109 ひらひ、ひらりと
(もしかしなくてもこれが幽霊に同情したら取り憑かれるって奴かなー!?)
絡んだ腕を引っ張るがびくともしない。握ったときはひんやりした人間の感触だと思っていたのに、いつの間にかビニール紐のようにピンと張って抜け出せない。
(意思疎通できるから油断したなぁー! できるからこそ警戒しなくちゃいけなかったのになぁー!)
抜け出そうにもすり抜けない。
死後ひたすらすり抜け続けていたアイヴィーは、久しぶりの抵抗、反発にちょっとだけ懐かしくなった。それどころじゃないのだが。
『……こういうことが起きるから、言動に気を付けろ』
『おおう……!?』
とか思っていたら解放された。
アイヴィーの半身まで覆っていた指が、するすると解かれていく。
『え……私ってそうなの? 本当にそういう感じの寄せ付ける言動している……!?』
『している』
『迷いない断言!』
死んでからそんな事言われるとは。
頭を抱えるアイヴィーに、長い手足を丸めた魂は棚の後ろでくるりと回った。
『お前、魂を食う魂に会ったか?』
『え、あれ周知されているの? 会ったけれど……』
『魂が魂を捕食するのは、足りない部分を補うためだ。忘れた部分を補おうとするモノと、完璧になれば昇れると思っているモノで、捕食は行われる』
『ねえそれって情報源どこ? 魂になったら自然と理解するの? 私全然なのだけれど?』
浮き上がったアイヴィーは、くるくると棚の周りを回り出す。一応距離をとっているが、警戒心は相変わらずザルだった。
『自然と理解する。私は足りないとも、完璧を目指そうとも思えなかった。ただ、家に帰りたかったからここにいる』
教会で、聖人として死んだ魂は、ペルデュラン男爵家の……男爵の部屋で、邪魔にならないよう縮こまっていた。
『どちらも、求めれば求めるだけ重くなる。食うのだから当然だ。人は肉体の重さで大地に縛られるのだから、重さが増せば天に昇れなくなる。それがわかっていても、足りない部分が寂しくて、完璧になりたくて、魂は魂を喰らう。いつしか、天に昇ることよりも、そちらが目的になる』
ゆらゆらと、魂が揺れる。ぐるぐる回っていたアイヴィーは一人かごめかごめをしている気分になって回るのをやめた。止まった位置が丁度相手の背中(だと思われる)部分だったので、そっと横にずれる。
『お前は、そのどちらにもご馳走だ』
『なんで?』
『眩しくて美味そうだから』
『眩しくて美味そう!?』
初めてのワードにアイヴィーは飛び上がった。久しぶりに天井を突き破りそうになり、急ブレーキをかける。
『え、あ、じゃあ私が今まであれに追いかけ回されたのって美味しそうだったから!?』
『因縁がなければそうだろう』
『因縁あるようでない気がするけれどあるのかなー!?』
というかニリスの姉、プリマが成仏していたのなら、ニリスに取り憑いていたのは歴代の妻達で間違いないのだろうか。
生前はその妻達がどうしていたのかさっぱりなので、因縁はわからない。
『だがお前は、眩しい』
『美味しそうな要素なのにだがってつくのなんで……?』
『眩しくて、食べられない。腹が裂けそうだ』
『サケソーダ!?』
美味しそうなのにとんだ劇物だった。毒じゃねーか。
『だから、堕として薄めないと、食べられない』
『……』
その言葉に、アイヴィーはスンッと冷静になった。
『……オチロってそういう意味……?』
そして思い返せばなんかこう、怒りが天蓋突破しそうになった時などに襲われていた気がする。
怒りや憎しみは、負の感情に分類される。恐らくそれが関係していたのだろう。
『私って、怒ったりするとオチルの?』
『魂は、総じてそうだ』
そうなんだ。
魂本人の断言に、アイヴィーは心底納得した。
自分も幽霊だが、規格外らしいので。
『蓄積されていくはずが、お前はすぐ晴れる。だから落ちない。軽いから』
やっぱり規格外だった。
『私そんな軽いかなー!?』
『軽い』
『淡々と断言されるとさすがにクルものがあるのですが!?』
アイヴィーは改めて魂を見た。やけにアイヴィーの深い部分を知った風に語るが、この魂とはここ数分の付き合いだ。
『あなたが聖人なのはわかったけれど、やけにたくさん教えてくれるのはなんで? 私の事もよくわかっているみたいだし、魂全員があなたみたいではないでしょ? あなたも何か、特別な部分があるの?』
『ない』
『ええ……魂みんなこんななの……? ミラノス達から聞いていたのと話が違う……』
『ない。ただ、長老と同じ。長い時間そうだったから、少しずつ知っただけ』
そう言って、ゆらゆら揺れていた魂は、ピタリと動きを止めた。
『だからこれは、餞別』
『……餞別?』
『私が知っていること、教えたのは、餞別』
その瞬間。
ぼろりと、折り畳んでいた魂の爪先が崩壊した。
『なんで!?』
突然の崩壊に、アイヴィーは慌てて魂に手を伸ばした。
『お前、私の手、握った』
『思い返せばあなた話し方どんどん辿々しくなってたね!? ……え、私が手を握ると崩壊するの!?』
慌てて伸ばした手を慌てて引っ込める。引っ込めた手に、再び長い指先が絡んだ。
『……寂しかった。ずっと一人は寂しかった』
『認めて欲しかった。だが穢れてしまった私は、聖人にも恐れられて、目も合わない』
『触れて欲しかった。それだけだった』
『それが果たされたから……モウイイ』
『モウサミシクナイ』
足元からボロボロと黒い部分が崩壊して、残ったのは、アイヴィーの手元に絡んでいた指先に残った、仄かに光る蝶のような小さな光。
ひらひらと頼りない動きで上昇した光は、小さすぎてあっという間に見えなくなる。
あっという間の、さよならだった。
『……え、あれ? 今の、つまり?』
ぐるっと部屋を見渡して確認したアイヴィーは、叫んだ。
『ミラノスー!!』
アイヴィー『いや私のことわかったように言うのに長老関係なくない!? 私そんなに軽いかな!?』




