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ナノライト  作者: かざぐるま
第六章 Are you a werewolf.
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第五十五話 狂乱

 



 見上げた先には、どんな名匠が描いた絵画よりも鮮明な蒼が広がっていた。一つ大きく息を吸えば、湖水のように澄み切った美しい空気が肺を満たし、曝け出した瞳には、少し刺激的過ぎるくらいの暖かい太陽光が差し込む。


 これが地上だ。これが、俺達の当たり前の世界だ。


「…ビトラスさん、どうですか。」


 何とか声を絞り出し、そう問い掛けてみても、

 あの軽快に弾んだ声が返って来ることは無かった。


 俺の手中には、既に輝きを失った灰色の妖石が二欠片収まっている。その断面は非常に滑らかで、俺は彼が苦しまずに逝けたことを願うばかりだ。天から降り注ぐ煌びやかな光を反射させるその石はまるで笑っているみたいだ。過去の未練は完全に浄化され、未来に対する期待だけが宿っているようだ…と。…そんな詩文染みた妄想も、彼は小馬鹿にしながら褒めてくれるのだろう。


『 Kyaun! 』

「わっ、まぶしい。」


 普段よりも少し巨大化しているリフィが、崖縁から飛び出して来た。彼によって服の裾を咥えられていたライは、突然の強烈な光に目を伏せる。リフィはライの身体を口で支えながら三千メートルの崖登りを成し遂げたのだ。その偉業に感嘆と感謝をしながらも、やはり俺はライのことが気掛かりだった。


 真っ暗闇の中に丸三日。食事はゼロ。睡眠も質は期待出来ない。カルメル峡谷の底は、齢十歳の少年にとって相当に劣悪な環境だった。何よりも極め付けは二度の発狂だ。特に二回目は彼に謝罪しなければならない。幸いにも暴走中の記憶は薄いようだが、それでも心理的負担は消えないだろう。


「ライ、お腹空いてない?」

「うーん。正直ね、ペコペコ。」

「じゃあ早めにご飯にしないとね。」

「でも、別にがまん出来ない程でもないよ?」


 …俺がずっと引っ掛かりを覚えているのは、彼の大人びた態度だ。普通、彼はもっと他人に甘える年頃だ。我が儘だって一つは洩らしても良い。けれど、ライは常に他人へ…主に俺に対して強く気を配っているように見えた。もっと楽にして良いと言っても、自覚が無いのか戸惑い気味に微笑むばかりだ。


「…じゃあ、出発しよっか。」

「うん!」『 Kyuun. 』


 もしも彼の態度が素朴な物であるならば、特段俺が追及する意味も無いが…。()()()()の上に成り立っている物であるならば、注意して見張る必要が在る。そのやり方ではいずれ重大な破堤を起こすのだと、俺は知っているのだから。嘘という物は、自身のみならず他者の破滅までをも誘発してしまうのだから。




 ---




 独り夕暮れの下を徘徊するその巨人(ギガース)は飢えていた。

 いや、ついさっき温厚な野鳥を丸呑みしたばかりだ。

 胃は充分に満たされており、体調も然して悪くは無い。

 にも関わらず、ソイツの腹を暴れ回る虫は決して治まることが無かった。


 原因は自明、二週間前に取り逃した一匹の獲物だ。


 ボリボリ、ボリボリボリ…。奇怪な音と共に、ソイツの皮膚が刮ぎ落とされる。禿げ掛かった頭を、荒れ放題な頬を、でっぷりとした腹を。掻いて、掻いて。肌の垢が爪に挟まり、体皮が薄く剥がれ、やがて指先が肉に食い込もうとも。『力』の籠った両手の五指を震わせながら、ソイツは醜い自傷を続けた。


『あんのクソ餓鬼の所為でえぇ”!!!』


 雷が落ちたかと錯覚する程の、強烈な怒号が満月の浮かぶ夜空に鳴り響いた。少し前まで、ソイツの気分は一次直線、或いは二次曲線状に高まっていたのだ。忌々しき狼の村を壊滅に追い込み、矮小な人間達の尊厳を極限まで貶め、かつて無い程の全能感や高揚感に包まれながら、ソイツは笑っていた筈なのだ。


 …それが、今となってはこの有様だ。


 幼子のように、太古より蘇りしその幻妖は見苦しい地団駄を踏んだ。すると、当然のように周囲の木々は薙ぎ倒され、足元の害虫達が死に絶える。たったこれだけのことだった。これだけで、あの村は為す術無く滅んだのだ。たった一匹の害虫が圧倒的強者に牙を剥き、(あまつさ)え深手を負わすことなど…。


「次会ったら絶対にぶっ殺してやる”!!」


 そんな反逆行為を認められる筈が無いのだ。


 誰よりも傲慢に。誰よりも嗜虐的に。誰よりも自分勝手に。巨人(ギガース)はそれこそが化物としての在り方だと考え、それを実践して生きて来た。だからこそ、人間の女なんぞに惚れ込んだ獣人(ウルフ)の男とは馬が合わなかったのだ。そうして同様に、獣人(ウルフ)の直系の子孫に当たる物達の存在も彼は許さなかった。ライの村が滅ぼされた理由は、巨人(ギガース)の逆恨みにも似た私怨。ただそれだけだ。


『にしても”、あの野郎は何処行きやがったんだ”?』


 さて、そんな邪地暴虐の幻妖巨人(ギガース)にも、或る程度の理性は存在する。自身の交わした契約を三歩進んで忘れるような痴呆でも無ければ、その約束を破った際に齎される報復の度合いを測れぬ程馬鹿でも無い。ソイツが数か月前に契約を交わした相手は、歴史上稀に見る傑物だ。魔人(デビル)を怒らせる事はするな。巨人の数少ない知性は、確かにそう告げていた。――とは云え、相手が約束をすっぽかしたのならばどうしようも無いのだが。


『こんだけ妖力曝け出してんだ”。気付けない筈がねぇよな”?』


 野太い声で独り言を洩らす巨人(ギガース)だが、事実その通り。

 ソイツの山のように巨大な妖力は、一切の偽装が施されず存在感を放っていた。『無』の妖術を、中でも"鎧"を主軸として戦いに臨むソイツにとって、己が保有する莫大な妖力を世間から隠し通す為の妖力操作など他愛も無い事だ。もっと言うならば自身の妖力を敢えて大きく見せるということも可能であり、今のソイツは精霊にも匹敵するハッタリの妖力を放ち、草原を練り歩いていた。


 だと云うのに。期日が過ぎようと待ち人は来ない。


『…けっ、萎えることしやがるなぁ”。』


 心底呆れ果てた様子で、巨人(ギガース)は泥水のような唾を吐き捨てた。ボリボリボリボリ…。新たなストレスの種により皮膚の掻き毟りが加速する。顔が変形してしまうほど頬の肉を爪で傷付け…やがて、ピタリと。止んだ。


 硬直した巨体の中で口端だけが醜悪に歪み、

 まるで引き裂くように、吊り上げられて行った。



 ◇



 カルメル峡谷が絶対的な支配者を失ってから四日。

 何もかもが寝静まった夜闇の中に、小気味良い音を奏でる焚き木が在った。それを囲むのは三つの影だ。それぞれ、獣耳の少年、白い子狐、金眼の少年。約三十キロの横幅を誇る谷底を横断し、断崖絶壁を駆け昇った彼らは、現在大陸の北東…チフリズ湖から微妙に距離を置いた辺りで野営をしていた。 カルメル峡谷の崖縁を沿うように移動を続けている三匹は、石の精霊の足止めを考慮しても中々に良いペースで進行を実現させている。当初のヒシは人間の街まで一ヶ月は要するだろうという見積もりを立てていた筈だ。それは、旅中での非常事態やライの身体状態を考慮しての物だったのだが…。


 獣人の村を出発してから今日まで、丁度二週間。


 彼らの現在地から最も近い人間街であるユルドースまでは、後四日も在れば充分だ。大幅な時間短縮。その貢献者は、リフィであり、ライであり、ヒシでもある。全員が全員、お互いのことを気遣い合ってようやく生まれた時間的余裕なのだ。例えばライの『水』が無ければ、彼らの旅路はそれはもう悲惨な物だっただろう。例えばリフィの並外れた索敵能力が無ければ、彼らはもっと危険に晒されていた。例えばヒシの冷静な状況判断能力が無ければ、彼らはそもそも峡谷で詰んでいた。


 全てはライを安全な人間の街へ送り届ける為に。


 三匹は…否、少なくともヒシは、その想いで全力を尽くして来ていた。多少の不安要素は在れど、それが不幸な少年の幸福だと信じていたからだ。だからこそ、自身の睡眠を削り落としてでもライの守護に手を抜かない。…それを証明するかの様に、静かに目を伏せていたヒシはパチリと瞳を開いた。


「リフィ。」


 眠気などを漂わせぬ澄み切った声色で、己が眷属の名前を呼ぶ。そんな青年の横で、一匹の精霊が白毛に覆われた体をムクりと起こした。触れれば切り裂かれそうな鋭い眼が、黒く染まった草原の彼方に向けられる。


 ―――『 Phantom, …Strong.(幻妖だ、強いね)』


 突如出現した光の粒子達が集合を始め、ぼんやりと辺りを照らした。宙に形成された少し癖のある文字にはリフィの警戒心が強く乗っている。俺達は夜闇の中を、正確にはその奥で放たれている禍々しい妖力の根源を睨んだ。


「距離は大分離れてるけど…。」

 ――『 Spirit Class.(精霊級だね)』

「討伐に向かった方が良いかな。」

 ――『 Wait.(いや、様子を見よう)』


 決して妖力の主から注意を解かず、リフィと共に意見を交わして行く。相手が強者だという予想は一致したが、今後の対応については相違が生じた。討伐を望む俺と、様子見を勧めるリフィ……とは云え、ここで言い合いは起きない。リフィは俺の意見を、俺はリフィの意見を。確かに一理は在ると感じたのだ。故に、両者の思考に数瞬の迷いが発生する。何が正解か。答えを出す為、思考が縛り付けられる。



 …この時の躊躇いを、俺達は後に悔やむ事となる。



 ◇



『あぁ”、獣臭ぇなぁ”!!』


 濁った声を轟かせるソイツは笑っていた。


『もっと痒くなっちまったじゃねぇか”!』


 昂る感情を抑えきれず全身を掻き散らしながら。


『こんな所で会うとはなぁ”、クソ餓鬼ィ”!』


 憎々しき宿敵との再会を心の底から喜んでいた。


『今後こそ、ぶっ潰してやるからなぁ”!!』


 ソイツは岩石を鷲掴みにし…、―――()()()()()



 ◇



 ビリビリと、振動を受け取った鼓膜が震えた。ゾワりと、背筋が凍り付いた。遠方の妖力に動きは無い。妖術が発動された時特有の騒めきも感じられない。だと云うのに、この悪寒は何だ。轟音を立てながら迫り来るアレは何だ。


「――リフィぃッ!!!!」

『 Kyuu…!! 』


 用件を伝える時間すら惜しく相棒の名を叫ぶ。

 それでも、その一言だけで俺の意図は余すこと無く伝わったようだ。直後、数十枚の光壁と数百本の光剣が俺達の眼前に堂々と姿を現した。光の幻妖と光の精霊による全身全霊の防御術。それの出来を評定する間も無く…



 ――俺達の野営地が跡形も無く消し飛ばされた。



 飛来した巨大な岩石に因り、俺達が全力を賭して張った防衛線はいとも容易く破られてしまう。その岩石を視界に収めた時、俺はまるで()()()みたいだなと感じた。ぴょんぴょんと飛び跳ね迫り来る円盤状の岩石は、あまりに衝撃的だったのだ。ただし通常の娯楽として行われる水切りとは、場所も規模も掛け離れている。陸の上で石巌を用いて行われる遊びだと? 巫山戯るのも大概にしろ。


 …なぁ化物。お前が齎した被害は、甚大だぞ。



「ぁ、ァ"、ァァぁァァぁァァアアア"""!!!!』



 先刻まで穏やかに眠っていたライが、咆哮とも慟哭とも付かぬ大声で吠える。岩塊の巻き起こした大爆発が、彼の身体に無数の裂傷を作ってしまったのだ。破れた肉の間からは赤い血が当然のように流れ出て、ライは確かにそれを視た。


 愛らしさを漂わせていた狼型の獣耳が、奇怪に急発達を遂げる。小さく頼りなかった筈の背中は、膨れるように盛り上がって行く。丁寧に丸められていた指の爪が、魔女(ウィッチ)を凌ぐ程に伸長していき。叩けば折れかねなかった細い腕は、龍人(スケイル)に及ぶ程の逞しさを手に入れた。


 最早見慣れた物と化したライの暴走状態。

 けれども、今回に至っては更に都合が悪かった。


「―――ッ!!!???」

『ゥァァァァァアァァア""!!』


 ライの身体から滲み出ていた鮮血が、突如として俺に牙を剥いた。眼球を貫かれる寸前で『光』を発動。…甲高い金属音が夜空に鳴り響く。刹那、俺が目にしたものは、――見事に凝固し、槍の形を模った血液の塊だった。これが物理法則から外れた現象であるのは自明。間違いなく妖術の類だろう。けれど、血を扱う妖術など聞いたことも無い。


『 Kyuu…!!!!!! 』


 リフィの生み出した『光』の大剣が、第二陣とも云える巨石を切り裂いた。見事な真っ二つと化す岩の塊だが、それを為した精霊に余裕は一切無い。何せ、彼が睨む地平線の先には既に第三弾目の姿を確認出来てしまうのだから。数分置きに飛来する質量の暴力。それは、妖術では無く純粋な膂力に拠る物で…。未だ全貌を見せぬ敵手の力量は、俺達の予想を遥かに上回る物なのだろう。冷や汗を垂らしながら次の攻撃に備えるリフィは、小さく喉を鳴らした。


『ウ"、アアアアアアアアアアッ"""!!!!!』


 一人は未知の妖術に戸惑い、一匹は守護者としての覚悟を決める。我を失ったライが脱兎の如き疾走を始めたのは、そんな折だった。俺達を完全に出し抜き、草原を駆け抜ける獣。向かう先には、()の幻妖。我武者羅に、一心不乱に。血と涎を撒き散らしながら、ライは遠ざかって行く。


『 Kyauun…!! 』

「リフィ、待って!」


 脚の筋肉を隆起させ、爆発的な加速を行おうとするリフィ。そんな眷属のことを呼び止めると、彼は驚いたように俺へ振り返った。今すぐ追わなければ。半透明な瞳でそう訴え掛けてくるが…大丈夫、落ち着け。


 発火寸前の思考を更に速く回す。


 奇襲を仕掛けて来た幻妖の妖力が移動し始めていることを感知する。ソイツを追うように走るライ。二者の進行方向にはユルドースが在る。相手の狙いは殺害でも逃亡でも無く、誘起。ライを暴走させたのは作為的。仇敵を叩き起こし、誘き出し、連れて行く。これで奴の行動に説明が付くだろう。


 アイツは、暴れ狂うライを人間の街にぶつけるつもりだ。


「…幻妖を仕留めて。ライは俺が止めるから。」


 俺が結論を出すまでに要した時間は、約三秒。

 俺の指示を聞いたリフィがその真意を悟るのに、約二秒。

 それぞれが己のターゲットに追い付くまでには、一秒も掛からなかった。



 ◇



『ぶははっ”、そうだ”、追って来い”!!』


 他者に対する思慮も無く、自然に対する配慮も無い。

 慎ましく育つ生き物達を容赦無く蹴散らしながら、巨人(ギガース)は笑っていた。ドシドシと大地を踏み荒らし、穢らわしい声を発しながら、歓喜に震えていた。まんまと自身の策に嵌まった獣人(ウルフ)…その存在を考えるだけで彼の笑みは深まる。


『――ア"オオオオォォォンン!!!!!!』


 がなりを含んだ遠吠え。その声を背景に巨人(ギガース)は小走りへ勤しんだ。ソイツが目指す最終地点は、ヒシの推測通り『研究の街 ユルドース』だ。ライを街中へと誘い込み、其処で血生臭い狼の末裔を根絶するのが奴の目論見。当然、争いの渦中に置かれるユルドースには相当な被害が及ぶことだろう。大量の死者も出る筈だが、…それすらも巨人(ギガース)は"一石二鳥"程度に捉えていた。今日を歴史に残る大事件に仕立て上げよう。ソイツは本気でそう考えている。


 …そのような狼藉を未然に防ぐのが彼の存在意義だった。


『 Kyuun. 』


 ――巨人の土手っ腹に、大きな窪みが作られる。


 数十キロの加速を経て叩き込まれた、『光』と"鎧"の飛び蹴り。軌跡は流星の如く、威力は砲弾の如し。リフィが誇る、必中必殺の技だ。得られる結果は至極単純な物で、大概の幻妖はこの一撃の下に屠られて来た。確かに脅威的だが…そうだな。もしもこの必殺技が効かないとするならば――。


『痒い”痒いぞ”。なぁ”クソ狐ェ”』


 …標的も"鎧"の使い手であったという事だろう。


 勢い良く身を翻した巨人(ギガース)が、俊敏な動きで太い拳を振り下ろす。間一髪でそれを躱したリフィだが、代わりに大地に亀裂が出来た。もしもあの殴撃が子狐の身体に直撃すれば、妖石は一瞬にして砕ける。また、掠めるだけでも衝撃波によって肉体には或る程度の損害が生じると予想される。つまり、リフィの最適解は完璧な回避。…幸運にも、彼の得意分野だった。


『甘ぇんだよなぁ”? 沈んどけ”』


 …だが、巨人(ギガース)の生み出した重力場がそれを決して赦さない。メキメキと、何かが軋む音と共にリフィの身体が割れた大地に縫い付けられた。身動きの取れぬ状態の白狐は、敵手との悪相性を悟らずにはいられなかった。"鎧"を"鎧"で相殺され、『光』を『力』で抑え込まれる。活路は見出せず…。


『 ――!!!! 』

『ざまぁねぇなあ”!』


 彼の身体は、ボールのように蹴り飛ばされた。


 眷属体として存在するリフィにとって、痛覚は無いに等しい物であった。だが、彼には痛みや苦しみという抽象的な物よりももっと明確な弱点が有る。それこそが"妖石"であり…、たった一筋の傷が死へと直結し兼ねない急所だ。だからこそ、彼はありとあらゆる事象よりも己が妖石の防護を優先する。身体の外郭を"鎧"で固め、身体の内郭を緩衝用の『光』で補強し…。いずれ訪れるであろう地形との激突という避けられぬ未来に備えて、そして次にどう反撃すべきかを頭の中で試行して、彼は宙を突き進んでいた。


 つまり巨人(ギガース)が再び束の間の自由を得たという事であり…。


『ふん”っ!』


 目的の少年にちょっかいを掛けるには、充分過ぎる時間であった。


 さて、端的に言おう。巨人は()()()()()()()()

 奴にとって最もつまらない結末は、ライが即死することだ。故に、求めるのは嬲り殺し。寝込みを襲ってハイ終わりでは、奴の腹の虫が収まらない。妖術を使用せずに岩石を投げ飛ばしたのは、残虐性故の威力調整であった。


 …だから、もうその必要も無い。


 ライは完全な狂乱状態に突入し、獣人(ウルフ)としての力を存分に解放している。巨人(ギガース)は絶対に認めたがらないが、獣人(ウルフ)の強靭性は奴が最も知っている筈だ。それこそ、何度『力』の拳を叩き込まれようとも必ず起き上がって来る程に。相手がこの程度で死ぬ化物では無いと、むしろ流血により更に強化されているだろうと。捻じ曲がった信頼を以て、巨人(ギガース)は自身に科していた縛りの解除を決めた。


『精々”、俺を楽しませてくれよぉ”!?』


 悪辣な笑みを浮かべ、巨人(ギガース)の両腕が大地に差し込まれる。元来並外れた膂力を持つ腕を、『力』と"鎧"により飛躍的に強化させ…。丸太のように太い足と、でっぷり膨れた上半身でしっかりと踏ん張り…。


 ――地表を握り込み、()()()()()


 ゴッソリと削れた赤褐色の土塊から、パラパラと欠片が零れ落ちる。その様子を不愉快そうに眺める巨人(ギガース)は、並行処理で『力』を発動させた。不細工だった土の塊が、外部から加えられる圧力により丸く整形されていく。やがて半径五メートル程の球体と化したそれを視て、奴は満足そうに笑う。


『ははっ”、死にやがれぇッ”!!』


 例えば…高度な知能を持つ生物が、道具の使い方を覚えたら? 生まれ付き可愛い顔を誇る人間が、化粧の知識を得たとしたら? 素手で石の塔を叩き割れる怪物が、自身に身体強化を施したならば? …力に、力を重ねる時。それが加算になると思うな。鬼に金棒、虎に翼。二つ合わさることで効果が倍増する様な事象というのは、この世に数多く存在している。巨人(ギガース)はそれを知っているからこそ、今まで能力を制限していたのだ。けれど、もう自由だ。欲望と愉悦と快楽のみを追求し、放たれる一撃は――



 ――こうなる。



 ◇



「――《箱庭(はこにわ)》」

『ア"、ァァ"、ァァアアアア""!!!』


 中規模の『光』の箱は、ライの身体を完全に封じ込めてしまった。ガンガンと、彼の強烈な頭突きが光檻を揺らすが…、問題は無いようだ。もしもライがロットのように『闇』を使うならば、容易く脱出されていた。幸いにも彼が扱う妖術は血液操作…過去の発言を参照し、恐らく『水』のみ。強力な妖術であるのは確実だが、流血量の少ない現況では威力に欠ける。所詮は、大した突破力を持たぬ自我を失っただけの少年だ。お陰ですんなりと保護が完了したので、今回の場合はその事実に感謝するしか無い。


「…問題は、この先。」


 彼の暴走をどうやって止めるか。どうやって正気に戻すか。カルメル峡谷の底で俺とリフィが最も苦労したのはこの部分だ。あの時と同じように、ライの精神的燃料切れによる気絶で終われば最善だが、今の彼はまだまだ元気な風に見える。自然鎮静を待つのには骨が折れそうだ。とは云え、彼を直接的に傷付けてしまうような方法は絶対に避けるべきだろう。そもそもライが可哀想だし、獣人(ウルフ)としての凶暴性は極力抑える方向で行きたい。


 ――その時、俺は妖力が膨れ上がる気配を察知した。


 発生源は、遥か彼方。方向は、ライが今にも飛び出して行きそうな所…つまり、件の幻妖とリフィが交戦している筈の方角だ。けれどこの荒々しく溢れ出るような妖力は、リフィのそれでは無い。大気に存在する無垢な妖力達が、何かを恐れるように蠢き始めた。…一体何が起ころうとしているのか。立ち込める暗雲に、俺が目を細めた時。


 今までとは比にならぬ威圧感を放つソレが視えた。



「―――っ、《照葉(てりは)》ッ!!!!!」



 その妖術の発動は、殆ど反射的な物だったと思う。

 ただ、こうしなければ死ぬと。脊髄が警告を発して来ていたのだ。ソイツが岩石ぶん投げ攻撃を行って来るのは、今日だけで三回目だ。けれど、今回のコレだけは、違う。俺達二人を纏めて殺す為に放たれた一投だ。


 俺の創り出した『光』のドームへ、土の塊が衝突する。


 それだけだった。たったのそれだけ。

 それだけで、『光』は崩壊し、俺は圧し潰された。

 眼球が飛び出るかのような錯覚に襲われる。…実際に左目は消された。内臓が辺りに散らばったかのような苦痛を感じた。…現実に臓器は弾け飛んだらしい。拉げた身体、消え掛ける意識。その中で、辛うじて残った俺の右目は優秀にもその光景を捉えた。


 ――破壊された『光』の箱を。…泣き叫ぶライの姿を。


 二つに、三つに。分離しそうになる思考を取り纏め、正気を取り戻す。ゴツゴツと隆起したライの肉体には、『光』の破片が幾つも突き刺さっていた。それらが俺の発動した妖術の成れの果てであると気付き、急いで解除する。が、ライの裂創までもが元通りとなる道理は無い。流れ出る血もそのままで…。


『ウ"ウ"ウウウアアアアアアアアア""""!!!!!』


 より一層、剛毛を逆立てるライからは硬質化した血液が創られていく。黒味を増した血を纏う人型の獣。今の彼は、怪物以外の何者でも無かった。人ならざる姿で雄叫びを上げながら、我を失った獣人(ウルフ)が再び草原を駆け始める。巨人(ギガース)の手の平で踊らされながら、巨人(ギガース)の玩具として、巨人(ギガース)に誘われるように。


 ライは過去最悪の幻妖として、人間の街に繰り出すのだ。



「…そんなこと、許さない…!!」



 初心を思い出せ。

 何故ここまで頑張って来たのかを。

 何故ビトラスにあれだけ本気でぶつかったのかを。

 何故巨人に対してこれだけ強い敵意を抱いているのかを。


 俺()の為すべき最終目標は、ライの救出と保護。


 きっかけは確かにオミナスだった。

 けれどこれまでの道筋は俺の意志だ。

 絶望のどん底に居たライを救出してみせると。

 彼が新たな幸せを手に出来るように保護し続けると。

 それを決めたのは間違いなく自分だ。だから、曲げるな。


「多少、手荒になるけど。」


 最早、ライを傷付ける傷付けないの問題では無い。

 今ここで迷えば、彼の人としての道は永遠に閉ざされる。

 ライが最終的にどの様な生き方を選ぶのかは問わない。

 だから、可能な限り多くの選択肢を護り切るのが役目だ。

 ライが自分の意思で選ぶこと。それが、一番大切なのだ。

 彼の生き方を、巨人(ギガース)の思い通りになどさせて堪るか。



「―――《閃裂(せんれつ)》」



 俺は、全力でライの意識を落とすという決心が付いた。



 ◇



 ここ最近は敗北続きだ。

 邪子(ダーク)に負けて、石の精霊に負けて、巨人(ギガース)に負けて。自分はこんなにも弱かったかと、つくづく思い知らされる。いや、実際の原因には或る程度の見当が付いているのだ。僕はもう、闘いに向かう戦士としての熱量を失ってしまった。負けてもいいや。いざとなれば、ヒシが何とかしてくれるし。…そんな精霊としての尊厳の欠片も無い想いが、胸の奥で嗤っている。成り行きに身を任せて、揺ら揺らと、のんびりと、日々を貪って。あの頃、満身創痍となりながらも不死蛇(ヒュドラ)に立ち向かった自分は。あの頃、■■■と絶縁してまで我を貫き通した自分は、何処に行ったのか。あんなたった一回の蹴撃で無力化されて…。あぁ、惨めだ。情けない。


『…ァァァァァァァ…!!』


 ――なんて、不甲斐無い。


 あんなに小さな子が泣き叫んでいる。

 痛い辛い、助けて。そう大声で吠えている。

 あの子があんな風になったのは、全て僕が原因だ。

 僕が勝負を投げて、巨人(ギガース)を抑え切れなかったから、

 何の罪も無い人間の少年が割を食うことになってるんだ。

 あぁ、なんて意気地の無い、無能で、貧弱な精霊だ。

 『守護』の精霊などと立派な看板を引っ提げておきながらこの為体(ていたらく)かよ。


 ―――起き上がれ。


 きっと僕の主人ならこう言う。

 謝罪は要らないと。行動で示せと。

 後悔は全てを尽くしてからする物だと。

 そうだ、僕はまだ何も成し得ちゃいない。

 あの頃の魂を燃やすような熱意を、もう一度。


 ――――明かりを灯せ。


 僕は、光の精霊。与えられた役目は『守護』。

 何も守れなかったあの時を乗り越えて、今ここに居る。

 次こそは人間を守ると、次こそは平穏な日常を護ると。

 そんな輝かしい決意を抱いて、僕はこの席に座ったのだ。


 誰よりも速く、何よりも疾く。

 人類の未来を照らし出す、一筋の光として。

 友を失い、主を捨て、朽ち果て掛けたこの身体。

 それでも、あの頃芽生えた本気の願いは、消えていない。



 ―――――さぁ、『光』を纏え。



『 Kyuuuuuu…!!!!!! 』

『……!? あぁ”、うぜってぇなぁ”!!』


 他種族を喰らいブクブクと肥えたソイツの腹に、蹴りを叩き込む。が、まるで沼に手を突っ込んだかのような手応えの無さを感じた。向こうも"鎧"は併用しているのだろうが、僕の物とは質が違うようだ。確かなのは、攻撃の効き目が無いということ。巨大な眼によりジロりと睨まれる。奴にとって興味の対象はあの少年だけなのだろう。僕のことは殆ど眼中に無い。そのことが酷く不愉快で、凄く癇に障った。だから行動で示してやるのだ。


 余所見をするな、僕を視ろと…!!


 贅肉が垂れた気色の悪い頬へ、甚大な衝撃を与える。


『――! 中々やるじゃねぇかぁ”!』


 口角をグイっと歪めた巨人(ギガース)が、拳を振り下ろして来る。『力』の影響で面妖に輝くソレの威力は、数十秒前に把握済みだ。――だから、僕は尻尾を増やすことにした。一本、二本、三本、…八本。元から生えていた物を合わせ、合計九本の狐尾が陽炎のように揺れる。


 九尾狐(ルクス)…最速の幻妖として、真価を発揮する為に。


『俺はなぁ”、その『光』が大っ嫌いなんだよ”!!』


 迫り来る鉄拳、僕はソレを九尾で()()()()()


 光の如く、鎧の如く。硬度と速度を両立させ。

 凶器と化した九本の尾を振るい、眼前に聳え立つ巨体の端々を斬って行く。相手の肉体は流石に頑丈で僕の刃は浅くしか通っていないが…問題は無い。宙に、数百の『光』の短剣、数十の『光』の長剣、一本の『光』の大剣を創り出した。見栄は捨てろ。泥臭く、手数で押し切る。それが僕の本来の戦い方だろう。


『時間が経ち過ぎて”、良くねぇなぁ”。

 あの犬野郎と同じくらい憎い奴のこと忘れてたぜ”!』


 再び痒みが襲って来たのか、巨人(ギガース)はデカい両手で顔を掻き毟った。ずっとずっと昔の或る日、光姫の手と成り足と成って動いていた日々の中で、コイツの存在を僕は彼女から直接聞いていた。当時のコイツは身体中ズタボロで、けれど光姫を見るなり物凄い勢いで襲い掛かったらしい。だから彼女は、世に解き放ってはいけないレベルの危険因子であると同時に、お眼鏡に適うだけの充分な妖力を蓄え込んでいた巨人(ギガース)のことを、『光』の檻へと封印してしまったのだ。巨人(ギガース)は、その一件の主犯である獣人(ウルフ)と光姫のことを大層憎んでいることだろう。また、僕の妖術には主であり師である光姫の面影が色濃く残っている筈だ。つまり、今現在。巨人(ギガース)の気を惹き付けるだけの要素が此方には有る。


 それで良い。お前の相手は僕で充分だ。


『 Kyuuuu!!!!!! 』

『ははっ”、面白れぇ”!!』


 僕とソイツとの殴り合いは苛烈を極めて行く。

 片や手数を武器にする者、片や威力を追求した者。

 僕はノーダメージ、大して巨人(ギガース)の身体には無数の切傷が浮かんでいる。けれど慢心は出来ない。コイツの殴撃を一発でも食らえば僕は死ぬのだから。何よりも、どれだけ傷を追おうとその顔から笑みが消えることは無かったのだ。それが指し示すのは巨人(ギガース)にはまだまだ余裕が残されているという恐ろしい事実。


『お”らぁあ”!!』


 巨人(ギガース)の振り上げた大腕が、奴を突き刺そうとしていた短剣群を消し飛ばした。また、光り輝く長剣達は奴が生み出した重力場によりその自由を完全に失う。トドメとばかりに開かれた大口の中に『光』の大剣が飛び込み、噛み砕かれた。一瞬にして己が身以外の武器を喪失した僕のことを、巨人は挑発的に見下ろす。


 …上等だ、余計な小細工は終わりにしよう。


 僕の身体を、透き通るような承和色の粒子達が包み込んだ。卑しく笑う奴の身体は、重々しい赤銅色の粒子達に隠れて行く。妖力の活性化――強大な妖術が放たれる際の予兆とも云える現象だ。練り上げられる妖力に触発された大気中の妖力達が、色を帯びて輝き出す。二色の妖力達は決して交じり合わず、お互いの領域を主張する様に揺れていた。


 精霊級、或いは幻妖級の化物同士が衝突する時にしばしばみられる光景だが、経験上、この景色が実現されれば碌なことにならないというのは分かっていた。それぞれが自然災害にも匹敵する破壊力を持つ者達が、本気でぶつかるのだ。余波は人間社会にも大きな影響を与え、天変地異と騒がれることになるだろう。本来護るべき対象である彼らには申し訳無いが…。今日だけは、許して欲しい。


 全世界に責められようとも、僕は戦るつもりだ。

 この幻妖は、今ここで仕留めなければ不味いことになる。

 ――だが、僕の構想は昔から頓挫を起こしがちであり…。



『…状況が変わった”』



 ピタリと、巨人(ギガース)の妖力が鎮まった。

 同時に彼の猛々しい殺気も霧散していく。

 戦う意志を完全に捨てた様子の表情で、一言。


『アイツはやべぇな”、俺は逃げるぜ”』


 今までの負けん気が嘘のように、ソイツは背中を向けて歩み出した。敗走と云う程の哀愁は無いが、凱旋と云う程の歓喜を滲ませた物でも無い。ただ唐突に、化物としての魂を抜かれたような巨体の姿が其処には在った。徐々に遠ざかって行く城壁にも似た背部。…そんな易々と逃がすとでも――


『今日は終わりだっつってんだろ”、クソ狐”』


 直後、僕は身体を鉛のような物に巻き付かれた気がした。とは云え、この感覚は既知である。『力』による殺人的な力場の仕業だ。尋常では無い圧力に押さえ付けられているが…、動けない程では無い。這いずるようにしながらも、僕はズンズンと離れて行く巨体に喰らい付いた。


『 Kyuun…!! 』


 格好が付かなくても良い。この化物を、逃がすな。



 ◇



 ドクン、ドクンと。心臓の脈打つ音がはっきりと聞こえた。規則的な鼓動に合わせ、ライの傷口からは色濃い血液が噴き出る。それらは瞬時に鋭い槍へと形を変えると、周囲の飛翔体を撃ち落として行った。壮絶なスピードで突き進むライと並走する俺は、正直言って思い(あぐ)ねていた。ライの強化速度が早過ぎるのだ。最早、俺の手に負える範疇を超えている。純粋な討伐を目的としても手古摺り兼ねない相手を無力化する必要が在るのだ。


 無我夢中に爆走する現在の彼は、完全に自我を失っていた。リフィが食い止めている巨人(ギガース)の気配は俺達の遥か後方、既に通り過ぎている。だと云うのに、ライの脚は止まらない。未だ加速をしながら進み続けていた。元々何を目的としていたかすら、彼の脳からは消えて無くなっているのだろう。もしもこのまま放って置けば、彼は単身でユルドースを襲撃することになる。そうなれば彼は街中の防衛士達に、或いは游蕩士達に討伐されて…。


 …違う。そうさせない為に俺が居るんだ。


「………《箱庭(はこにわ)》っ」

『ウ""ウウゥゥウウ"ウ""ウ"""!!!!』


 本日四度目となる大技の使用、既に妖力は枯渇気味だ。

 そんな俺に対し、ライは無尽蔵にも思われる妖力で妖術を使い続けている。だが、体力は別だ。時間と出血量に比例して凶暴性を増す獣の少年だが、少し目を凝らしてみれば、彼の動きが徐々に大雑把になっているのが分かる。そもそも肉体は十歳の物だ。獣人(ウルフ)の超人的な動きを再現するにはまだ役不足。腕力に任せて暴れ回る彼の身体が先に限界を迎えるのは無理もない話だった。


 取り合えず、再び光檻で捕らえることには成功した。


 生憎と、俺は一撃で敵の意識を刈り取れるような技を持っていない。今まで開発して来た妖術達は殆どが攻撃と防御に特化した物だからだ。持ち得る捕獲技は、この《箱庭(はこにわ)》が精々。だから、ライには申し訳無いがここから先は根比べにさせてもらおう。俺の妖力が尽きるのが先か、ライの体力が尽きるのが先かの勝負だ。これは苦渋の選択だった。聞いた話では、人狼化には多大な苦痛が伴うらしい。その苦痛を利用して、彼の意識が落ちるのを待とうと言うのだから中々に非道なことをしているという自覚は有る。…けど、ほんの少しだけ、我慢してくれ。そうすればすぐに楽になる筈だから。



 ――ライが『光』の箱を破壊したのは、数秒後の話だ。



 酷い既視感を感じた。

 あれは訓練会で、相手はロットだったか。

 あの時もこうやって《箱庭(はこにわ)》で敵を閉じ込めて。

 時間が解決してくれるのを期待して、負けたんだった。

 そうだ。この妖術は単体で相手を沈められるほど完成した拘束技じゃない。本来は次の一手に繋げる為の技で…。あぁ本当に、何も成長してないじゃんか。非常にゆったりと流れる世界の中で、俺の心臓を貫かんとする血槍を視認した。



『―――《絶命(ぜつめい)》』



 …それは、あまりにも呆気の無い結末であった。

 小さな呟きが背後から聞こえたのと同時、俺の頬をそよ風が撫でて。直後には、あれだけ発狂状態に陥っていたライが膝から崩れ落ちたのだ。獣耳が標準に戻り、鋭い牙は引っ込み、開かれていた瞳孔と鼻孔が閉じた。ストンと、軽やかな音を立てて前のめりに倒れ込んだライは、…寝息を立てる。身体の節々に傷跡が残っているものの、今の一撃で外傷が出来た様子は無い。つまり、俺が視認すら出来なかったその妖術は、ライの肉体に損害を与えること無く、意識だけを断ち斬ったのだ。誰も傷付けず、穏やかな幕引きを実現する。…それがどれだけ難しいことか。


「…助かりました。お久しぶりです、()()()()。」


 ――平然と成し遂げてしまうこの鬼人(オーガ)には、頭が下がる思いだ。


 横を視れば、一本の美しい刀を鞘に仕舞う男の姿が在った。蜘蛛糸のように白く染まった髪の毛に、半ばで折られた片角。頭には幼子が泣いて逃げ出すような憤怒の鬼の面を装着していて、それが取り外された後には、懐かしさすら感じる無愛想な顔だけが残った。


『…偶然通り掛かった。どういう状況だ。』

「話せば長いです、俺も把握しきれて無い部分があるので…。」


 一見問い詰めるかのような口調だが、彼はただ騒ぎの詳細を知りたいだけだ。魔人(デビル)と袂を分かち、リフィと同じく人間を護る側の化物となった彼にとって、狂乱し破壊の限りを尽くす獣人(ウルフ)の少年というのは、見過ごせない存在だろうから。丁度その時、別行動を取っていた俺の眷属が無事に帰還を果たした。


「リフィ、おかえり。どうだった?」

 ――『 …Sorry, Missed.(ごめん、逃げられた)』


 宙に描き出された文字に、予想していたとは云えやはり驚かされる。ライを追い掛けながらチラリと視たが、リフィは本気で戦っていたのだ。そして、そんな精霊を嘲笑いながら軽く相手取る巨人(ギガース)の姿…本当に恐ろしい。アイツは幻妖の中でも最上位、龍人(スケイル)をも凌ぐ実力を持っているように見えた。むしろリフィはよく役目を果たしてくれた。今送るべきは労いの言葉だろう。


『もしかしたら、俺の妖力を気取られたのかもしれん。ほぼゼロにまで抑えていたが…。あのレベルの奴だ、有り得る話だろう。』


「今討伐出来なかったのは確かに口惜しいですけど、大丈夫です。リフィもお疲れ。…取り敢えず、休憩も兼ねて話し合いをしましょうか。」



 ◇



 俺はこれまでの経緯を包み隠さずガドに打ち明けた。

 オミナスについても話したが、彼は面識が無いらしい。

 多少省略しながらもビトラスとの遭遇を重点的に伝え、

 中でも、谷底でのライの暴走劇について共有しておく。

 最後に、ライを人間の街で保護してもらおうと考えていたことを添えて。


 腕を組み、目を瞑り、神妙な面持ちで。

 俺とリフィの説明に耳を傾けていたガドは…


『やめておけ。』


 俺の浅はかな計画を、あっさりと斬り捨てた。


「流石に、無理ですかね?」

『あぁ、人間達にとってこの子はただの化物だ。

 街にも混乱を呼ぶ。まず碌な結果にはならないぞ。』

「せめて、暴走さえ抑えれれば良いんですけど…。」

『そもそもお前はこの子自身の意見を聞いたのか?

 独り善がりで他人の生涯を決定づけようとはするな。』

「…はい、すみません。」


 俺は或る程度、<悪の天誅>についてビトラスから知識を得ている。つまり、それの主要人物であるガドの生き様についても知っている訳で。己の経験に基づいて放たれる彼の言葉は、反論の余地を残さぬ重厚さが在った。今の一言も、ライのことを最大限想っての物だろう。だから、この男は信頼出来るのだ。


「けれど、どうしますか?」

『一度、俺が預かろう。治療もしてやりたい。』

「分かりました。リフィ、二人を送ってあげて。」

『お前はどうするつもりだ?』

「少し街に帰って、用事を終わらせて来ます。」

『分かった。俺の隠れ家で落ち合おう。』


 身体を巨大化させたリフィの背中に、ライを担いだガドが飛び乗る。ライは『光』の超加速が凄い苦手らしいけど…、気絶中だし大丈夫か。此処からメーセナリアまでは二時間弱。街から隠れ家までは同じく二時間程度。まぁ、街でパパっと用事を終わらせて朝方には再会出来るかな。


「では、また後で。」


 二筋の光が、別々の方向に散って行った。




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