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ナノライト  作者: かざぐるま
第七章 Only Two Remain.
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第六十話 forger

 



 時に『火』の鳥へ。時に『水』の鯨へ。時に『風』の豹へ。時に『雷』の狼へ。時に『地』の牛へ。時に『毒』の塊へ。時に『光』の狐へ。時に『闇』の熊へ。時に『石』の蛇へ。時に『癒』の女へ。時に『封』の男へ。時に『力』の龍へ。時に『無』の人へ。


 変幻自在、千姿万態。後に模倣者(アンノウン)という種族名を与えられるその化物は、あらゆる物へ擬態をしながら自由気儘に大陸を徘徊していた。勿論、他生物との争いは彼の大好物であったし、気紛れで人間の街を幾つか瓦解させたこともある。太古の幻妖から盗み取った完全透明化能力は、例えどんな上位存在に目を付けられようと安全な逃避行を実現させ、"夢"を極めた男から得た技は、元来模倣者(アンノウン)が保有していた模倣能力を更に幅広く汎用性の高い物へと昇華させた。自身が生態系の頂点に立ったという全能感に酔い痴れながら、目的も無く彷徨い歩く模倣者(アンノウン)。数百年の時を漠然と生きた彼は、自分が心臓を締め付けるような"快楽"に飢えていることに気が付いた。


 そんな折に、模倣者(アンノウン)は独りの人間と出会う。


 化物を恐れるどころか、尊崇の眼差しで平伏し。

 人間を愛するどころか、平気な顔をして裏切り。

 その天才的頭脳を悪事の実行にのみ役立たせる。

 模倣者(アンノウン)を慕うその教祖は、根本から狂っていた。


 化物崇拝団体『アクヘリード』。

 歴史ある大規模教団であり、起源は約二百五十年前。

 化物に魅入られた一人の男が、全ての始まりだった。


 貴方が歴史書を読み漁ろうとも、その宗教名を見つけ出すことは決して叶わない。彼らが表舞台に現れることは稀も稀であり、その活動が誰かに悟られるような事態へと発展することは更に珍しい話だったからだ。云うなれば『持満』。いずれ来たるその日に備え、牙を研ぎながら待ち続けるのが彼らアへクリードの方針だ。


 とは云え、過去には何度か派手なことをやらかした経験も有る。例えば、現教主であるジェゴクが謀った『壊死病』の一件。灰人(アッシュ)を巻き込み、模倣者(アンノウン)を遣った世紀の大犯罪は、九年の時が経った今でも正確な原因解明が為されていない。事が起こったリソルディアで形式上の収束は完了しているものの、結果としてアクヘリードの勢力拡大に繋がってしまったその流行病は、人類が無自覚に負ってしまった取り返しの付かない致命的敗北だと言えるだろう。


 さて、もう一つの有名な暗躍事件が『火の精霊暗殺』だ。

 こっちはアクヘリード側も相当な痛手を負わされている。

 何せ、十一代目教主が為す術も無く殺されたのだから。


 …あぁ、奇遇にも当事者が二匹も揃っているじゃないか。




 ---




 フィルド迷宮攻略隊の八割が模倣者(アンノウン)によって何処か遠い場所へ転移させられ、残されていた力在る游蕩士達もタドクの妖術によって既に迷宮を脱出している。滅び逝く地下闘技場に未だ佇むのは、死に場所を求める女性――シロン、主人に己が運命を預けた精霊――アグニ、道楽と興奮に飢える幻妖――模倣者(アンノウン)の三体のみだ。戦況は硬直状態。シロンは相手が動き出す時機をじっくりと窺っているが、肝心の模倣者(アンノウン)の何かを思い出すかのように唸っているからだ。


 元来定まった姿形を持たない模倣者(アンノウン)であるが、現在はこれといった特徴が無い若い青年の姿へと化けていた。まぁ、指先が紫色の粘液のように変質している為、人類の完全な模倣とは呼べぬ状態なのだが。何にせよ、人間であるシロンと意思疎通を図る為には、安定した声帯が不可欠だったのだろう。はっきり言って既に死が確定している相手と話すという行為に価値が在るとは思えないのだが、常に刺激を求める化物にとってはこれも大切な趣味活動の一環のようだ。――そんな模倣者(アンノウン)は、得心が行ったようにポンと手を打った。


『ハリネズミ!』


 奴が指を差したのは、地面に伏しているアグニ。

 つい先程、彼は模倣者(アンノウン)に翻弄されたばかりである。


「…アグニ、面識があるのか?」

『 Syuu. 』


 アグニは人間と細かなコミュニケーションを取る術を持っていない。主であるシロンに対する返答は普段から肯定と否定の二通りのみ。今回は、否定の方だった。しかし小さく首を横に振るアグニを視た模倣者(アンノウン)は、心底愉快そうに口端を歪める。


蜥蜴(トゥレ)――イフリート。』


 瞬間、アグニから重々しい殺気が噴き出した。


『 huSyuuuu…!!!! 』

『イッパイころしテタネ~、にんげんも、おともだちも。』


 二十年前に繰り広げられた惨劇、<悪の天誅>。その裏で、或る精霊の代替わりが密かに行われていたことは人類の間でも有名な話である。先代火の精霊の名は『イフリート』。人間から名前を与えて貰う為、或いは"狂暴"という性格を満たす為、アグニを筆頭とする化物友好同盟を焼き払った蜥蜴(トゥレ)という種族の化物である。


『あの時の教主も、キミがころしちゃってぇねぇ。』


 そして、イフリートを精霊へと昇華させ眷属として引き連れた男が、アクヘリード十一代目教主その人だった。男が未だ無名の蜥蜴(トゥレ)を発見したのは紛うこと無く偶然であった。だが、その強力な化物に魅入られたのは必然であったと考えるべきだろう。始祖として君臨し続ける模倣者(アンノウン)の協力を借り、数十の信者達と共に弱小な化物の群れを滅ぼしては、イフリートこそが我々の野望を実現する神であると、既に人間社会でもそれなりの地位を築き上げていたその男は、順調にアクヘリード勢力の拡大を実現させていた。……それも、二年で終わったが。


『イフリート、泣いてたぁねぇ。』


『ゆるしてくれ、ゆるしてくれッテ。』


『ブチギレてたキミは、聞く耳も持たなかったケドネ。』


『かわいそうで、――さいこうにオモロかったぁなぁ。』


 アグニの周囲に無数の火球が形成される。

 直後に全弾を一斉発射、標的は無論模倣者(アンノウン)だ。


『ネ、こんな風に。』


 余裕を崩さぬ模倣者(アンノウン)は、自身の身体をドロりと崩壊させた。粘土が捏ねられるように、人間大の奇妙な塊は幾度と無く変形を繰り返し…、最終的に一つの定まった形を取り戻す。


 体表は溶岩のように赤黒く、瞳は月のように金色の輝きを放っている。全身を覆う鱗は岩肌を貼り付けたかのような無骨さを主張していて、如何なる妖術であろうと容易には破れぬと知らしめる重厚感が印象的だった。観察する者の眼を引くのは、やはり異様に発達した尻尾だろう。見事なまでに一本芯の通ったそいつの尾は、主要な器官が詰まっている胴体よりも幾分か長いように思われた。それぞれが人間の頭部程度の大きさを誇る四肢を用いて、地面を這うように移動をしているが、有り余る尻尾はズルズルと引き摺られるばかりであった。


 そんな蜥蜴(トゥレ)に、アグニの火球が命中する。


『 QAAAAAAaaa…, AAAaaaa…!!! 』


 黒焦げになった蜥蜴(トゥレ)が発するのは悲痛な泣き声。

 放って置けば数十秒で死を招くような酷い火傷痕をアグニに見せ付けながら、縦に一本線が入った金の瞳に溢れんばかりの涙を溜めながら。命を乞うように、過去の行いを悔いるように、かつての親友に謝罪を告げるように、蜥蜴(トゥレ)は闘技場中に咽び泣く声を響かせ続けた。


『 syuu…hukyuu…!! 』


 絶叫を耳にしたアグニは、体を丸めて蹲ってはその場から動かなくなってしまった。ブルブルと震える彼の姿に、火の精霊としての威厳は欠片も無い。彼はきっと思い出してしまったのだろう。自身が犯した過去の罪を。親友が死に際に見せた苦しみの表情を。鱗が焼けた時特有の焦げ臭い空気を。復讐心に身を任せ、我武者羅に暴れ回ったあの日の記憶。乗り越えた筈だった、扉は閉めた筈だった。深く刻まれた心の傷は、長い年月を掛けて少しずつ癒えていた。そう、事の顛末を知っている…それどころか当事者ですらある模倣者(アンノウン)が、固まり掛けの瘡蓋(かさぶた)を最悪の形で剥がし取ってしまうまでは。


 二匹の叫び声が円形の闘技場を反響する。

 片方は本物の痛哭を、片方は下卑た役者魂を以て。

 夜空が火で染まったあの遠き日を再現する様に。

 蜥蜴(トゥレ)はアグニの崩れ掛けた心を抉り、弄んでいた。


 …沈黙を貫いていたシロンが、吐き捨てるように呟く。


「……悪趣味だな。」


 気付けば、闘技場の半分が火の海と化していた。


 説明不要。為したのは大層な不機嫌顔を見せるシロンだ。普段は理性的で落ち着いた態度を徹底して貫く彼女だからこそ、ここまで不快感を募らせるという事態の苛烈さが際立つ。さて、黒焦げになりながら悲鳴を発し続けていた蜥蜴(トゥレ)はピタリと動きを止めると、噴水のように体から水滴を撒き散らしながら元の若者の姿へと変身を遂げた。余興を邪魔されたことに対する怒りで頭を掻いているが、対照的に口元にはグニャりと歪んだ化物らしい嘲笑が浮かべられていた。


『ワロタ。』

「回りくどいやり方は好かなくてな。」

『カッコいぃねぇ、――じゃあコレハ?』


 すっかり鎮火した闘技場の中心で、再び模倣者(アンノウン)の姿が溶けるように解れて行く。四本の手足、長い胴体、一つの頭部…と、最終的に作り出された姿は見慣れた『人間』の物であったが、細部は特徴的だ。骨格は雄だが髪は長め、男前に生えた髭は安心感を与え、掛けたサングラスが個性を決定的な物としていた。外見の主張が全体的に控えめな傾向にある昨今の人類で、この男の奇抜さはやはり頭一つ抜けていた印象がある。


 模倣者(アンノウン)が成った男の名は、ドリシェ。

 シロンにとっては旧友であり、恩人であり、…故人だ。


「やぁシロン、久しぶりだネ。」


 シロンの耳朶を甘く包み込むような声が撫でる。生前と変わらぬ訛りの抜けぬ発音、あの頃と同じ少し遠くから見守るような眼差し…。ユルドースの一角で小さな酒場を営んでいたドリシェという男の交流関係は、その長い游蕩士歴も相まって非常に広い物であった。当然、彼の死を深く悼む者も数え切れぬ程存在しており、その他界に直接関わったシロンが少なくない負い目を感じていたのもまた事実。更に、『もう一度会いたい』という素直な想いがシロンの心で成長し続けていたことも確かな話だ。


 突如として目の前に現れた故友が話し掛けて来る。

 対して、数秒間静かに目を伏せたシロンの返答は…。


「………悪趣味だと、言っているんだ。」


 再び闘技場中を火の海に変えることであった。


 ドリシェの皮が、肉が、骨が、焼け焦げて行く。続いて起こったのは、竜巻による大火の鎮静。粗方の火が無事に消し去られた頃に模倣者(アンノウン)は普段の若者姿へと変身を行った。その顔には、シロンに対する強い好奇心が浮かんでいる。シロンの思考を盗み見ていた模倣者(アンノウン)は、彼女の中で最も脆い部分に付け込んだ筈だった。それがどうだ、シロンは過去の枷を完璧に振り払って見せた。偽物と分かり切っているとは云え、心の底から慕っている人物を己が手で殺めることなど並の覚悟で出来る行為では無い。


『いぃねぇ、チョベリグ。』

「アグニ!! 私の言葉をよく聞け!!!」


 模倣者の褒め言葉を全無視したシロンは、

 未だ立ち直ることが出来ずに居るアグニに声を掛けた。


「――今のお前は、惨めだッ!!!!」


 それは、非難。


「枷に塗れていたあの頃と何も変わっていない。

 何もかもを背負っていたあの頃と全く一緒だ!

 独りで閉じ籠って、塞ぎ込んでいるだけの弱者だ!」


 それは、叱咤。


「私は言っただろう、お前は堂々としていろと。

 仲間を殺したという事実が決して消えることは無い。

 その枷だけは外す方法も外す権利も存在しないだろう。

 だが、それでも前を向くのがお前に必要な行為だ!!」


 それは、激励。


「今一度、言葉にしよう。…アグニ、お前が必要だ!

 無理強いはしない。後は全て、お前の気持ち次第だ。

 だから選べ! 最期まで私の横に立つということを!!」


 …丁度その時、模倣者(アンノウン)は閃きを得た。

 奴の姿が変化を始める。髪は朱色に、瞳は紅色に。美麗と呼ぶに相応しい身体のラインに、端正としか形容出来ぬ程に整った顔立ち。纏う衣服は機能性のみを追求した薄手の長袖シャツ、故にこそ体自体が持つ生来の美しさが全面に示し出されている気がした。右手に握るのは白銀と云う名の刀。この世に二つと無い至高の一品である筈だが…、奇妙なことに此の場には二本存在していた。


 模倣者(アンノウン)が成ったのは、シロンだ。

 全く同一の体組織を持つ二人の女性が向き合っている。

 改めて、シロンは眼前に現れた化物の異質さを認めた。


『やっぱり良イネ~、この刀。気に入ったぁよぉ?』

「お前如きの為に作り出した刀では無い。」

『じゃあ、誰ガ為ニ?』


 シロンは本物の白銀に手を掛け、言い放つ。


「――私自身の為だ。」


 数秒の沈黙。後に発されるは、嘲笑い。


『うーん、ウケる。』


 シロンと模倣者(アンノウン)は、合わせ鏡のように動き出す。

 両者共に深く腰を落とし、両者共に妖力を練り始め。


 コンマ一秒のズレも無く、二つの《烈炎(れつえん)》が放たれた。


 吠えるような大火の斬撃が正面からぶつかり合う。

 その種族名に相応しく、模倣者(アンノウン)の模倣は完璧だった。

 同じ威力、同じ速度。疑似的な『火』の極致への台頭。

 本来ならば、シロンの妖術との相殺で落ち着く筈だった。


 だと云うのに、押し負けたのは模倣者(アンノウン)だ。


『……アチー。』


 業火に包まれながら語彙力に掛けた感想を口にする。

 模倣者(アンノウン)の視線の先には、一匹のハリネズミが居た。


『 Syuuu…!! 』

「よくやった、アグニ。」


 打ち消される運命にあったシロンの妖術を後押ししたのは、彼女の眷属であるアグニだった。つい先程まで、精神を打ち砕かれ弱々しく咽び泣いていたその精霊。しかし、シロンの横に凛々しく立つ今の姿に軟弱者としての雰囲気は感じられない。毛を逆立たせ、牙を剥き出して…、"狂暴"の精霊として相応しい品性を以て、彼は戦闘態勢に入っていた。


「…模倣者(アンノウン)、此処がお前の墓場だ。」


『 huSyuuuu!!! 』


『かっこぅいいねぇ…、さっさとシネばぁ?』


 未だ絶えぬ火気の中で、模倣者(アンノウン)の体が再び溶けた。



 ◇



 潜蚯(ワーム)という化物が居る。

 一言で表せば巨大なミミズだ。鈍い桃色の体表から粘り気のある液体を分泌し、起爆剤として用いることで獲物を追い込む危険な狩人として広く知られている。手足を持たぬその体は地中を喰い進むことに適しており、そいつの奇襲によって命を落とした人間の数は数百にも及ぶことだろう。基本生息地はボルカラノ帯。つまり、こんな迷宮の最地下に出現する化物などでは無いのだが…。


 相手は模倣者(アンノウン)だ、常識は通じない。


『 BOoooOOoooo!!!!! 』


 戦場に『火』のサークルが灯される。

 円形闘技場を更に一回り狭めた、潜蚯(ワーム)が得意とする小規模の戦場。続いて鳴り響くのは、腹の奥に訴え掛けるような激しい地震の音。シロンとアグニは、自分等の足元で何が行われているかを即座に悟った。その次の瞬間、潜蚯(ワーム)の真似をする模倣者(アンノウン)が醜悪な頭部を地上へと突き出す。シロン達が回避を試みるよりも早く、激しい潜蚯(ワーム)の叫び声が放たれ――


 ――砂で構成されていた闘技場が、崩落する。


「地盤を食い荒らしたか…、アグニ!」『 Syuuu. 』


 フィルド迷宮最下層の更にその下。本来存在する筈も無い二十一階層へと、二人の人間が落下して行く。硬い地面を雑に刳り抜いただけの広大な空間だったが、先の地下闘技場と比べて高度も面積も上回っているようだ。重力に従い降下を続けるシロンは、空中でアグニの小さな体を抱き寄せた。体の安全が保障されたことを確認したアグニは『火』の妖術を発動、眼前に迫っていた地面に向けて爆発性を持つ火球を数発放つ。目的は、着地点の整地と落下速度の減衰。充分に不時着の環境が整えられ、シロンは軽やかな動きで無事に着地を成功させた。


『いぃねぇ。』


 天井からドロドロに溶けた潜蚯(ワーム)が降って来る。

 要は、模倣者(アンノウン)が変身段階に突入しているということだ。


 巨大だった体は収縮を始め、濁っていた体表は漆黒に染められて行く。大きく歪められた口から覗くのは、他者を噛み砕くことだけに特化した鋭い牙だ。針のように尖った爪に、丸太のように太い両脚。敵を見下し己を尊ぶ、傲慢とも称すべき自信に満ち溢れた眼光は、龍と呼ぶに相応しい風格を世界に示していた。


 陰のように黒い鱗を視たシロンの背筋が強張る。


 数百にも及ぶ民間人を屠り、数十にも及ぶ游蕩士を葬り、現団長である防衛士の片腕を切り落とし、三人のギルドリーダーをも退けたそいつの種族名は――龍人(スケイル)。本人たっての希望もあり街民には然して認知されていないが、<鱗片の陰>に於ける幻妖撃破者はヒシ。逆に云えば、彼があの場に居なかった場合メーセナリアは確実に滅んでいた。全力を出して一本の腕を焼き飛ばすのが限界であったシロンでは決して敵わなかった相手、それが龍人(スケイル)だ。


『 GULURUURaaAA!!!! 』


 汚い咆哮で口内から唾を撒き散らしながら、龍人(スケイル)と成った模倣者(アンノウン)がシロンに肉薄する。次いで放たれる殴撃はシロンの耳元を掠め、彼女の背後に在った巨大な岩石を粉々に打ち砕いた。相手の模倣が見せ掛けの物では無いと再認識をし、改めて気を引き締めたシロンが白銀(はくぎん)を体の前に構える。直後には、そんな刀に龍人(スケイル)の蹴撃が叩き込まれていた。


『 GURLUUuuu……――ハハッ。』


 龍人(スケイル)本来が持つ喉に、人間特有の声帯を無理矢理作り出した模倣者(アンノウン)が嗤う。その奇妙な生態に若干の恐怖を抱きつつも、シロンは因縁の幻妖とのリベンジ戦へと臨む。妖石が織り込まれた靴に『火』を纏い、龍人(スケイル)の顔面を回し蹴りで沈める…つもりが、シロンの華奢な足は奴の屈強な手によって逆に捕らえられてしまった。鷲掴みにした標的の身体を投げ飛ばそうと龍人(スケイル)は腕を振り被るが、次の瞬間には手首を斬り落とされた痛みによる絶叫を上げる羽目となる。極めて冷静に危機を脱したシロンは、切り離されて尚自身の足を掴んで放さない漆黒の掌を一瞥し、特に気に掛けることも無くそのまま攻撃態勢へと移った。


 宙を飛んだ状態で、真下の獲物を見据えて…


「―――《烈炎(れつえん)》っ!!」


 己が奥義を惜しむことも無く解き放つ。


 鱗が焼け肉が焦げる音をはっきりと聴きながら、模倣者(アンノウン)は強い疑問に頭を悩ませていた。――つまり、シロンが想定よりも強過ぎると。模倣者(アンノウン)は確かに彼女の記憶を覗き見た。龍人(スケイル)に手も足も出ずに蹂躙される彼女の姿を、確かに"目"で捉えた筈だ。なのにこの状況は何だ。こうも簡単に手首が切り落とされ、いとも容易く物理攻撃を防がれている。もっと一方的な戦いを楽しめる筈だったのに…。


 そこまで考え、彼が吐いたのは溜め息一つ。


『ツマンネ。』


 もっと強い奴を、もっと楽しめる奴を。

 記憶の糸を手繰り寄せ、模倣者(アンノウン)はソレを見付けた。

 用済みだと云わんばかりに、龍人(スケイル)が溶け崩れて行く。


 それは本来、地上に生息しては行けない種族だった。灰色と白色から成る丸く細長い胴体に、ヒレと呼ばれる三角形の部位を貼り付け、幾重にも重なる牙で獲物を噛み砕く()()の捕食者。参考にされた惑星元来の生物は当然魚類であり、そいつの生みの親も『大陸生物の海洋進出を拒む為の番人役』として設計を行った筈だが…。まさかそいつが空中を泳ぐ術を身に付けるとは、誰も考えていなかったのだ。


 感情を投影せぬ黒々とした瞳。

 数多の生物を喰らい収め肥えた腹。

 鮮血の匂いを正確に嗅ぎ取り追跡する鼻。

 そして、自身の生み出した霧の中を遊泳する技。


 既に絶滅をしている霧鮫(シャーク)と呼ばれる化物が其処には居た。


「多芸な奴だな。」

『 DDUARRAAaaaAAAaaa!!!!!! 』


 霧鮫(シャーク)の生み出した『水』の弾丸がシロンに襲い掛かる。躱し、弾き、防ぎ…。早くも弾丸の性能を把握し完璧に見切ってしまった様子の彼女は、宙に浮かぶ霧鮫(シャーク)を中心にしてぐるりと回る様な逃避行動を開始した。…種明かしをするならば、シロンがこの幻妖の攻撃を理解し対応して見せたのは四年前の話だ。彼女がまだ十六歳の時、四人の仲間と共に行った討伐作戦。時系列的には卯杖の探訪というギルドが創立される直前か。その時に討伐した霧鮫(シャーク)オリジナルの妖石は彼女達の実績の証拠品として無事に街に認められ、暫くは卯杖の本部にて丁寧に管理もとい放置される状態が続き、


 ――今は、白銀(はくぎん)としてシロンに振われている。


「さぁ、来いッ!!!」


 自らで創り出した薄霧の道筋を辿って突進を行う霧鮫(シャーク)の牙と、大質量の弾丸を前にしながらも怯む事無く待ち受けるシロンの刃が、激しい火花を散らしながら衝突を繰り返した。シロンは知っている、この霧鮫(シャーク)という化物の凶暴性を。大気中に蔓延する『水』の粒子によって『火』の妖術は阻まれてしまう為、彼女との相性は最悪。討伐を成功させた時にはユメハ達の献身的な支援が在ったが、既にこの世に存在せぬ者の名を呼んだ所で状況は好転しない。防戦一方。攻めの一手を見出すことが出来ず、今のシロンはひたすら霧鮫(シャーク)の猛攻を耐え忍ぶばかりであった。


 時間が経つにつれ霧は濃度を増して行く。

 劣悪な視界、シロンの被弾率も上昇を続ける。

 『水』の弾丸が腹を貫通した。右耳は食い千切られた。

 白銀は流石の強度だが、永遠に折れぬとは限らない。

 明らかな劣勢。それでもシロンが選んだのは『待ち』だ。


 彼女には、世界一"凶暴"な相棒が付いているのだから。


「アグニ、消し飛ばせ!」


 直後、空間中に満ちていた水滴が洩れ無く蒸発した。

 泳ぐ為の下地を失い、無様に地面へ叩き付けられる霧鮫(シャーク)

 原因を探る為辺りを見渡した奴は、確かにそれを視た。


 轟々と燃える、人工の恒星を。


 《久遠(くおん)》という必殺技が在る。今も生み出されているアグニの巨大火球を目にしたシロンが、それを真似て自分なりに派生させた超威力の業だ。火力を凝縮させるという発想は称賛に値するが、妖術を発動した者本人が爆発に巻き込まれるという重大な欠点を抱えている為、術の考案者たるシロンとてそう易々と使用することが出来ぬ諸刃の一撃として広く知れ渡っている。


 だからこそ、シロンはその妖術をアグニに譲渡した。


 彼女の本分は飽くまでも鍛冶であり、妖術には無い。刀を基礎として用いる《烈炎(れつえん)》ならば未だしも、空間に一から炎を創り出すのは間違いなく本領の範囲外であった。任せるべき所は他者を頼る。職人道を突き進んで来た彼女だからこその選択だ。それに、アグニならばこの妖術を完成させ制御し切ることが出来ると、自身の眷属に対する厚い信頼と期待が有ったから。


 眷属から主人へ、主人から再び眷属へ。

 彼女らが力を合わせ生み出した、世界最強の炎。

 思考を経て、試行に臨み、至高へと昇った究極の業。


 地下空間を占めていた巨大な赤い火球が縮んで行く。

 やがて手の平に収まる程度にまで小さくなった白の火球。

 そこがシロンの到達点…だがアグニは更にその先を征く。

 炎と云う現象の限界。アグニが創ったのは、()の火球だ。

 青く、蒼く、碧く。炎は小指の先ぐらいにまで収縮した。

 思わず目を奪われる程に美しい輝きを放つ火球を眺め、

 何処か遠い場所を視るように、感慨深さを滲ませた声で、

 言語を操ることの出来ぬ術者の代わりに、シロンが呟く。



「――《久遠(くおん)》」



 霧鮫(シャーク)の脳天を、垂直に落下した青の火球が貫いた。


 音は殆ど無く、余波による環境破壊も最小限で。

 ただ対象を内側から焼き尽くすことだけに特化した業。

 その炎は、その志は、その絆は、永遠に絶えること無く。

 標的が死滅する瞬間まで燃え続けると、約束されている。


 つまり、模倣者(アンノウン)は命拾いとしたと言わざるを得ない。


『ヤべー。』


 霧鮫(シャーク)から若者の姿へと移った模倣者(アンノウン)が言葉を零す。

 何とか余裕顔を取り繕おうとしている様だが、その奥に宿った焦心は隠し切れていなかった。後もう一歩シロン達の理解が深まっていれば死んでいたかもしれないのだから無理も無いが。とは云え、生物として確実な急所を射止めたにも関わらず未だ模倣者(アンノウン)が生存しているという事実に、シロンとアグニは少なく無い疑念を抱いたようだ。


 模倣者(アンノウン)という種族の原理を見抜かれるのも時間の問題。


「―――ごふっ、……?」


 だからこそ、予め設けた制限時間が活躍を始める。


『 !? huSyuuu!!! 』

粘液(ポリア)のどく、シッテル?』


 血を吐き膝を付いて倒れたシロンを視て、アグニは酷く驚愕したように目を見開き、模倣者(アンノウン)は何処か安心したように口の端を吊り上げた。それは、現在の毒の精霊でもあるイムを代表とした粘液(ポリア)という種族の猛毒が原因であった。かつては邪人(ダーク)をも追い詰めた、生物の暗殺に特化した『毒』の妖術。効果が出始めるのは、人間の体内に注入してから約ニ十分。つまり、戦闘開始直前には既に毒がシロンの体を蝕んでいたという話である。


『やっとキいたんだぁねぇ。』

「仕込んでいたのか…。」

『ありゃりゃぁ~、動けなぁイネェ?』


 血流に乗って体内を巡り切ってしまった毒を除去する方法は無い。『封』を扱える仲間が居たならば、可能性はあったかもしれないが…。断言しよう、この段階でシロンの死は確定した。絶えぬ頭痛、定まらぬ焦点、フラつく足元。毒が細胞を破壊し尽くすのを待つか、模倣者(アンノウン)に無謀な戦いを挑み殺されるか。過酷な二択がシロンの未来に提示される。


「…心配するな。お前は私と死ぬんだ、模倣者(アンノウン)。」


 シロンが後者を選択するのは必然であった。


 前言撤回だ、そもそも二択ですら無い。

 彼女は初めから死所を求めてこの戦いに臨んでいる。

 『己が道の探求』…例え、誰に何を言われようとも。

 明確な終点が設定されただけで、進む道は変わらず。

 手が痺れようと、血が垂れようと、脳が侵されようと。


 ――それでも彼女は刀を抜いた。


「すぐに決着を付けてやる。」

『口だけハ達者だぁねぇ。』


 シロンの強靭過ぎる心に辟易とした様子で、忘れず煽りを挟みながらも模倣者(アンノウン)は天を仰いだ。ぺたりと顔面に当てられた模倣者(アンノウン)の右手、正確にはその人差し指だけが、ドロリと蕩け始める。硬く、長く…。指を構成していた組織が全く別の何かへと変化した。


『コレ、疲れるんだケドナ。』


 ギラりと光る刀身。単調に巻かれた柄糸。シロンの白銀(はくぎん)とは対照的に、黒色に染められたその刀は妖しげな輝きを放ち続けている。とても一本の指から生まれたとは思えぬ程、精巧な作りの刀剣だが、それもその筈。模倣者(アンノウン)が再現したのは数ある名刀の中でも最高傑作と名高い一振りなのだから。原作の素材となっているのは聖神(ノブレス)の妖石。製作者は夢食(■■)という幻妖。本来如何なる方法を用いても削り取ることすら不可能な、超強度の妖石を"夢"で強制的に捻じ曲げて作られたその逸品は、鍛造という古典的な方法では到底及ばぬ領域に在る世界最高峰の刀であると、七百年という長大な時間を掛けて一種の伝説に似た物語を作り上げていた。


 曰く、滅ぼした種族の数は千にも上ると。

 曰く、過去の精霊を優に数十は斬り捨てたと。

 曰く、持ち主にすら牙を剥く怨念が籠っていると。

 そして、ここに断言しよう。それらは全て()()だ。


 永遠に所在不明の業物。付けられた名は『蓬莱(ほうらい)』。


『んジャ、ころしまぁ~す。』


 ピッと。模倣者(アンノウン)蓬莱(ほうらい)を軽く振り下ろす。


 ―――直後、アグニの身体が縦半分に割れた。


 嗤う模倣者(アンノウン)。眼を見張るシロン。そして――


『 …Syuu…, 』


 即座に『無』で肉体の再構築を行ったアグニ。


 模倣者(アンノウン)は舌打ちをし、シロンは安堵したように息を吐いた。既に他者と契約を結び眷属となっているアグニは、体の何処かに隠し持った妖石に傷を付けられない限り何度でも体を創り直すことが出来る。逆に云えば妖石を狙われた瞬間に彼の死は確定するので、斬撃を受ける直前に体内を弄り急所の位置を器用にもズラしていたアグニの判断は素晴らしい物であったと結論付けられる。


 だからこそ、現状最も優先して考察すべきは蓬莱(ほうらい)という武器の桁外れた性能だ。まず前提として、模倣者(アンノウン)が振り下ろした刃はアグニの元まで届いていなかった。つまり、遠距離に立つ相手を一瞬にして死の瀬戸際にまで追い込んでしまったのだ。飛ぶ斬撃…考えられるのは『風』の刃か。しかし、効果が現れたのは刀の動作とほぼ同時。『風』ならば刃は可視化するし速度も目で追える範疇だろう。同様の理由で『光』や『闇』も有り得ない。いや、シロンの知る限り、今のような攻撃を行える妖術は()()()()()()()


「…"転"か?」

『 Syuu…, 』


 可能性が最も濃い妖術の名を呟くシロンだが、アグニによって即座に否定される。確かにアグニの断面だけを転移させれば真っ二つに叩き割ることは可能だろうが、そもそも精霊である彼が他者の妖術干渉を許す筈が無かった。どん詰まりの反省会、現状打つ手は無し。依って、彼女は思考を止めた。


 …要するに、だ。


「短期決戦に尽きるな。」

『生意気だぁネェ。アホくさ。』


 遠距離で負けるならば、近付けば良い。


 尋常では無い速度で振り抜かれた白銀(はくぎん)は、凡そ物理法則に従っているとは思えぬ軌道を描いた蓬莱(ほうらい)に拠って阻まれた。それぞれを握るシロンと模倣者(アンノウン)の距離は僅か一寸。火花を散らしながら睨み合い、お互いに言葉を吐き捨てる。


 先に動いたのはシロンだった。膠着状態を解す為、模倣者(アンノウン)の腹に蹴りを一発。よろめいた幻妖の顎を白銀(はくぎん)の肘で打ち抜き、間髪入れずにその憎たらしい顔面を『火』で燃やして見せた。プスプスと髪の毛を煙に巻かれながら、模倣者(アンノウン)が背中から地面に倒れて行く。シロンはその心臓に刃先を突き付け、力強く叫んだ。


「――《烈炎(れつえん)》!!!」


 直後、模倣者(アンノウン)の胸元に痛々しい穴が空く。

 もしも人間同士の戦いであればこの時点で決着だ。

 しかし周知の事実、今回の相手は凶悪な幻妖…。


『なんちゃってぇ~。』


 この程度でくたばる訳が無いだろう。


 勢い良く起き上がった拍子に、シロンの脳天を目掛けて蓬莱(ほうらい)の鋭い突きが見舞われた。だがそれも織り込み済みである彼女は難無く奇襲を回避。女性の命とも呼ばれる美しい髪の毛が纏めて消し飛ばされるが、本物の命を燃やして戦うシロンには最早関係の無い話であった。素早く放たれた蓬莱(ほうらい)の次撃も、シロンの薄皮と軌道延長線上の岩肌を切り裂いただけで、生死に関わる程の一撃とは成り得なかった。


 そこからは、他者の介入を許さぬ白兵戦が続いた。

 切って、斬って、駆けて、賭けて、振って、降って。

 攻守は目まぐるしく入れ替わり、形勢も逆転続き。

 だが確かなのは、シロンが圧倒的に不利だという事実。

 粘液(ポリア)の毒に侵され、霧鮫(シャーク)によって片耳は喪失済み。

 時折入るアグニの援護射撃が辛うじて命を繋いでいた。

 これは勝ちが目前であると、奴はニヤリと目を細める。


 だが、模倣者(アンノウン)は未だ勘違いをしていた。


 こと刀戦に於いては、シロンの右に出る者は居ないのだ。


 身を仰け反らせ蓬莱(ほうらい)を回避したシロンが、自らの握る白銀(はくぎん)を地面に突き立てた。そのまま、刀を支柱として後ろに一回転。『火』を纏った爪先で蹴り上げ、模倣者(アンノウン)の右腕を炭へと変えた。蓬莱(ほうらい)の破壊には至らないものの、目的通り武器を体から切り離すことが出来た。その事実を確と視認し、地面から引き抜いた白銀(はくぎん)で今度は模倣者(アンノウン)の左腕を使用不可とする。両腕を封じられ焦ったように目を開閉する模倣者(アンノウン)。そんな幻妖を見据えながら、シロンは手首に付けた卯杖のミサンガを天に掲げた。直後、大空間の上半分が炎で埋め尽くされる。それらはゆっくりと纏まり、巨大な火の玉を形成し、やがて収縮を始め…。一つの爆弾として、シロンの手元に収まった。


「――《久遠(くおん)》…」


 ノータイムで放たれる白色の火球。

 狙いである模倣者(アンノウン)の下半身がボロボロと朽ち果てた。

 あまりに鮮やかな連撃。残るは四肢を捥がれた達磨のみ。

 死を拒むように絶叫を響かせ、涙を流し出す模倣者(アンノウン)


「……――《烈炎(れつえん)》ッ!!」


 だが、既に処刑用の業火は首元にまで迫っていた。




『ベロベロバ~。』




 …白銀(はくぎん)の華麗な一太刀が、空を切る。


 元来在る筈の頸部に触れることも無く通り抜け。


 本来無い筈の両手を使い模倣者(アンノウン)は強烈な煽りを行い。


 勝利を目前としていたシロンは想定外の出来事に戸惑い。


 次に起こることを悟ったアグニが咆哮を上げ飛び出した。


『悪いコトをシタのはドコのダレかぁなぁ?』


 模倣者(アンノウン)は全身の欠損を一瞬で創り直した。


 そして、本日二本目となる蓬莱(ほうらい)の再現も遂行する。


 名刀を楽々と完成させ、口元を歪めた模倣者(アンノウン)は…


『オマエだぁぁ♪』


 過去最大の歓喜を以て、シロンの腹部を斬り裂いた。


 舞い散る血飛沫。苦痛に悶える女。怒りに狂う精霊。

 咄嗟の判断で行われたシロンの急旋回が無ければ、蓬莱(ほうらい)は確実に彼女の心臓を貫いていただろう。とは云え、与えられた傷は深い。それこそ、既に身体中を巡り切った毒素との相乗効果でまともに立つことすら出来ぬ程に。肉体を巨大化させたアグニが、自身の鼻を用いてシロンの救助に勤しむが、彼も内心では悟りを終えていることだろう。


 この戦い、勝ちの目は最早何処にも無いと。

 主の渾身の一撃が不発だった時点で、負けが確定したと。

 後は模倣者(アンノウン)の暴力を必死で耐え凌ぐことしか出来ないと。

 アグニは悪夢でも見ている様な気分で、そいつを睨んだ。

 顔に浮かぶのは底無しの絶望。正直、同情を禁じ得ない。


『 ――FFFUSSSYUUUuuuu…, 』


 麒麟(ザスター)を前に、希望など抱ける筈が無いのだ。

 その幻妖は禁じ手とも云える切り札なのだから。

 だが、快楽に飢えた化物にこの声は届かない。

 見窄らしく逃げ回る二匹の生物に狙いを定め、

 暴虐の幻妖を真似た模倣者(アンノウン)が妖術を発動する。



 直後、黒紅色の雷光がシロンとアグニを焼き焦がした。




 ---




 そいつは、非常に弱い化物として世に生み落とされた。

 生来の容姿は、物質の三態のどれにも当て嵌まらぬ物体。

 ドロリと蕩けた、瘴気を発する奇妙な塊でしか無かった。

 発声も妖術も移動も思考も狩猟も出来ぬ、卑小な生き物。


 そんな中、唯一許されていたのが他種族の模倣だった。


 模倣者(アンノウン)が最初に真似たのは、人間の若者だった。

 冒頭にも述べた通り彼は多種多様な生物へとその姿を変化させることが出来たが、最も高い知能を誇る若者の姿は特に愛用をしているようだ。"夢"という妖術を習得してからは状況が少し変わったが、模倣者(アンノウン)の模倣能力は妖力を消費した妖術には分類されない。彼は身体の性質を変化させて再構築することが出来るという特異体質を持っているだけ。模倣出来るのは飽くまでも肉体的な部分のみであった。例えば、朱雀(モーダル)を真似ても『火』の妖術を扱える様にはならないし、九尾狐(ルクス)を真似ても『光』の剣を創造することは決して叶わなかったのだ。巨人(ギガース)の怪力や死神(シニガミ)の予知など、肉体に付随する超能力の類は使用することが出来たので、それだけでも充分な効力を発揮する特異体質ではあったのだが。


 それに、高度な知性を以て『概念への変質』が可能だという気付きを得た時点で、模倣者(アンノウン)が万能者へと至るまでの道筋は遥かに易しい物になっていた。特に重宝されたのは"虚無"への擬態だ。これが有ったからこそ、模倣者(アンノウン)はフィルド迷宮で人間達を隠密追跡することが出来たし、食らえば無傷では済まないシロンやアグニの奥義を透かすことが出来たのだ。体力こそ尋常では無い速度で消費するものの、実質的な無敵能力は模倣者(アンノウン)最大の秘術として今日の死闘でも幾度と使用されていた。


 ただし、彼の超能力にも致命的な欠点が存在する。


 ヒシの超再生に眠気という代償が伴う様に。

 クリモの未来予知が心臓への過負荷を引き起こす様に。

 ビトラスのような無機物に宿った魂が暴走を始める様に。

 …答えを言うのも趣が無い。一つヒントを出そうか。



 ――彼の模倣は、決して完全には成り得ない。




 ---




『ザマァ。』


 煤に塗れた敵手を指差し、模倣者(アンノウン)は高らかに嗤った。

 彼にとって、弱者を血祭りに上げることは快楽その物だ。

 血沸き肉躍る戦い?お互いの尊厳と矜持を賭けた争い?

 阿呆か。泣き喚く敗者を嬲る瞬間に優る物など無いだろ。

 苦痛を乗り越えた先の景色に興味は無い。欲するは無双。

 より強い生物を降し、格付けとして死ぬまで痛め付ける。

 それこそが、数百年という時を経た模倣者(アンノウン)が見付けた唯一の生き甲斐だった。


 つまり、今の彼は絶頂の最中に居るという事だ。


「……ッぁ…、」


 未だ獲物に息が有るという事実が、嗜虐心を加速させる。


 横たわりながらも荒い呼吸を繰り返すシロン。その隣には、搾り滓にも等しい微弱過ぎる妖力を用いて肉体の再構築を試みるアグニの姿が在った。彼らを眺めながら、若者の知能を模した模倣者(アンノウン)はゆっくりと思考を巡らせる。内容は『どんな最期にしてやろうか』という残酷な物だ。電熊(エレクト)の『雷』でジワジワ破壊するか? 硬犀(ライナー)の『力』で頭蓋骨を叩き割るか? 泥牛(バイソン)の『地』で狙撃を楽しむか? 雪猩(イエティ)の拳でひと思いに殺すか? アレも良い、コレも良い…。無数に在る選択肢が作り出す未来達を一つ一つ丁寧に思い浮かべながら、愉し気に笑う模倣者(アンノウン)。…そんな幻妖は、一つの妖石が目の前に落ちていることに気が付いた。


『ン~? あぁ、猛殺牛(ミノタウロス)ノカァ。』


 麒麟(ザスター)の稲妻が、天井を完全に壊し切ったのだろう。

 辛うじて形を保っていた地下闘技場は既に壊滅していた。

 赤く濁った妖石は、崩落に伴い落下した猛殺牛の物。

 奇跡か当然か、妖石には一筋の傷跡も見られない。

 つまり、未だ契約可能な状態で光輝いているという事だ。

 …ならば、それを拾った模倣者(アンノウン)がやることは一つ。


『 GGRWWUuooOOoo…, 』

『ウンウン、よく働くんだぁよぉ。』


 眷属として蘇った猛殺牛(ミノタウロス)が深い息を吐く。

 戦いの一部始終を観ていた模倣者(アンノウン)は、知っている。

 この獰猛な幻妖が、人間達の袋叩きに遭ったことを。

 数の暴力に拠って非道な仕打ちを受けたということを。

 模倣者(アンノウン)猛殺牛(ミノタウロス)を召還した理由は至極単純だ。


『さぁ、復讐の時間だネェ~。』


 整った顔を台無しなまでに歪め、模倣者(アンノウン)が嗤う。

 彼が見たいのは、仇敵であるシロンを猛殺牛(ミノタウロス)が殺す様。

 こいつをグチャグチャにしろと、主から従へ指示が飛ぶ。

 盛んに鼻息を立てる猛殺牛(ミノタウロス)は、己が主の要望通りに『地』の両刃斧を装備し、


『……ハ?』


『 GGRRWWOOUUuuuoooOOooo!!!!!! 』


 ――模倣者(アンノウン)の身体を真っ二つに叩き割った。


 状況が飲み込めず、呆気に取られた表情で間抜けな声を上げる模倣者(アンノウン)。彼は失われた組織を再生し、数秒間動きを停止させ、再び隣に立つ猛殺牛(ミノタウロス)を見上げ、…怒気を存分に含んだ叫び声を浴びせた。そんな幻妖の口を塞ぐ様に、猛殺牛(ミノタウロス)は再び戦斧を振り下ろす。だが、今度は流石に準備が整っていた様子で、蓬莱(ほうらい)を握った模倣者(アンノウン)は迫り来る斧刃を全力で破壊した。


『イうコトをキけよこのクソがッ!』


 右の斧が壊れれば左を振るい、左の斧が壊れれば右を振るう。際限無く『地』の凶器を生み出し続け、その矛先を例外無く模倣者(アンノウン)に向ける猛殺牛(ミノタウロス)。珍しく声を荒げる模倣者(アンノウン)が、一心不乱に眼前の若僧へと斬り掛かる牛型の幻妖にその怒声が届くことは無い。幻妖vs幻妖という稀に起こる大戦争だが、それが契約によって主従関係にある二者の闘いともなれば希少も稀少だ。


『 huSyuuuu…!!!! 』


 そんな激戦に、アグニの爆炎が投げ込まれた。

 狙いは無論模倣者(アンノウン)猛殺牛(ミノタウロス)に被害は無い。

 言葉を交わさずとも、彼らは共闘関係の形成に成功した。

 それを視て、益々模倣者(アンノウン)のイラつきが増大する。


「…ハ、ァ……――《烈炎(れつえん)》!!!」


 瀕死の重傷を負い、命は既に風前の灯火。

 けれども再び立ち上がったシロンが、刀を振るった。

 大気を伝い突き進む炎が、模倣者(アンノウン)の体に直撃する。

 と、同時。シロンは力尽きた様に膝から崩れ落ちた。


『クソ、ウゼェ!!』


 焼け焦げた肉を創り直す手間すら惜しむのか、罵声を放つ模倣者(アンノウン)は反撃に出ることを決めた様だった。彼がまず標的と定めたのは、主である己に牙を剥く猛殺牛(ミノタウロス)だ。自身を殺した人間を恨むどころか、味方になって護る様な真似までする猛殺牛(ミノタウロス)の行動心理を模倣者(アンノウン)が理解することは永遠に叶わないだろう。片や、漁夫の利の様な形で介入を行い、敗走する相手を悦んで甚振る化物。片や、全力を振り絞って鎬を削り合い、死の間際には最大の賛辞を投げ掛けてくれた人間。誇り高き戦士として生まれた猛殺牛(ミノタウロス)が何方の陣営に付くのか、卑怯と姑息の化身の様な模倣者(アンノウン)が其処まで思考を巡らすことが出来る筈も無かった。


『 GGRRrrWWWOOUUuuuUUUooOOooOOOooooo!!!!!! 』


 猛殺牛(ミノタウロス)の連撃は、回数を重ねるに連れてより破壊的な物へと成長して行く。世界最強の刀とも云われる蓬莱(ほうらい)を持つ模倣者(アンノウン)にとって、両刃斧の耐久力自体は然したる脅威と成り得ない。包丁で豆腐を切るように、余裕で刃を通すことが出来たのだ。問題は猛殺牛(ミノタウロス)の粘り強さ。斬っても切っても、壊した瞬間から新たな戦斧が創り上げられて行くのだ。先の見えぬ防衛戦に嫌気が差した様子の模倣者(アンノウン)は…


 振り下ろされた二対の斧を身体で受け止めた。


 右手の斧は模倣者(アンノウン)の肋骨を打ち砕き、

 左手の斧は模倣者(アンノウン)の太腿を斬り落とした。

 即死級の重傷だが、彼は怪我に一切の興味を示さない。

 ただ憤怒だけを抱いて、蓬莱(ほうらい)を身体の横に構えては…


『…ファッキュー。』


 猛殺牛(ミノタウロス)の全身を細切れに斬り刻んだ。

 妖力で造られた偽りの肉体が、粒子に還って行く。

 その奥には、傷を付けられ光を失った妖石が視えた。

 猛殺牛(ミノタウロス)が経験する二度目の死。これで復活は不可能だ。


 ――けれども、その幻妖は満足そうに散って逝った。


『ア”~、ウザかったァ~。』


 呪縛から解放された模倣者(アンノウン)が息を吐く。


「…私は、まだ生きてるぞ…!」


 そんな若者姿の幻妖の背後から、刀が振り下ろされた。


 振り返り様に模倣者(アンノウン)は刀を掲げて防御を取る。ギリギリと、刃を交えて押し合う二者。そんな最中、模倣者(アンノウン)の肉体は醜く瓦解を始め…。――二人目のシロンが姿を現した。顔の造形は全く一緒、背丈も一ミリの誤差すら生じさせていない。だが、本物のシロンと模倣者(アンノウン)が模したシロンには明確な相違点が二つだけ在る。一つは、傷の有無。もう一つは、握る刀。


『そんなノで、カてないヨォ~?』


 一方は、歴代最高の名刀と謳われる蓬莱(ほうらい)


「勝つ為に、私はこの刀を造ったんだ。」


 一方は、鍛造されて未だ二ヶ月しか経たぬ白銀(はくぎん)


 膠着を察し、二人はバッと後ろに後退する。

 そのまま鞘へと刀を仕舞い、腰を深く落とし。

 一寸違わぬ動作で、二人のシロンは息を吸った。

 同時に目を見開き、同時に正面へと駆け出し…。

 すれ違う直前、二人は素早く鞘から刀身を引き抜いた。

 甲高い金属音が鳴り、居合を終えた両者が立ち止まる。


「……………。」


 シロンの白銀(はくぎん)は、刃先が若干欠けていた。


『……馬鹿ナ……。』


 模倣者(アンノウン)蓬莱(ほうらい)は、中心から先が消失していた。


 現実を受け止め切れぬ様子の模倣者(アンノウン)は、ゆっくりとシロンの真似を解除する。先程まで彼が模していたのは、シロンの姿だけで無く動作その物だ。つまり、居合の力加減、速度、正確さは紛うこと無く同条件であった。その上で、シロンの刀は生き残り模倣者(アンノウン)の刀は折られたのだ。…此処に来て、文句の付け様の無い証明がされてしまった。


 真に最も優れている刀は、白銀(はくぎん)であると。


「忘れるな。私の名はシロン、鍛冶師の頂点に立つ者だ。」


 シロンは疾うに憧れの鍛冶師を超えていたのだと。


「そして、お前は化物としても戦士としても三下だ。」


 ピクピクと、若者の姿へと戻った模倣者(アンノウン)の眉が小刻みに震えている。他者が築き上げた栄光の結晶を模造し、相手の身体能力をも盗用して、その上で彼は敗北を喫したのだ。目も当てられぬ惨敗。シロンの降した評価が真実であるが故に、模倣者(アンノウン)は何も言い返せずに唇を噛むことしか出来ない。――そんな幻妖の腹を白銀(はくぎん)が貫く。


『無駄だっつってんダァロォ!!』


 身体の一部を透過させ、模倣者(アンノウン)は刃を躱す。

 更に、斬撃が空振り体勢を崩したシロンを蹴り飛ばした。

 受け身を取る元気も無く地面にゴロゴロと転がるシロン。

 しかし、転倒寸前だった彼女の瞳は確かに捉えていた。


 模倣者(アンノウン)の体内で胎動する、一欠片の物体を。


 見たことも無い、黒色の塊であった。

 氷のようでも、霧のようでも、水のようでもある。

 形は定まらず、動きも不規則。けれど確かなことが一つ。


 その物体だけは、模倣を行うこと無く存在していた。


「…アグニ、頼む。私に、お前の命をくれ。」

『 Syuuu…, 』


 シロンの指示を受けたアグニが飛び出す。

 周囲に無数の火球を浮かばせ、それらを牽引しながら。

 意図が分からずとも、理由は問わず。信じるは主のみ。

 自分を外の世界へと連れ出してくれた彼女の為ならば、

 命を投げ出すことなど、微塵も惜しく無いと思えたから。


『 huSYUUUUuuuu!!!!! 』


 彼は、魂を炎に換えて模倣者(アンノウン)に飛び掛かった。



『クタバレ。』



 ――そんな精霊の妖石が、砕かれる。


 再三言おう。眷属体にとって、妖石は急所だ。

 精巧で、繊細で、脆弱な、第二の心臓とも云える塊だ。

 与えられたのがたった一筋の傷であろうと、死に至る。

 幻妖でも、精霊でも。その理から外れることは出来ない。

 後数十秒も経てば、アグニは死ぬ。それだけは確定だ。


 …けれど、その猶予をどう使うかは彼の自由だった。


『 ―――Syuuu…!!!!!!』

『…! 死二損ナイがぁぁアアッ!』


 青白い火球が模倣者(アンノウン)の脳天を再び刺した。

 頭部を虚無に変えていた模倣者(アンノウン)は何とか危機を逃れ、今日だけで三本目となる蓬莱(ほうらい)を創り出しては、アグニが誇る棘の装甲をいとも容易く斬り裂いた。体内の妖石を砕かれ、妖力の肉体も約六割を喪失してしまったアグニ。けれども、未だ死んでいない…否、未だ死ねない。シロンがこの幻妖に打ち勝つその瞬間を見届けるまでは、何が何でもこの世界に留まり続けてやると。強靭な意思を以て、アグニは模倣者(アンノウン)に喰らい付いた。


 対する模倣者(アンノウン)は、酷く焦っている。

 焦燥の原因は、遠くの方で妖力を高め続けている女。

 既に攻略法を見出したであろう、危険な鍛冶師だった。

 何度も接近を試みるが、その度にアグニの邪魔が入る。

 アレを止めなければ負ける、そう理解しているのに…。


「…模倣者(アンノウン)、もう分かっただろう…。」


 毒の危害が深刻なのか、シロンは血反吐を嘔いた。

 刀を地面に突き立て、何とか意識を保っている状態だ。

 体力も妖力も限界。正真正銘次の一撃が最期の技となる。


「真似をするだけのお前に、私達は超えられない…!」


 彼女は探り当てた、模倣者(アンノウン)の弱点を。

 一見完璧な彼の模倣能力が有する、決定的な綻びを。


 一欠片、一部分。彼の模倣が適用されない所が存在する。


 それが不変の部位なのか、場所の変更が可能なのか。

 シロンが知ることは無かったし、知る必要も無かった。



 要は、肉体を跡形も無く消し飛ばせば良い話だから。




 ---




 簡単に説明するならば、模倣者(アンノウン)は生まれながらにして眷属体と非常によく似た性質を持つ化物であった。核となる小さな塊から絶えず独自の物質を分泌し続け、それの遺伝子を恣意的に組み替えることによって、他者を模倣するという力を発揮する。ただし生物学的には心臓と称されるその核だけは模倣能力を有さない為、基本的には核を囲うような形で能力を行使し、決して自身が死なないように立ち回って来たのだ。


 彼の模倣が完成することは無い。

 故に、彼が元作を上回ることも無い。

 万能を突き詰めた怜悧狡猾の幻妖は、

 究極を突き詰めた新時代の者達に負けるのだ。



 さぁ、見届けよう。彼らが魅せる終焉を。




 ---




 アグニの炸裂弾が模倣者(アンノウン)の肺へと突き刺さった。

 透明化が間に合わなかった彼は甚大な損害を負った様だ。

 核から洩れ出る使い捨ての物質とは云え、彼の体の一部。

 もしも傷付けられれば痛みは伴うし、再構築を行う為に相応の体力も要する。


『キエロッ!!!!』


 苛立ちが止まらぬ模倣者(アンノウン)はアグニを殴り飛ばした。

 手の甲に幾つかの針が突き刺さり、偽造の血が飛び散る。

 だが、邪魔者の排除に成功した模倣者(アンノウン)は上機嫌だった。


『 Syuuu……, 』

「…アグニ、……。」


 崩壊寸前の精霊の肉体が、シロンの足元に落下した。

 役目を全うしたが、肝心の最終局面には立ち会えない。

 それを理解し少し寂し気なアグニに、声が掛かる。


「私と出会ってからの日々は、戦いは、楽しかったか?」


 己の苦痛を我慢し、汗を隙間無く滴らせながら。

 それでもシロンは柔らかな笑みを取り繕って訊いた。

 主人の気配りに感謝を抱いて、アグニは元気に応える。


『 Kyuii! 』

「そうか、良かったな。」


 直後、アグニの身体が粒子と化して舞い散った。

 残ったのは幾つかの破片となった朱色の妖石のみ。

 五十年間。狂暴な火の精霊として君臨し続けた化物の、誉れある最期であった。


「どうか、安らかに。…後は私に任せて置け。」


 シロンが練り続けていた妖力は最高潮へと達した。

 こんな力、何処に隠し持っていたのかと思わせる程に。

 空間に存在する『無』の妖力達が感化されて輝き出す。

 それを視た模倣者(アンノウン)は、冷や汗を垂らして呟いた。


『…ニゲヨ。』


 彼の体が緩やかに蕩けて行く。

 愛用していた若者の姿から、別の若者へと。

 つい数十分前に覚えたばかりの青年の姿へと…。


『じゃぁネェ~。』


 模倣者(アンノウン)が真似たのはタドクという男だった。

 欲したのは、高度な知能。"転"を扱えるだけの思考力だ。

 戦線離脱という一点に於いてその妖術を上回る物は無い。


『…じゃあぁねぇ~。』


 あぁそうだ、これからはコイツの姿で移動を続けようか。

 筋力や体力も申し分無いし普段の若者も飽きていた所だ。

 この妖術が使えれば、悪事の幅もウンと広がるだろう。


『……ジャぁあねえぇ。』


 そこまで考えて、模倣者(アンノウン)は嗤うことを止めた。

 彼は未だ地下空間の中心に佇んだまま、動けずに居た。

 妖力は足りている。脳の能力も。座標の指定も…。


『ハァ? ナンデ使えネェんだッ!!!!』


 なのに、いつまで経っても"転"が発動しなかった。

 予想外の異常事態に模倣者(アンノウン)の身体が震え出す。

 彼に答えを与えたのは、息絶え絶えのシロンだった。


「…お前は、意思が弱過ぎるんだ…。」


『ハァっ? イミフ。』


「私がお前を縛り付ける力の方が、強いという事だ…。」


 シロンは心の中で念じ続けていた。

 模倣者(アンノウン)だけは、絶対に此処から逃がさないと。

 その意志は、彼が此処から逃げたいという意思より強く。

 結果として、模倣者(アンノウン)の転移を妨げるという作用を齎した。


『ナラ、ちょくせつ止めるダケダロッ!!』


 若者の姿へ成った模倣者(アンノウン)が大地を蹴る。

 手に握っているのは新たに創り出した刀剣だった。

 彼の目論見は二つ。一つはシロンを直接殺すこと。もう一つは、シロンのすぐ隣まで近づくこと。今の模倣者(アンノウン)にとって最も避けるべきは、彼女の決死の一撃をその身に食らうことだ。前者が成功し、物理的に技の発動を止められるのであればベスト。そうで無くとも、近付きさえすれば技の範囲から逃れられるであろうという算段であった。…何故って? 普通に考えて、己の必殺技に自分自身を巻き込む奴など居ないだろう?


模倣者(アンノウン)、お前は愚かだ。」


 妖術発動の最終調整段階に突入したシロンが嘆く。

 石の地面に亀裂が入り、規格外の熱気が漏れ始めた。

 突き立てられた白銀は『火』の輝きを増し続け、

 シロンの意思一つで爆発するということは推測出来る。


 ――だが、模倣者(アンノウン)の方が一足早かった。


 虚ろな目をしたシロンが、どす黒い血液を吐き出す。

 毒による吐血では無く、致命傷を負わされた所為だ。

 銘も無い凡庸な刃が彼女の心臓を射止めてしまったから。

 それを為した模倣者(アンノウン)は覆らぬ勝利を確信して笑う。


「――私の覚悟を、まだ見誤っている…!!!」


 ただし、シロンの発言でその表情は凍り付いたが。

 破裂した彼女の大動脈は、順調に死を運んでいた。

 シロンの余命は、アグニと同様にほんの数十秒。


 …幻妖にトドメを刺す為には充分過ぎる時間だ。


『…トマレ…、……トマレッ!!!!!!』


 シロンの、吠え猛る声は、唸り沸く妖術は、止まらない。

 洞穴に生じた熱気の亀裂も、留まる事無く広がり続けた。

 寿命と引き換えに妖力を得て、信念を薪として焚べて。

 彼女が燃やす最後の炎は放射の準備を完全に整えた。


 模倣者(アンノウン)の敗因は、見込みを外したことだ。


 猛殺牛(ミノタウロス)は誰よりも誇り高き戦士であった。

 アグニは誰よりも他人を信じて戦い抜いた。

 シロンは誰よりも強い野望を胸に抱えていた。


 自分自身の妖術に焼き焦がされる者など存在しない?

 とんだ勘違いだ。彼女は何の躊躇いも無くヤる人間だぞ。

 己が道を突き進む為ならば、全て賭してしまう人間だぞ。


「考えを改めろ…。これが私の生き様だ!!」


 朦朧とした意識を握り締め、模倣者(アンノウン)の背中に言い放つ。

 面積は大空間全域、高度は地上まで。火力は制御限界。

 思い描くイメージは、天へと立ち昇る灼熱の円柱。



       さぁ、焼き飛ばせ。



    「―――《黎明(れいめい)》ッッ!!!!!!!」



 大地の裂け目から、ドロドロに熔けた岩石が噴き出した。


 それらは模倣者(アンノウン)を巻き込み、シロンをも飲み込んで。


 地下二十一階から、地上数百メートルまでをぶち抜いた。


 フィルド迷宮延長戦。幻妖 模倣者(アンノウン) vs 卯杖 シロン。



 ――勝者、シロン。迷宮は消滅、生還者は…無し。




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 本来、太陽は沈み月が出る時刻だった筈だ。

 世界は闇に包まれ、見通しは非常に悪い時間。

 だが今現在の夜空は、まるで夜明けの様に明るかった。

 朱色の火柱が、天を焼いて照らしてしまったのだ。


 仰向けのシロンは、そんな空を眺めていた。


 毒に侵され、心臓を潰され、全身は火傷だらけ。

 何故生きているのか不思議な程だが、直に死ぬだろう。

 地下で炎に包まれた筈の彼女は、現在地上に寝ていた。

 そして、独りの青年に見下ろされている最中であった。


 フードを被ったその男は、白銀(はくぎん)を精査している。


 シロンは悟る。これはただの夢であると。

 今際の際に脳が見せている幻覚なのであると。

 己が此処に居る筈も男が此処に居る筈も無かったからだ。

 例え夢でも、その男にもう一度逢えたことだけが嬉しい。

 現実も空想も全て受け入れ、シロンは静かに目を伏せた。


「――ボク、超えられちゃったんだねぇ。」


 意識が手放される瀬戸際。本当に、最後の最期。

 聞き慣れた声で、嬉し寂しい声色でしみじみと呟いた。

 気力も体力も使い切ったシロンの口元が、フッと和らぐ。



 ……惚れ惚れする様な、安らかな死であった。



 亡骸の隣に白銀(はくぎん)を置いた男は、立ち上がる。

 視線の先には、同時に転移させた三つの妖石が在った。

 その内の一つ、砕かれた朱色の妖石だけを手に取り。


「ふむ、こっちは要らないかな。」


 残りの幻妖級妖石二つを、乱雑に蹴り飛ばす。

 目的は果たしたとでも言いたげに、男は歩み出した。

 かつての仲間に別れを告げ、精霊の結晶を懐に収めて。

 遠くの廃街で行われる人間達の抗争に見向きもせず。

 夢を食むと謳われる幻妖は、己が道を征き続ける。



 ―――鍛冶師の頂点という座を取り戻す為に。




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