第五十九話 介入
フィルド迷宮は、地下に円柱構造で広がっている。
一層当たりの面積は、数万人の大人が集合しても余白が生まれてしまう程に広大で、そんな階層が何十と重なっている物だから、過去に出現した迷宮達と比べて見ても頭一つ抜けて大規模な迷宮に為っているという話を聞いた。私は今回が初の迷宮探索だから、その情報を耳にした時は不安で仕方が無かったけど…。
「―――《紙散》」
…今となっては、その懸念が完全に払拭されていた。
モファさんが、私の遠征をあっさりと認めてくれた理由が分かったような気がした。この豪華メンバーの中で私の身に万が一が起こることはまず有り得ないだろうと、強い信頼の上で送り出してくれたらしい。あぁ、同意見だ。大群を形成して猛攻を仕掛けて来た蟻型化物を、目にも留まらぬ斬撃で小間切れにしてしまったフヅキさんの姿を視て、未だ己の身を案じることなど出来る筈も無い。
「十三階層はこれで終わりですね。」
「ヒュ~、ほぼ独りで終わらしてんじゃねぇか!」
ミドルさんから野次が飛ぶ。その通り、虫系化物が頻出したこの十三階層は、殆どがフヅキ単独の力によって制圧が完了した。他のメンバーが怠けていたとかそういう話では無く、純粋に彼女の殲滅能力が高すぎただけという話だ。昔、モファさんが『街中で男に言い寄られたらフヅキを頼りなさい』と言っていたが、仮にそれを実行した場合相手の男性は跡形も無く切り刻まれることだろう。そう、この蟻達のように。
「フヅキ、休憩は必要か?」
「いえ、私は大丈夫です。皆さんは?」
「全員元気が有り余ってるぞ。次に進むか。」
シロンさんの掛け声で、私達は出発の準備を始めた。
そんな折に、モズクさんがフヅキさんに近付いていくのが見えた。二人は、一つ二つ言葉を交わしてすぐに距離を取った。けれど、両者の顔には揃って幸せそうな微笑みが浮かべられている。公衆の面前には決して浮付いた様を晒さない二人の恋愛関係。しかし幸福の共有は慎ましいながらにも行われていて、そんな彼らの付き合い方を目にする度、私は一種の憧れにも似た想いが芽生えるのを感じていた。
いいな。ああいうの。
私ももうちょっと関係を進めても…。
いや、結構前に告白紛いのこと言っちゃったんだった。
これ以上アピールしてもな、引かれるかもしれないし…。
そうだ。向こうが返事をするって言ってくれたんだから。
今は待ちの時間……けど、もう八ヶ月も待ってるじゃん!
流石に奥手が過ぎるよヒシさん…。こう、もっと積極的に
「リエル、もう行くって言ってるぞ。」
「あ、ごめんっ! すぐ準備する!」
タドクさんに声を掛けられ、意識は現実へと帰って来た。
◇
十六階層、出現した化物は流蛸という名のタコだ。
数は一匹だが、如何せんその身体が大き過ぎる。一般的な木の幹よりも太いであろう触手が振り下ろされる度、フィルド迷宮全体に激震が走るのを感じ取れた。吐き出される真っ黒な墨を被った壁や床などが、時間を掛けてドロドロに溶けて行くのを見る限り、アレには相当に強い『毒』が込められているのだと予想が付く。少なくとも、人間の肌が侵されれば無事では居られないだろう。
「モズク、数十秒耐えてくれ。」
「あぁ、任せとけ…ッ!」
そんな強大な化物の注意を引いているのは、『雷』を使って超高速で走り続けるモズクさんだ。流蛸は数多の化物と比べても群を抜いて執念深い性格をしているらしく、最初に目を付けた獲物を一心不乱に追い続けるという習性が有るようだ。今回、その標的と選ばれてしまったのが彼という訳だが、…正直、私は自分が選ばれなくて良かったという気持ちで一杯だった。
アグニが眼を黒焦げにしようとも、ミドルさんが脳を震わせようとも、フヅキさんが足を切り落とそうとも、タドクさんが肉を抉り取ろうとも。流蛸の憎悪心がモズクさんから外れることは無かった。直接与えた傷の量で考えれば、他の游蕩士達の方が圧倒的に多い筈なのだが、感情のままに動く化物に論理は通用しない。
それにしても、モズクさんの逃走術は凄い。
この階層の地形は、古代遺跡がモチーフとされているようだ。迷宮側が用意した戦域の為、本来ならば出現する化物が有利になるように設計されるのだろうが、現状この造りを上手く活用しているのは敵対者に当たる筈のモズクさんであった。壁を盾に、柱を矛に。使える障害物を最大限利用しながら、彼は縦横無尽に階層内を駆け回っている。ミドルさんなんかは、よくモズクさんを『ドジ』と揶揄っているが、…とんでもない。あの顔付きは、あの身熟しは、紛うこと無く一流游蕩士のそれだ。
「…待たせたな。モズク、離れろ。」
――美しい金属音が、耳を撫でた。
見れば、シロンさんが刀を鞘から引き抜いている。
白銀と名付けられたその名刀は、赤く輝いていた。
打ち立ての鉄の如く、火花を発しながら燃ゆる刀身。
その内に秘められた膨大な熱量が何処に向かうのか。
此の場に居る全員が理解をして、同時に息を呑んだ。
「――《烈炎》」
…紅蓮の龍が流蛸を丸飲みにしてしまった。
そう錯覚してしまう程に、彼女の妖術は印象深かった。かつてユルドースを全焼させたと云う地獄犬にも匹敵するであろう、爆発的な威力を誇る炎の咆哮。一見、持ち得る限りの妖力を振り絞って発動した粗雑で野蛮な妖術にも見えるけれど、目を凝らせばその洗練された技術に気付くことが出来る。私達人間に一切の被害を出さず、流蛸の身体のみを焼き尽くしているという事実が何よりもの証拠だろう。一般的にも威力調整が難しいとされる『火』の妖術に於いて、この完璧な制御を実現出来る人間がどれだけ存在することか。
歴史上稀に見られる、『究極の業』という呼び名。
彼女の《烈炎》も、その栄誉の称号に相応しい。
「…お見事。」
「ふふっ、今回はモズクの手柄だな。」
「俺は逃げ回っただけで、何もしてねェよ。」
目の当たりにした絶技を褒め称えるフヅキさんに、補佐という役割を完璧に果たした男の顔を立てるシロンさんに、少し照れつつも最後には謙遜の言葉を添えるモズクさん。私からすれば彼ら全員が欠かすことの出来ぬ立役者だと思うのだが、自分の功績に対して一歩退いた姿勢を見せるのが戦士の美徳という物なのだろうか。埒外に立つ私は、キラキラと輝く彼らをただ眺めるばかりだった。
「全体的に消耗してるな。少し休憩にするか。」
シロンさんの一言で、私達から緊張の糸が取り除かれた。
◇
不規則に石碑が立ち並び、重たい雰囲気が漂っている。
フィルド迷宮十九階層、地形は墓地。こんな場所で戦闘を行うなど罰当たりも甚だしいが、迷宮が生成した疑似的な物であると心の中で割り切り、足を踏み入れる。しかし、墓石に私達攻略隊の名前が刻み込まれているのは些か悪趣味が過ぎるんじゃないだろうか。フヅキさんに『心を揺さぶられては相手の思う壺ですよ』と注意を貰ったから、あんまり気にしないようにはするけど…。
さて、そんな階層に出現したのは骸骨型の化物だ。
大きさはケタイさん達亡骸よりも二回りは大きくて、ディンが創る[ガシャドクロ]よりかは大分小さいくらい。全身をゴツゴツとした甲冑で覆っていて、私の剣術なんかじゃ傷一つ付けれそうに無かった。初っ端でフヅキさんが特攻を仕掛けていたけど、あいつの刃毀れした刀によって完璧に防がれていた。脊髄反射に似ているとか、彼女は所感と考察を皆に共有していた。私はイマイチ意味が分からなかったけど、何にせよ手強い化物だということは確実だ。どう攻め落とそうか、全員が考えを巡らす中…。
「多分行けるんで、試しても良いっすか。」
タドクさんだけは、静かにそう呟いた。
頷く者、微笑む者、声を上げる者、目を輝かせる者。
多種多様で、確かな信頼が含まれた視線が彼に集まる。
数十の注目を浴びながらも、彼は一切気負うこと無く。
ただ自然体で、手袋を嵌めた右手を振り上げて――
「《千芽》」
――敵の身体を、欠片一つ残さず消し飛ばした。
沈黙。後に大歓声。誰もが彼の妖術を褒め称える。
大袈裟な喝采に思うかもしれないが、それに足る仕事だ。
一階層分の戦闘を飛ばせるという利点は計り知れない。
「いつも思うんだが、何処に転移させてるんだ?」
「星の外っす。俺も詳しい位置は知らないっすけど。」
シロンさんの問い掛けに、垂れ掛けた鼻血を拭いながら答えるタドクさん。曰く、自身や仲間を移動させる時とは違って、敵を飛ばす時は細かい終点座標を指定する必要が無いらしい。取り敢えず高い所へと適当に放って置けば勝手に死んでくれるからだとか。移動距離と物の体積に比例して負荷が大きくなるので多用はしたく無いと言っていたが、今回の化物くらいならば容易いということだろう。
「けど"行ける"とか"行けない"とかってどういうこと?」
「相手の意思の強さの問題だな。今回は弱かった。」
タドクさんは簡潔に答えてくれたが、私は首を傾げる。
そんな中ミドルさんが嬉々として横から割り込んで来た。
「ふっ、リエル、俺が説明してやるぜ! "転"っつうのは相手の体に直接干渉する妖術だからな、発動の為に或る程度の条件が設けられてんだ。中でも最も大きな弊害になるのが『所有権』って奴だな! 簡単に言うと、自分が操作出来る物は自分が持っている物だけって話だ。お前も、自分の金とか家とかが赤の他人に勝手に使われちゃ堪ったもんじゃないだろ? けど、世の中には良しとしちまう奴も居んだよ。自分の物がどう使われようが構わないっつぅ変な奴がな! それがさっきの骸骨だ! タドクはそういう意思の弱い所に付け込んで、容赦無く相手の物を奪い取っちまう盗人ってことだな! 全く、最低な野郎だろ?」
「この機会に俺のこと貶めるのやめて貰っていいっすか?」
「何だよ、間違っては無ぇだろ?」
「曲解が過ぎるんすよ。」
「確固たる意思を持つ相手には効かないという事か?」
「そういうことっす。シロンさんなんかには無理っすね。」
「ふふっ、煽てるのが上手い奴だな。」
シロンさんの質問に対し、ミドルさんに絡まれて溜息を吐いていたタドクさんは肯定の意を示した。的を射た問い掛けが出来るということは、シロンさんも"転"の仕組みの理解度が充分に深まっているという意味だろう。ミドルさんの説明を朧にしか読み取ることが出来なかった私とは大違いだ。
「そうは言っても、遣り様は幾つか在るんすけどね。例えば事前に口頭で許可取りしたり、直接掴んだりして所有権を無理矢理主張したり。化物相手だとそう上手く行かないっすけど…。」
「改めて聞くと、物凄い妖術だねー。」
「へっ、そうだろ?」
「…何でミドルさんが得意気なの?」
使用する為に必要な脳の処理能力も、最終的に得られる超常的な効力も、全てを掛け合わせてようやく絞り出せた感想が『物凄い』であった。正直、私ではそれ以上の語彙で形容し切ることが出来ない気がしたからだ。ミドルさんも"転"については柄にも無く猛勉強したらしいし、たった数分の聴取で理解が間に合う程甘い世界では無いのだろう。
そんな思いを浮かべながらも、私は階段を下り始めた。
一つ前を歩くタドクさんとミドルさんの軽口が聞こえる。
「てかミドルさん迷宮入ってから何もしてないっすよね。」
「お? 中々言うようになったじゃねぇか?」
「あんだけ突入前に大見得を切ってた割に、っていうか。」
「知ってっか? 主人公は最後に見せ場を作んだよ。」
ふと、戦闘を歩いていたシロンさんが立ち止まった。
振り返り、私達の方へ挑戦的な笑みを投げ掛けて来る。
「良かったな、ミドル。遂にお前の出番だぞ。」
言葉の真意に気付いた彼は心底嫌そうな顔を露わにする。
――最終階層への荘厳な扉が、私達を待ち受けていた。
◇
ビリビリと、響き渡る雄叫びが戦闘開始の合図であった。
避けろッ!!!!――そんな怒号にも似た指令が数人分飛ぶ。
すっかり逃げ遅れた私はその場に立ち尽くすばかりで…。
「……間一髪だぞ。」
「ご、ごめん! ありがとうっ!」
…気付けば、安全地帯へと転移させられていた。
私と同様に数人の游蕩士達が"転"のお陰で何とか生き永らえた様で、それを為し遂げたタドクさんの瞳は赤っぽく充血していた。無理をさせたことに申し訳無さを感じつつも、自分が生きているという事実から来る安堵感の方が大きかった。タドクさんが逃がしてくれ無ければ、私は今頃あの巨大な両刃斧の餌食になっていただろうから。
遂に辿り着いた最終階層、地形は円形闘技場。
中央には平たい質素な戦域が用意されており、それをグルりと取り囲むように数万人は収容出来そうな観客席が設けられている。地下数百メートルという深さに生成されている為、当然太陽の光などが差し込むことは無いが、燃え尽きることの無い松明が充分に設置されているので、視界の悪さに困ることは無かった。…問題は、親玉の存在だ。
フィルド迷宮の親玉は、猛殺牛と名付けられた。
過去に出現例の無い、唯一無二の個体だ。
赤褐色の肉体に、湾曲した双角。眼は妖しく光り輝き、荒い呼吸をする度に鼻口から煙のような物が漏れ出ている。遠目からでも、優に四メートルは超える肉体を持つという事が窺い知れた。その恵まれた体格を利用して相手に突進攻撃を仕掛けるだけでも、殆どの生物を瞬時に蹴散らすことが可能だろう。けれど、奴の主武器は拳でも脚でも無く…。
――『地』で創る殺人的な両刃斧だ。
たった今、それが発揮する威力を身を以て体感した所である。二十階層に侵入した私達は、観客席の一角から全体の様子を観察していた。そして、中央に佇む牛型幻妖の姿を確認し、フヅキさんが猛殺牛という種族名を考案したその時、…投擲された巨大な戦斧が私達の立つ足場をボロボロに破壊してしまったのだ。飛び散った瓦礫により軽傷を負った者は数名居るが、直接的な被害は及んでいないようで一先ずは安心だ。
「おい、二投目来るぞっ!!!」
切迫した声が掛けられ、再び緊張感が高まる。
目を向ければ、情報通り猛殺牛が両刃斧を構えている場面だった。グググっと力強い音が聞こえて来そうな程、限界まで引き絞られて行く猛々しい筋肉。タメの時間は初撃よりも圧倒的に長く、故に威力が倍増しているであろうということは嫌でも予想が付いた。思わず息を呑む。これが、幻妖。ヒシさんが普段から相手としている、化物の優等個体。"死"という概念その物が、対岸で手招いている幻覚を見た。一歩間違えれば、一秒遅ければ、それだけで命運が尽きるのだ。…選ばないと。右か、左か、上か、下か。私は何処に逃げれば、死なずに済む?
『 ――UURROOWWWOOoooOOOooo!!!!!! 』
私の命を刈り取る為だけに、両刃斧が迫って来る。
速くて、早過ぎる。まだ心の準備も、覚悟も出来てない。
決断しろ。軌道を読むことなど、私程度が出来る筈無い。
ここからは運の話だ。運が良ければ生き、悪ければ死ぬ。
時間が遅く感じる。まるで斧の速度も落ちているように…
「…………え?」
いや、見間違いじゃない。確実に、凶器は減速している。
私に近付くに連れて、何故か徐々に勢いを失って行く斧。
やがてそれは静止状態に突入し、塵となって舞い散った。
皆が呆気に取られる中、一つの笑声が闘技場に響き渡る。
声の主はミドルさん。見れば、ドロプも少し笑っていた。
「てめーら何ビビってんだぁ??」
瞬間、何かを悟ったかのように動き出す者が数名。
シロンさんは刀の柄に右手を添え、妖力を込め始める。
フヅキさんはタンっと地面を蹴り、階下へと跳び込んだ。
タドクさんは己が姿を消し、気付けば空中を飛んでいた。
更に不敵な笑みを深めたミドルさんは、声を張り上げて、
「ボス戦の開幕だ!! 盛り上がって行こうぜ!!!」
直後、三種類の妖術が吹き荒れた。
標的は猛殺牛。戦士達の士気は充分。
フィルド迷宮親玉戦の幕が切って落とされた。
---
「リエル!! 何人までサポートできんだ?!」
「同時に二人…いや、三人まで!!!」
「タドク、フヅキ、シロンを頼む! 他は任せろ!」
指示を受けたリエル…そして彼女の横に立つキュペの妖力が高まって行く。感化された大気中の妖力達が桃色に輝き出し、彼女らを優しく包み込んだ。その勢いは衰えること無く上昇の一途を辿り、集中力の限界からか、リエルの額を一筋の水滴が伝った所で……解放された。
『 Pyuii! 』「―――《花篝》」
直後。タドク、フヅキ、シロンの戦闘能力が異様な増強具合を見せる。彼らは、リエルによる妖力孔の開放操作に依って、体内へと流れ込む妖力の量が一時的に増大し、キュペによる精密な『癒』妖術の効果に依って、思考力や身体能力、再生能力までもが著しく底上げされていた。術者の精神力を考えれば、この強化状態が数分と持たないであろうことはすぐに予想が付くが、その数分が戦闘の勝敗を分ける決定的な物に成るであろうという結論もまた容易に導き出すことが出来た。彼女達『癒』の使い手を攻略隊に編入したのは、全てこの一瞬を作り出す為であろう。
とは云え、忘れてはいけないのがこの男。
「おらテメーら! ビシバシ働きやがれ!」
五十名強の仲間に妖力強化を施す、ミドルである。
ドロプの手助けを借りながらとは云え、この人数の妖力孔を完璧に操作し切るという行いはまず人間業では無い。それも、一人一人の能力に応じて流れ込む妖力の量を調整しているようだ。もっと言うなら、"波"を使って自身も第一線で戦うという事と、周囲の仲間へ対し的確な指示を飛ばすという事も、彼は同時並行で処理している。全く、指揮を執りながら白兵戦に臨む補給兵が何処に居るという話だ。全精力を注ぎ支援に徹しているリエルとは、その難易度も貢献度合いも比にならない。主人公は最後に見せ場を作るとは彼の言だが、それを与太話で終わらせぬ所が後輩から慕われる理由の一端なのだろう。
『 UUWWRRROOooooOOooo!!!!!! 』
猛殺牛の咆哮が戦場に轟く。
幻妖としての格は龍人よりも少し劣る程度だろうか。しかし一つの迷宮を親玉を張るだけのことはあり、野に解き放たれれば街を半壊にさせるくらいは軽々と為してしまうだろう。そんな猛殺牛最大の武器は、やはり常軌を逸した破壊力を誇るその両刃斧だ。奴は、幻妖としての莫大な妖力を、『地』で武器を生成することだけに用いているのだ。妖力の回復速度との兼ね合いも考えるに、妖術の発動可能回数はほぼ無限。
無尽蔵の戦斧が、游蕩士達に牙を剥く。
両手に凶器を構えた猛殺牛が口元を歪めている。
筋肉という筋肉を駆動させ、上体を仰け反らせては…。
バネの如く勢い良く体を折り返し、双斧を同時に放った。
「自分でちゃんと持っとかねぇとダメだろ。」
…上空から戦場全体を俯瞰していたタドクが呟いた。
彼が右掌を大きく開くと、瞬時に二本の斧が消失する。命を救われた若い游蕩士はあんぐりと口を開き、すぐに感謝の言葉を恩人へ飛ばす。それを興味無さげに受け流したタドクは、広げた右手を天高くへと翳した。さて、消えた猛殺牛の両刃斧は何処に行ったのか。地上か、地下か、それとも宇宙か。…何、すぐそこに在るでは無いか。タドクは力強く右手を振り下ろし――
「返すぞ。」
――猛殺牛の真上から一振りの戦斧を降らせた。
重力に従い自由落下を始める巨大な斧。徐々に、しかし着実に、それの速度は増して行く。地上に佇む猛殺牛へと達する頃には、馬鹿に出来ぬ程の威力をその刃に宿していることだろう。しかし元はと云えば猛殺牛本人が生み出した妖術、つまり己の意思一つで斧を妖力に還すことが出来るのだ。馬鹿なことをする物だと、浅い計略で自身を陥れようとしたタドクという人間の思考能力に低い評価を与えながら、迫り来る両刃斧を崩壊させた猛殺牛。
…次の瞬間、奴の背中を二つ目の戦斧が抉り取った。
『 GU,RWo!?!? …GRRWOOoooOOoo…!!!! 』
何をされたのか、猛殺牛は一瞬で理解した。
自分が生み出した両刃斧は、右手と左手で計二本。片方はエネルギーを消し取り、上空から落とすことで囮として利用された。もう片方は斧自体に籠っていた運動の力をそのままに、猛殺牛の背後へと転移させられていたのだ。観客席をごっそり削り取ってしまう程の力が込められた武器だ。流石の幻妖と云えど、衝撃を緩和する暇も無くモロに食らってしまえば無事では居られない。
余りの痛みに猛殺牛は苦悶に満ちた叫び声を上げる。
その巨体上に、華麗に跳び上がった女性の影が写った。
「リエル、少し出力を上げます。」
「けど、あんまりやり過ぎると…。」
「気にせず。お願いします。」
「…うん、分かった…!」
誰もが予想していた通り、女の正体はフヅキである。
彼女がリエルに要求したのは、妖力孔の更なる拡大だ。かなり昔に言及したと思うが、物質にはそれぞれ保有可能な妖力量という物が定められている。仮に容量を超える妖力を身に宿した場合、特にそれが生物ならば、時には生命活動に直接関わるレベルの悪影響に侵されることとなるのだ。過去に数多の化物を屠って来たフヅキは、確かに常人よりも妖力の器が相当に大きくなっているが、それでも妖力の過剰摂取による副作用を完全に克服出来ている訳では無い。そのことをリエルも当然理解していたが、…本人がやれと言っているのだ。この局面で反対の声を上げられる程、彼女は強い意思を持つ人間では無い。
打ち合わせ通り、フヅキの妖力が膨れ上がる。
「……さて。」
話は変わるが、大衆からは完璧超人と謳われる彼女にも敵対視する相手が存在する。それは決して恨みや憎しみという感情では無く、ただアイツには負けられないなという可愛らしい物であったが。年は三歳上、同じリソルディア出身の游蕩士であり、一大ギルドのトップに君臨する、その男の名をニュートと云った。例えば学校。フヅキがA組に上がる為に要した時間が約六年であるのに対し、ニュートが費やしたのはたったの二年。例えば妖術。双方とも主軸として使うのが『風』であるのに、ニュートは他属性も超一流に駆使して見せる。更には、妖具の開発に世界の研究、眷属の調教と、多岐に渡る分野で成果を残すその男のことを、フヅキは尊敬と嫉妬の入り混じった感情で評価していた。
そんな万能人が確立させた、一つの必殺技が在る。
本来は弓矢を用いる筈だが、…剣でも問題は無いだろう。
業自体は酷くシンプルだ。『風』を纏うだけなのだから。
それ故に、術者の技量が完成度に大きく影響するのだが。
「んっ…、」
刀身が非常に細長い自信の剣を右手で強く握り締め。
肩に担ぐようにして持ち、彼女は素早い助走を始めた。
万人に伝わるように分かりやすく表すならば『槍投げ』。
鍛えられた己が肉体を弓とし、鋭利な長柄武器を矢とし。
一筋の線を通すイメージを以て、最後の一歩を踏み出し、
「―――《息吹》」
正面の猛殺牛に向けて、『風』の薙刀を投げ飛ばした。
込められた妖力は通常時の数倍。
投擲者は素手で化物を仕留める超人。
根幹を為すのは人類最高の鍛冶師が打った刀。
――猛殺牛の腕一本程度、貫けぬ道理は無かった。
「…逸らされましたね。」
少し残念そうな声色でフヅキは呟く。
濃厚な死の気配を察知した猛殺牛は、暴風に包まれた凶器が飛来する直前に新たな両刃斧を創り出していたのだ。幻妖の名に相応しい動体視力と反応速度を以て、一直線に飛ぶフヅキの剣の側面を叩くことで、自身の心臓を正確に狙っていたその軌道を強制的にズラす。物の数秒に行われたこの攻防が、着実に猛殺牛の命を繋ぐ要因と成った。弾かれたことで明後日の方向へと飛んで行った薙刀が、不運にも着弾地点となった分厚い壁にぽっかりと大穴を空けている。それを確認した猛殺牛は、何とも言い難いような恐怖を顔に浮かべると共に、自分が今生きているという事実を噛み締めては深く安堵している様子であった。あの攻撃を凌ぐ為ならば腕一本を差し出すのは安い物だったと、むしろ勝ち誇るような雰囲気すら漂わせている。
「フヅキさん、刀ここ置いとくんで。」
「助かります。…もう一投は行けますね。」
タドクから武器を受け取ったフヅキを見て、そんな表情はピシりと固まる訳だが。けれども猛殺牛は、一旦フヅキの存在を思考の隅へと追いやった。奴にとっての目下の課題は、ハエのようにしつこく付き纏って来る二人の人間だ。
「トロ過ぎるぜ~、牛野郎!」
ヘラヘラと笑う顎鬚の男――ミドルと、
「あぁ、根性は買いたいがな。」
余裕そうに微笑む朱髪の女――シロンだった。
この二人の実力は猛殺牛も認める所だった。まるで未来でも読んでいるかのように両刃斧の斬撃を回避するミドルに、並外れた刀術を以て生み出された『地』の武器を片っ端から切り刻んで行くシロン。云わば、封殺だ。猛殺牛の目論見が悉く防がれ、無かった物にされて行く。
『 URWOO…, WWWRROoooOOOoo!!!! 』
痺れを切らした猛殺牛は一際巨大な両刃斧を生み出し、有らん限りの力を振り絞って地面に叩き付けた。危機を察知し後退を始めた二人の人間を追い掛けるように、猛殺牛と中心として盛り上がった土塊が津波の如く押し寄せて行く。結果として生じたのは、円状の防波堤。再び人間が進軍を開始するのは数秒後の話だが、その数秒を最大限活かした猛殺牛は失った片腕の再生を完遂した。
「おいおい! 再生能力も持ってるのかよ!」
「ならば、あまり長引かせるのは好ましく無いな。」
「どうすっかな~、タドクはキツイ感じか?」
「意思が強過ぎっすね。奪えて斧くらいっす。」
「リエルぅ! あと何分持ちそうだ?」
「ちょっと…、もうだいぶ…しんどいなー…。」
「おーけー。フヅキ、さっきのもう一発頼む!」
「了解です、タイミングは?」
「俺がアイツを崩す! シロンはトドメ役な!」
「あぁ、取って置きを準備しておこう。」
ミドルを中心に、決着への筋書きが組まれて行く。
概ねの情報共有が済んだ所で、仕上げのひと手間。
大きく息を吸い込んだミドルは、歯牙を輝かせ…
「華々しい最期にしてやろうぜ! 妖術、撃て!!」
仰々しい号令と共に片手剣の先端で猛殺牛を差した。
直後、闘技場の中央に立つ幻妖の身体へ、数え切れぬ程の妖術が降り注ぐ。『火』の玉、『水』の雨、『雷』の線、『風』の刃、『毒』の霧…。中堅游蕩士が放つ妖術は赤褐色の肉体の上で交ざり合い、溶け合い、強め合って、遂には強大な爆発を引き起こした。舞い上がる噴煙、あまりの衝撃に天井からはパラパラと土の破片が零れ落ちる。暫くして霧の中から飛び出して来た猛殺牛は火傷凍傷裂傷を負った見るも無残な姿で、それでもその瞳から戦意が失われている様子は無かった。
そんな勇猛な戦士の顔面に、男の靴がめり込む。
「悪いけど、おやすみの時間だぜ。」
妖石製の戦闘靴に込められているのは、『無』の妖力。
妖力孔から洩れ出る妖力を『封』で抑えている今の彼は、
溢れんばかりの莫大な妖力をその身体に溜め込んでいた。
さて、そんな妖力を変換して発動される"波"の威力は…
死に直結し兼ねない程の、脳震盪を引き起こす。
「しっかり味わえよ? ――《揺籠》!!」
直後に響いたのは猛殺牛が発する大絶叫。皮膚を伝い、頭蓋骨を通り、脳髄を激しく揺さぶったミドルの"波"の威力に、周囲で成り行きを見守っていた人間達ですら戦慄を覚えていた。あんな物、並の人間が食らえば…。そう考え、すぐに想像を中断している様子だ。ただし、実際にその技の餌食となった猛殺牛は何とか意識を持ち直していた。鋭く吊り上がった眼に宿るのは、自身に強烈な苦痛を与えて来た人間達への復讐心だ。お前らに仕返しをするまでは死ねないと。雄叫びと共に意志表示を行っている。
即座に生み出した二本の両刃斧で、眼前の男を振り払う。
既に手を尽くしたミドルは、大人しく引き下がった。
と云うよりも、道を譲ったと言う方が正しいだろうか。
「――《息吹》」
猛殺牛に一筋の暴風が迫っていた。
槍のように扱われるその飛び道具は、『風』を刃に纏った薙刀だ。投擲者は、言うまでも無いか。第一投目で相当な妖力を消費した筈のフヅキだが、今猛殺牛を突き刺さんとしているそれは先程の物に見劣りするどころか速度という一点に於いて数段階上回っているように感じられた。しかし、忘れること勿れ。猛殺牛は一度その妖術を見切っている。
奴は、両手に握る戦斧を体の前で交差させた。
数瞬後、鉄板のような刃の側面に薙刀の先端が到達する。
舞い散る火花、鳴り響く甲高い金属音。しかし流石にフヅキの妖術に分が有るようで、何とか威力の相殺を試みていた猛殺牛はジリジリと押され始める。踏ん張る足元の土が抉れ出し、『風』の余波に因り赤褐色の肉体にも切傷が生じ始める。が、それでも誇り高き幻妖は耐え続けた。咆哮を轟かせ、筋肉を収縮させ、目の前の凶器を防ぐことだけに全精力を注ぐ。
「――《千芽》」
―――それが、勝敗を分けた。
『 UUWROO…?? 』
時が止まる。
自らの身体を見下ろす猛殺牛。
視界の先に、本来在るべき下半身は無かった。
まるで盗まれたかのように、ぽっかりと穴が空いている。
抵抗力を失ったその幻妖は、件の薙刀の存在を思い出し…
……直後、『風』によって遥か後方へ吹き飛ばされた。
「…………。」
『 UUWROooOOO…, 』
簡単に言ってしまえば、猛殺牛は正面から迫るフヅキの剣に集中し過ぎていた。"転"という妖術に対して最も有効な盾となるのは、自分が自分であると頑なに主張出来るだけの強靭な意思だ。少しでも意識に緩みや弛みを見せた生物は、"転"を極めたタドクにとって無防備なカモでしか無い。『妖力』という概念から気を逸らせば、次の瞬間その生物が持つ妖力は丸ごと抜き取られているだろう。自らの位置情報を正確に把握していなければ、気付いた時には宇宙空間へ放り出されている筈だ。この攻撃を止められるならば身体がどうなろうとも構わない…などという覚悟を決めてしまえば、文字通り"足元を掬われる"ことにもなってしまう。――猛殺牛は、かつて邪神という名の強大な幻妖を屠った青年を畏怖の眼差しで見上げていた。
そんな幻妖に、一人の女性が歩み寄る。
「これだけは伝えたい。お前は、強かった。」
脚を失い、角を折られ、それでも尚闘志は失わず。
そんな強敵の死に際に、シロンは称賛の声を投げ掛けた。
最期に何を思ったか。その答えは誰にも分からない。
けれど、猛殺牛は満たされたように口元を緩めていた。
「―――《烈炎》」
太い首が焼き切れ、一匹の戦士の頭は宙を舞う。
◇
「あーあ。これじゃまるで俺達が悪役だな。」
「仕方無いっすよ。幻妖相手に手加減は無謀なんで。」
「あぁ、それだけ戦い甲斐のある相手だった。」
多少なりとも猛殺牛に感情移入をしていたらしいミドルが口を尖らせ、久方ぶりに地へ降り立ったタドクは無機質に意見を述べる。フッと微笑んだシロンは、有意義な時間を与えてくれた好敵手を最大限の賛辞で評した。反応は十人十色、けれど戦闘を終えた游蕩士達の顔には例外無くはっきりとした達成感が残されている。初めて迷宮を攻略した者、初めて幻妖と相対した者。この遠征が彼らの有益な経験として思い出に刻まれたことは、疑い様も無い事実であった。
『 ヤッホー。』
それも此処までだ。
シロンの背筋が凍り付く。
フヅキの額を冷たい汗が伝う。
ミドルの心臓が早鐘を打ち始める。
タドクの思考が刹那の間のみ停止する。
リエルは状況が理解出来ていない。
かれこれ数十分は傍観を貫いていたアグニが動き出す。
この生物は人間達の手に負えないと判断したからだ。
直後、彼が地面に叩き付けられる姿は全員が確認した。
『 んじゃ、いってら~。』
更にそのすぐ後、人間達の八割が消失した。
人数にして五十名弱。残ったのはほんの一握りだ。
そうして、残った者達の思考がようやく復活した。
「……お前、何、だ?」
突如として発動された"転"の影響から免れた実力者を代表するように、ミドルが途切れ途切れながらも言葉を発する。タドクの姿を真似た正体不明の化物に対し、心の底から生じたであろう疑問をぶつける。つい最近三十歳となったばかりの彼は、過去に幾つもの困難を乗り越えて来た正真正銘のベテラン游蕩士だ。討伐した化物の数は枚挙に暇が無い程で、蓄えられた幻妖の知識も他の人間達とは一線を画する。
だからこそ、真っ先に湧いたのはその謎だ。
コイツのような化物は見たことも聞いたことも無いと。
怒りか恐れか、震える拳を握り締め、再度問い掛ける。
「お前、俺達の仲間を何処にやりやがった……!!」
ビリビリと、滅多に出ないミドルの怒号が大気を震わす。
そのことに小さな驚きを感じながらも、タドクは努めて冷静に頭を稼働させ続けていた。通常、生物が妖術を使用すれば、大気に存在する無垢な妖力達が共鳴する様に活動を始めるという法則が在る。活発度合いは発動した妖術の度合いに比例し、"転"ともなれば周囲の妖力は台風の如き荒れ模様を見せる筈だ。なのに、この正体不明の化物が眼前に出現した際、その現象は感知することが出来なかった。ここから導き出せる可能性は二つ。コイツが"転"の存在を悟らせない妖術使用法を既に編み出しているか、――最初から此処に居たか。
『 模倣者って呼んデネ。』
直後、幻妖が模していたタドクの姿がドロドロに熔けた。
まるで霧のように、蒸発した肉体が大気と混ざって行く。
完全に姿を消した模倣者だが、まだ此の場には居る様だ。
猛殺牛という親玉を失った迷宮が、崩壊を始める。
彼ら十数名が緊迫した空気を作り上げている闘技場が、地下二十階に位置しているという事実を忘れては行けない。今から全力で逃亡を始めれば崩壊前に地上へ脱出することが可能だろうが、ずっと立ち止まり続けていればフィルド迷宮と共にこの世を旅立つこととなるだろう。游蕩士達の判断を鈍らせているのは、やはり模倣者の存在だ。体から洩れ出る妖力の気配を断たずに、己の存在を匂わせているその幻妖が、彼ら人間が迷宮から逃れる様子を黙って見つめているとは考え難かった。
問題は、仲間が何処に飛ばされたかということ。
数十という人間を転移させたのにも関わらず、悠然とした態度を崩さない模倣者。そのことから、彼らはそう遠くへ移動させられた訳では無いとタドクは考えていた。勿論、模倣者が妖術負荷を克服していないという前提の話だが。飛ばされたのは心の隙を晒していた者だけで、"転"自体は此の場に立つ全員に試行されている様であった。トチ狂った愉快犯で無い限り、何らかの目的の下に行動を起こしている筈であり、集団転移はその第一歩目。『いってら』という発言から目的地は正確に定められていると仮定し、その場所も個々の設定では無く一括指定であると考える。そこで彼が思い出したのは、と或る街の存在だった。名称はダストアグ、調査隊を派遣した理由は『奇妙な妖力を探知』…。――一つの答えに行き着いたタドクは、素早く情報の伝達を行った。
「ダストアグが、一番可能性として濃いっす。」
「あぁ、俺も同感だ! 転移は出来んのか?!」
「リスキーではあるんすけど、」
「負荷は俺が軽減してやる! 気にせずやれ!」
「…了解っす。」
ミドルの指示を受け、タドクが妖力を練り始める。
そんな青年の背後から巻き付くような二本の腕が伸びた。
『エ~、遊んでいきなよー?』
――しかし、模倣者の腕はすぐに焼き切られる。
「大人しくしてろ。」
『ありゃりゃ、良い刀だネ~?』
「お前如きにこの刀の価値は分からんさ。」
『そんなこと無いけどな? ホラ。』
即座に再生した模倣者の両腕。
手に持っていたのは、シロンと同じ『白銀』であった。
それを視たシロンの瞳孔が、怒りによって開かれる。
「飛ばすから、備え…シロンさん?」
グローブを掲げたタドクが、呟く様に名前を呼んだ。
対してシロンは、何かを決心したように目を細める。
「…悪い。皆の救出は任せるぞ。」
「正気すか。」
「どの道、コイツは野放しにして置けないだろう。」
「そうっすけど…、死にますよ。」
タドクは何処か寂しそうに最終勧告を行う。
当然、彼は理解していた。シロンが此の場に残ることを望み、転移を強く拒んでいるということを。許可を得れぬ限り、タドクがシロンに"転"を施すことは不可能だ。正に、梃子でも動かないと云うべき状態だろう。そんな女性の横に、彼女の眷属である火の精霊アグニが並んだ。一蓮托生、死なば諸共。気高く凶暴な炎の獣は、主と共に逝くことを選択したのだ。
「フヅキ、ミドル、タドク。」
向き合って佇むシロンと模倣者。
「後のことは、頼んだ。」
掲げるのは共に名刀。片や真作、片や贋作。
「此処は、私に任せろ。」
彼女にすれば、決して許されぬ冒涜であった。
鍛冶に生涯を掛けた独りの少女が居た。
火傷も病気も気に掛けず、炉に向かう日々。
祖父から継いだ志は、至高の刀を創ること。
仲間の屍を乗り越え、彼女は遂に偉業を成した。
想い出も信念も魂も、全てをその刀に注ぎ込んだ。
辿り着いた頂上。得た物は、鍛冶師としての栄光。
―――求めていたのは、終着点。
人生の目標を達成した彼女は、抜け殻に成った。
唯一残った友は自身の眷属のみ。他は、皆失った。
白銀という名の刀を生み出した時点で終わったのだ。
シロンと云う少女の一生は、其処で終わりだった。
云わばこれは延長戦。
死を前提とした、最終戦。
未だ生きる者達へ送る、彼女からの餞別。
「お前はあいつらの枷になるべき存在では無い。」
世界に別れを告げる為に。
『ショーモナ。』
未来を侵す障害を取り除く為に。
「私が、此処で燃やし尽くしてやろう…!!!」
シロンは、命を燃やす。
---




