。
幸いにも化粧は終わっていたので、侍女に不審に思われる事はなかった。
『クインティーナ? 聞いている?』
しかしアイヴィーには不審に思われた。
クインティーナは鏡を見て、ニコッと笑った。
ちょっとばかし花がこぼれたかもしれない。
『……まあともかく、教会や王室がペルデュラン男爵家の血筋を望んで今回の婚姻を進めたのなら、あなたが養子だと判明すれば教会側は離婚をすんなり認めてくれそうって事よ。勿論罰則はあるでしょうけれど、それはペルデュラン男爵家が負う責よね。あの兄弟の様子からして、なんとかするでしょう』
男爵様は、いい人だが少々気が弱い。妻を亡くしてから更に老け込んで、神経質になったように感じていた。
教会と王室の圧に耐えかねて暴挙に出てしまったのだろう。
クインティーナはそう思っている。
『で、何回考えても問題は旦那様。さっぱりわからないのが旦那様の四人の妻殺害動機よ』
結局一番警戒するのは、いつ牙を剥くかわからないニリスの存在だ。
彼が何を考え、何を目的としているのかによって、クインティーナの命運は決まる。
『情報は力……逃げた後の為にも、旦那様の事をしっかり調べておかないとダメね……うう、わかっているけれど気が乗らない』
クインティーナは思わず目を丸くした。化粧が終わっていたので、侍女達に気付かれる事はなかったが、驚いた。
愛らしい顔をしわくちゃにして、アイヴィーがとっても嫌そうな顔をしている。
嫌そうにしながらも、侍女の先導で立ち上がり朝食の席に向かうクインティーナの後ろを、ちゃんと付いて来ていた。
ついてきているが、小さく唸っている。
とっても苦悩していた。
それだけ、ニリスに近付きたくないようだ。
(それは……そうですよね。彼女にとって、侯爵様は自分を殺した相手ですし)
とても元気で明るく振る舞ってくれるので助かるが、アイヴィーは死者。それも夫に殺された妻だ。
幽体だから近付いても気付かれないとはいえ、その夫に近付くのは、きっと負担だろう。
(私にも、何か手伝える事があればよいのですが)
侯爵夫人の立ち振る舞いに細心の注意を払いながら考える。
使用人達から過剰なほど見張られている中で、相手を刺激する事なく何ができるだろう。
今まさに朝食に毒が入っていないかチェックしてくれている、クインティーナにしか見えない頼もしいボディガードの為にできる事は、なんだろう。
顔を上げたアイヴィーは、クインティーナに向かってにっこり笑った。
――本当は、寝台に立てこもりたいくらい怖い。今夜にでも抜け出して、オクトスに逢いに行きたい。
でも味方だと笑いかけてくれるアイヴィーがいるから、クインティーナは穏やかでいられる。
(今の私にできるのは……平民だとバレない努力、くらいです)
最終的にバレた方がいいとは言っても、今ではない。タイミングがズレたら、何が起きるかわからない。
動作一つのミスが命取り。
クインティーナは小さく深呼吸をして、優雅な動作でナイフとフォークを手に取った。
クインティーナも常に綱渡り状態。
時にBGMとなるアイヴィーの語りに癒されている。




