104 魂の記憶は留まらない
(これは夢)
……青い炎が燃える。異臭を嗅ぎ取った瞬間、肺が苦しくなり藻掻くように地面に倒れた。すぐ傍にいた男性も口を、喉を押さえて倒れ込む。
最初は小さな火だった。ボヤ騒ぎですぐ消せる程度の火。けれど部屋を満たす煙が、廊下に漏れていく煙が、一人、また一人と命を刈り取っていく。
火はどんどん範囲を広げていった。青ではなく赤い炎が広がってゆく。しかし不幸なことに、その部屋にはまだ青い炎の原料が眠っていた。
彼らのいた執事長室。そこには地下から採取した毒が、振り分けるために小分けにされていた。
(これは夢)
その毒に、赤い炎が引火して、青く染まる。
青い炎から白い煙が立ち上り、侯爵家は火に気付く前に、煙で死者を増やしていく。
侯爵家の使用人達は、火が屋敷を包む頃には、煙で誰もが動けなくなっていた。
煙に含まれる毒素で、逃げる間もなく死んでいく。
気付けば、その煙に体が巻き上げられていた。
地上から足が離れる恐怖に必死に藻掻いた。藻掻いて藻掻いて……煙の向こう側に、光を見る。
(これは、夢)
光だった。
必死に手を伸ばした。
その光の名を私は知っていた。
(これ、は)
アタシは、知っていた。
『アイヴィー様……!』
光が、アイヴィーが手を伸ばしてくれる。アタシの手を取ろうと近付いてくる。だけど……届かないとわかっていた。
それでも手を伸ばし続ける。届かないとわかっていても、手を伸ばし続けた。
届かないとわかっていた。
だってアタシは、マイナは、
――ヒトゴロシダカラ――
ごうっと風が強くなり、マイナの魂は天へと吹き上げられる。
煙に乗って天高く舞い上がり、マイナは悲鳴を上げた。
だってわかっている。煙に巻き上げられた魂達は、自分がどうなるのか本能で知っていた。自分の罪を知っている魂達は、そうなるとわかっていた。
煙に乗って高く飛んだ魂は……煙が薄れた瞬間、地面へと真っ逆さまに落ちていく。
悲鳴が上がる。
悲鳴を上げる。
煙に乗ったときは軽かった魂は、煙から外れた途端に重量を増して地面へと墜落していく。
怖い。
嫌だ。
大地は怖い。
大地は無だ。
全てを呑み込む、大地は怖い……!
風圧で、肉が削げ落ちていく気がした。魂なのに、肉体があるかのように重かった。その肉がバラバラにちぎれていくのに、重さは増して行くばかりだった。
罪深き魂達が大地に叩き付けられる。
肉体などないはずなのに、肉体が損傷する激しい痛みが魂を突き抜ける。
骨が曲がり、体がひしゃげ、生前の面影などどこにもなくっていた。
『アァア……ヴヴヴ……!』
唸り声を上げて、大地を這いずる。煙に乗って飛ばされた魂達は、まったく知らない場所にいた。
いいや、地面しか見えないから、どこにいるのかわからない。
近いのか遠いのか、それさえもわからない。
わからない。
なにも。
行きたい場所があるのに、何処に行けばいいのかわからない。
自分が何者かも、何を求めていたのかも。
削げ落ちた肉と一緒に落としてしまった。
足りない。
自分が足りない。
『ア――――ッ!!』
悲痛な声は悍ましいノイズに満ちている。
大地を引っ掻きながら、這いずりながら、それでも魂はそれぞれの場所を目指して進んだ。
何を求めているかもわからないのに、何かを目指して這いずった。
――だから、この世界では、遺体を燃やしてはならないのだ。
余程の罪人でもない限り、燃やしてはならない。
『アィヴィ……ァア――――ッ!』
こんなにも悍ましい魂を、生んでしまうから。
ぱち、とクインティーナは目を開けた。
夜明けと同時、使用人らしい起床時間だった。
二度寝と無縁な彼女はそのまま身を起こし……悲痛な悲鳴が耳に残っている気がして、不思議そうに耳を押さえた。
「なんだか、恐ろしい夢を見た、ような……?」
――夢の記憶を、彼女は持たない。
だって所詮、夢だから。
大地を彷徨う魂となった誰かの記憶など、何一つ残っていなかった。
通りすがりの残留思念。
予想した方いましたね。正解です。落ちてきましたよ!




