第五十六話 これから
白む空、沈む月、昇る陽。
動き出した街の中を独りで歩いている。
呼吸をすれば冬特有の白い息が吐き出され、
歩行をすれば早朝特有の冷気が素肌を撫で去って行った。
雪が降り出しそうな程低下した気温の中、それでも人間達は粛々と働き出している。その逞しさと慎ましさに感動しながらも、俺はやるべきことの為に足を動かした。離れていた期間はたったの二週間だが、育ち故郷――メーセナリアの空気は懐かしい匂いがした。きっと俺は、自分でも分からぬ程に人間社会に絆され染められているのだろう。
それが悪いことだとは、決して思わなかった。
「…久しぶりに来たかもな。」
大通りの一角、一般家屋と見間違えそうなほど質素な商店の前で立ち止まる。丁寧に手入れされた看板に記された文字は、『妖具屋』という簡潔な物だけ。相変わらず販売意欲が低いなと感じつつも、下手に派手なよりかは全然良い。むしろこの謙虚な雰囲気がノールらしい…そして、彼女らしいなと感じた。
「ユエさん、おはようございます。」
「あ、ヒシだ。最近来てくれなくて心配してたんだよ?」
コンコンと扉を叩くと、店主である少女が出迎えてくれた。明るい髪色のツインお団子ヘアー、子供らしさを残す小さな口元。お洒落よりも機能性重視のぶかぶかパーカー姿なのは出不精の質だろうか。俺と同い年の少女――『ユエ』は服袖を唇に当ててコロコロと笑っていた。
「それにしても、こんな朝早くに珍しいね?」
「えぇ、ちょうどさっき街に帰って来たんです。」
「また無茶ばっかりしてー。今日は妖具の新調に?」
ユエは、店主、或いは売り子、或いは職人としての顔を作って俺を見つめた。彼女の叔父であり前店主でもある『ノール』が逝去してから八ヶ月の時が経つ。その一件以来、たった独りでこの妖具屋を切り盛りして来ているユエは、あの頃のだらしなさを噯にも出さない立派な商売人の顔付きを獲得していた。…まぁ、相も変わらず散らかり気味の店内はご愛嬌ということで良いだろう。
「いえ、ユエさんにお願いがありまして…。」
「ん、またそんな畏まっちゃって。何でも言ってよ?」
その言葉に頷き、本題を切り出す。
俺は懐から二欠片の妖石を取り出した。
「石の精霊、ビトラス。彼の妖石です。」
俺が灰色の物体の正体を明かすと、ユエは唖然とした表情で放心した。ベイドの功績もあり、今や精霊の存在は一般街民にも広く浸透している。彼らが規格外な化物だということも、数え十三体しか存在しないということも。特に石の精霊に関しては、過去から現在に至るまであれだけ被害を出していた割に、まるで人類史から抹消されたかの様に一切の情報が出回っていなかったのだ。そんな、完全に未知だとされていた精霊が、討伐済みの状態で目の前に現れれば驚きもするだろう。
「え、え? ヒシ、本当に言ってる?」
「はい、暴れ出す心配はしなくても良いですよ。」
「いやそうじゃなくて! 何処でこんなもの…。」
「多分、後でベイドさんから情報が回ると思います。」
「あ、そうだよ、これはあの人に納品しなくても良いの?」
「大丈夫です。眷属化出来る状態では無いですし。」
ベイドから聞いた話を思い返しながら、ユエの疑問を受け流す。実の所、彼が求めているのは精霊では無く、精霊を従えた人間だ。価値が無いとまでは言わないが、人間と契約を結べぬビトラスは不用品だろう。それに、彼との約束が残っている。俺はこの妖石を手放してはならないのだ。
「そっか。それでお願いの内容は何だったの?」
「この妖石を指輪型に加工して欲しいんです。」
「指輪? 擬態花のやつはもう壊れちゃった?」
「いえ、ただ用途が若干違ってくるので。」
「数は、…このサイズなら最低でも――」
「えぇ、二つで大丈夫です。飛び切り良い物を。」
「任せて? 突貫で最高品質の指輪にしてみせるから。」
「助かります。値段は完成後に話し合う感じで。」
鈍色妖石の片割れを鑑定しながら、ユエは俺の要望を正確に聞き出して来る。然して等級の高くない擬態花の妖石をここまで優れた指輪に変身させたのだ。ビトラス程の妖石が素材ともなれば、否が応にも期待は高まる。それに、ユエの加工屋としての腕前は疑う余地すら無く本物だが、俺が本当に気に入っているのは彼女の優れた人柄や性格だ。大丈夫、ビトラスの妖石は丁寧に大切に扱われる筈だ。ユエにならば、安心して宝物を預けられる。きっと二、三日後には輝かしい二対の指輪が用意されていることだろう。
「遠征もいいけどさ、たまには休みなね?」
「はい、肝に銘じます。」
「取り敢えず私はこっちの指輪作製に取り掛かるから。」
「はい、また完成した頃に取りに来ます。」
同年代の一流職人に頭を下げ、俺は店を出た。
◇
時刻は朝の八時頃、街はすっかり活気に満ちていた。
荷物を運ぶ商人に挨拶をし。街行く子供に元気を貰い。新しく開業したらしい花屋にふらりと寄って、見覚えのある若夫婦に気付き。共通の友達であるタドクについて語りながら、一際大きな花束を購入した。ヒルズとメル。ガイア討伐遠征で游蕩士を引退した二人は今とても幸せそうだ。そんな姿を少しだけ羨みながらも…。可憐で、けれども堂々としている沢山の花達を抱え、俺は再び歩き出した。
やがて辿り着いたのは一つの家屋。
少し古びた木製のドアをコンコンと叩くと…
「はいはい~、…って、ヒシくん?」
「おはようございます。フィルムさん。」
長い茶髪を下ろした女性が顔を出した。
ぱっちりとした二重に、よく手入れされた睫毛。
脚まで隠れるスカートに気軽な羽織り物を合わせている。
大人の余裕と子供の活力を見事に両立させた、気立ての良さそうな人だった。
「久しぶりね! ちょっと待ってて、今呼んで来るから。」
フィルムさんは急ぎ足で家の奥へと引っ込んで行った。
ドアの隙間から見えるリビングは、あの頃と殆ど変わっていない。けれど少しずつ家具や写真立てなどが増えていて、寂しくも嬉しくもあった。既に自分の物では無くなった家の様子を視て、俺が軽い感傷に浸っていると…。
「――ヒシいいぃぃぃぃ!!」
筋骨隆々の男が、奇声を上げながら俺の胸へと飛び込もうとして来た。勿論、反射的に回避行動を取る。すると、行き場を失った男は石畳へ倒れて行った。へぎゅびっ…蛙が潰されたような声が聞こえて、流石に申し訳無いことをしたなと心の中で反省する。再び家の中から顔を覗かせたフィルムさんは爆笑していた。
「…いや避けんなよ!」
「いや怖いし、避けるでしょ。」
「いやどう考えても俺が倒れるじゃん!」
「そりゃね。…取り敢えず、久しぶり。兄ちゃん。」
「おうヒシ。お前はまた何も言わずに旅に出やがって。」
「ごめん、色々あって。あと、ハイ。改めて――」
激突で不格好に鼻が赤くなってしまった兄ちゃん。その怪我を心配しながらもやはり笑いが止められぬフィルムさん。相変わらず仲睦まじい様子の二人に、ついさっき買ったばかりの花束を差し出して――。
「――ご結婚、おめでとうございます。」
胸の奥から生じた笑みと共に、祝いの言葉を口にした。
「こんな立派な花束、初めて見た!」
「新しく出来た花屋さんで…兄ちゃん?」
「…いや、何でもねぇ。何でもねぇ…ズビッ」
顔に大輪の花を咲かせるフィルムさんとは対照的に、
兄ちゃんは俯きながら何度も何度も洟を啜り上げていた。
大の大人の号泣。間違ってもそれは哀しみから来る物では無いのだろう。
「遅くなっちゃって、ごめん。」
「ヒシぃ、お前はぁ、俺の自慢の弟だぞぉ…!」
兄ちゃんが泣き止む為には、それなりの時間を要した。
「そういえば、引っ越しの話は?」
「…んぐっ、あー。あ、そうだ。」
ちょんちょんと、兄ちゃんの肩を指で突くフィルムさん。
それを受けた未だ半泣きの男は、ハンカチで体液を拭き、
何かを思い出したかの様子で俺に向かって微笑んだ。
「お前の引っ越し作業、もう終わらせておいたぞ。」
「…完っ全に忘れてた。ごめん、迷惑掛けたね。」
「気にすんなよ、むしろもっと兄ちゃんを頼れ!」
本当は二週間前にやろうと思っていた、新居への引っ越し作業。ライの件で忘れていたが、この家に荷物や家具も全て置きっ放しだった。全作業を代わりに済ましてくれたと云う兄ちゃんには感謝の気持ちで一杯だ。…だがそんな折、顔に柔らかな笑みを浮かべていた兄ちゃんは、ふと真剣な面持ちで訊いて来る。
「…ところで、ヒシ。お前、どこまで知ってんだ?」
「? 知ってる、っていうのは?」
「お前が旅に出てる間に起きた出来事についてだよ。」
「うぅん、ほぼゼロに近いよ。何かあったの?」
「あー…。因みに今から何処向かう予定?」
「取り敢えずベイドさんの所に顔出してくるかな。」
「…なら、大丈夫か。気を付けてな。」
「うん、また近い内に会いに来るね。」
手を繋ぎながら笑う二人に背を向け、歩み始める。
◇
カリカリと、書類が山積みになった執務室の中、万年筆の音だけが響く。椅子も机も棚も全てが木で作られているからか、この部屋は案外居心地が良かった。差し込む日差し、暖かな匂い。紙と本に囲まれて育った幼少期を思い出す。そんな記憶から意識を離し、…用紙の末端に終止符を打ち、俺はペンを置いた。
「石の精霊についての文書、完成しました。」
「あぁ、ご苦労様。…よく書けてるじゃないか。」
「取り敢えず、彼の特徴と生い立ちをざっと書き留めた感じです。他にも色々情報は聞いたんですけど、流石に量が多すぎるもので…。」
「また今度の機会にでも頼む。」
「えぇ、必ず。是非有効に使って下さい。」
場所は褐礫の本部。部屋には俺とベイドの二人だけ。
過去にも似たような状況は在ったが、今日は少し様相が違う。今回、彼に対談を持ち掛けたのは俺の方だった。過去数回は全てベイド主体である。ベイドはその珍しい提案に首を傾げながらも、詰まった日程表を縫って快諾してくれた様だ。きっと興味深い話が聞けると、彼の冴えた勘がそう告げていたのだろう。
俺が彼に分け与えた情報は、石の精霊ビトラスについて。そして――
「巨人に、獣人ねぇ…。また古代の幻妖達がわらわらと…。」
「獣人に関しては相当昔から独自の村を築いていたっぽいですね。」
「問題は巨人の方だよなぁ。何で今更表社会に現れたんだ?」
「伝承も七百年以上前の物ですよ、何処かに隠れてたんですかね。」
「その間、他の生物に見付からずに? 結構デカいんだろ?」
「えぇ。ただ、妖力の気配隠しはかなり上手かったですね。」
二匹の幻妖、その存在について俺はベイドに話した。
あれほど派手に暴れた彼らは、いずれ尻尾を握られそうだと思ったからだ。ならば予め情報を共有して、敵と味方の区別を明確化しておいた方が良い。今回の件で獣人が危険視され、万が一游蕩士の討伐隊が組まれでもすれば、俺達の苦労は水の泡になってしまう。いざとなればライを人間の街で匿えるように、下準備は整えておきたかった。
「ほんで、その獣人の少年は今何処に?」
「信頼出来る方に保護してもらってます。」
ただ現状、鬼人であるガドについては情報を伏せている。彼は人間と馴れ合うつもりが無さそうだし、変に正体を暴露するのも余計なお世話だと怒るだろうから。鬼人という種族名は人間にとっても畏怖の対象だ。不必要な混乱は招きたくない。
「了解した。お前はまた街の外に出るのか?」
「えぇ、ライのことも心配なので。」
「忙しない奴だな…。…はい、これ。持ってけ。」
呆れたような表情のベイドは、仕事机から一冊の本を引き出した。端々が何らかの液体で薄汚れた、少し古めかしい雰囲気を与えるノートだ。こんな代物頼んでいたかなと、恐る恐る受け取ったその本を眺め…、表紙に大きく書かれた『転』という文字に記憶を呼び起こされた。
「あ、タドクの。そういえばそうでした。」
「受け取るっつった次の日に失踪しやがって。」
「すみません、本当に急用も急用だったので。」
「まぁ良いけどな。分かってると思うけど、大切に扱えよ。」
「はい、汚したら悪いですしね。」
「…んゃ、そうじゃ無くて……お前、まさか…。」
受け取ったメモ帳をパラパラと捲って見てみる。
汗か血か、文字は所々で滲み、紙自体がクシャりとなっていたりもするが…。思っていたよりも文章は読める。ベイドの保管状態が良かったのだろうか。この本の執筆期間は、エヴィル迷宮崩壊から邪神討伐までの三週間だ。タドクが自分の使用する"転"という妖術について忘れぬ為に書いた物で、その技のメリット、デメリット、実践例、練習方法に至るまでが載っている。タドク本人はただの紙切れだと言っていたが、その文化的価値は計り知れない。そんな書物を俺に譲渡してくれたベイドとタドクには感謝が尽きなかった。
「…落ち着いたら、リエルにも会ってやってくれ。」
ドアを閉める直前、俺の背中にベイドの低い声が投げ掛けられた。驚いて彼の顔を見てみると、今までとは打って変わって暗い表情をしている。溢れる感情を意識的に押し殺して、それでも哀愁が滲み出てしまった様な。言葉にし難い不穏な物を感じ取ったが、それを訊き出すよりも早く扉は閉まってしまった。
嫌な感触を胸に溜めながらも、俺は街の外を目指した。
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何てことの無い、満月が輝く真夜中の話だ。
その日は村の七百四十五年目の創立記念日だった。夜、特に月が出ている日は、オレ達は驚くほど活動的になる。眠気が消え、身体能力が向上し、感覚も普段より研ぎ澄まされるんだ。だからいつもはご飯を食べてすぐ寝ちゃうオレも、その日は遅くまで起きてた。
一年に一回行われる大規模な祝祭の最中だった。
子供達は踊り、大人達は酒を飲み、喧騒は鳴り止まず。楽器の音、焚き木の音、歓談の音。その全部が心地良かった。けど、その中に異物が混じってた。何処からか下卑た笑いが聞こえたんだ。その笑い声の主は巧妙に隠れてたけど、当時のオレの感性は最高潮だった。輪を抜け出し、草を掻き分け、根を飛び越え、ひたすら悪意の根源を探した。
――そして、ソイツの居場所を探り当ててしまった。
デカい…最初はそう考えることしか出来なかった。
口元を裂くように歪めた巨体が、村を囲う森の中に潜んでた。何で今まで誰も気付かなかったんだ、そう感じてしまう程に異質な奴が。改めて考えてみれば、多分オレはソイツに誘き出されてたんだと思う。完全な潜伏状態をほんの少しだけ緩めて、最初の獲物を釣り上げたんだ。まんまと現れたオレの獣耳を眼で捉えたソイツは、遂に愉悦の声を洩らした。
次の瞬間にはオレの身体をソイツの拳が吹っ飛ばしてた。
憶えてる、自分の骨が砕かれたって自覚したあの時のことを。バキバキ…いや、ゴキゴキって音が耳を介さずにそのまま脳に響いたんだ。空中で激痛に襲われて、着陸のときにも泣き喚いて、そのまま気絶し掛けた。けど、オレが落ちたのは焚き木のすぐ横。つまり宴を楽しむ村の皆のど真ん中。急に空から血塗れの子供が落ちて来て、しかもそれが村長の息子って分かって、当たり前だけど、大騒ぎになっちゃったから、失神しようにも出来なかった。
ソイツ――巨人が全貌を現したのもその時だ。
村中をグラグラと揺らすくらいの大音量で、笑ってた。太い両足と重い両手で、手始めに五人くらいの子供達を潰したんだ。巻き起こった大混乱の中で、それでもお父さんが率いる戦士団は勇敢だった。オレを抱えたお母さんを真っ先に逃がして、嗤う巨人に立ち向かって行った。
お父さんが踏み潰される光景は今でも瞳に焼き付いてる。
呼吸の荒いオレを慰めながら、お母さんは走り続けた。
沢山の人が巨人に挑んで行ったけど、誰もアイツに勝てなかった。苦しみに満ちた悲鳴を響かせながら、数え切れない程多くの命が儚く散った。そんな仲間達をオレは見てたけど、…見てただけだ。誰一人、救えなかった。だって、手負いの獲物を逃した巨人は真っ直ぐこっちに歩いて来てたから。もしもお母さんが足を止めれば、二人とも即死する。そんなの分かり切ってた。
我が家に辿り着いたお母さんはオレを部屋の奥に隠した。
これ以上はもう逃げられないって悟ったんだろう。
其処は古い部屋だった。誰も使ってない、埃塗れの部屋。ずっとずっと昔の、ご先祖様が使っていた部屋だとお父さんは言っていた。始祖とも云える獣神様『ライオット』。オレの名前はそこから取ったのだと。オレに生えている狼の獣耳には、その方の高潔な血筋である証拠なのだと。
お母さんは、部屋に在った藍色の宝石をオレに持たせた。
きっとこの妖石が護ってくれるからと、泣きながらオレを抱き締めて。お母さんは、独りで扉を飛び出して行った。きっと、囮になるつもりで。けれど、巨人は家の前で待ち構えていて、…嬉しそうに、お母さんを踏んだ。窓に飛び散る鮮血、鼻腔に充満する鉄の匂い。オレは決して忘れない。
…巨人は、木で出来た屋根を殴り飛ばした。
そして、血溜まりを作りながら蹲るオレを見付けて、哂った。首が曲がり、骨が砕け、足が折れた、惨めなオレを見て、喜んだ。アイツは確かにこう言ったんだ――お前が最後の生き残りだぞ、と。満月に照らされたオレの絶望顔が余程面白かったのか、巨大な口角が更に歪む。何でこんなことをするんだとは、訊かなかった。意味が無いと思ったからだ。アイツは、ただ純粋に快楽を求めてこの光景を作り出したのだと理解した。
――ドクンと、心臓が脈打つのを感じた。
身体を流れる真っ赤な血液が、確かに蠢いていた。
根本に刻み込まれた遺伝子が、確かに命令を与えて来た。
強くなれと。奪われたくなければ、是が非でも力を手に入れろと。普段は弱虫でも良い。ただ、獣人としての誇りだけは忘れること勿れ。もしもお前が、過去も未来も、その心臓までをも賭けられるというのならば…
―――『俺』を使え。
オレはそれがご先祖様の遺したメッセージだと気付いた。
この村を創ったご先祖様は、きっとこの惨劇を予想していたのだろう。自分の子孫に、途轍もなく厳しい試練が訪れることを知っていたのだろう。だから、己の血にその言葉を刻み込んだのだと。己の力を遺して置いたのだと。オレは理解した…その力を行使する為には、まず何をしなければならないかを。莫大な危険が付き纏うと知りながらも、手に収まる藍色の妖石を首元に近づけ…
「あ、あ"、ア""、ァァァアアアアアア""""!!!!!!』
禁忌を犯したオレは、鮮明に輝く満月に吠えた。
◇
「教えて、ライ。何処まで記憶が有るの?」
「全部…。巨人を撃退したのも、谷の底のことも…。」
「じゃあ、最初に俺が妖石について質問したときは…。」
「…分からないって、嘘、吐いちゃった。…ごめんなさい。」
「いや、怒ってないよ。記憶が抜け落ちてる方が危ないからね。」
『狂乱状態の時のことは覚えているのか。』
「う、うん。少しだけぼんやりとはしてるけど…。」
寝台に潜り込むライを囲むように、俺とガドとリフィは座っていた。改めてライの口から聞き出したのは、あの満月の夜に何が起こったかということだ。結果として、ライが妖石を己が身に取り込むまでの経緯と、巨人の残忍性を再確認することが出来た。…各々で話の内容を脳内整理していると、気付けば沈黙が流れていた。不安そうに三体の化物の顔を見回すライに、俺は重要なことを問い掛ける。
「ライ、よく聞いてね。これからどうするかを決める、大切な話だから。俺達はこれまで、ライを安全な場所…人間の街に送り届けようとしてた。街には俺が仲良くしてる人も居るから、危険な目に遭うことは無いと思う。けど、その逆。ライが人間達を危険な目に遭わす可能性は、捨て切れない。」
血を目視する、或いは匂いを嗅ぐだけで暴走してしまう少年。そこに彼の意志は関わらず、時には味方である俺達にまで被害が及んだ。彼を人間社会に放り込んだとて、一度狂乱状態に陥れば全て台無しだ。流石のベイドと云えど、自らの家族に危害を齎す幻妖を見逃しはしないだろう。
『だから、俺がお前を鍛えてやろう。』
目を伏せてそう告げたガドに対し、ライは素っ頓狂な声を出した。自分が危険な存在だと聞かされた後に、ソレを強化すると言われたのだ。話の辻褄が合っていない。そう訴え掛けるように彼の眼差しは俺に注がれた。
「目下の課題は『ライが狂乱状態を制御出来ない』ってこと。それを解決しない限り、少なくとも人間として生きて行くのは無理。だからガドさんが、獣人の力を抑えれるようになるまで面倒を見てくれるってさ。」
『暴走の時にお前の意識が在るのならば、取っ掛かりは既に出来ている。後はお前の心の問題だ。力を振り回すか、力に振り回されるか。自分で選べ。』
正直、俺としてもライを今の状態で街に送り届けるのは不安だ。彼には幸せを掴んで欲しい。自分なりの生き方を見付けて欲しい。けれど、それを捜し求める途中で誰かを不幸にするのは違うと思う。他人様に迷惑を掛けるな。…そんな思想を押し付けてしまうのは傲慢だろうか。しかし、僅か十歳の少年は、俺の考えなんかを通り越したずっとずっと先を歩いている様だった。
「…オレ、強くなりたい。」
――ただ真っ直ぐな想いだけを、胸に抱いて。
『…あぁ、強くしてやる。』
「お願い、…します。先生。」
ギラギラとした視線と、少し柔らかさの付け加えられた視線が交差する。既に師弟の関係が形成されつつ二人の間に、俺の挟まる場所は無いようだ。
『自分が護りたい物を、自分で護れるように成れ。そう成る為の手助けならしてやる。最後はお前次第だがな。人間か、化物か。その選択は、お前が一人前に成るまでお預けだ。』
「うん、…ぁちがぅ、――はい!」
この少年はきっと強くなる、確信だけが有った。
◇
――『今度は手土産でも持って来い。』
ガドとライは、パームネマ川方面へ歩いて行った。
別れる直前、ガドが告げたその一言がずっと胸に残っている。また近い内に顔を見せに来い…遠回しな表現だがそういうことだろう。数週間か、数ヶ月後。次来るときには、ライはどれくらい成長しているかな。ひょっとしたら俺を余裕で超えているかもしれない。…有り得そうで怖いな。何にせよ、これから暫くは盲椋の棘に刺されまくれて、泣きまくるんだろうなと思った。
「リフィ、鞄ありがと。」
『 Kyuun. 』
野営地に放置してあった鞄を取って来てくれた白狐に感謝を述べる。特段失って困る程に重要な物が詰められている訳では無いのだが…。それでも旅中で回収した妖石などは基本この中に入ったままである。ユエとの契約も結んだばかりだ、例え低級の妖石であろうと蔑ろには出来ない。…それに、現状唯一にして最大の情報源であるこの地図も、今日が使い時だ。
「…行くか。」
ぺらりと、鞄から取り出した精巧な地図を開く。
俺達の現在地はパームネマ川中流辺り。そして、此処から真っ直ぐ西側へ進んだには金色の点がポツンと打たれていた。多く見積もっても数時間、頑張れば一時間程度で目的地に辿り着けるだろう。オミナスのことを信用し過ぎるのも考え物だが…行けば真偽は分かる。靴に『光』を纏い、隣に居るリフィと共に超加速を開始する。
――会いに行こう。俺の、母さんの元へ。
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◆ 獣人の村が滅んだ日
魔人マグラは、麒麟を従え夜闇の中を歩いていた。
場所は大陸の南西部。辺りにはゴツゴツとした岩肌が露出している。そんな地形を無言で歩いている彼は、一体何処へ向かっているのだろうか。人類への復讐に囚われた彼は、一体何を思って今を生きているのだろうか。顔を濁った灰色のガラス仮面で隠す男の感情は、この私ですら読み取ることが出来なかった。
そんな男の前に音も無く現れたるは、七匹の人型幻妖。
『久しいなぁマグラ! 元気にしておったか?』
――赤色の仮面を付けた魔人が口火を切る。
『クケケッ、相変わらずキメェ顔してんぜ。』
――青色の仮面を付けた魔人が暴言を飛ばす。
『こらこらぁ、マグラくんがまた泣いちゃいますよぉ?』
――緑色の仮面を付けた魔人がクスクス嗤う。
『強そうな子従えちゃって、見栄っぱりさんねぇ~。』
――橙色の仮面を付けた魔人が挑発に便乗する。
『自分は弱っちい癖に恥ずかしくなぁいのかなぁあ??』
――紫色の仮面を付けた魔人が人差し指を伸ばす。
『ねー。可哀想だねー☆』
――白色の仮面を付けた魔人が縦に首を振る。
『ネー。情けないネー★』
――黒色の仮面を付けた魔人が横に首を振る。
種族こそ統一しているものの、性別も性格もバラバラ。
確かな実力を保有する七匹の化物達は、しかし例外無く彼のことを見下していた。『石』しか扱えず、人間の男に絆され、片翼を捥ぎ取られた同胞のことを。<悪の天誅>の首謀者であり、人類に強く恐怖されている同族のことを。史上最悪の幻妖という異名まで与えられた、あのマグラという同志のことを。
恐れ知らずの七体の魔人達は、容赦無く嘲笑っている。
『……………。』
普段ならば睨み付け、或いは命さえ奪う場面だ。
けれども、マグラが選んだ返答は『無視』ただ一つであった。不機嫌そうに喉を鳴らす麒麟も、特に反抗の意思を見せること無く、主の意向に沿って静観を貫いている。それを面白く無さそうに見つめる悪魔達。やがて、その中の六匹は妖力を練り始め…。
『――我は、お前らよりも強いぞ。』
ドスを利かせたマグラの最終勧告により、六つの妖力は霧散した。『青』『緑』『橙』『紫』『白』『黒』…彼らが抱いたのは強力な畏怖だ。ずっと格下だと思っていた筈の餓鬼が、気付けば本物の力を付けていた。唐突にその事実を突き付けられ、身動きが取れなくなってしまったのだ。…縮こまったかつての同胞を横目に、マグラは麒麟と共に歩いて行く。
『うむ! 尾ければ面白い物が視れそうだな!』
唯一マグラの殺意から逃れた『赤』の魔人は、楽しそうな声を上げた。平均年齢数百歳。終わりの見えぬ生存に飽きた彼ら魔人が求めるのは、至上の娯楽だ。かつて手放した不良品の玩具がこのように返り咲いてくれたのだ。それの逝く末がどうなるのか、暇を持て余した魔人達が興味を持たない筈も無い。
――尾行役に抜擢されたのは、『橙』だった。
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