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ナノライト  作者: かざぐるま
第七章 Only Two Remain.
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第六十五話 lesser

 



 古い我が家から帰った後すぐ、俺は泥の様に眠った。

 次に目を覚ましたのは翌日の夕方。半日寝たことになる。

 そこから身支度をし、褐礫を訪れたのが数時間前の話。

 ベイドが最後に言い残した言葉が引っ掛かっていたのだ。

 『リエルに会ってやってくれ』なんて普段なら言わない。

 兄ちゃんの様子も変だったし、彼女に何かが在ったと考えるのが普通だった。


 …そうして俺は、遠征隊が辿った壮絶な物語を知る。


「――以上が、俺の知っている情報だ。質問は?」

「今、リエルさんはどこに? 精神状態の方は?」

「この街に居る筈だ。心の方は…ちと不安だな。

 ヒシ、お前にも会いたがってたぞ。顔出してやれよな。」

「…はい、お話ありがとうございました。」


 沼の底にまで沈み込んだ気持ちを何とか取り繕い、

 ベイドの執務室を出ると、俺は褐礫本部を後にした。

 取り敢えず今日はもう、一回自分の家に帰ろっかな。


 …あぁ勿論、帰り際にユエの店へ寄ってから。




 ---




 新居へ入り、扉の鍵を掛け、荷物を机の上に放り投げ。

 風呂も食事も着替えも後回しにし、ベッドへと跳び込む。

 枕に顔を埋めること数秒、体を動かして仰向けになった。


「……はあぁぁぁ………、」


 深く、深く。溜息を吐く。感情を整理する為だ。

 時系列を整理しよう。遠征隊が発ったのは二週間前。

 ダストアグでの事件が起こり、リエルが救助されたのはちょうど六日前。


 俺が二週間の旅を終えて帰宅したのは、昨日。


 つまりどう頑張っても彼女達の救援には向かえなかった。


 …そのことが、俺はどうしようも無く悔しい。


 俺とて、生温い旅をして来たつもりは無い。

 切っ掛けとなったのがオミナスの依頼だとは云え、

 ライを保護し、ビトラスを連れ出し、巨人(ギガース)を退けたのだ。

 滅多に経験することの無い、濃い旅路だったと言える。


 だが、リエルに降り掛かったのはもっと辛い災難だ。


 俺が居れば全てが上手く行ったなどとほざく気は無い。

 シロン、フヅキ、ミドル、タドクが加わっていた上で、

 それでも遠征隊には壊滅的な被害が齎されたのだ。

 誰もが死ぬ気で最善を尽くした結果がこれだったのだ。


 けれど、何か一つだけでも変えられたかも知れない。

 誰か一人だけでも死に逝く命を救い出せたかも知れない。

 もしも俺が関われれば…。そう考えてしまうのは、浅はかな自惚れだろうか。


「……………。」


 改めて自分の行動を思い返すと、反省だらけだ。

 俺は昨日、ヒルズとメルの花屋でタドクについて話した。

 あの二人はタドクが亡くなった事を知っていた筈なのに。

 俺なんかよりも、ずっとずっと悲しんだことだろうに。

 俺は、俺は…。まだ何も知らなかった、間抜けな俺は。

 あの時、二人にきっと酷く不道徳なことをしてしまった。

 タドクを悔やむ言葉一つ言わずに、最近の彼の様子を話題に盛り上がって…。


 相当に気を遣わせた。傷付けてしまったかも知れない。

 明日中に謝りに行こう。タドクとリエル用に花も買って。


 …俺は、リエルにどんな顔をして会えば良いのだろうか。

 どんな言葉を、彼女へ掛けて上げたら良いのだろうか。

 誰にも何も言わずに独りで旅へ出てしまった俺に対して、

 彼女は怒っているだろうか。或いは呆れているだろうか。

 何で私を助けてくれなかったのと、泣いているだろうか。

 明日会いに行くとして、リエルは本当に、こんな放浪野郎の顔を見たいのか…?



「こんばんはー、」



 バッと、全ての思考を断ち切り上体を起き上がらせる。

 こんな時間に来客?予定は無い。あったとして昼だろう。

 そもそも、俺が此の家に引っ越したことを知っている人物など限られて来る。


 などと考えている間に、二度目のノックが鳴った。


「はいっ、はい! 今出ます! 少し待ってください!!」


 兎に角着替えを…と思い、普段着であることを思い出す。

 皺の付いた服を一通り整え、鍵を回して玄関を開けると…


「…っ…、リエルさん、こんばんは。」

「ごめんね、夜遅くに。話したいなって思っちゃって。」

「よく俺が街に帰って来てるって分かりましたね。」

「うん、なんとなくねー。……くしゅんっ…、」

「外寒いですね。とりあえず上がってください。」

「お言葉に甘えて……お邪魔します…。」

『 Pyuii♪ 』


 恐る恐るといった様子で、リエルは家の中に入って来た。

 彼女の腕には、着替え一式とキュペが抱えられている。

 正直、俺は困っている…彼女のことを考えていた矢先だ。

 どういうことを話せば良いのか。何から訊くべきなのか、判断が付かない。


「…あの、ヒシさん、風呂をいただいても…。」

「あ、了解です。すぐ沸かすので待っててください。」

「ありがと~、本当に今凍えちゃいそうで…。」


 リエルは、いつも通りだ。本当に普段と変わらない。

 ならば、俺も変な気を遣うべきでは無いのかも知れない。

 …取り敢えず、彼女が風呂に入っている隙に料理だな。



 ◇



「ヒシさーん、あがったよー。」

「あ、じゃあ火の世話だけ任せてもいいですか?」

「分かった! どれくらいの火加減?」

「沸騰したら止める感じで。俺も風呂行ってきます。」

「はーい。」



 ◇



 有り合わせの食材で作った夕飯だがリエルは喜んでいた。

 あれだけ褒めてくれれば料理人冥利に尽きるという物だ。

 少し出掛けていた様子のリフィもつい先程帰って来て、

 これでようやく総員が集合したと云った感じだろうか。

 …キュペは鼻提灯を作りながらソファの上で寝ているが。


「疲れてたんですかね。」

「うん、いつもこの時間に寝ちゃうんだー。

 眷属だから本当は睡眠も必要無いらしいけどね。」

「脳を休めるって意味では大切ですよ。」

「ヒシさんは、寝ないと体治んないんだっけ?」

「重症の時だけですけどね、ある程度は大丈夫です。」

「前から気になってたんだけど、どこまで治るの?」

龍人(スケイル)には心臓までイかれたので…。」

「うひゃ~。それでも生きるって頑丈だねー。」

「えぇ、この体質も母由来の物らしいです。」

「ん、それは最近わかったの?」

「なんなら昨日ですね。」

「あ、じゃあ! ここ二週間の話、聞かせて!」

「いいですけど、長くなっちゃいますよ?」

「だいじょぶ、夜はまだ長いよ!」

「…なら、色々話しましょうか。」


 帰らなくて良いのか、とは訊かなかった。

 それを言ってしまえば、彼女が悲しむと思ったから。

 一緒に居て気が紛らわせるのなら、俺は拒まなくて良い。



 ◇



「ってな感じで、母さんに会って来ました。」

「凄いね、そんな昔なのに家の場所も覚えてたんだ。」

「…えぇ、まあ。帰巣本能ですかね?」

「ふふっ、またそんな動物みたいな言い方して。」

「似たような物なので。…あ、幾つか本ありますよ。」

「本? あ、でも…私あんまり難しいの読めないよ?」

「大丈夫です、子供向けの易しい本なので。読みます?」

「じゃあ読んでみよっかなー。」

「どれか好きなの選んでいいですよ。」

「どうしよ。…そういえば、これ全部作者名無いけど、」

「母さんの手描きです。」

「えぇ!? この完成度で…?」

「俺もびっくりでした。本、決まりました?」

「うーん、じゃあこれかな!」


 ニコリと笑う彼女の表情に、陰りは見られなかった。

 特に自分の身に起こったことを話すつもりも無さそうだ。

 過去はもう乗り越えたのだろう。わざわざ俺の方から傷口を抉る必要は無いか。



 ◇



「、おもしろかったぁ!」

「この話は俺もお気に入りです。」

「ねー。子供向けって言っても、全然楽しめた!」

「良かったです。…もう、こんな時間ですね。」

「え、ほんとだ。楽しいと時間忘れちゃうな。」

「ほんとですね…。」

「……………。」

「……………。」


 時刻は零時の少し前、もう深夜も深夜だ。

 気まずい沈黙。…流石に帰れとは言えないだろう。


「今日はもう泊まって行きますか?」

「ぇ、いいの? …ちょっと期待してたけど。」

「どうぞ、ベッド使ってください。俺は布団敷きます。」

「……ヒシさん、ほんと優しいねー。」

「流石に、客人を床で寝かせる訳にもいきませんしね。」

「…そっかぁ、…うん。じゃあ、ヒシさん。おやすみ。」

「はい、おやすみなさい。電気消しますね。」


 自室にリエルを寝かせ、俺はリビングで眠りに就く。

 理性だ、大切なのは自制心。無害で安全な男になろう。

 本番は明日だ。今気持ちを急かせても碌な事にならない。

 …そんなことを考えていたら気付けば意識が落ちていた。




 ---




 …ヒシさんは、本当に優しい。

 結局私には何も訊かないし、何も言わなかった。

 多分私からその件について話すのを待っていたのだろう。

 相手を傷付けぬ様に、けれどもその意図を悟らせぬ様に。

 自然な流れで会話を繋いでくれる、他人に対する配慮の塊みたいな人だ。


 男女で一泊だっていうのに、手も出して来ないし。

 もうちょっとだけ積極的な性格でも良かったのにな。

 …なんてね。そんな人だったら多分私は惚れてないし。

 誰も傷付けないことを望む彼だからこそ好きなのだ。

 最後に…最期に。会えて、話せて、触れられて、本当に良かったな。


「……………。」


 彼の額から手を離し、羽織って来ていた外套を纏い、

 出来るだけ音を抑えて鍵を捻り、扉を開けて、外に出る。



 じゃあ、行こうか。



 ◇



 昔から、正確にはお兄ちゃんが死んでから、考えてた。

 誰にも知られず、誰にも迷惑を掛けず、死にたいって。

 痛みも苦しみも無い最期を迎えられたら良いなって。


 欲を言うなら、私はただ消えて無くなりたかった。

 水面上の泡が消えるみたいに、ただその場から消えたい。

 最初からリエルという少女が居なかった事にして欲しい。

 そうしたら、どれだけ楽なのかなって、思ってたんだ。


 ユルドースの実家で暮らすことは苦痛でしか無かった。

 お兄ちゃんが死んでから、あの人達は変わってしまった。

 私を縛り付けて抑え込んで、何処にも行かない様にして。

 私に清く正しく幸せな将来を歩ませようと必死になっていたんだろう。


 …そんなこと、私は望んでも無いのに。


 家を逃げ出してに游蕩士になった後は比較的幸せだった。

 此の職業には、絶対で不変の自由が約束されていたから。

 けど、やっぱり周りには才能に溢れた人ばかりだった。

 努力を怠らない、真面目で誠実な人達と逢えてしまった。

 だから自分のことが酷く汚く見えるのだ。酷く劣った落ちこぼれに見えるのだ。


 私なんかが此処に居て良いのかと、心を苛まれるのだ。


「……どこまで来ちゃったんだろ。」


 当ても無く歩いて辿り着いた場所は、森の中だった。

 オブベック山でもスイサルデウス山脈でも無い筈だ。

 多分、特別な名前も持たない小さな山の端っこだろう。

 ちょっと先からは水音が聞こえた。小川、いや…滝だな。


「そもそも、何しに来たんだっけ。」


 十一月下旬、外気が冷たくない訳も無かった。

 羽織りでは誤魔化し切れないレベルで身体が冷えている。

 ヒシさんの家で寝ていればこんな寒さ感じなかったのに。

 ただ幸せな温もりに包まれて、明日へ向けて寝れたのに。


「…なんで私、生きてるんだっけ。」


 明日? 予定など何も無い。理由も目的もゼロだ。

 明日を迎えたその後はどうなる? また明日が来るのか?

 じゃあその後は? その次もその次も惰性で生きるのか?


 才能も努力も意志も持っていない、私が?

 自分独りでは何一つ成し遂げられない、私が?

 百人近くの人間を踏み台にして生き残った、私が?

 ヒシさんを追い掛けて寄り縋っているだけの、私が?


「…………ぁっ……、」


 ――ふと、自分の身体が宙に浮いた気がした。


 多分、気の所為では無いのだろう。真下に地面は無い。

 足を踏み外したんだなと、ゆっくりな世界の中で悟った。

 すぐ隣には大きな滝が視える、その下には立派な滝壺が。

 あそこに着水出来れば、死ぬことは無いのかな…。


 …………。


 ……………。


 ………………。



「………別に、()()()()()()()。」



 ………………。


 ……………。


 …………。



     「っし…、間に合った…。」



 ――――。


 ――――――。


 ―――――――。



 気付けば、私の身体は空中で固定されていた。

 一瞬夢かと思ったが、聞こえた溜息は現実の物だ。

 黄髪で金瞳の彼は、崖の窪みに長剣を突き刺していて、

 その柄を片手で握りながら、もう片方で私を抱いている。

 こんな場所に居る筈が無い、居てはならない、最愛の人。


「…ヒシさん……なんで……」


 思わず洩れ出た己の声に、自分自身で驚く。

 これではまるで来て欲しく無かったみたいじゃないか。

 この命の恩人を拒絶してしまっているみたいじゃないか。

 そんな訳無いのに。けれど、訂正の言葉は出て来ない。

 …私の呟きを受けたヒシさんは、特にそのことを気にしていない様子だった。


「あの、リエルさん、ちょっと、あ、あのですね。」


 むしろ、どうしようも無く切羽詰まっている状況だ。

 顔は若干の紅潮を見せ、肩や頬が小刻みに震えている。

 やがて意を決した様に私へ向かって軽く微笑むと…


「…落ちるので、覚悟の方を…。」


 そう忠告して、剣を掴んでいた方の手をパッと離した。

 私達二人を支えていたのは彼の右手だ。それが消えれば…



 ……私達はお互いにお互いを抱き締めながら湖へ落ちた。




 ---




 パキパキと、焚き木の燃える小気味良い音が響いている。

 薪を追加し『光』で火力を調整するヒシは反省顔だった。


「ごめんなさい…俺の筋肉が弱すぎたみたいです…。」


 下着姿の彼が話し掛けるのは、似た格好のリエルだ。

 とても真冬の山中には相応しいと思えぬ容姿だが、

 頭から爪先まで水浸しになればそうも言っていられない。


「最近鍛えてるのでいけるかなって思ったんですけど…。」


 確かに、上裸のヒシは健康そうな腹筋を見せている。

 ヒョロガリと罵られていた八ヶ月前とは大違いだった。

 それでも、片手で同年代女子は支えきれなかった様だが。


「…怒ってます?」

「……うぅん、最初は私の不注意だったしね。」


 一切の返事が無いリエルを気遣いヒシが訊いてみるが、

 首を横に振った彼女は暗い表情のまま否定の意を示した。


「そっちではなくて…。自殺を、止めてしまった事を。」


 だが、ヒシは更に一段階踏み込んだ質問を投げ掛けた。

 焚き木の傍で身を丸めていたリエルは下を向いたまま、


「…わかんない。…もう、何もわかんないの…、」


 悲嘆に暮れてしまった様に呟いた。


「自分が怒ってるのかも、悲しいのかも、寂しいのかも、

 ヒシさんに会えて嬉しいのかも…もう何もわかんない…」


 心中に溜まっていた感情が吐露されて行く。


「ヒシさん、一週間前に私がどういう目に遭ったか、本当はもう知ってるんでしょ。何もかもベイドさんから聞いたんでしょ。その上で、私のこと家に受け入れて、何も聞かずに一緒に過ごしてくれてたんでしょ。本当に優しいよね。でも、知ってた? その優しさがさ、私にしたら辛くて仕方無いんだよ? なんでこの人は何も聞いてくれないのかな、私には興味無いのかな…って、私は思っちゃうんだよ? 気遣ってくれてるんだって気付いちゃって、もう死にたくなるくらい恥ずかしかったんだよ?」


 リエルの言葉に耳を傾けながらも、ヒシは何も言わない。


「私ね、昔からずっと出来ない子だったんだ。私を産んで育てたあの人達はユルドースでも有名な凄い医者で、お兄ちゃんは自分のことは自分で何でも出来るくらい地頭の良い人でさ。家族でも私だけがなぁんにも出来ないの。学校に通わされても、九歳から十六歳までずぅっとB組のまんまで、同年代は皆進級したり卒業したりしてさ、同年代の友達も少なくて。

 お兄ちゃんが死んじゃってからは、それまで強制されてなかった習い事も沢山やらされてね。そろばんに書道にお琴に水泳にお歌に華道に絵画に料理にダンスに…。けど、全部ダメだった。何にも上手く行かなくて、優しい先生が慰めてくれたりするけど、それも惨めな気持ちになるだけで。頑張っても頑張っても出来ない事が多すぎて、もう頑張り方もわかんなくなっちゃったの。

 そしたら、次はお父さんが私に縁談の話を持って来るようになってね。相手は一回りも二回りも年齢が上のお金持ちばっかり。そういう人のお嫁さんになれば私の将来も安泰だとでも考えてたのかな。そんなのが幸せな未来な訳ないって、誰にでも分かる筈なのにね。お兄ちゃんが死んでから、あの人達もおかしくなっちゃってたんだよ…。」


 ふと、リエルが顔を上げてヒシを見つめた。


「そんなときにね、オミナスが現れたんだ。ヒシさんもあの人のことはよく知ってるでしょ。急に出てきて、契約を結びましょうとか一方的に話して来てさ。どう見ても怪しいなって思ったけど、もう何でもいいやって思ってた時期だったから、私もその話を受け入れたの。それで、お試しで一つだけ何でも質問できる鍵を渡された時に、ふと思い出したんだ。あの黄色の髪の少年は、――ヒシさんは何をしてるのかなって。

 ふふっ、ヒシさんは忘れてるのかも知れないけど、私達実は七歳ぐらいの時に一回だけ会ってるんだよ。私がお兄ちゃんに会う為にリソルディアに行った時かな。道を歩いてたら急に屋根から瓦が落ちて来て、それを跳び上がったヒシさんが空中で蹴り飛ばしちゃったの。その時は結局名前も聞けなくて、ありがとうも言えなくて…。…思えばあれが初恋だったのかな。だから、オミナスが現れた時はチャンスだなって思ったの。こんな家から抜け出して、家族も学校も責任も役目も何もかも捨てて、メーセナリアで游蕩士として新しい人生を始めて、想い続けてたその人のことだけを追って生きて行けたらな、ってね。」


 彼女は自嘲する様に笑う。


「本当に、私、バカだよね。ずっと誰かに頼り切って生きて来たんだ。昔はお兄ちゃんに憧れて頼ってばっかりだったし。キュペと出会えたのは結局オミナスの助言に沿っただけだし。玄武(ソリッド)の時はミドルさんに背中押されて。邪人(ダーク)の時はモファさんに寄り掛かって。今回の遠征も、オミナスの『参加すべき』って言葉だけを信じてこの有様だしさ。本当はフヅキさんとかアッシュさんとかの意思も継いで生きなきゃならないのに、ついさっき一人で勝手に死にそうになってるし。そんな危なかったところをヒシさんに助けられちゃうし。今もこうやって、愚痴の掃き溜めとしてヒシさんのこと利用しちゃってるしさ。ダメだって分かってるのに、言葉止まらないし。…何で泣いてるのかも分かんないし、泣く権利なんて無い筈なのに、……涙も…止まら、ないし……、!」


 焚き木の明かりが泣きじゃくるリエルを照らしている。

 蹲りながら顔を隠して涙を零す彼女へ視線を向けながら、

 既に乾いていたらしい羽織を手に取ったヒシは、彼女の傍らで優しく囁いた。


「これ着て、少し待ってて下さい。…すぐ終わらせます。」


 ファサっと、リエルの小さな身体に布が掛けられる。

 口を噤んだヒシはゆっくり立ち上がり、夜空へ向けて…


「オミナスさん。」


 ―――()()()()()()()()


「はい、こんばんは!」


 "目"を停止し、"転"で彼の真正面に立つ。

 物言わぬ眼前の少年はただただ私を睨み付けている。


「まず、獣人(ウルフ)の末裔保護依頼ですね。ご苦労様でした!

 それでは、事前の約束通り鍵を五本差し上げますねっ。」


 創造した五本の鍵をヒシの眼前に浮かばせる。

 彼は乱暴にそれを掴み取ると、一本を私へ投げ返した。


()()()()()()()()()()()()()()()?」


 前置きも無く消費される質問権、鍵は砕け散った。

 彼にしては珍しく礼に欠いた行為だが、嫌いでは無い。


「前に言ったでしょう?基本私は人間社会に不干渉です。

 それにあの獣人(ウルフ)に関しては貴方との接触に意味が有る。」


 納得したのかしてないのか、窺わせぬ表情だ。

 だが、ヒシはすぐに二本目の鍵を投げ付けて来る。


()()()()()()()()()()()()()()()()()。」


 成程、この少年はあの石ころに相当肩入れしている様だ。

 よくもまぁ数日過ごしただけのアレに同情出来る物だな。


「彼は危険過ぎましたから。それに、知り過ぎてもいる。

 放置で安定していましたが、ヒシさんに討伐されたのは僥倖でしたね!」


 続いて消費されるのは三本目の鍵。

 変わらぬ平坦な声色でヒシは私に問い掛けて来る。


()()()()()()()()()()()()()()()()()。」


 ヒカリのことか。確か日記を読んだのだったな。

 初期の方には私の名前が多く在ったし、当然の質問か。

 どう思っていたか、…そんなこと悩むまでも無いが。


「ふふふっ、アレは使えない子でしたねぇ。」


 ヒシの纏う雰囲気が黒く暗い物に替わった。

 地雷を踏み抜かれた彼は、それでも殊勝に訊いて来る。


「…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 四本目の鍵が私の眼前で崩壊を始めた。

 その様子を視ながら、…私は口角を軽く上げて見せる。


「――実際に上等の結果へ成ったでは無いですか。

 大量の妖力を手に入れ、『癒』も一段階昇華して、

 己が兄の仇敵とも云うべき憎き幻妖を討つ事も出来た。

 私は言いました、きっと生涯の最大の転換期になると。

 ねぇリエル、これ以上何の贅沢を求めるつもりですか?」


 仮にリエルが遠征隊に加わっていなければ、あの一夜の結果は大きく変わっていたことだろう。シロンが模倣者(アンノウン)を討てなかったかも知れないし、タドクがジェゴクを殺せなかったかも知れない。私の計算では、人類陣営が全滅した上で幻妖級の怪物が三体解き放たれるという未来も出ていたのだ。『癒』の彼女達以外に生き残りが存在しなかったという結果には驚かされたが、一方で中々に良い成績に収まったとも考えられる。それに、この先の展開のことも考えると…。やはり、これ以上の我儘は言わないで欲しい物だ。


「…オミナスさん、契約の解除を求めます。」


 案の定、ヒシはその提案を私に持ち掛けて来た。


「ふむ、それはヒシさん自身のですか?」

「えぇ。それと同時に、リエルさんのも。」

「そちらは本人の意志が無い限り飲めないですが…、」


 チラリと、私は丸まったままのリエルへ視線を飛ばす。


「リエル、よろしいのですか? ご両親の動向もヒシさんの居場所も、私との縁を…"目"を切ってしまえば、今後は永久に知ることが出来ないですよ? 此処で彼に流されてしまえば、貴方としても結構な痛手にはなるのではと思いますが。」


「……うん、いい…、…もうおしまいでいいよ…。」


 憔悴し切った声で、彼女は契約解除の旨を示した。

 瞬間、私に共有されていた彼女の視界情報が途絶える。


「ヒシさんは、まだ一本鍵が残っていますが。」

「あぁ、これですか。」


 リエルから瞳を離し、再びヒシの方へと向き返る。

 彼の手の中には、私が渡した鍵が未だ握られていた。

 ヒシは手の平に乗ったそれを一度だけ見つめると…、


「…もう、要らないです。」


 幾つかの指で思い切り摘まむことで、圧し折って見せた。

 同時に、私の中から彼との契約という名の縁が無くなる。


「本当は、世界の真理を開く為の鍵なのですが…。」

「大丈夫です。そんな物より、大切なことが有るので。」


 目が眩む様な台詞に溜息を吐き、私は微笑む。


「そうですか。ではヒシさん、また会いましょう。」

「いいえ、オミナスさん。…さようなら。」


 指を鳴らして、()()()へと転移をする。

 私ではもう彼ら監視が叶わなくなってしまった。

 まぁそれはそれで良い。…次会う時は此の場所で。




 ---




 再び、森の中の河原には静寂が訪れた。

 取り敢えずひと段落だが、まだ終わってはいない。

 依然、リエルの涙は止まる所を知らないままなのだから。


「……ねぇヒシさん、私のこと、気持ち悪いと思う?」

「思わないですけど、どうしてですか?」


 酷く落ち込んだ声で彼女は言葉を紡ぐ。


「だってさ、十年も昔に会っただけの異性だよ?

 それで別の街までやって来て、無理矢理接近して。

 逐一オミナスに居場所聞いて、勝手に映像も貰って。

 ただのストーカーじゃん…。こんな女、気持ち悪く無い訳、無いじゃん…。」


 水の流れる音に混じり、鳴き声が耳に入る。


「リエルさん、俺のこと好きですか?」


 無遠慮過ぎる質問だけど、気にせず訊いてみた。

 彼女を知るには、この問い掛けが最善だと思ったから。


「…うん、好きだよ。ずっと好き。大好き。

 真剣な顔も、笑ってる顔も、困ってる顔も。

 優しい声も、鋭い声も、ちょっと怒ってる声も。

 戦ってる姿も、泣いてる姿も、強がってる姿も。

 立ってるだけで格好良いし、喋ったらもっとだし。

 困ってる人居たら自分の依頼も忘れて手伝う所も。

 いつも誰かを傷付けない様に言葉を選んでる所も。

 私を見付けたら遠くからでも声掛けてくれるし、

 帰り道は絶対一人にならないように送ってくれるし、

 今日の夜ご飯も私が好きって言った物ばっかだったし…」


 咽び泣きながら、それでも頬を赤く染めながら。

 彼女は次々と言葉を繋いで、丸めて、伝えてくれる。


「…私、ヒシさんが敬語なの凄い寂しいんだからね…、」

「それは、ごめんなさい…。癖が治り切らなくて。」


 特定の人間に対して親しく話し掛けるのが、怖いのだ。

 相手は人間で、俺は化物。いつかは必ず関係が壊れる。

 ならば最初から距離を取ろうと思って、敬語が付く…。

 確かに失礼な態度だ。だから、そんな付き合い方も終わりにしないとな。


「…じゃあ、次が。リエルさんへの最後の敬語にします。」


 もう分かったんだ。

 そろそろ関係を進展させても良いって。

 貴方の傍に居たいと願って、口に出しても良いって。

 あらゆる壁を取り払って、一つになっても良いって。

 だから、もう終いにしよう。ちゃんと想いを伝えよう。



「――俺も好きです、リエルさん。結婚してください。」



 微笑みながら、俺はその言葉を口にした。

 リエルの表情が固まり、徐々に解れ、雫が溢れ始める。


「結婚、? 告白とか、そういうのじゃなく、て…?」

「はい、付き合うとかはすっ飛ばさせてください。」


 今度は俺が彼女へ伝える番だ。

 これまで言えなかったことを、全て。


「勿論、恋人同士でしか出来ない事も沢山したいです。

 手を繋いだり、街へ出掛けたり、夜を過ごしたり。

 けど、夫婦でしか出来ない事も俺はリエルさんとしたい。

 朝から晩まで一緒に居たいし、手料理も食べてみたい。

 子供も欲しいし、一緒に泣いたり笑ったりして、死ぬ時まで隣が良いんです。」


「でも、でも。ヒシさんはお母さんを探す為に…。」


「俺、実はもう母さんに会いに行けたんです。

 ずっと知りたかったことも、それで知れました。

 だから、今までの生きる目的が達成出来た所なんです。」


 人に告白するのなんて初めてだ。

 ましてやプロポーズなど、一生に一度だろう。

 けど、変に取り繕わなくて良い。格好付けなくて良い。

 彼女は俺のありのままを受け入れてくれる人だから。


「リエルさんが、俺の生きる目的になってくれませんか?」


 懐から、ユエに作って貰った婚約指輪を取り出す。

 キラキラ輝くその宝石を視たリエルは今度こそ泣いた。

 俺がどれだけ本気でこの告白に臨んだのか、ようやく意識が芽生えた様だ。


「…もうっ…、ヒシさんは、いつも急すぎるよ…。」


「ごめんなさい、これでも色々と葛藤はあったんです。

 けど、そんな理性を抑えられないぐらい言いたかった。

 リエルさんに想いを伝えたかった。だから、今日だけは欲張らせて下さい。」


「人生の半分をくれとか、そんなんじゃ足りないです。

 俺は、リエルさんの全部が欲しくなってしまいました。

 貴方の涙も笑顔も愛情も、全部、俺の物にしたくなったんです。」


「他の誰にも、貴方を取られたく無かったんです。」


 あれだけ準備したのにな。言葉が上手く出て来ない。

 想いだけが先行して同じ事を繰り返している気がする。

 …けど、それで良い。全てが本心で、本音その物だから。


「…私、出来損ないだよ? 失敗も、いっぱいかもよ?」


「大丈夫です。その時は俺が隣で支えますから。

 だから、俺が危うい時はリエルさんがお願いします。」


「面倒くさい女だよ? すぐ泣くし、すぐ怒るよ…?」


「そういうのを含めて、俺は全部を求めてるんです。

 それに、俺は化物ですから。そんなことは些事ですよ。」


「ヒシさんを好きすぎて、うざいくらいかもよ…?」


「俺も同じぐらい愛するつもりなので、問題無しです!」


 嗚咽しながら声を発する彼女へ、歯を見せて笑い掛ける。

 全部を俺が背負おう。そして、全部を彼女に任せよう。

 そうやってお互いの全部を預けながら、一緒に生きよう。


「誓わせて下さい。俺が絶対に、幸せにします。」


「…うん、うん…、よろしくね、ヒシ…!!」


「はい、――こちらこそよろしく。リエル。」


 目を拭いながらも、リエルは左手を前に差し出した。

 俺は彼女の細くて白くて柔らかい薬指へ、指輪を嵌める。

 一週間前に灰死病で失われたのが左の小指で幸いだった。

 もし少しでも逸れていれば、今この瞬間の幸福は渡して上げられなかったから。



 泣きながら笑う彼女の姿は、とても美しかった。




 ---




 さながら、夏空を駆ける一筋の流れ星の様に。

 俺達二人は冬の澄んだ大気を光速で突き進んでいた。

 すっかり泣き止んだリエルは幸せそうにはにかんでいる。


「ヒシはいつからあのプロポーズ考えてたの?」

「…改めて訊かれると恥ずかしいけど、大分前から。

 最終的に決意したのは、俺の誕生日のときかな。」

「あ、そこ? 私が黄色のピアスあげた日?」

「うん、その時からお返しは絶対に指輪にしようって。」

「…待って、今日何日だっけ、」

「日付変わって、十一月二十九日。リエルの誕生日だね。」

「かんっぜんに忘れてた…。」

「だと思ってた。十八歳、おめでとう。」


 お姫様抱っこ中の彼女に向けて祝いの言葉を発する。

 早めに言うつもりだったけど、告白を優先させた結果だ。

 まぁでも、記念日にするにはこれ以上無い一日だろう。


「ちなみにその指輪、石の精霊の妖石使ってるんだよ。」

「あ、これがビトラスさんの…。…うん、大切にする!」

「色々な場所に連れて行ってあげてね。そしたら、喜んでくれると思うから。」


 依頼したのが昨日で受け取りに行ったのが今日の夕方な訳だから、婚約指輪の制作に費やされたのはたったの一日という非常に短い時間だった筈だが、それでもユエの仕事は完璧だ。一見してただの灰色岩石だったビトラスの妖石が、加工後である今は宝石の様に美しく輝いている。この世に二つしか存在しない超高品質な精霊製指輪…。それだけ聞くと、今すぐにでも厳重な金庫の中へ閉じ込めて完全無欠な保管状態へ置いてやりたくなる衝動に駆られるが、ビトラスがそんな扱いを望んでいないことは明白だ。


「そういえばヒシ、よく私のこと見付けられたねー。

 私多分、家抜け出してから結構な時間歩いてたけど。」

「うん、その時もこうやって上空走り回ってたから。」


 リエルに指摘されて、俺は少し得意気に応えてしまう。

 例えば地上を走り回って行方不明のリエルを捜し出そうとしてれば、俺は確実に彼女の投身自殺未遂を止められていなかっただろう。焦燥に駆られながら数十分間『光』で宙を飛び回って、何とかリエルの姿を見付け出すことが出来たのは本当に奇跡としか言い様が無い。後数秒遅れていれば間に合わなかった程の、間一髪救出劇。これまで『光』を鍛え続けて来た甲斐が有ったし、何処か報われた様な気持ちにすら成る。


「あ、もう家が視えて来たね。」

「うそ。…え、ほんとだ。こんな早いんだね!」


 或る程度速度を緩めていたとは云え超高速に変わりない。

 真っ直ぐ帰宅するのに数分も掛からないのは当然だった。

 それでも、リエルにとっては充分な非日常だった様だが。


「んしょ、」

「到着!」


 しっかりと着地をし、リエルの身体を降ろす。

 流石に深夜だ。辺りの空気は完全に寝静まっている。

 それは我が家も同様で中からは生物の気配がしなかった。


 …妙だ。


 俺が家を飛び出した時、リフィとキュペは寝ていた筈。

 精霊二匹が中に居て気配がゼロなんてこと無いだろう。

 そう思って扉に手を掛けると、『光』が浮かび上がった。


 ――『 Outside With Cupe.(家は空けるね)』


 その軌跡は、俺の眼にだけ写り数秒後に消失する。

 多分、後ろに立つリエルには感知すらさせて無いだろう。

 …気の遣える眷属と云うか、空気を読めると云うか、状況把握が早いと云うか。


 今日は僕達を気にするな…つまりはそういう意図だ。


「? 家に誰も居ないの?」

「うん、お出掛け中みたいだね。」


 明かりの無い暗闇の家へと入り、リエルも入れて。

 他には誰も入って来れぬ様にしっかりと鍵を閉める。

 そっか、結婚。リエルもずっとこの家に住むという事だ。

 これからは何の危険に晒されることも無く、二人で過ごせるという事だ。


 勿論、普段はリフィとキュペも一緒だ。


 将来的にはもっと家族が増えるかも知れない。


 けれど、今日は。心地良い静寂に包まれた今夜だけは。



 この世界で、二人――。




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