第六十一話 封印
私達はついさっきまでフィルド迷宮に居た筈だ。
最終層を攻略して、皆頑張ったねって笑い合ってて。
急に若い男の人が入り込んで来て、…視界が暗転した。
そろそろ一分くらいが経つけど、未だ状況が分からない。
此処は地上。辺りに広がる街は廃れて滅んでいる様だ。
それで、…見下ろして来るこの人達は一体誰だ?
「四十八、四十九…。想定より少ないですな。」
『"転"が通じるかは相手次第だ。妥当な人数だろう。』
『ドウでも良い。さっさと殺すだけダ。』
一名は灰色の外套を羽織った男性。
一名は新品同様の祭服を身に纏った男性。
一名は背中からガラスの翼を生やした男性。
際立って目を惹くその三人を取り巻く様に、百名にも近い人間達も控えている。性別も年齢も違う人達だけど、皆似た様な灰色のフードを被っているのが印象的だった。その所為で表情とかは読み取れない…けど、全員がまるで立ったまま死んでいるみたいだ。息遣い一つ聞こえてこないのが余りにも不気味に感じられて、私はキュペを抱き締める力を強めた。
「軽く自己紹介と状況説明でも――」
どうやら、祭服の男が場を取り仕切る纏め役らしい。淡々と、私達を転移させた化物の正体や彼らが所属する宗教団体などの説明を行っているが、私の耳には全く以て入って来ない。周囲に居る五十名弱の仲間も同様の状態に陥っているらしく、発狂や恐慌とまでは行かない物の、心許なげに近くの者と眼を合わせ意見を交わしている様子であった。
「――話は以上で御座います。質問等は?」
私が別の部分に気を逸らされていた間に、祭服の男は話を終えてしまっていた。問い掛けが飛ぶのを待つ様に数秒間の沈黙を設けているが、私達側から声が発せられることは無かった。全員が全員、度肝を抜かれているのだ。戸惑い、嘆き…。とても平常心を保てる状況では無い。例えば、ヒシさんやシロンさん、タドクさんなんかが此の場に居たならば、物怖じすることも無く的確な対応を取るのだろうが…。……無い物ねだりは辞めないと、私の悪い癖だ。
押し黙る私達を見て納得したのか。
祭服の男は、柔らかな声で号令を掛けた。
「では信徒の皆様、――殺れ。」
直後、不動だったフードの人間達が動き出した。
相も変わらず人間味の感じられぬ、静かな歩み。
身を揺らしながら、徒手空拳で私達の元へ迫って来る。
「……おい、おい! お前ら人間だろ! 止まれよ!」
私の一歩前で表情を強張らせていた中堅の游蕩士が、意を決した様に正面の人間達へ話し掛けた。剣を引き抜いてはいるが、構えているだけだ。振るう気は無いらしい。…それはそうだ、相手は人間。それも、体格的に考えて一般街民だ。牽制なら未だしも傷付けることは出来ない。精神操作を受けている様子だから、それから解放してあげることが最善かな。今現在でそれが難しいなら、取り敢えず此処からの退避を優先して……
――私は、自分の考えが甘かったことを理解した。
「………う、で…?」
トスっと、説得を試みていた青年に"右腕"が衝突した。
自身の腕を千切って投げたのはフード集団の一人で、
地面に落下したその細腕は、直後に灰と化して散った。
「……壊死病。」
ぽつりと、女性の游蕩士がその単語を口に出す。
彼女が呟いた病名は、私にとっても馴染み深い物だった。
九年前、私の人生を狂わせた忌々しい病気の名前だった。
吐き気が込み上げ、思わず蹲りそうになったその時…
「ドンピシャっすね。」
「流石だぞ、タドク!」
「皆さん! 無事でしたか、」
十名程の游蕩士達が、私達を守る様に突如として現れた。
タドク、フヅキ、ミドル…その他熟練の戦士達。救援に駆け付けて来てくれたメンバーを視て、私はすぐに悟った。彼らは最初の強制転移から免れた者達だ。為す術も無くこの廃街に飛ばされてしまった私達を追って、フィルド迷宮から脱して来たのだろう。だが、一人だけ主要な人物が見当たらない。
「シロンさんは…?」
「足止めです、…心配無く。」
私の問い掛けに、フヅキさんが回答をくれる。
確かに、最下層で介入して来たあの化物を止められるのはシロンさんぐらいだろう。彼女程の実力者がそう簡単に負けるとは思えないし、足を引っ張ってばかりな私の気遣いなどお節介も良い所だ。兎に角、現状をどう打破するか。私が考えるべきは自分のことだけだ。
ゆっくりと、祭服の男が前に歩み出て来た。
「歓迎致しましょう。…模倣者は上手くやった様で。
知っての通り、此処はダストアグ。私達の本拠地です。」
ニコリと微笑み、ペコリと会釈し、ジッと彼を視る。
「著しい成長だ。久しぶりですね、タドク。」
まるで古くからの知り合いである様に。
祭服の男はタドクさんへ親し気な声を掛けた。
大勢の視線がタドクに集まるが、青年の反応は…。
「おっさん誰っすか。記憶に無いんすけど。」
…清々しいまでに希薄な物であった。
「あぁ、もう九年も経つのですね。」
「俺そもそも一回記憶全部消えたんで。」
「確かに、"転"の才能の片鱗は幼い頃から在ったか。」
「…化物の癖に、随分と俺のことに詳しいっすね。」
「当然で御座います。――そこのお二人、どうぞ前に。」
タドクさんと冷静に会話を交わしながら、
祭服の男はフード姿の人間を二名手招きで呼び寄せた。
歩み出て来た二人の大人はタドクさんの前で立ち止まり、
頭をすっかり覆っていた薄布をバッと取り払う。
――痛々しく、ひび割れた顔面が露わになった。
「貴方のご両親だ。感動の再会ですね。」
微笑みを崩さず、皮肉っぽく話す祭服の男。
しかし、タドクさんの反応はやはり酷く淡泊な物だった。
「そっすか。」
「…まさか、親御様のことも忘れていられるのですか。」
「言ったじゃないっすか、記憶全部消えたって。」
「一体どんな無茶をすればそうなるのか…。興味深い。」
祭服の男は、顎に手を当てて考え込んでいる。
『…退屈だ。まだ駄目なのか。』
そんな彼の背後から、ゾッとする程低い声が発せられた。
音の主はガラスの仮面を付けた背の高い男性だ。左翼は蝙蝠に似た黒い物、右翼は職人が手掛けた様な美しい造形の物が生えている。妖力を感知する才覚を然して持ち合わせぬ私でも、その男が猛殺牛などを軽く凌駕する規格外の幻妖であるという事実は理解出来た。現に、フヅキさんやミドルさんの警戒は常にその幻妖へと向けられているみたいだ。
「失礼、マグラ様。どうぞご自由に始めて頂ければ。」
『あぁ。捕虜は必要か?』
「いえ、先程確保した者達で事足りております。」
『そうか。』
――瞬間、私の身体に血飛沫が降り掛かった。
ゆっくりと後ろを振り向くと、一人の女の人が居た。
ついさっき、壊死病という呟きを洩らしていた人だ。
その心臓部には、小さな斧の刃が突き刺さっている。
「…こヒゅっ……、」
崩れ落ちる様に、女性は地面へと倒れ込んだ。
確認をせずとも、その命が既に絶えていることは分かる。
『我が根絶やしにしてやろう、下等生物。』
二人目。ガラス仮面の幻妖は、青年の首を掻っ切った。
三人目。天から降り注いだガラスの針が致命傷となった。
四人目。地面から生えた刃が、成人男性を串刺しにした。
五人目。狙われたミドルさんは、幻妖の斧を見事に弾く。
「好き勝手やってんじゃねぇぞ…!!」
『…封の精霊使い。貴様、ミドルという名の人間だな。』
「随分と情報通じゃねぇか…、その通りだよクソ野郎!」
戦闘経験を多く積む游蕩士達を一方的に屠ってしまう程の、馬鹿げた戦闘力を持つ幻妖を相手に、ミドルさんは一歩も退かぬ斬撃戦を演じて見せる。マグラと呼ばれた幻妖の男が主として用いるのは、薪割りに使う程度の小型なガラス斧らしい。但し、それらが常に両手から生み出されるとは限らない。時に上空から、時に壁面から、時に真下から。四方八方から飛び交う小型斧の弾幕は、その一本一本が残酷なまでの精密さを以てミドルさんの命を狙っている。
「テメェら! 絶対に近寄んじゃねぇぞっ!!」
『殊勝な心掛けだが、自己犠牲は何も生み出さんぞ。』
加えて、魔人のマグラは本体の身体能力も本物だ。凶器の弾幕を掻い潜りながら、ミドルさんは幻妖に向けて幾度と無く片手剣を振るっているが、今の今までその刃が敵の身体に命中した痕跡は無い。それどころか、衣服にすら剣が届いていないのだ。対するミドルさんは、時間が経つに連れてその出血量を増やしていると云うのに。戦いを眼で追うだけで精一杯な私が言うのも烏滸がましいが、両者の実力者は歴然だ。ミドルさんの勝機は余りにも薄い。
そんな折、ミドルさんは大きく眼を見開いた。
彼の瞳に映るのは、正面から迫り来る一本の斧だ。
体勢が崩されており、避けることは到底叶わない。
数秒先の未来を恐れ、私が目を瞑り掛けた時…
そのガラス斧は空中で分解し、粒子が舞い散った。
『 UAaaaaa…!! 』
『……小物が。』
ミドルさんの命を救ったのは、封の精霊 ドロプ。
どうやら『封』を使ってガラス組織を崩壊させた様だ。
マグラは、横槍を入れた小柄な精霊を睨み付け、
――白布にも似た彼の肉体を、切り裂いた。
力無く墜落を始めるドロプを、ミドルさんが受け止める。
素早く安否確認を行い、安堵した様に笑って息を吐き、
それまで戦っていた敵に背を向けて、街中へ走り出した。
「掛かって来やがれ、すかし野郎!!!」
…掲げた右手を振るって、安っぽい挑発を行いながら。
気分を害された様に顔を顰めた幻妖は、彼の姿を追った。
◇
「相変わらず短気なお方だ。」
「自分の主にそんなこと言って良いんすか。」
「マグラ様とは飽くまでも同盟を組んでいるだけですよ。」
「じゃあ、アンタ達のトップは誰っすか。模倣者?」
「あの方はそういう質では御座いませんよ。」
後ろを振り返った祭服の男は、小さく口元を緩めた。
「私共を率いるのは彼方の―――灰人様です。」
その名前を聞いて反応を示したのは、タドクさんでは無かった。九年前、彼と関わりが有ったのは集団の中の二人だけ…。私と、フヅキさんだけだ。驚愕に目を見開いた私とは対照的に、最初から見当を付けていた様子のフヅキさんは確信を得た様に瞳を細めた。一気に話題の中心へと躍り出た灰色外套の男は、まるで興味が無い様に遠くの空を眺めている。
「……もしかして、アッシュ、さん…?」
私が名前を呼ぶと、彼はチラリと此方に目を遣った。
…間違いない。むしろ何故気が付かなかったのか。いや、彼が此処に居る筈が無いと、心の奥で勝手に決め付けていたのだ。九年前、私の兄である『アオタ』が他界したと同時に行方不明になっててしまった、兄の親友。少し無愛想で、喋りに独特な訛りが有るけれど、子供の面倒見が良く、未だ幼かった私のお世話もよくしてくれた、優しい游蕩士のお兄ちゃん。そんな彼が、こんな寂れた場所でこんな危ない人達と連んでいるとは、全く思いもしなかったのだ。
「おや。灰人様、知り合いですかな?」
『…イヤ、知らなイ。人違いだロ。』
「っ、そんな!」
人違い? そんな筈が無い。絶対間違いじゃない。
灰色の硬い髪に、ジトりとした三白眼。痩せた身体。
見れば見る程、私が慕っていたあのアッシュさんだ。
「私は貴方のことも知っていますよ。ジェゴクさん。」
「ほう? 申し訳無い、私に心当たりは有りませんな。」
「街の認可を取得していた唯一の眷属放し飼い喫茶店。
その店長が、貴方です。九年前に失踪していましたね。」
「…博識なお嬢さんだ。」
フヅキさんに正体を看破され、『ジェゴク』という名の祭服の男は僅かに口角を下げた。言われてみれば、リソルディアにそんな雰囲気のカフェが在った様な気がする。とは云え九年前、私は八歳でフヅキさんは十歳。そんな幼少期の頃に出会った経営者のことを、顔と名前まで正確に記憶しているフヅキさんが凄いだけだ。
「答えなさい、私達より前に游蕩士の一団がこのダストアグへと訪れたでしょう。彼らを何処にやったのですか? 返答次第では…、私は命を奪う覚悟が出来ています。」
薙刀を構え、フヅキさんは戦闘態勢を取った。
そんな彼女を見て、ジェゴクは事も無げに応える。
「お仲間の皆様なら、目の前に居るではありませんか。」
ピシりと、まるで雷にでも打たれたかの様に。
それまでは極めて冷静な顔を保っていたフヅキさんの表情が揺らいだ。最悪の事態に遭遇してしまったとでも言いたげに、額に冷や汗を伝わせている。私の思考は、未だ彼らの会話に追い付くことが出来なかった。その間に、ジェゴクさんはフード集団の中に居た一人の男性に歩み寄り、その顔を見せつける為に灰色のフードを剥がし取る。
…細身、隻腕。罅割れた皮膚。
欠けた面貌の一部が粉塵として舞い散っている。
けれど、本来の顔を想起出来る範疇の欠損だった。
――彼は、ダストアグ調査隊の隊長だった男だ。
昨日、手を振り合って別れた筈の、気さくな男性。
紺糸所属の游蕩士で、その戦闘能力は確かだった。
数々の死闘を潜り抜けて来たであろう熟練の戦士なのに。
何故敵であるジェゴクさんの下に付いているのだろうか。
「…やっぱり、壊死病だ…!」
つい先程、集団の中から此方に飛来した右腕を思い出す。
アレは、茫然自失となっている彼の物だったのだろう。
けど、何故そんなことを? 何故壊死病が蔓延している?
何故、今。九年前の悪夢が私達の目の前に現れている?
「私達の仲間を返しなさい。」
「ふむ、拒否は致しませんが…。既に自我は無いですよ?」
「…何という事を……。」
怒気を強めたフヅキさんは今にも飛び掛かりそうだ。
だが、背後から聞こえた呻き声が彼女の行動を鈍らせた。
「ぅ、ぁあ…。」
――徐々に崩壊する己が身体に絶望する、青年が居た。
数分前にフードの人間達への説得を試みていた游蕩士だ。
確か、壊死病に侵された右腕を投げ付けられたのもこの青年であった筈…。
「まさか、感染を…!」
「ぃ、いや!そんな訳無いよ!触れただけで罹るなんて…」
「――ふむ、改良を加えた甲斐があったという物ですな。」
フヅキさんの呟きへ被せる様に発した私の声は、
ジェゴクさんの耳を疑う様な言葉によって掻き消された。
……改良?
あれだけ多くの被害者と死者を出した病気を?
今も尚後遺症に苦しむ人が沢山いる、あの病を?
私から兄を奪いフヅキさんから両親を奪った、壊死病を?
「接触感染、脳の破壊、加えて肉体の乗っ取り。
苦労しましたが、中々良い物に仕上がったでしょう?」
私は、温厚な笑みの裏に隠された狂気を垣間見た。
この人は、このジェゴクという男は。本物の、悪人だ。
「クソッ!!」
一人の若者が、瓦礫の上に座り込む灰人へ矢を放った。
「させませんよ。」
だが、天高く跳び上がったジェゴクが矢を弾こうと動く。
「…アンタにも、させねぇよ。」
瞬間、祭服を着た彼の姿が其の場から消滅する。
構わず突き進む『雷』の矢を視た灰人が右手を掲げる。
すると、巨大な灰の集合体が何処からとも無く現れた。
矢は勢い良く灰の中に飲み込まれて行き、崩壊した様だ。
「…街との通信はどうでしたか。」
「一応入れたが…、届いてるかは不明だ。」
フヅキさんの問いに、救援要請を試みていたモズクさんが答える。彼の手には信号を送受信する為の妖具が握られている。紺糸の通信用ピアスよりかは性能が優れている妖具だが、それでも街へ音声が届くまでには十数分の時間が掛かるだろう。折り返しの信号が此方へ届くまでに、同じく十数分。増援部隊が編成され特急で街を出発したとしても、このダストアグへ到着するまでに数時間は要する見込みだ。
数秒静かに考え込んだフヅキさんは、答えを決めた。
「…此処で幻妖を討ちます。」
街からの脱出では無く、化物へ立ち向かうという事を。
「了解っす。俺はアイツの対処に当たるんで。」
「えぇ、ご武運を。」
急く様に言い残したタドクさんの姿が消失した。
きっと、遠くへ転移させた男の元へと飛んだのだろう。
あの祭服の男は、恐らく相当な実力を有している。
それこそ、タドクさん級の游蕩士が対処に当たらなければならない程に…。
つまり、フヅキさんが残ったこっちもかなりヤバい。
『全員殺セ。手段ハ問わなイ。』
壊死病を患った百名程の人間達が、ゆっくり迫って来る。
そして、彼らを掻き分ける様に数十体の化物も現れた。
「気を付けて下さい、彼らも操られています。」
唸り声を上げる獣達は、やはり壊死病に侵されている。
つまり、保有する妖力が底上げされているということだ。
改めて、兵器運用された病の凶悪性を感じざるを得ない。
「フヅキ! 人間達はどうする!」
「殺さないのが理想ですが、…自らの安全を最優先に。」
いざという時は殺害も余儀無し。そういうことだ。
「壊死部に触れた場合は、直ちにリエルかキュペまで。」
青年の壊死病を治し、私とキュペは立ち上がる。
この作戦の要は私達『癒』の使い手だ。気を引き締めろ。
既に侵食され切った者は救えないが、犠牲者は無くせる。
今日、此の場所でなら、私は最前線で肩を並べられる。
――劣等生は卒業だ。
---
このダストアグという街が滅んだのは約百年前。
直接的な原因は『幻妖の襲撃』と、非常に有り触れた物だ。それも、アータミン程の壊滅的な被害を受けた訳でも無い。ただ、良い時期だし新たな街を作ろうか…そんな緩い雰囲気で人間の手を離れたというだけだった。云わば、街民総出のお引越し。ダストアグの放棄と入れ替わる様に創立されたのが、今も続く『研究の街 ユルドース』だ。
建造物が比較的綺麗な状態で保たれており。
人間の街からは程々の距離が確保されており。
見晴らしが良く他生物の接近にも気付きやすい。
…幻妖が占拠するのに、これほど好条件な廃街は無い。
「ドロプ、思いっきりやっちまえ!!」
『 UUAAAaaaa!!!! 』
――そんな寂れた街の中を、男が駆け抜けた。
長時間走り続けたからか、その呼吸は荒い。
だが、速度を緩めるどころか更に急いで前へ漕ぎ出し。
肩に乗っている自身の眷属に素早く指示を出している。
直後、彼らの背後に在る建物達が軒並み倒壊した。
『封』に拠る、数百メートルにも及ぶ地盤の脆弱化。
封の精霊であるドロプが最も得意とする妖術だ。
だが、ミドルは一切の手応えを感じていなかった。
魔人という幻妖がこの程度で死なないと知っているから。
咄嗟に、ミドルが低く屈みこんだ。
…そんな男の頭上スレスレを、ガラスの斧が通過する。
『…猪口才な人間だ。』
圧し掛かった瓦礫の塊を腕力のみで押し退け、魔人は擦り傷一つ無い身体を敵手に見せ付けた。その信じられぬ光景に目を剥きながらも、すぐに正面へ向き返ったミドルは先を急ぐ。この時点でニ十分強、背中を晒して無様に逃げ回る獲物に嫌気が差している様子の魔人だが、ソイツが決して無視することの出来ぬ標的だと云う事前情報は得ている為、不本意ながらも『追跡する』という選択を取るしか無い様だ。…その行為が例え、ミドルの思う壺だったとしても。
目的は時間稼ぎ。――当然、魔人は悟っている。
理解した上で、ミドルとドロプの策に乗っているのだ。
『勝つ気が無いのならば、さっさと諦めろ。』
後数分で、相手が力尽きると知っているから。
「っ! 避けろッ!!」
『 AAAaaa…!!! 』
魔人の投擲した斧がミドルの右肩を掠めた。また、其処に乗っていたドロプの、綿菓子の如き肉体が大きく削り取られる。空飛ぶ斧の勢いを減衰し軌道を若干逸らしたのが功を奏したのか、幸いにも体の奥底に隠し持っている妖石に損傷は無い様だが…。今の場面だけでも分かるだろう。彼らは既に限界だ。被弾率は明らかに増加し、鈍った動きが目立つ。そもそも、かつて街一つを壊滅に追い込んだ幻妖相手に、たった二体の『封』使いだけでよくぞ此処まで粘っているなという話だ。次の人間殺戮に向けて魔人が多少の力を温存しているという事実も大きく関わっているだろうが、それでもその殺意は本物だ。決して、手を抜いた易しい狩りとは云えない。数々の修羅場を潜って来たミドルだからこそ出来る、卓越した素晴らしい生存術であると評せよう。
だが、幻妖足るマグラが持つ先見の明も本物だ。
想定より時間は掛かった物の、当初の目論見通り。
崩すならば、まずは精霊からだと考えていたから――。
―――ドロプの身体を、ガラスの刃が貫通する。
『 ……!!! u,aaAAaa……, 』
『まずは一匹。…これで詰みだ、人間。』
今までの空を切る音とは明らかに違う、甲高い金属音。
妖力から創られた偽造の肉体では無い、核が傷付いた音。
叩き割られたのは妖石。眷属体にとって、それは即ち…
……決して覆すことが出来ぬ、死を意味する。
身体から力が抜け、地面へと落下を始めるドロプ。
そんな眷属を見過ごせず、疾走を止めてしまったミドル。
彼の太腿に、急造のガラス斧が容赦無く突き刺さる。
「……ぐぁッ!!! …ドロプっ……!」
ミドルは苦痛に身を悶えさせるが、それでも意識を保ち、
振り絞った力で身を翻すや否や、…ドロプを抱き締めた。
『 uaaa…, 』
「へっ、心配すんな。」
『 uaaaAA…, aaaa!! 』
「分かってるって、お前はよく頑張ったぞ?」
『 AAaaaAA…!!!! UUAAAAaaaa…, 』
「そうだ、後は俺に任せとけ! …先に、逝ってろ。」
『 aaa, uuaaa…♪ 』
「…またな、ドロプ。」
パッと、灰色の粒子が飛び散り、宙に溶けた。
"憧憬"の精霊が最後に望んだのは、主人の行く末。
この人ならば、きっとあの幻妖も倒してくれるだろうと。
ぼくを独りから連れ出してくれたこの人なら、きっと――
…封の精霊 ドロプは、満足そうな声で最期を遂げた。
寂しさなど微塵も滲ませぬ、幸福に満ち溢れた表情で。
「…………………。」
彼を看取った男の手には、灰色の妖石だけが残った。
もう二度と蘇ることの無い、精霊の遺骸だけが在った。
『別れは済んだか。』
「…あぁ、待たせちまったな?」
ゆっくりと立ち上がったミドルは、剣を引き抜く。
妖力孔の操作や追跡者の足止めなどを担ってくれていた、最高の相棒はもう居ない。脚に深手を負ってしまった彼が、独りで魔人から逃れられる道理は無かった。追走劇はお終いだ。ミドルが生き残りたければ、この一騎打ちを制す他無い。
『…剣で立ち向かうつもりか?』
「あったりめーだろ、ぶっ潰してやるよ!」
『期待外れだぞ、人間。ただ無策で逃げていただけか。』
瞬く間に、魔人はミドルへ肉薄した。目にも留まらぬ速さで、ガラスの小型斧が振り下ろされる。焦りの汗で洋服を湿らせながらも、ミドルは間一髪で防御に成功した。そのまま、決して遅いとは云えない程度の斬撃を放つが、…残念ながら魔人に通じるだけの切れ味では無かった様だ。余裕のある動作でミドルの片手剣を躱した魔人は、すれ違い様に彼の腹部へと強烈な殴撃を叩き込んだ。
「がはッ…、…っ……!」
殺人的な握り拳の威力を受け流し切ることが出来ずに、ミドルの身体は後方数メートル先へと吹き飛ばされた。殆ど倒れ込む様に着地したミドルは、バタバタと忙しない動きで逃亡を開始した。まるで、虎に狩られる兎の様だ。誰がどの様な角度から視ても、どちらが狩る者でどちらが狩られる者かは明白。両者の間に存在する大き過ぎる戦力差は、例え天地がひっくり返っても覆ることが無いだろう。
『足掻いた所で、何も変わらんぞ。』
魔人の投擲した二本のガラス斧が、ミドルの首筋と脇腹を切り裂きながら通過した。想像を絶する痛みに呻くミドルだが、『封』で流血と痛覚の両方を抑え込むことによって何とか正気を保っている。彼にとって不運なのは、此処がダストアグの中心部に設けられた広場であるという現実だ。障害物も無ければ、逃げ道も無い。全領域、魔人の狙撃圏内だった。
「…何かを変える為に、俺は足掻いてんだよ!」
ベーっと舌を出し、ミドルは魔人に言葉を投げ掛ける。
それを聞き、マグラは益々呆れた様な溜め息を吐いた。
『もう良い、すぐに楽にしてやる。』
「お断りするぜ! 俺にはまだやることが残ってんだ!」
剣先が魔人に向けられ、ミドルの妖術が発動する。
オオラモが彼に伝授した、空気に"波"を伝わせる業。
《気迫》という名が与えられた、不可視の一撃だった。
『小賢しい。』
だが、妖力を完璧に読み取った魔人は回避して見せた。
次いで放たれる砲撃も、その次も、幻妖には当たらない。
じわじわと両者の距離が…ミドルの死が、近付いて行く。
「……へッ、そんなんだから、気付かねぇんだ。」
ミドルの呟きは、ほんの微かだけ魔人の耳に届いた。
怪訝そうに一瞬立ち止まる魔人だが、…すぐに歩き出す。
小物の戯言だろうと、わざわざ聞き返す事もしなかった。
「未だに俺が無策で逃げてただけだと思い込んでやがる。」
今度こそ、進んでいた魔人の足が完全に静止する。
彼の頭を過るのは、内通者が洩らしていたミドルの情報。
この男はタダでは転ばないと、アイツは言っていた筈…。
「…自分の足元をよぉく眺めるこったな。」
ストンと、魔人は真下へ視線を落とした。
其処に転がっているのは、つい先程砕いた精霊の妖石だ。
込められた妖力は、ミドルとドロプのが入り混じった物。
ほぼ限界まで抑えられていた妖力の漏出や発光が再開し、
魔人の脱出を許さぬ内に、ミドルの妖術が発動する――。
「もう遅ぇよ。――《乖離》」
瞬間、魔人に生えていたガラスの翼が、握っていたガラスの斧が、付けていたガラスの仮面が。自動的に術者の制御下を離れ、妖力の粒子と化して大気へと還って行った。妖術操作の失敗という、未熟な術者だけが起こす様な初歩も初歩の失態。それを、幻妖の中でも頂点に君臨する魔人が晒してしまったのだ。本来ならば笑い物にされて然るべき大事件だが、今回に関してはマグラに落ち度は無かった。
『…我に何をした…!!! 人間ッ!!!!』
「妖力の操作能力を封じただけだ…、気分はどうだ?」
ミドルが一枚上手だった。それだけだ。
『貴様、そんなことをして体が』
「…無事な訳がねぇだろ。何も視えねぇよ。」
『封』の過剰行使。強大な技には、強大な反動が伴う。
今回の場合、代償として捧げられたのは視覚だった様だ。
対して得た効果は、幻妖の妖術を長期間封じること。
一方は永遠、一方は片時。けれど、実力差を考慮すれば充分な均衡だろう。
時間を掛けて現実を飲み込んだ魔人が、息を吐く。
勝ち誇った様に笑う人間を見つめ、舌打ちを一つ洩らし、
『お前を葬るという些事に、妖術何ぞは必要無い。』
拾い上げた鋭い石の破片を、ミドルの心臓に突き立てた。
どす黒い血反吐を垂らしながら、…それでも彼は喋った。
「…この二ヵ月間、俺が何もしてねぇと思ってんのか?」
得体の知れぬ悪寒を感じ、魔人が退散を試みる。
が、ミドルは自身を殺す敵の手首を掴んで放さなかった。
「俺が、無策でこの広場に逃げ込んだと思ってんのか?」
一つ、補足説明を入れておこう。幻妖に滅ぼされ、殆どの街民がユルドースへと移住を行うよりも前。このダストアグは、多くの研究者が暮らす英知の街として知られていた。当時は学校という機関も存在せぬ時世、彼ら研究者が一か所に集合して共同で学問の追究を行う機会は稀であった。であれば、何処で研鑽を積むのか。――答えは、地下だ。ダストアグの建物には、ほぼ全てと云っても良い程に地下室が設けられている。今となっては中々見掛けられない光景だが、百年前の研究者達は専用の地下室に籠り切り、個々人で世界の真理を解き明かすことに励んでいたのだ。
因って、ダストアグの地下は基本的に穴だらけ。
唯一しっかりとした土壌が詰まっているとすれば、
今現在彼らが踏み締めている、此の広場くらいだろうか。
「俺に『詰み』って言ってたな…、訂正した方が良いぜ?」
「本当に詰んでるのは……てめぇの方だぞ、マグラ…!」
「お前のデケェ野望にとっちゃ此処は通過点だろうがよ…」
「俺にしてみりゃ、人生で一番華々しい瞬間なンだわ!」
「もう、ひん曲がった生き方はしねぇって誓ってんだ。」
「気取って、格好付けて、取り澄まして、…後悔する。」
「そんな生き方は終わりにするって、俺は決めてんだよ!」
妖力孔が人為的に操作され、ミドルの妖力が膨れ上がる。
許容妖力量を超え器がピキピキと罅割れるが、関係無い。
既に色を失った瞳をそれでも見開き、握る力を増し続け。
「脳に刻み付けとけ…! 俺達は『紺糸の惑溺』!!」
妖石が織り込まれた片手剣の刃に妖力が注ぎ込まれる。
属性は『無』。この二ヶ月間、タドクに習った妖術だ。
負荷は大きく、練習での成功回数も五回を下回っていた。
それでも、彼はその"転"という妖術の使用に踏み切った。
ここで勝負に出るだけの覚悟は、とうに出来ていたから。
「勝つ為に全てを投じる、バカな野郎共の集まりだ!!」
―――彼らを支えていた大地が、一瞬にして消滅した。
『――! これは…ッ!!!』
重力に従い、ミドルとマグラは団子になって落ちて行く。
ガラスの翼を捥ぎ取られた魔人に、抗う術は無かった。
…落ちて、地面に叩き付けられるだけなら良かったのだ。
強靭な肉体を持つ幻妖ならば、軽傷で済んだだろうから。
大問題なのは、抉り取られた土壌の行き先だった。
「…がはッ、…諸共、生き埋めだ…。」
――ぽっかり空いた落とし穴から、土塊が降り落ちる。
妖術の反動か、心臓の破壊に因る物か。
血を吐き出すミドルは、それでも気丈に頬を緩めた。
彼は死期を悟っている。いや、最初から覚悟していた。
マグラを挑発し、仲間達から引き離したあの瞬間から。
この幻妖だけは何が何でも冥府に引き摺り込んでやると。
道連れで上等だと。…ずっと、心に決めていたのだ。
「――《不帰》……。」
最期に、生涯を通して愛し続けた女性の名前を呟いて。
役目を終えたミドルは、冷たい土の下で息を引き取った。
―――『雷』が舞い降り、突如として大爆発が起こる。
全てを賭けた男の、信念も、覚悟も、希望も嘲笑う様に。
招かれざる『橙』の魔人が、全ての危険を消し飛ばした。
当然、死に掛けていた『灰』の魔人を救い出す為だ。
『あらあら? 随分と惨めな姿ねぇ~マグラちゃん。』
『…何の用だ。助けを乞うた覚えは無いぞ…!』
『命の恩人に向かってその態度はどうなのかしらねぇ~?』
同胞達によって尾行役に抜擢され、一週間を通してマグラの監視を続けていた橙仮面の魔人は、口に手を当てクスクスと嗤っている。彼女達にとって、人類は取るに足らない家畜のような種族だ。そんな下等生物に、最近力を付けて調子に乗っている煩わしい同胞が、敗北一歩手前にまで追い込まれたとも為れば、向こう一ヶ月は雑談のネタとして重宝出来る程に面白い出来事だ。マグラに圧し掛かっていた大質量の瓦礫達を『雷』で消し炭にしてあげたのも、決して『人助け』という様な崇高な理念に沿った物では無い。ただ、此処で命を救って煽り尽くしてやろう。精々、情けない生き恥を晒して貰おう――。そんな下劣な思考から成る行動であった。
『にしても、コイツもコイツよねぇ~。』
口角を上げる『橙』は、ミドルの死体を掘り起こした。
彼の右足を掴み、破壊的な膂力を以て宙吊りにしている。
死者に対する畏敬も追悼も持ち合わせぬ、乱暴な扱いだ。
『大見得を切った割に、結局ただの自殺じゃないの。
これだから馬鹿は嫌いなのよ、生産性がゼロよねぇ。
…フフッ。そうね、ぐちゃぐちゃにしちゃおうかしら!』
橙の魔人の拳に、妖力が凝縮されて行く。
それがミドルの身体へと振り抜かれんとした、その時…。
『…其処までにしておけ。そいつは、もう死んでいる。』
パシッと、ミドルの腕が殴撃を停止させた。
笑顔は崩さず、けれど殺意も忘れず。『橙』は振り向く。
『ちょっとぉ~、邪魔しないでくれるかしら?』
『元より我の獲物だ。お前が手を出す権利は無い。』
『妖術も封じられた木偶の坊が、よく喋るわねぇ~。』
空中で手を放され、ミドルの死体は地面に衝突する。
だがそんなことは気にも留めず、『橙』は微笑んだ。
『――やっぱり、ここで殺しておこうかしら?』
『雷』を纏う彼女の拳は、マグラへと迫り行く。
腐っても幻妖、腐っても魔人。殺傷には充分な一撃だ。
妖術を扱えぬ今のマグラが食らえば、無事では済まない。
『 ―――FUSSSSYUUUUU……, 』
…つまり、麒麟の登場タイミングは完璧であった。
紫色の禍々しい稲妻が落とし穴内を駆け巡った。
意図は、牽制。己が主に楯突く幻妖を威嚇する為に。
もし次同じことをすれば殺すぞと、殺害予告をしていた。
『出たわねぇ、マグラちゃんの操り人形。』
素早くマグラから距離を取った『橙』が睨みを利かせる。
『正直、貴方が相手なら私が勝っちゃうわよ??』
『 FFFUUSSYUUUuuuuuu……. 』
殺気を大いに孕んだ二種類の雷光が絡まり合う。
正に一発即発。幻妖達による死闘の開幕まで秒読みだ。
『麒麟、下がっていろ。』
だが、マグラの一言により緊迫感が消滅する。
命令を降された麒麟は後ろへ退き、『橙』は息を吐いた。
『マグラちゃん、あんまり私を失望させないで頂戴?』
『此処で争いを起こすのが不利益、…ただそれだけだ。』
興味が失せた様に翼を広げた『橙』が、呟く。
『相変わらず腰抜けね。――落ち零れの魔人ちゃん。』
勢い良く飛び立った彼女の姿は、数秒で追えなくなる。
穴の縁から差し込む月光を浴びるマグラが命令を出した。
『我の妖術は、数カ月間使い物にならない。
…一度、休息だ。さっさとこの街から立ち去るぞ。』
『 FUSYUUuuu…, 』
麒麟の背中に飛び乗ったマグラは地上を見下ろした。
乱雑に地面へ投げ捨てられているのは、ミドルの死体だ。
それを埋葬する義理も道理も、幻妖である彼には無い。
ただ、命を賭け向き合った者として、同じ戦士として。
心の底から人類を憎むマグラにしても、思う所はあった。
彼は、己を死の淵にまで追い詰めた初めての人間だと。
最期まで勝利に執着するその気概は評価に値すると。
紺糸のミドル。きっと、忘れることは無いだろう、と。
ダストアグ前哨戦。魔人 マグラ vs 紺糸 ミドル。
――引き分け。『封』使いは死亡、マグラは戦闘不能。
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