108 昇る昇らぬの分岐点
――ペルデュラン男爵家の聖人。
その昔、聖人ともて囃され、役目を果たすもけれど結果が伴わず、民衆の怒りを一身に浴びることになった存在。
今回ペルデュラン男爵が今回の騒動に関わることになった要因の一つ。
自らそう名乗った魂を、アイヴィーはじっと見上げた。
『……つまり、聖人はやっぱり、ただの人間なんだね』
『……お前は、私が役立たずの偽物だから、天に昇れなかったとは思わなかったのか?』
『思わないかなー……あなたたちは、他の人達よりも、ちょっと目が良かっただけだもの』
むしろ納得した。
ミラノスもクインティーナも、特別な力が使えるわけではない。見えるだけの人間だ。
聖人と神が近い存在と言われているのは、聖人に魂が見えるから。生きている人間が勝手にそう思っていただけで、聖人に特別な能力はない。
(むしろ、生贄にするためのこじつけにしか聞こえない)
この世界は、死を不幸なものと思っていない。
別れは辛いが、死とは、神からの試練を終えて肉体から解放される神からの許しだ。
自ら命を絶つのは試練から逃げたことになり、他者の命を奪うのは他者の試練を邪魔した扱いになる。殺された魂はすぐ天に昇られないと考えられているので、殺人は罪である。
だから、生贄のような制度が生まれるのはおかしい。
(神に近い存在って言うなら、それこそお祈りだけで良かった。それを飛び越えて神への伝言役になるなんて、本当に尊いと思っているなら段階すっ飛ばしているわよ。ああ言うのってまず穀物とか、神への貢ぎ物から入らない?)
アイヴィーが知らないだけで歴史があるかもしれないが、いきなり人命を捧げるのはおかしい。
――結局、自分達に見えないものを見る聖人を、敬いながらも人は恐れていたのだろう。
でなければ、聖人と判明した瞬間から目隠しなどさせない。
(そう、でなければ、平気で尊厳を踏み躙らない)
ニリスが語った彼の姉の話を思い出し、アイヴィーは小さく嘆息した。
『私は、そうは思えなかった。天へ昇れない私は、神官や民衆が言うように、役立たずで……偽物だったからではないかと、ずっと思っていた』
『でもあなた、生前から魂が見えていたんでしょ?』
『見えていた。嘘はついていない。それでも私は聖人として、役立たずだ――だってあの聖人は、天へ昇っていた』
『え、他の聖人?』
『私は死んでからも、他の魂のあり方が見える。行き先が見える』
そう言って、青い目が遠くを眺める。
壁を突き抜け、距離を超え、遠くの魂を眺めているようだった。
『数年前、聖人が役目を果たした。彼女は真っ直ぐ天へ昇った。未練などなく、晴れ晴れとした顔だった』
数年前。
そう表現できる直近の聖人は一人しかいない。
アイヴィーの脳裏に、ニリスの姉、プリマの存在が浮かんだ。
(旦那様のお姉さんって……ガチで聖人として生きたんだなぁ……)
だからなんの疑問も抱かず、死後も迷わなかった。
両親の今後も、弟の孤独も、まったく省みることなく天へ昇れた。
未練のない人間ほど天へ昇る、というのは本当だったのだろう。
そこだけ聞けば、前世でだって納得できる。未練があるから成仏できないとはよく聞く話だ。
――つまり、天へ昇れる条件に、聖人も何も関係なかった。
未練の少ない人ほどすぐ昇れる。それだけの話だった。
(……つまり私も未練たらたらってこと?)
そう思ったが違う気もした。
だってアイヴィーはあの瞬間、全て諦めた。
抵抗して、生き抜くのも諦めた――未練など、ない。
(じゃあなんで?)
結局アイヴィーには謎が残る。
より深く答えを探ろうとしたが、その前にもぞりと魂が動いた。
『私は死を恐れた。役目を拒否した。だから天に昇れず、役目も果たせなかった……偽物と罵られても仕方がない』
それは人として当然の感情だが、この世界で……聖人としては、信仰心が足りない。神への忠誠心が足りないと言われる。
聖人として教会に認められ、役目を果たすまで尊ばれていたのなら、言い方は悪いが、死後その通りに逝けなかった事実は魂を酷く傷つけたのだろう。
『私はそう思わないけれど……そう信じて生きてきたなら、辛かったでしょうね』
アイヴィーの言葉に、くしゃりと青い目が歪む。
その様子はなんとなく、嫌そうな顔をするミラノスと似ていた。
『それだ……お前はそれが良くない』
『それってどれ?』
『寄り添い、理解し、同調する。したような言動をする』
ふと、アイヴィーは繋がったままの手に視線を落とした。
いつの間にか、細長い指がぐねぐねと折れ曲がってアイヴィーの手を覆っている。紐でぐるぐる巻きにされたみたいになっていた。
いつの間に。
『お前は、眩しい』
他の指が、アイヴィーの腕に絡まる。
『それなのに、近い』
ざわざわと手の平を、手首を、腕を這い上っていく。
『だから……一緒にいてくれるのではと、思ってしまう』
あっという間に五本の指が、アイヴィーの半身を固定していた。
(指の関節完全に無視!)
間違いなく、そんな事気にしている暇ではない。
アイヴィー『五指が伸びてバラバラに動く敵キャラとかいたよねー!! って思っちゃったけどさすがに黙るね!!』




