第四十三話 深淵にて
冷たい感触に頬を舐め回されている気がした。
言い様の無い不快感と共に、長い眠りから覚める。
強い打撲の所為で、身体の節々が悲鳴を上げている。
風が吹き抜けているからだろうか。辺り一帯から絶えず空洞音が聞こえてくる。
「……おはよう、リフィ。」
『 Kyaun…. 』
俯き萎れた今の白狐に、精霊としての威厳は無かった。
自身の不甲斐無さを恥じる一匹の化物が居るだけだ。
きっとリフィは想像を絶するほどの負い目を感じている。
確かに、先の一幕は『守護』の精霊として力不足だった。
『自分がもっとしっかりしていれば』…彼からそんな言葉が聞こえた気がした。
「失敗したのは俺も一緒だし、大丈夫。
とりあえず何とかして地上に上がらなきゃね。」
『 Kyan. 』
と、出来るだけ明るい表情を取り繕ってみたものの…。
俺達が落ちてしまったのは、深さ数キロにも及ぶ峡谷だ。
どう頑張っても生きて帰れる気がしない。それが俺の抱く正直な感想だった。
リフィのすぐ隣へ眼を向けると、眠るライの姿が在った。
奇跡としか考えられないが彼の身体に目立つ外傷は無い。
いや、彼のみならず。俺とリフィも殆ど無傷に近かった。
あの高さから生身で落下して三人とも命に別状が無いなど…、有り得るのか?
あの事故が作為的な物だったならば、有り得るのだろう。
俺達を降した『石』の妖術は俺達を谷の底へ招いていた。
その場で命を刈り取らず、わざわざ此処へ落としたのだ。
きっと、奇襲を仕掛けて来たソイツも俺達の死亡は望んで無かったのだろう。
『――カルメル峡谷へようこそ! 君達を歓迎するよ!』
幾度と無く反響するその声は、俺の推測を肯定していた。
出所は不明。四方八方から聞こえて来る所為だ。
けれど、ソイツの居場所が近いことは何と無く分かる。
少なくとも、向こうから俺達の存在を認知出来る程度の距離感なのは確実だが。
『そのまま真っ直ぐ進んでね!そしたら僕と会えるから!』
男声とも女声ともつかぬ、中性的な声色だ。
溌剌としているが、不思議と耳が痛くはならない。
心地の良い周波数を維持する声は俺のことを誘っていた。
大丈夫、安心して、こっちにおいでよ。跳ね返る声が幾層にも重なって行く。
『 Kyuun…, 』
「…行くしか無いかもね。」
互いの意見を擦り合わせるようにリフィと視線を交わす。
気が進まないという思いは両者で見事に一致したのだが、
他に取れる選択肢が無いという合理的な考えも一致してしまったようだ。
鞄とライを背負い込み、リフィと共に闇を歩んで行く…。
◇
『やぁ! 僕の名前はビトラス! 石の精霊だよ!』
開口一番自らの正体を明かす敵手に度肝を抜かれる。
そういう情報はもっと順序立てて喋るべき物では…。
しかも現状ほぼ未知数である石の精霊と来たか。
『ビトラス』という個体名を持ち帰るだけでも、ベイドは大層喜ぶことだろう。
「初めまして、ビトラスさん。俺はヒシです。
この男の子はライ。彼が光の精霊のリフィ。」
『うんうん! 君の事はよく知ってるよ! 会いたかった!』
ほら、こういう手合はすぐに気になる言葉を零すのだ。
よく知ってる?会いたかった?初対面だぞ、理解不能だ。
いや、それよりももっと意味の分からないことが在る。
…何故、ただの石っころが普通に喋ってるんだ?
大きさは何とか両手に載るくらい、色は薄鈍色。
本当にただの石だ。余裕で河辺に溶け込めるだろう。
強いて言えば角がほぼ無く綺麗な楕円体であるのが特徴。
最早それ以外に特筆すべき点が見付からないレベルで、変哲の無い石であった。
『いやー、ようやく退屈から解放されたよ!
ここ十数年は声すら出してなかったからね!
自分の意思でここから動けないってのも大変さ!
僕にも君達みたいに立派な手足が生えてればなぁ!』
さて、そんな石塊が微動だにせず喋り続けている。
見る限り、いや見なくても分かるが、彼に口や目は無い。
脳も心臓も…。本来生物として有るべき器官に関しては、
軒並み欠如していると考えて良いだろう。そもそも生物では無いのだから。
『まぁね、何にも無い所だけどゆっくりしていってよ!
君がどう足掻いたって絶対に脱出出来ないんだからさ!』
何がツボだったかは謎だが、ビトラスは爆笑している。
俺達が閉じ込められたことに対する嘲笑では無いと思う。
かといって絶望的な状況に同情している雰囲気でも無い。
彼はただ純粋に久方ぶりの来客を喜び、歓迎をしているだけのように見えた。
『諦めて最後の時間を楽しもうぜ?』…呑気な言葉だ。
差し伸べられたその手を握れれば、どれだけ楽だろうか。
だが、それを受け入れられないだけの理由が俺には有る。
相変わらず意識を失ったままである、茶髪の少年を視る。
一度は絶望を味わいながらも、この子は再び前を向いた。
新たな人生を歩み出そうと、己の力で立ち上がったのだ。
幼くとも力強いこの少年の命を、こんな大穴のどん底で終わらせて堪るか。
「…脱出出来ないというのはどういう意味ですか?」
『そのままの意味さ! ここは星の中心に最も近い場所!
もう一度太陽の光を拝もうなんて、夢のまた夢なのさ!
あぁ、君の『光』が有れば地上まで駆け上がれるのか!
けどね、それも出来ないよ!さぁ、何でか分かるかな?』
カルメル峡谷最低地点、推定海抜三キロメートル。
だが、俺とリフィが本気を出せば昇れる高度である。
思い付いたのは、『光』の床を駆使した強行突破計画。
試す価値は充分にある作戦だが、ビトラスにはばっさりと切り捨てられた。
「上昇中に化物に襲われるかもしれないから、ですか?」
取り敢えず思い付いた仮説で雑に返答を行う。
答えといてアレだが、この回答はまず不正解だろう。
そもそも一般化物の襲撃程度なら十数秒で撃退出来る。
ライを背中に乗せながらであろうと、然して支障を来すことは無いだろう。
『ふふっ、大不正解!この峡谷に化物は寄り付かないよ!
僕としてはもうちょっと賑やかな方が良いんだけどね!』
食事中の赤子かと思う程にポロポロ言葉を溢すビトラス。
出会ってからまだ数分だが既に彼の扱い方が掴めて来た。
性格的にはミドルに似た感じ。気分が上がれば延々と独りで喋るタイプだ。
『正解はね、"寄生ちゃん"が峡谷を支配してるから!
彼女が僕の意思とは無関係に動き出しちゃうんだよね!
君達を谷底に引き摺り下ろしたのもこの寄生ちゃんさ!
…あれ、君の回答も意外と間違いじゃなかったのかも!
でも、彼女はあくまで引き戻すだけだから安心してよ!
僕に危害を加えようものならその限りじゃないけどね!
全く、過保護なやんちゃ坊主で困っちゃうよ!HAHAHA!』
硬く冷たい天然の石檻を、精霊の笑声が跳ね回った。
尤も、その中心に立つ俺の心境は穏やかで無いのだが。
「…寄生ちゃんというのは、ビトラスさんの中に?」
『そうだよ! 僕達は一心同体、死ぬときまで一緒さ!
まぁ身体の支配権は殆ど持ってかれてるんだけどね!』
ビトラスの声に悲壮感は一切浮かんでいない。
自身の身体を乗っ取られているとなれば普通焦るが…。
彼はその寄生ちゃんとやらの存在を赦し、今の状態を受け入れているのだろう。
「一時的にその子を無力化することは?」
『出来ないことは無いけどね! 一日数秒だけさ!
けどその数秒で谷底から脱出するのは不可能だよね!』
…違う、彼の声はむしろ嬉しそうですらあるのだ。
俺達が此の場に留まることを願い、望んでいるような。
勿論ここに居続けるよなと、出て行かないでくれと、訴えられている気がした。
「どうしても生きて帰らないといけないんです。
教えて下さい。俺達はどうやったら出れますか?」
『僕のことを殺せば寄生ちゃんも無力化出来るかもね!』
誰でも分かる。それは明らかな挑発だった。
ごたごた言わずに掛かって来いよ、そう言っている。
神にも等しいと謳われた精霊だからこその、圧倒的自信。
あぁ、そうだ。俺もそれ以外に良い案が思い浮かばない。
正面からぶつかり、実力で勝てば脱出出来る。シンプルな話で良いじゃないか。
『へ、ふふっ! 本気? 悪いけど寄生ちゃんは強いよ!』
星影と称される剣を引き抜いた俺の姿を見たのか、
ビトラスは堪え切れなくなったように笑いを洩らした。
傲慢、高慢、驕傲。自分に敗北が無いと思い込んでいる。
その舐め腐った態度に怒りを覚えながらも、俺は呼吸一つで精神を整えた。
「…ごめんなさい、俺は貴方を殺さないといけない。」
『ふふっ、先輩が格の違いって物を教えてあげるよ!』
―――『光』と『石』が入り乱れ、砕け散った。
---
「ふふっ、無謀なことをしますね。」
星の裏側で始まった喧嘩を見ながら、軽蔑を大いに含んだ笑いが零れる。成程、成程。游蕩士となってから、確かにヒシの成長には目覚ましい物がある。私が一枚嚙んでいる部分もあるが、殆どは彼自身の努力の賜物と言えるだろう。五十年間、主に見放されてから荒みに荒んでいたあの狐を従えてみせたのだ。人格、思考力、潜在能力…そのどれを取っても一級品であるのは疑う余地無し。
――だが、その程度であの石に勝てるとでも?
生まれこそ違えど、人畜無害を気取るアレは私と同じ"異物"だ。広義的に捉えれば、或る意味では"遺物"という言葉にも当て嵌まるか。確かに、私達のように現世から浮いた不純物は他にも幾つか残っている。それでも革命後のこの星で私とアレが未だに特別扱いを受けているのは、私達が与えられた妖石に上手く適合し、新たな形の化物として確立したからに他無い。
後天的に妖石を獲得した化物――通称、"適体"。
喪った母の妖石を右目に埋め込み、暴虐の限りを尽くした地獄犬。我を忘れ復讐に走る兄を止める為、人の道を諦め妖石を取り込んだ鬼人。大望一歩手前で道を閉ざされ、己が最愛の弟子に全てを託し散って逝った人間。猟奇的化物に一族を滅ぼされ、揺るがぬ忠誠を誓い原初の精霊と成った■■。
かつて適体と化した生物は、例外無く強者だった。ともすると、素体として生まれ落ちた化物共を遥かに凌いでしまう程に。それだけを聞き、『お前等だけ優遇されている』『ズルだ』などと喚く者が居るが…勘違いをするな。強力な権利には、甚大な危難が伴う。私達はそれを乗り越えているだけだ。
「あぁ、ロノ。懐かしいですねぇ。」
いつ訪れるか分からぬその日を、傍で待ち続けている巨体の鱗を撫でる。この星最強の化物、或いは幻妖、或いは精霊。けれど、彼は身動ぎすらしない。理由は簡単だ。私がその許可を出していないから。利口が過ぎるくらいだが…。私がひとたび指示を飛ばせば、この怪物は大陸すらも丸く整地してしまう。
「あの石は、貴方が唯一引き分けた相手。」
妖星歴がまだ二桁の頃、私は一匹の化物の討伐に乗り出した。曰く、石を司る神様。曰く、子供を攫う地獄穴。曰く、深淵の主。人間達から相次ぐ依頼は、どれもが荒唐無稽であり、非常に興味深かった。そうして訪れたのが当時は未だ小さかった大穴の底。…そこにその石は在った。
「彼に名前を与えたのもその時でしたかね?」
寄生ちゃんなる二つ目の意思を飼うソイツは、強かった。
しかし、だ。排除には失敗したものの、その石は比較的話が通じたのだ。だからこそ同意の元で彼に新たな名前を与え、空席であった石の精霊へ置いた。まぁ今になって思えば、アレはその場のノリで行った軽率な行動だったのだが。
「ヒシさん。その壁は果てしなく高いですよ。」
息を切らしながらも『石』の猛攻を必死に耐える少年に語り掛ける。彼が喧嘩を吹っ掛けたのは、かつて力の精霊と対等に戦り合った怪物だ。私が把握している限りで、百と生まれていない希少な適体の一匹だ。この世界に存在する三番目の――この星で生まれた二番目の精霊だ。妖星が降ったあの日より前の、ずっとずっと昔を知る数少ない知性体だ。
年端も行かないあの少年が、どれだけ戦えるか…。
「…あら、まだ早かったみたいですね。」
◇
「………んぅっ……、」
温もりという言葉の欠片も無い、芯の芯から冷え切った固い地面。その上に倒れ伏していた、藍色の妖石を首筋で光らせる小さな少年が、大地そのものを揺るがすような大きな振動により久方ぶりに瞳を開いた。自身の夢見を妨げた原因を探るように、彼は周囲一帯を見回すと…。
「……おに、ぃちゃん?」
血塗れとなったヒシの姿を、視界で捉えたようだ。
『HAHAHA、悪く無かったけどね! 出直して来なよ!』
溢れんばかりに軽蔑を含ませた挑発の声が飛ぶ。
けれども、黄髪の少年はピクリとも動かなかった。
彼のことだ。死んでは無いだろうが、暫くは目を覚まさないだろうと思われる。
『 Kyuuu…!!! 』
『ふふっ。光の精霊君、止めておいた方が賢明だよ!
君が敵と見做されればそこの少年に危害が及ぶからね!』
そう、牙を剥き出しにするリフィがそれでも傍観を貫いたのには、ライという貧弱な保護対象がすぐ隣で眠っていたことが大きく関係している。例えばリフィが彼の守護を放り出し、主人の援護にその身を捧げていれば…。ビトラスの中に潜む"寄生ちゃん"は、即刻ライに襲い掛かっていただろう。
事実、リフィは地上付近でビトラス達に一度敗北している。半分奇襲紛いの攻撃だったとは云え、格付けは既に完了しているのだ。今度こそはライを守らねば。…その心が、リフィの四足を地面に縛り付けた。だが、自らの気絶中に起こったそんな事情を僅かばかりも知らぬ、無垢な茶髪の少年は。
「……ぁ、あ、あ"…、」
深紅のソレにより、精神を蝕まれている最中であった。
肩で息をし、獣のような声を上げ、顔を覆い蹲っている。
彼の鼻を強く刺激するのは鉄の匂い。彼の眼に焼き付いたのはどす黒い赤。
『 ……, Kyuu…? 』
『あれれ、なんだかヤバそうだね?』
ヒシの身体から漏れ出る血により、ライの脳にあの惨劇が蘇り始める。自身の腹から飛び散った内臓が。跡形も無く踏み潰された父の姿が。紅葉色、萩色、唐紅色、臙脂色、柘榴色。細部が絶妙に異なるそれらは、しかし例外無く"赤"だった。本来は身体の内に留めておくべき物が、村全域を塗り潰していたのだ。途方も無い数の赤色を掲げながら、あの巨人は口元を歪めていたのだ…。
「あ"、ぅあ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!』
蘇る。蘇る。蘇る。あの光景が。あの瞬間が。蓋をした筈だった。記憶の奥底に仕舞い込んだ筈だった。自らを救ってくれた恩人に嘘を付き、自分自身にも嘘を付いた筈だった。『分からない』…嘘だ。ライは、あの夜に起こった全てを覚えていた。
『…わお。これじゃ、まるで――』
ビトラスがそう呟き、リフィが駆け始めたその瞬間。
何処かの刀を携えた青年が口角を釣り上げたその瞬間。
地上で、雲の切れ間から月星の姿が覗き込んだその瞬間。
――ライの内側から、止め処の無い憎悪が溢れ出した。
---
「…リフィ。何があったの?」
『おはようヒシ君!』『 Kyuun…. 』
俺が目を覚ました時、峡谷の内部は嵐が通り過ぎたかのように荒れていた。いや、むしろ自然に発生する暴風程度では成し得ないレベルの荒れ具合だ。固い石床や断崖が、鋭い爪牙によって抉り取られたかのように損傷している。少なくともこれらは俺とビトラスの戦闘によって出来た物では無い筈だ。俺が寝ている間に、ここを凶暴な幻妖が襲ったと云われればまだ納得出来るが。
―――『 He Rampage.(彼が暴れただけだよ)』
…静かな寝息を立てる少年が作り出した光景だと云うなら、話は別だ。ライが暴れた? 俺が気絶する前と全く同じ体勢で今も眠っている、彼が?この子のような年頃で"暴れる"と聞けば、地団太を踏む様子がまず頭に過るが…色濃く残る暴力の痕を見る限り、そのような生易しい物で無かったのは確実だ。
『いやぁ、流石の僕も骨が折れちゃったね!』
「…ビトラスさんも鎮静に協力を?」
『寄生ちゃんがやってくれたのさ!』
自身に宿る第二の意思が、ライの抑制に乗り出してくれたと話すビトラス。リフィを降し、俺をも戦闘不能に追いやったソイツが動いたとするならば、本来心配すべきはライの身体だが…、至極平凡に感じられる彼に外傷は無い。その事実に些かの疑念を抱きつつも、俺はビトラスの方に向き返った。
「…まず、認めます。俺の負けでした。」
『だから言ったでしょ! 彼女は強いのさ!』
「えぇ、正直勝ち筋が全く見えませんでした。」
先の戦いは俺が嗾けた物だった。その上で、完膚無きまでに潰されたのだ。であれば、全身の骨という骨を叩き折られたことに関して特に言うことは無い。既に俺の傷は完治しているし、『命は取らない』という彼の発言も正しかった。敗北は敗北。その事実を飲み込んだ上で、次の段階に進むべきだと思うのだ。
「俺達を此処へ落とした理由は何ですか?」
第二局面。それはビトラス、延いては"寄生ちゃん"との話し合いだ。武力行使が通用しないことは、この身を以て痛い程に分からされた。だからこその情報収集。最低でもライだけはこの牢獄から逃がす為に。
『言ったでしょ? それは寄生ちゃんの意思さ! 僕は全くと言っていいほどその行いに関与してないからね! けどまぁ、この退屈を紛らわせる分には大歓迎なんだけどさ!』
「寄生ちゃんというのは…、いつから居るんですか?」
『ここ八百年くらいはずっと一緒だね! 少なくともそれ以前は僕一人だったんだけど…、あの頃は僕もただの小石だったからさ、ちょっとだけ記憶が曖昧でね! 寄生ちゃんが居るからこそ、今の僕の意識が鮮明になってるってこと!』
「つまり、今はただの小石では無いと?」
『当たり前さ! 僕は石の精霊である以前に化物だからね! この体も、気付いたら殆どが妖石に置き換えられてたよ! おかげで肌にもツヤが出て来たから文句は無いんだけどね! ――なんちゃって!」
「…まるで、後天的に妖石を得たみたいですね。」
『その通り! そこの少年も僕達の仲間さ!
生まれながらに妖石を与えられた物達は"素体"!
肉体の死後、妖石で契約を交わした物達は"眷属"!
そして、幸運にも妖石に適合した物達は"適体"と呼ぶんだよ! まぁ、適体の精神は妖石自体に元から宿ってた意思に侵食されがちなんだけどね!』
「寄生ちゃんもその類ですか?」
『そうそう、でも僕の場合はまだマシだよ!
迷宮の親玉なんかはもっと酷かったりするからね!
解放の際、彼らは数百という意思を一身に詰め込まれるんだ! 邪卵なんかは他の意思を喰らい尽くしちゃったみたいだけど、普通は自我を保てなくなって、サラキアちゃんみたいになるかな!』
サラキア――確か、水の精霊に与えられた個体名。
サミット迷宮突撃前、ニュートが話してくれた物語を思い出す。確か、温厚な白熊の子供が迷宮から解き放たれ街を滅ぼしたという話だ。チフリズ湖が出来上がったのは約四百年前。原因は<霜の矜持>事件。ディプバーレという大都市を湖底に沈めたのは、間違いなくサラキアだ。けれども、それを引き起こしたのはサラキア自身の意思では無かった…?
もう一つ、『そこの少年も僕達の仲間』という発言が気に掛かる。まずライのことを指しているのは確実だろうが、彼も適体だと云うのか?茶髪の合間から姿を覗かせている狼耳。首筋で美しく輝いている藍の妖石。確かに、彼をただの人間の幼子だと捉えるのには無理が有り過ぎるか。原因不明の荒れ狂いも、強大な力を持つ適体だと云うならば説明が付く。やはり、ライの存在を明確化する為の鍵を握るのは獣人という化物だろう。
「…ごめん、リフィ。夜番をお願いしていい?」
『 Kyun. 』『ふふっ、襲ったりしないから安心しなよ!』
数時間の気絶を経たとは云え、俺を苛むのは圧倒的な眠気だ。流石にビトラス達に負わされた傷が深過ぎたのだろうか。もしくは、単純に精神的疲労が蓄積して脳が限界を迎えたのか。理由は何にせよ、今はリフィを頼り大人しく眠るのが最優先だろう。
…どうせ、明日もまた戦るのだから。
◇
『ふふっ、懲りないなぁ君も!』
薄暗い闇の中、気怠さを押し殺して起き上がった俺にそんな声が浴びせられた。
今日試したのは、見栄や体裁という物を余さずかなぐり捨てた全力逃亡だ。とは云え、崖際に辿り着くまでも無く行く手を阻まれてしまったのだが…。その後はお仕置きだと言わんばかりの『石』が降り注ぎ、昏絶させられた。
『武力行使は効かないって自分で言ってなかった?』
「…まぁ、その可能性を捨てたとは言ってないですね。」
『いいねいいね! 僕もその方が退屈しないよ!』
心底愉快そうに笑うビトラスに対し、疑問が生じる。
「ビトラスさんは、この峡谷から動かないんですか?」
退屈だ退屈だとは云うが、こんな深淵に独りで居れば誰でもそう思うだろう。暇潰しを求めているならば、地上に行けばいい。あそこは面白い物の宝庫だ。話し相手でも、戦い相手でも、少し歩けば嫌という程に見付かると思うが。けれど、俺の問い掛けに対してビトラスは悲嘆を洩らすばかりであった。
『動きたいけどね、知っての通り僕は動けないのさ! ほら見てよこの丸っこいフォルムを! 手も足も無いでしょ! しかもこの見た目の癖して重量級だからね! ちょっとやそっとの風じゃ転がりもしないよ!』
「『石』を使えば幾らでも遣り様はありそうですけど。」
『ふふっ、もう忘れたの? 支配権は寄生ちゃんに在るのさ! 彼女の意思を僕程度が動かせる訳が無いでしょ! それに、僕は既に『この谷底から出ない』っていう契約を結んじゃってるからね!』
「…契約? 誰とですか?」
『君も知ってるでしょ! オミナスちゃんさ!
昔々に彼女と一戦交えてね、僕と寄生ちゃんは負けちゃってさ! 『死ぬか契約を結ぶかを選んでください』…なんて言われちゃって! 流石に死ぬのは嫌だったから、渋々ながらも契約を結んじゃったのさ! ビトラスっていう名前も貰って、精霊にも成れたから僕は満足だけどね!』
つまり、オミナスはビトラスを上回る程に強いと?
それにしても、要所要所であのヒトの名前が出没してくるな。聞いた所に拠ると、ガイアに名前を与えたのも彼女らしい。リフィの名付け親は俺の母だろうが、アグニの名付けにはオミナスが一枚噛んでそうだ。ベイドの父親にも精霊についての情報を与えたらしいし、…何を暗躍している?
「…お兄ちゃん、オレ、ねむい…。」
「ん。寝てていいよ。…ごめんね。」
「うぅん。だいじょうぶ、おやすみなさい。」
デコボコとした地面の上に丸くなったライは、やがて寝息を立て始めた。今日一日、彼は水しか口にしていない。無論、俺も同様の状況だった。せめて谷底で化物が湧いてくれれば、或る程度の食料を調達出来るのだが。ビトラスの口からはっきりと否定されているので、希望は持てなかった。結果、俺は彼に対して謝ることしか出来ず。彼は俺に対して微笑むだけだった。
「峡谷に化物を落としてもらうことは出来ないんですか?」
『ふふっ、それは寄生ちゃんの気分次第さ! 期待はしないでよ!』
「…俺はまだしも、ライは後数日で飢え死にますよ?」
『その時はその時さ! 今までの子もそうだったからね!』
ライが死んでも問題無いと、酷く割り切った様子で喋るビトラス。きっと、彼は今までも幾度と無く被害者達の最期を看取って来たのだろう。悲壮感を気取りながらも状況を改善しようとしない石の精霊に対し、窮地に身を置く俺が抱いた感情は、怒りにも似た遣る瀬無さであった。
数百、或いは数千の時を過ごした彼にとって、人間の死は有り触れた物らしい。けれども、退屈凌ぎに尊い命を消費する行為は決して許されないと思うのだ。例え、切っ掛けその物に己が意思が絡んで無かったとしても、放任は容認と同義だ。全ての責任を寄生ちゃんに押し付け笑う彼のことを、俺は好きになれなかった。
「…リフィ、あとよろしくね。」
『 Kyuun. 』
『あれ、もう寝ちゃうの?』
悲し気なビトラスの声を無視し、俺は瞳を閉じた。
◇
『全く、夜襲とは参ったね!』
全身を鮮血で染めながらも、俺はゆっくりと起き上がった。今日試したのは、まだ世界に陽が灯っていない時間帯での闇討ち。結果から話してしまえば、即座に起動した寄生ちゃんにより瞬殺された。今日は気絶することも無く耐え切ったので、多少の成長はしているのだろうか。
「…ライが起きる前に、治さないとな。」
一昨日のライ暴走事件。あれは俺の血液が原因だったらしい。恐らく、彼の脳に焼き付いた悲惨な光景がフラッシュバックしたのだろう。ライの精神衛生上、そんなことを何回も繰り返すのは間違い無く悪影響だ。リフィから暴走劇の詳細を聞いて以降、俺は極力血痕の隠滅を心掛けていた。
『それで、どこまで話したっけ?
確か彗星が降ったって所までは言ったよね!』
話し相手の存在が余程嬉しいのか、ビトラスは意気揚々と喋り始めた。話の内容は、この星の終焉から再興まで。そして人類文明の発展について。歴史学者ならば喉から手が出るほど欲しい情報だろうが、俺は聞き流していた。彼の話すソレは規模が大き過ぎて、今の俺には無縁に感じられたからだ。
『それでね、地殻の殆どが消し飛んだ惑星に彗星が着陸しちゃったからさ! 星の内部の内部…核とも云える場所にまでダメージが及んじゃったの! その時点で地表の生物はほぼ全滅! 生き残ったのはほんの一部の子供だけ! あーあー、これは終わりかなーって流石の僕も諦め掛けた時だよ!―――』
とは云え、耳を塞ぐことは決してしなかった。
信憑性は兎も角ビトラスの小話は興味深い物だったから。
内容を噛み砕くこと無く、耳から入る情報を丸ごと脳に刻んで行く。
『何人だったかな、多分十人にも満たないくらいだったけど! 普通ね、人類繁栄の為の初期人数は数百くらいを要するんだ! けれどそれを解決したのがオミナスちゃんさ! いや、この星かな! 核が入れ替わって十年くらいでね、次第に人型の化物が増えて来たんだよ! 多分、人間と似た姿形の生物は宇宙中を探しても居なかったんだろうね! だからこそ、人間を解析し、"彼"はそれを模した化物の製作を始めたんだ! そして幸運なことにね! それらは人間という種の生殖能力も持ってたのさ! そこに目を付けたオミナスちゃんは何をしたと思う? ――簡単さ、交ぜたんだよ!』
ピクリと。俺の目尻が、頬肉が、耳先が、手指が、震えた。高揚を以て話すビトラスにバッと向き返り、彼の話を強制的に中断させる。彼がたった今発した言葉は、俺の意識を全て掻っ攫って行ってしまった。
「…今、何て…。…交ぜた?」
『そうそう! その頃の人間は貧弱だったからさ! だって、妖術一つ使えないんだよ? それじゃ生き残れないよね! だから遺伝子操作とでも言うのかな? 彼女的には品種改良の気分かな! 交ぜて、交ぜて、交ぜて! 現在の全妖術を扱える人類が生まれたって訳!』
「そんな、農作物や家畜みたいな…。」
『どんな理想を抱いているのか知らないけど、彼ら人間はそんなモノさ! 僕達が居るこの大陸もオミナスちゃんにとっては玩具箱と同じだろうしね! 人間も化物も等しく、彼女の意思一つで消し飛ぶほど脆弱な存在なのさ!』
「別次元の生命体、ですか。……待ってください。
…現存する人間には、必ず化物の血が混じっていると?」
『ん? 当たり前さ! むしろ人類元祖の血は相当に薄いと思うよ! 君は度々自らを"化物"だと卑下しているようだけど、気にしないことだね! だって、今現在"人間"と呼ばれる彼らも、元を辿れば立派な化物の子孫だからさ! 僕からすれば、君はそこら辺の人間よりもよっぽど高尚な存在だと思うよ!』
スゥっと、身体の中に籠っていた熱が退いて行くのを感じた。今まで独り懊悩を続けて来ていた、自身が人間か化物かという問題。その答えを得る為の足掛かりが、突如として目の前に舞い降りて来た。
結局は、定義の問題なのだろう。
妖石の有無を判断材料とするならば、俺は人間だ。
闘争心の強さを判断材料とするならば、俺は化物だ。
普段の生活様式を判断材料とするならば、俺は人間だ。
血筋を判断材料とするならば、現存する全生物は化物だ。
俺は今まで、出生と特異体質の二つを参考資料として用いていた。化物の母親から生まれたから、常軌を逸した再生能力を持つから…。そんな理由を高々と掲げながら、自傷し、自虐し、自嘲していたのだ。だが、ビトラスの話を踏まえるならば、それらは"普通"の範疇なのだろう。極々有り触れた、当たり前で、平凡平均的な一人の少年の個性なのだろう。
『ふふっ、珍しく柔らかい表情だね!』
「何でも無いです。どうぞ、話を続けてください。」
『そういえばそうだったね! 何処まで話したかな?』
ビトラスは変わらぬ上機嫌で、思い出話を再開した。
◇
『そうして、君のお爺さんに地獄犬が討伐されて<罪の劫火>はおしまい! 地獄犬にもね、人類を憎むようになったそれなりの理由が有ったってことさ! まぁ、君達がその感情を理解して共感するのは難しいかもしれないけどね! …うん、これで一通り振り返ったね! ここから先は<鱗片の陰>に繋がるよ!』
結局、俺は一睡もすることなくビトラスの話に耳を傾けていた。聞き始めから今までを数え直せば、二十四時間は優に超えることであろう。それでも、聞くだけの価値が在ると。そう冷静な判断を下しただけのことだ。一つ、『彼のことを好きになれない』という発言をここで訂正させて欲しい。彼は多分生まれ付きの性格上取り繕うという行為が出来ないだけなのだと思う。それ故に人間に対する好奇心も諦念も、包み隠さず表面上に出してしまうのだ。素直で愚直さすら感じられる純朴な思考を持った精霊。それがビトラスだった。
「…ありがとうございます。全部、覚えました。」
『えぇ? 大体九百年間くらいの歴史だよ? もう覚えちゃったの?』
「短期記憶なので、何処かに書き写す必要はありますけどね。」
『それは残念だったね! その記憶をこの峡谷から持ち出せることは無いよ!』
君達は逃げられない。…彼はしきりにその事実を伝えて来る。それは残酷な宣告のようでもあったし、痛切な懇願のようでもあった。だから、ずっと此処に居てくれと。…そう告げられている気がしたのだ。
『それにしても、今日は襲って来なかったね!』
「えぇ、話を聞くのに夢中だったもので。」
『ほんとほんと! 君、最初の方は全然興味無さそうだったからさ! 僕も聞き流されてるなぁって勘付いちゃって悲しかったんだからね!』
「否定はしないです。」
『ふふっ、途中からは真摯に付き合ってくれて感激さ!』
どうやら聞き手の態度の不誠実さにビトラスは少なからず傷付いていたようだ。それに対し申し訳無いとは思いながらも、謝罪の言葉を返すことはしなかった。彼は感じたことを丸々言っているだけで、詫びが欲しい訳では無いだろうから。その時、こっくりこっくりと船を漕いでいたライの意識が水底へと落ちた。
「……んん…っ…、」
『あらら、おねむの時間かな?』
…ライは三日間を通して一切の食物を胃に取り込んでいない。また、暴走事件は在ったものの彼が子供らしく我儘を発することはゼロだった。俺が時折慰めの言葉を掛けても微笑むばかりである彼は、余りに大人びている。だが、嘘にはいつかボロが出る。十歳の少年にとって現況は苛酷過ぎるのだ。彼が肉体的にも精神的にも相当に疲弊しているのは、一目見るだけで分かった。
『ふふっ、完全に寝ちゃった!』
「そうですね。じゃあ、やりますか。」
『…やっぱり、このタイミングを待ってたんだね!』
予想通りと言わんばかりに笑うビトラスを見据え、剣を引き抜く。この三日間で、重要だと思われる情報は粗方盗み取ることが出来た。であれば、もう此処に留まる必要性は皆無だ。早く、脱出してしまおう。
「宣言します。今日で、お別れです。」
『そんなこと言わずにさ!もっとゆっくりしていきなよ!』
これ以上滞在時間を延ばせば、ライは確実に衰弱死する。
そもそも、ただでさえ精神が不安定な状態の幼子だ。
彼のメンタルを更に追い込むのは色々とマズい気がする。
だからこそ、この一戦で終わらせよう。
この精霊から、一勝を捥ぎ取ろう。
『やっちゃえ、寄生ちゃん!』
「―――《閃裂》」
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