第四十一話 訓練会
『 Are you a werewolf. 』
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煮詰めたワインを鍋ごとひっくり返したような惨状。
カラスの首を絞めて生きたまま火炙りにしたような悲鳴。
百年積み上げた石の塔を眼前で叩き割られたような絶望。
ソイツは、それら全てを堪能し、酔い痴れていた。
岩石にも似た拳を振るう度、幾つもの民家が消し飛んだ。
樹木にも似た脚を動かす度、幾つもの生命が舞い散った。
男も女も老いも若きも関係無い。皆等しく矮小な存在だ。
芽を摘むかのように、幼児の頭部は指で潰された。
綿毛を吹くかのように、老婆の四肢はバラバラにされた。
陽気に踊るかのように、均されていた大地が荒らされた。
99.8%。それが、ソイツの満足度と、村の壊滅率だ。
数百年の歴史を誇る小さな里は、今日を以て幕を閉じた。
期待はするな。奇跡など起こらない。英雄など現れない。
…ほら。ソイツは、最後の生存者を見つけたようだ。
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「ん。――《幽冥》」
「っ、本気じゃないですか!」
[クラゲ]達が、空中の光壁を喰い散らしていく。
餌となっているのは俺が足場として創り出した『光』で、
宙に放り出されたまま行き場を無くした俺の体は、重力に従い落下を始めた。
「ギブアップなら早めにな~。」
「意地でも、しま、せんっ!!」
[カマイタチ]の刃が、俺に向けて投射されている。
夜闇に姿を隠しながら迫り来る刃達を躱しながら、
俺は地上でヘラヘラと笑っているベイドを睨み付けた。
全く、自分がロットに負けたからと云って、大人げない。
『どうせならお前も敗者側に来い』…そんな思惑が透けて視えるような顔だ。
「リフィ!」
『 Kyaun. 』
呼び掛けに応じ、リフィは光の速度そのもので動き出す。
一秒、…彼は[カマイタチ]に特大の蹴りを叩き込んだ。
二秒、…彼は宙の[クラゲ]達を光剣で殲滅して見せた。
三秒、…彼は地上に佇んでいたディンを完璧に拘束した。
『 kururu…, 』
「それはズルじゃん。」
「お互い様ですよ…。」
久方ぶりに地へ足を付いた俺は、紺髪の少年に向き返る。
リフィがディンの身柄を押さえてくれているとは云え、
俺がここでロットに勝てなければ、この戦いは負けだ。
「じゃ、やろっか。」
ロットは海月と名付けられた短剣を右手に構えた。
それに対し、俺は星影と名付けられた片手剣を強く握る。
いつもとは違い、この模擬戦で使用が許可されているのは正真正銘の真剣だ。
触れれば肉は裂け、心臓を貫けば相手が死ぬ。
木剣での試合とは一線を画する緊張感を孕みながらも、
ロットの素早い動き出しには、躊躇や澱みが見られない。
神経が図太いというか、強心臓というか…。普通少しは怖いと思うのだが。
何を言おうが、『闇』を抱えた彼は既に走り出している。
後数秒もすれば、余裕で俺の元まで辿り着くのだろう。
…まぁ、その未来を呆けて待つ必要など全く無いのだが。
「……悪いんですけど、終わりです。」
この模擬試合のルールは単純だ。
真剣の使用可。眷属の使用可。妖術の使用可。
勝利条件は、相手を戦闘の継続が不可能な状態にまで追い込むこと。
ロットvsベイドは、ベイドの降参で決着。
ロットvsクリモは、クリモの負傷で終わった。
ロットvsミドルは、ミドルが気絶したんだったか。
何にせよ、対戦相手は死の瀬戸際まで行っていた訳だ。
先の三戦がもし実戦ならば、三つの死体が生まれていた。
だからこそ、俺は提議したい。両者が無傷の状態でも、勝者は決まるはずだと。
「―――《箱庭》」
戦闘開始以後、こっそり準備していた技を解き放つ。
完全に同じ面積を有する六枚の光壁が、空を飛んだ。
一枚はロットの足元へ滑り込むようにして、固定。
その枠線をなぞるようにして、四枚を垂直に立たせる。
残った最後の一枚で、空いていた面に蓋をして――。
中規模の立方体が、ロットの存在をその場に縛り付けた。
一人の人間を閉じ込めた、文字通りの見世物小屋だ。
この状態で、ロットが敗北を宣言すれば俺の勝利となる。
或いは、審判員であるベイドが決着の判定を下せば良い。
…中々、対戦終了の合図が鳴らされない。もう終わっ――
「―――《万喰》」
相も変わらず無機質な、舌足らずの声が聞こえた。
見れば、『光』の檻の一部が破壊され、穴が空いている。
その向こうには、当然のようにロットの姿が見当たらず、
「そこまでッ! あー、ロットの勝利!」
少し残念がるようなベイドの声が聞こえたのと、
首元に添えられた海月に気付いたのは、同時だった。
ドヤ顔で見上げて来るロットは、嬉しそうに俺へ告げる。
「ん、おれのかち。」
「…えぇ、完敗です。」
◇
「あーあ、甘っちょろいことするからだぞ。」
「本当ですよヒシ君。殺す気で行かなければ。」
「…再確認ですけど、これ模擬戦ですよね?」
敵の息の根を止めろと言うベイドとニュート。
そんな彼らに対し、反論半分恐怖半分で返事をする。
確かに敵の無力化が勝利条件だけど、普通にダメだろ。
「ていうか、そんなこと言ったらキリが無いですよ。
もしリフィが本気出せば数秒で勝負決まりますし。」
「うちのガイアも大分手加減してたけどな!」
「え、ディンのほうがすごいんだけど。」
「……親バカしかいねぇな。」
「全くです。慎みに欠けてますねぇ。」
眷属を抱き上げ、不毛な自慢大会を開催する俺達を見て、
金髪の青年――ヴァンは、苦笑を洩らしつつそう呟いた。
その横に立ち、他人事のように同調したニュートだが、
彼も自身の眷属であるファイちゃんに対してはかなりの親バカを発揮している。
「――――――。」
また、その隣には腕に包帯を巻いたクリモが居る。
彼はロットとの戦いでテンションが上がり過ぎた為、
反動を顧みず高威力の"波"を発動させて怪我をしていた。
昔に比べれば大分妖術に慣れた様子だが、未だ完璧な制御には程遠いようだ。
彼が掲げているのは、自身の眷属であるサーミンだ。
サミット迷宮の親玉として出会った天鯨だが、
今や、あの頃の殺気や威厳は根っこから消え失せていた。
代わりに芽生えて来たのが、愛玩動物としての愛らしさ。
本来の狙いとは逸れている気がするが…、まぁ良いか。
因みに、クリモは眷属自慢大会へのエントリーを目線だけで訴え掛けて来た。
「……、今回は勝ちを譲ってやるよ。」
「やったー。じゃあディンがさいきょうってことで。」
あ、余所見をしていた間に優勝が決まったらしい。
どうやら、ベイドが大人になってあげたようだ。偉い。
そもそも、六歳差の二人が口論していた事自体が変だが。
「じゃ、試合やるか。次は誰と誰だー?」
「おれ。」「はい、ロット決定。」
例の如く、誰よりも早く名乗りを上げたロット。
オマケ情報だが、彼はこれで休憩無しの五試合目だ。
「もう一人は…じゃあヴァンな。」
「うっす。」
◇
「ま、俺らは休憩だな。」
冷たい芝生の上に勢い良く腰を落としたベイド。
あの壮絶な戦いから二ヶ月。季節はすっかり冬だ。
まだ雪が降る程でも無いが、深夜はかなり冷え込む。
戦闘直後で汗を掻いているというのも要因の一つだろう。
「改めて見ても、結構な大所帯になりましたね。」
「最初は俺とロットの二人だけだったんだけどなぁ。」
深夜四時だと云うのに、この場には計八人の男達が居た。
半年以上前からメーセナリア北部で開かれている訓練会。
俺は稀にしか顔を出していなかったが、その間に新しい顔が増えたようだ。
「ヴァンさんも参加しているのが、一番意外です。」
「あいつも不定期参加だけどな。割と積極的だ。」
ヴァンの大剣が、『闇』の[ヌリカベ]を切り伏せた。
勢いそのままロットに斬り掛かるが…躱されている。
すかさずロットが反撃を、――いや、ヴァンが冷静に退避し、距離を取った。
「やっぱ、良い動きしますね。」
「同感だけどさ、お前がソレ言う?」
「え?」
「てかお前らの代がやっぱ異常なんだわ。
ヴァンといい、クリモといい、タドクといい…。」
「タドクは微妙に時期違いますけどね。」
「同い年ならそこも同期みたいなもんだろ。」
ベイドは柔らかめの苦笑を浮かべた。
「何なら、俺未だにお前の本気見たこと無ぇしな。」
「本気っていうのは、戦闘中にってことですか?」
「そうそう、ロット相手でも相当手抜いてただろ。」
「そんなことは無いですよ。まぁ、ただ…」
確かに、全力だったかと問われれば答えはノーだ。
対ロットで、最後に用いた《箱庭》という必殺技。
あれはそもそも敵を一時的に拘束する為に使う物だ。
普段化物と戦う時には、殺傷用の技である《月華》と合わせて発動している。
「…強くなり過ぎたなとは、思います。」
「そりゃまぁ贅沢な悩みをお持ちなことで。」
「別に調子に乗ってる訳では無いんですけどね?」
「ふっ、そんな睨むなよ~。茶化して悪かったな。」
客観的に見ても、俺の成長速度は異常なのだと思う。
游蕩士になってからまだ一年程度しか経っていないのだ。
通常の人間ならば、幻妖単独撃破など出来るはずも無い。
この急成長の影には、やはり『化物である』という要素が絡んでいるのだ。
…だからこそ、肩身が狭いように感じてしまう。
人間と化物。そもそものスタートラインが違うのだ。
そんな存在が、戦闘力の面で持て囃されるのは、少しズルい気がするのだ。
「…お前いっつも暗い顔してんな。」
「生まれ付きそういう顔立ちなんです。」
「嘘つけ。」
ベイドに指摘され、適当に返事をしておく。
が、彼には通じないようで一瞬にして否定された。
「何悩んでんのか知らねえけど、もっと自信持てよ。
整った顔してんだから、俯きがちなのは損だぞ?」
明朗な声色で、恥ずかし気も無く俺を褒めるベイド。
それがお世辞じゃないことは、一目見るだけで分かった。
今の彼からは打算や下心という物がさっぱり消えている。
「…ベイドさんは、最近柔らかくなりましたね。」
「まるで昔は尖ってたみたいな言い方だな。」
「前は取り繕い過ぎて、人形みたいでしたから。
最近の自然体な感じの方が、よっぽど良いです。」
「父親になってから毒気は抜かれたかもなぁ。」
ベイドに子供が出来てから、早半年か。
ガイアの討伐を巡って彼と喧嘩したのが懐かしい。
幼子の無邪気さは、泥水すら清水にしてしまうようだ。
「―――《稲妻》ッ!!!!!」
しんみりとした空気に、激しい雷鳴が轟いた。
見れば、ヴァンの大剣から激しい火花が散っている。
『雷』の必殺技か。凄まじい威力を発揮するようだ。
…残念ながら、ロットの『闇』が雷撃を丸々喰らい尽くしてしまったようだが。
「ヴァンさんは『雷』メインで固めたんですね。」
「みたいだな。褐礫のメンバーに教わってるらしい。」
「もしかして、雷の精霊契約候補筆頭だったり?」
「充分に素質はあるし、ワンチャン狙えそうだな。」
人類随一の慧眼を持つベイドがこう言うのだ。
将来的には、彼が本当に精霊を従えるのかもしれない。
…その時、ベイドが懐から一枚の紙を取り出した。
「ヒシ、お前にこの話するの忘れてたわ。」
手渡されたソレは、どうやら契約書のようだ。
文面をサラっと眺めた感じ、精霊に関する物らしい。
『最終決戦への参加義務』…その言葉には目を引かれた。
「内容は大方理解したんですけど、最後の一文は?」
「お前、説明の流れとか全部蹴り飛ばして来るじゃん。」
「一番重要なのがそこっぽかったんで。」
ぶっちゃけ、他の部分は特に読む必要も無かった。
契約を結べば、即刻褐礫より五十万フルクが支払われる。
ただし、最終決戦には来いよ。――それだけの契約書だ。
「なぁ、ヒシ。俺は今から馬鹿げた話をするぞ。」
「今に始まったことじゃないので、慣れてますよ。」
だが、ベイドにとっては重要な意味を持つ書類らしい。
その事実は、彼の神妙な表情を見るだけで誰でも分かる。
「――この世から化物を消し去る方法がある。」
実際に彼から放たれた言葉は、予想を上回る物であった。
だが、何となく。突拍子も無い話には感じられなかった。
ベイドはずっとずっと前から、非常に大きな計画を練っていたように思うから。
…それこそ、世界を根底から覆すレベルの。
「是非とも詳しく聞かせてもらいたいです。」
「悪いんだけどな、それが出来ねぇんだよ。」
「その理由は?」
「計画の全容を、俺も把握してない。」
「…そんなことあります?」
「あるんだなぁこれが。」
原理は知らないけど、永久機関を作るぞ!…みたいな。
出来るか分かんないけど、過去に戻るぞ!…みたいな。
無責任な責任者という矛盾を成立させてみせたベイドは、
お手上げだとでも言いたげに、わざとらしく首を竦めた。
「そもそも、発案者は俺の父さんだ。
俺は父さんの遺した日記からその計画を知った。」
「つまり、方法を知るのはベイドさんの父親だけだと?」
「いや、父さんですら詳細は知らなかったらしい。」
「…要領を得ないですね。」
「今から順を追って説明するな?」
ベイドは生温い濁り湯のような息を吐き出した。
それはきっと、彼が長らく独りで溜め込んだ悪い物。
誰にも打ち明けず抱え続けた、呪いとでも言うべき想い。
それらが、言葉という概念と共に放たれ、夜闇に溶けて行くように見えた。
「二歳の時、俺の父さんは死んだ。
避難が遅れた俺と母さんのことを庇ってな。
<罪の劫火>事件、多分お前も知ってるだろ?
地獄犬に、俺達の平和はぶっ壊されたんだ。」
それから、彼は寂しそうにくしゃりと笑う。
「つっても、俺は父さんの顔も覚えてないんだけどな。
大きくなってから、色んな人から話を聞いた程度だ。
けど、皆口を揃えて『立派な人だった』って言うんだぜ?
守られた餓鬼に憧れるなって云う方が無理な話だよな。」
愛する妻と息子の為に命を投げ出した一人の男。
話を聞いただけの俺に、尊敬の念が芽生えたくらいだ。
それが実の父ともなれば、幼い少年には一種の英雄のように思えたことだろう。
「そんなこんなで、十歳にもなって無ぇ頃かな。
母さんには何回叱られたか分かんないんだけど、
俺、父さんの使ってた部屋に忍び込むのが好きでさ。
その日も、性懲りも無く埃だらけの部屋に侵入して、
本棚とか眺めたりして…数十冊の日記を見つけたんだ。」
ベイドは、自身の罪を告白するかのように話す。
俺には、彼がその時の行いを後悔しているように見えた。
とは言え、咎める義務も権利も無い。黙って耳を傾ける。
「難しい漢字は飛ばしたけど、それ以外なら読めた。
マメな人だったんだろうな。毎日欠かさず載ってて…。
母さんとの出会いとか。俺が生まれた日のことだとか。
父さんが生きてた頃の平和な日常が、全部綴られてた。
俺も何か嬉しくなって、雑にページを捲ってたんだが…
或る日を境に、ガラッと様相が変わっちまっててさ。」
「その、或る日というのは?」
「日付的には俺が一歳くらいの時。
父さんは、不思議な女性に会ったらしい。
病的なまでに白い肌の、銀髪の女って書いてあった。」
「……ベイドさんに、心当たりは?」
「いや、無い。旧褐礫にもそんな女は居なかった。
大人になってからゴウノア辺りにも聞いてみたんだが、
当時のメーセナリアにそんな奴は居ないって言ってた。」
「その女は、親父さんに何を吹き込んだんですか?」
「それが件の、 化物の根絶について だな。」
あぁ、成程。ようやく話が繋がって来た。
ベイドの父親に接近し、裏から操っていた女。
病的?銀髪? オミナス…十中八九あの人の仕業だ。
「ヒシ、大丈夫か? 凄い顔してんぞ。」
「えぇ、問題無いです。話を続けてください。」
俺はベイドがあの人の契約者では無いかと疑っていたが、
どうやら、彼自身は特に何の事情も知らない庶民らしい。
…あぁ、次彼女に会ったらどう感情をぶつけてやろうか。
「そこから先の一年は、正直狂気染みてたな。
精霊に関する情報が数千行書き殴られてたり、
過去に出現した幻妖が数百年分纏められてたり…。
『精霊を集める』『黒幕との最終決戦に備える』。
そんな短文が、頁に幾度と無く書き重ねられてた。」
「……黒幕?」
「あぁ、この世界には黒幕が居る。」
「仮にそうだとして、ソイツは何をしてるんですか?」
「父さんの言葉を借りるなら、『生産者』だ。」
「………何の?」
「化物だよ。全ての化物は、ソイツから生まれる。」
ベイドの返答に、熱が入り始める。
けれど、決して人のことは悪く言えなかった。
突き付けられた答えに、俺も少し興奮していたから。
それを誤魔化そうと、意識的に声のトーンを落とした。
「つまり、ソイツとの戦いが"最終決戦"だと…。
けど、どうしてそこに精霊が絡んで来るんですか?」
「生憎と、それがハッキリしてねぇんだよな。
が、日記からは『参加資格』って言葉が見つかった。」
「精霊の保有が、参戦の前提条件なんですかね。」
「可能性はあるな。もしくは戦闘力の最低ラインか。」
精霊すら従えれない弱者は上がれない土俵。
安直な推測だが、今はそういう認識で大丈夫だろう。
とりあえず、ベイドの父親に関しては充分聞き出せた。
後は、彼本人の意志を引っ張り出しておきたい。
「…ベイドさんは、何で化物の根絶に拘るんですか?」
調査と下準備に並々ならぬ情熱を注ぎ込み、
ある程度の無理を通して地の精霊を確保し、
私財を投げ打ってまで他の精霊の獲得を推し進める。
彼が、是が非でも生み出したいという世界は何が為に――
「――妻が、子供が。何者にも脅かされず生きる為に。」
最早見慣れた、冷徹な表情で。ベイドはそう言った。
それは、彼の心の底で燃え続ける、揺るがぬ信念。
今は亡き彼の父親も、きっと同じ瞳を以て、同じ誓いを立てていたのだろう。
「…ごめんなさい、野暮な質問でしたね。」
「いや、気にすんな。至極真っ当な疑問だしな。」
「もう一つだけ、確認をしても良いですか?」
ただならぬ気配を察知したのか、ベイドは黙った。
そんな彼に、信頼と疑念の入り混じった瞳を向けて、
少し意地悪で、――けれども大切な事柄を問い掛ける。
「もしも、この世に存在する化物が無差別に…。
凶暴性も知性の有無も、姿形も一切考慮せず。
例えば、俺やガイアが掃討の対象に入るとして。
ベイドさんは、本当に化物の根絶に踏み切れますか?」
ベイドには俺が化物だということを明かしていない。
だからこそ、今の一言は実質的なカミングアウトだ。
心の底から化物を恨み憎む彼が、俺の存在を許すのか。
そして、自身の眷属であるガイアを切り捨てる覚悟を果たして持っているのか。
「当然、家族を守る方が大切だからな。」
…ベイドは、言い淀むこと無くそう告げた。
湧き上がる心寂しさに、俺が目を伏せたその時…
「…って、前までなら断言してたんだがなぁ。」
苦い顔を浮かべ、彼は頭をポリポリと掻いた。
その表情に、冷酷なリーダーの面影は残っていない。
自身の後輩を、眷属を想う、心優しき一人の男の顔だ。
「正直、今その決断を下せる気がしねぇわ。」
「ベイドさんでも迷うんですね。」
「そりゃ迷うぞ。迷いに迷って此処に立ってるからな。」
「なんか、ちょっとだけ安心しました。」
半年前よりも遥かに人間性が備わっている気がした。
あの頃に比べて、ずっと話しやすく親しみやすい。
そんな彼だからこそ、俺は初めて"信頼感"を抱いた。
「だからな、俺は両方選べるようにしてんだ。
化物との共存も、化物の絶滅も。選択肢としてな。
どうせもう少し先の話だ、ゆっくり考えて決めるわ。」
繕っていない素の顔でベイドは呟いた。
選択の先延ばし。…俺はそれで良いと思う。
人間か化物か。俺も、未だに迷い続けているのだから。
それでも、少しずつ、気持ちが固まって来た部分がある。
「――契約書ですけど、俺は署名したいと思ってます。」
バッ、と。ベイドが驚いたように顔を上げた。
まさか、俺がその決断を行うと思って無かったのだろう。
「良いのか? 場合によっては…。」
「はい。今のベイドさんになら、命も託せます。
後は、少し汚い話なんですけど金が必要なので…。」
「…それも意外だな。何か買うのか?」
「えぇ、家を。」
俺がそう零すと、ベイドはより一層懐疑の表情を深めた。
あまりに唐突な告白に対し、動揺を隠し切れないようだ。
俺としては、実はずっと前から考えていた話なのだが。
…その時、闘争の音がピタリと止んだ。
「――ッ! …降参だ。」
「ヴァン君の降参により、ロットの勝利。」
「…ん。おもったよりあぶなかったー。」
見れば、短剣を首筋に当てられているヴァンの姿が在る。
彼を追い詰めるロットの息は今日一番という程に荒く、
若さを象徴するような艶のある額には汗が浮かんでいた。
ベイドとの会話に花が咲き、戦いから目を離していたが…
ヴァンを褒め称えるニュートの様子を見るに、相当に良い勝負をだったらしい。
◇
本日六試合目。対戦カードはロットvsニュート。
また、ロット側には眷属であるディンも加わっている。
頭数で考えれば圧倒的にニュートが不利だが、果たして。
ちなみに、小一時間という長い気絶から目覚めたミドルが審判を務めている。
「それで、家を買うっつぅのはどういう風の吹き回しだ?」
相変わらず俺と並んで座るベイドがそう訊いて来る。
俺の発言がよっぽど引っ掛かっているのだろうか。
…確かに、昔は碌に街へ留まらず、旅と称して奔放な日々を送っていたが。
「少し、人間として身を固めようと思いまして。」
「え、待って、お前結婚すんの? 聞いてないんだが。」
「しませんよ、恋人もまだ居ないですし。」
けれど、何となく。自分の家が欲しくなった。
ベイドの言葉を借りるなら『両方選べるように』か。
いざ人間として生きて行こうと決断したその時に、
自分の帰る場所が有りませんでは流石に格好が付かない。
あぁ、勿論、今も爺ちゃんの家は残っているのだが…。
「兄ちゃんは、今度結婚するんです。」
あそこは新婚夫婦に譲るという話で纏まっている。
独り身の俺は荷物を纏めてさっさと掃けるべきだろう。
「テロスさんがか。めでたいな。」
「えぇ、最近防衛団団長の任命式もありましたし。」
「…あぁ、そういえば先延ばしになってたな。」
邪神が人類の生活に与えた影響は大きい。
奴との決戦に於ける戦士達の死者数は、二四七人。
重軽傷者の数はそれを優に超えていたことだろう。
最終的に討伐を果たしたとは云え、あの戦いで游蕩士/防衛士の戦力は激減だ。
戦闘直後、どこの機関も事後処理に追われていたのだ。
当然、被害の渦中に在った防衛団もその例外では無い。
殉職者の埋葬、遺族への補償、新たな団員の募集…。
マネドさんの後任として団長の座に就いた兄ちゃんも、
一か月はまともに眠らず、珍しく多忙を極めていた。
浮ついた話が許される空気でも無かったのだ。
任命式、次いで結婚と、ようやく楽しい話題だ。
彼の唯一の弟として、兄の吉事は精一杯祝って上げたい。
「まぁ、家の購入には絶好の機会だった訳です。」
「けどお前、そんな気軽に出来る買い物でもねぇだろ。」
「これでも貯金は結構有りまして。」
「五十万フルク合わせれば、手は届くってことか?」
「ある程度はローンって形になるんですけどね。」
「ほーん。じゃあ今は物件探し中って感じか。」
「いえ、もうどの家を買うかは決めてて…。」
「お前一回決めたら早いよな。」
「何なら、もう契約も結んで頭金も払ったんで。」
「全部終わってんじゃねぇか。早過ぎだろ。」
当然、購入したのは新築では無く中古物件だ。
内部見学をした感じは充分に綺麗だったので問題無い。
そもそも十八歳で一軒家を買うこと自体珍しいのだろう。
物件を紹介してくれた不動産屋のおっちゃんは随分と驚いていたようだった。
爺ちゃんの家で、既に荷物などは纏め終わっている。
後は新居に家具などを搬入すればすぐに住めるはずだ。
明日中にでも引っ越し作業を完了させて、兄夫婦に別れの挨拶をしてしまおう。
「あ、そういえば相談があるんです。」
俺は持参した鞄から一冊の本を取り出した。
古ぼけてはいるが、腐食している訳では無い。
きっと、質の良い紙が使われているのであろう。
何せこの本は、五十年以上前に書かれた物なのだから。
「爺ちゃんの父親、元游蕩団団長の、日記です。」
表紙には、確かに『クロス』と記名が為されていた。
掠れてはいるが、あの人らしい非常に丁寧な文字面だ。
「大掃除中に見つけたんです。」
「へぇ、良いじゃねぇか。貴重な一冊だぞ。」
「実は他にも十冊くらいあるんですけどね。」
「相談って、その日記がどうかしたのか?」
「…この日記には、一通り目を通したんですけど…。」
躊躇いが生じるが、思い切ってその事実を告げる。
「<悪の天誅>の全てが、ここに綴られてます。」
五十年前に起きたアータミン陥落事件。
その発端と、経緯と、終幕が書かれた本だった。
貴重という一言で終わらすにはあまりに価値が高過ぎる。
正直、俺の手には有り余る歴史書とでも言うべき一品だ。
「…ヒシ、結局お前は何に迷ってんだ?」
「ユルドースにでも寄贈すべきでは無いかと。」
あの街ならばこの本を正しく使ってくれるだろう。
正しく保管し、正しく研究され、正しく活用するはずだ。
少なくとも、俺の手元にずっと置かれているよりかは幾分かマシだと思う。
「まぁ確かに、<悪の天誅>はマジで情報少ないしなぁ。」
「当事者目線で書かれているので、情報量は豊富です。」
当事者、言い方を変えるのならば、根源だ。
<悪の天誅>は、クロスが始めた物語であった。
この日記一つで、現在未解明の謎が数多く解けるだろう。
合理的に考えて、まず間違い無く譲り渡すべきである。
それでも、俺はその一歩を踏み出す勇気を持てなかった。
「けどな、日記ってのはプライバシーの塊だぞ?
幾ら故人とは云え、大衆の目に晒しちまうのはなぁ…。」
俺の悩みの種を、ベイドはずばりと口にした。
そう、その通りだ。これはクロスの生涯が書かれた本。
必然だが、彼の苦悩や不善、懺悔までもが描かれている。
これを公開するという行動は、彼の尊厳そのものを貶める行為にも成り得る。
「やっぱり、俺が持っておくべきですかね。」
「それが良いと思うぞ。一番丸く収まるだろ。」
「よく考えたら、勝手に中身見るのも軽率でした。」
「そっちに関しては肯定も否定も出来ねぇわ。
俺も人の日記を無断で読み漁ってるからなぁ。」
ベイドと目を合わせ、お互い自嘲するように苦笑した。
まぁ、一応師弟の関係だ。彼なら許してくれるだろう。
当時のことを知る為の重要資料として、個人的に利用させて貰おうと思う。
「―――《紙散》」
「っ、まだっ…!」
「ふふっ、甘いですねぇ。」
二本の短剣が激しくぶつかり合っている。
片方は『闇』を纏っていて、片方は『風』に輝いていた。
互角の打ち合いにも感じるが、その戦力差は一目瞭然。
ニュートは赤子をあやすかのように笑みを浮かべていた。
あの人の主武器は長弓の筈だが、何で短剣を使ってロットを圧倒してるんだ…?
「…明らかに挑発だな。」
「タドク、起きてたんだ。」
「今起きた所。…二時間十五分か。」
平坦な声で、自身の睡眠時間を正確に言い当てる青年。
寝起きのタドクは、夜空のような瞳を戦場に向けていた。
「はい、問題ね。あの緑髪の人の名前は?」
「ニュート、その横がロット。審判はミドル。」
「うん、正解。大丈夫そうだね。」
「二ヶ月も顔合わしてりゃ、誰でも覚えれるだろ。」
俺の安堵の声に対し、タドクは冷たく言い放つ。
二ヶ月前、彼は"転"の代償で記憶の殆どを失った。
それどころか、脳の大部分が酷い損傷を受けていたのだ。
今こうして言葉を話せていることが奇跡なぐらいらしい。
残念ながら、一度消滅した記憶が戻ることは無い。
愛する少女の名前以外何もかもを忘れてしまった彼は、
戦闘の直後はまるで息をするだけの抜け殻のようだった。
彼の脳内には『タドク』という名前すらも無かったのだ。
彼がニュート達の名前を言えたのも、後から情報をインプットしたに過ぎない。
決戦以前の俺はタドクとの関わりが無にも等しかったが、
古くから絆を育んでいた者達は相当に苦労したそうだ。
何せ、相手は自分のことを全く覚えていないのだから。
特に彼の親友であったヒルズは、かなり気の毒な境遇だ。
それでも、ゼロから。彼ら二人は新たな友情の形成を始めたようで、安心した。
「6×7×8は?」
「336。約数は20個で、それ全部足すと992になる。」
「うーん、後半の正誤は俺じゃ判断出来ないね。」
「コイツが言うんだからどうせ合ってんだろ。」
相変わらず、到底理解の及ばない頭脳の持ち主である。
半笑いで首を竦めるベイドも、少し辟易しているようだ。
まぁ、タドクの脳が正常に働いていることは確認出来た。
「あ、そういえば言うの忘れてたわ。
タドク、お前宿屋にメモ帳置いて行っただろ。」
「俺が書いたやつっすか?」
「多分、邪神との戦い前に書いたんだと思うが。
宿の管理してる婆さんが俺んとこ持って来たんだよな。」
きっと、タドクの行方が分からなかったのだろう。
彼は一ヶ月ほどユルドースで入院生活をしていたから。
ベイドは塞ぎ込むタドクを頻繁に訪れていたようだし、
宿の老女がベイドとタドクの関係を信頼し、ソレを預けたのだと予想出来る。
「記憶に無いんすけど、どんな内容っすか?」
「表紙にデカデカと『転』って書いてあったな。
中身は流石に開いてないし、見てもいないが。」
「あぁ、じゃあ適当に処分して良いっすよ。
妖術自体はもう感覚で扱えるようになったんで。」
早々に興味を失った様子のタドクはそう話す。
だが、俺の関心を惹き付けるには充分過ぎる話題だった。
「…そのメモ帳、俺が貰っても良い?」
「どうせただの紙切れだぞ、何に使うんだ?」
「その、"転"自体に興味があるというか何というか。」
「ま、ベイドさんが大丈夫なら。…良いんすか?」
タドクは彼特有の崩した敬語で、ベイドに問い掛けた。
ベイドは束の間の逡巡を露わにしたが、すぐに微笑む。
「『無』なら自分にも扱えるかも…そういう魂胆だな?」
「仰る通りです。ダメですか?」
「いや、確かに"転"の情報は中々手放し難いが…。
そもそも、俺の脳ミソじゃ扱い切れない妖術だしな。
タドクから見て、ヒシはアレを習得出来ると思うか?」
「練習すれば出来んじゃないすかね。」
見定めるようにタドクがちらりと俺のことを視た。
少し緊張してしまうが、お眼鏡には適ったようで安心だ。
また、その一言でベイドの方も決心がついたらしい。
「明日にでも褐礫に取りに来いよな。」
「助かります。タドクも、ありがとね。」
「ん。俺は何もしてねぇけどな。」
最も新しい友に感謝を述べつつ、戦場に目を向ける。
「~~~~!!!! ~~~~ッ!!!!」
「ロット、負けを認めなさい。みっとも無いですよ?」
「そうだぜ、ゼロ勝百敗だが何だか知らねぇが次勝てば良いじゃねぇか、な?」
暴れ狂うロットと、それを宥める二人が居た。
短剣を握ったまま怒る、ロットの様相は凄まじい。
逆さ三日月のような両の眼、頭から立ち昇る湯気。
猛獣のように尖らせた白い牙は、今にもニュートの肉へと食い込みそうだ。
「…何をしたらあんなことになるんですかね?」
「どうせニュートの煽り癖が原因だろ。放っとけ。」
因みに、ミドルは何処か愉快そうに笑っている。
『確かに、舐めプされて無様に負けを晒したけどな…』
『全部の妖術を完膚無きまでに叩き落とされてもな?』
『まんまと謀られて返り討ちに遭ってもな、別に…』
そんな、ナイフのような切れ味を持った慰めが聞こえた。
…最早慰めですら無いのだろう。ただの憂さ晴らしだ。
溜まりに溜まった鬱憤を、ここぞをばかりに放っている。
「汚い大人…。」
「最低っすね。」
「アイツが一番悪いな。」
果たして、三つの冷たい視線には気付いているのか…。
◇
「ニュートきらい。」
「ふふっ、直球ですねぇ。」
「お前、詰られるの好きだよな。」
「ただの変態じゃないっすか。」
そう呟くタドクに俺は『何を今更』という視線を向ける。
このニュートという男が狂ってるのはずっと昔からだ。
残忍性と凶悪性を猫の毛皮で覆い隠しているだけだろう。
「はい、第七試合。やりたい奴はー?」
「おや、ロット。手を挙げなくて良いんですか?」
「うるさい。きょうは、ちょっとつかれただけ。」
膨れっ面でニュートの背中を殴るロット。
かなり力が籠っていたが、ニュートはただ笑うだけだ。
「クリモ、行っとく?」
「―――――、―――。」
ベイドの問い掛けに対し、クリモはゆっくり首を振った。
彼はロットとの戦いで大分消耗していたようだし、
今からもう一戦やる気力も体力も残っていないのだろう。
「んじゃ、タドク。お前今日寝てただけだろ。」
「…ぶっちゃけ、俺じゃ試合にならないっすよ?」
「腹立つなぁ。実際そうだから尚の事。」
"転"という妖術が持つポテンシャルは壮絶だ。
特に、対人戦に於いては。条件や制約は多いらしいが、
タドクが一度その籠手を振るうだけで、ありとあらゆる物体が消滅してしまう。
「あ、丁度良いじゃねぇか。ヒシ、お前出ろ。」
「急な指名ですね、どうかしたんですか?」
「いや、お前強くなり過ぎたとか抜かしてただろ。
あれもムカついたから、一回二人で潰し合えよ。」
「私怨ですし、俺達の戦い見世物にしようとしてません?」
「シテナイ。イイから、面白い戦いをミセロ。」
思わず溜息を吐いてしまう。
『 Kyaun? 』
「リフィは休んでて。」
『 Kyuu. 』
足元に寄って来たリフィの頭を撫でてやる。
どうせなら、一体一の方が面白い物になるだろう。
「俺はどんだけ本気でやっていいんだ?」
「俺の身体に直接干渉するのだけはナシでお願い。」
「…それ以外なら、何でもアリってことか?」
「うん、俺も本気でやる。…試したい物もあるし。」
タドクは頭に巻いたバンダナをキュッと締め直した。
あの布は、タドクの負担を抑える為の妖具らしい。
製作者が『ユエ』だと聞いて驚いたのを覚えている。
「あぁ、十秒後に開始な。」
タドクは両手に分厚い手袋を嵌めた。
あの手袋は、タドクが師匠から貰った物らしい。
快活に笑う今は亡き大男の顔が、俺の脳裏に浮かんだ。
「………ふぅー…。」
澄んだ冬の空気を、思いっ切り取り込む。
氷を丸呑みしたかのような冷たさが腹に溜まった。
それを吐き出し、取り込み、また吐き出し、飲み込んで。
「始めッ!!!!」
気付けば、十秒という時が流れていたようだ。
視界の端で、タドクが動き出したのを確認した。
数瞬経てば彼が俺の懐に飛び込んでくることだろう。
だからその前に仕留める。…改良を重ねた、この技で。
「―――《閃裂》」
…小球達により、美しい光の軌跡が描き出された。
◇
白んだ空は、世界の終焉を象徴しているようにも思えた。
あらゆる生命が死に絶え、大地が枯れ果てるその日。
去り逝く一つの世界へ、最大限の手向けとして神はこの空を創り出すのだろう。
…という妄想を心の中に仕舞い、現実に目を向ける。
太陽が出て来たという事は、時刻は朝六時半くらいか。
独り訓練に励むこと数時間、結局夜を明かしてしまった。
再生力を保つ為にも、睡眠時間はしっかり確保しようと思っていたのだが…。
タドクと俺の試合を最後に、訓練会は解散となった。
そもそもあそこに集まっていたのは社会の有力者達だ。
今日も朝から仕事に追われる者が大半なのだと思う。
それでも睡眠を削って自主練には参加する辺り、全員が大概バカな気がする。
その後、眷属と共に鍛錬を積んでいた俺はもっとアホだ。
何も言わず付き合ってくれたリフィには感謝しかない。
おかげで『光』の熟練度がグングン上昇していることは、肌で感じられる。
「流石に帰ろっか。」
『 Kyaun. 』
「汗流して、引っ越しして、褐礫に寄って…。
あ、ユエの所も行きたいし…、やることだらけだね。」
『 Kyun. 』
「家も買ったし、もっと稼がないといけないしね。
出来れば午後からは依頼の消化に入りたいし、頑張ろ。」
『 Kyuun. 』
最近は、リフィへ積極的に話し掛けている。
というか、彼の横に居ると言葉がボロボロ零れる。
例え独り言でも、相槌が帰って来るだけで嬉しいのだ。
それに、彼が隣に居ると無性に安心感が生じるというのも関係しているはずだ。
懐かしさと云うか、ホッとするというか。
多分それは俺の生い立ちに因る物なんだと思う。
『血は争えない』とは少し違うが、この身体に彼の存在が刻み込まれている。
―――その時、世界から音という概念が消え去った。
何が起こったか、三回目ともなれば理解が追い付く。
これは兆候だ。それも、大概ロクでもない物である。
不吉を運ぶ者――彼女の名前は、そういう由来だろう。
「こんにちは、オミナスさん。」
「お久しぶりです! 調子は如何ですか?」
ふわり…そんな擬音語がよく似合う着地だ。
雪のように白く、糸のように細い髪が揺れている。
救いの手を差し伸べる、天から舞い降りた女神のように。
命を愛し、星と舞う――森羅万象を慈しむ聖母のように。
片手を口元に添え、その女はクスクスと笑っていた。
「…ちょうど、話したいことが沢山有ったんです。」
「あら、奇遇ですね! 私もそうなんですよ?」
「そうでも無いと貴方は出てきませんもんね。」
「ふふっ、いつにも増して険悪な雰囲気ですね。」
「俺を見てたのなら、その原因も知っているのでは?」
「あぁ、ヒシさんのお母様に関することでしょうか?」
…落ち着け。この人は俺をおちょくっているだけだ。
あくまで冷静に、心を殺して対応するのが最善だろう。
「以前差し上げた紙は、まだ開いて無いのですね。」
「あぁ、今この瞬間の為に残しておいたんです。」
そう呟き、俺はポケットから一枚の紙を取り出した。
綺麗な二等分で折り畳まれたソレを開き、中を見る。
現れたのは、非常に精巧な一枚の大陸地図だった。
中心にオブベック山、南西にエフ森林、北にチフリズ湖。
その他、主要な地形や人間の街などが記されている。
気になるのは、地図の西辺りに打たれた金色の点だ。
最東端にも濃い赤色の点が打たれていたが、やはり輝く黄金色の方が目を引く。
「その金色の点が、お母様の居場所を表しています。」
「…既に白骨死体と化した、母の現在地が、ですか?」
厳しく睨み付けようと、オミナスは微笑を崩さない。
肯定も否定も無しだ。答える義理は無いと言いたいのか。
ついでにずっと抱えていた疑問も訊いておくことにする。
「オミナスさん、何人の人間と契約してます?」
少なくとも、契約者が俺独りということは無いだろう。
ベイドの父親の話で、その推測は確信にも近くなった。
件の男は既に故人だが、現在進行形で契約関係にある人間の数を把握したい。
「ヒシさん、貴方は鍵をお持ちで無いですよね?」
「えぇ、頂いた鍵はすぐに消費していたので。」
「あぁ、言葉を変えましょうか?」
彼女は、今生で最も険しい表情を俺に向けた。
「――義務も果たさず、権利を得ようとしないことです。」
威圧感を隠そうともせず俺を戒めるオミナス。
ひんやりと、冷たい汗が俺の首筋を伝い流れた。
改めて思い知らされる。この人は、俺達の遥か高級に位置しているのだと。
「あははっ、そんなヒシさんに朗報があるんですよ!」
潮が引くように、彼女から冷血な顔が退いて行く。
代わりに現れたのは、普段通りの柔らかな笑みだった。
成程、これが演技で、先の無愛想な面がこの女の素か。
「名付けて、鍵乱獲キャンペーンです!」
オミナスはわざとらしい笑顔を貼り付けて拍手をした。
我儘な子供の機嫌を取ろうとする大人びた少女のようだ。
お前は幼いと暗に言われているようで、気分が悪い。
「何ですか、それ。」
「そもそも私は鍵が無ければ質問には応じません。
けれど、ヒシさんの手元には現状鍵が無いという事で…」
悪魔のように哂うオミナスは、五本指を広げた。
「私の依頼を受けて頂ければ、鍵を五本差し上げます。」
…空気感に呑まれるな。口車に乗せられるな。
コイツは質問五回分の権利を与えると言っているのだ。
そのような旨い話には裏が在ると相場が決まっている。
「……依頼の内容は?」
「救出と保護を、対象は私の古い友人です。」
「その程度、自分でやれば済む話では?」
「社会に関わり過ぎない…そういう主義なもので!」
「俺に関わっている時点で、主義から逸れてますよ。」
「ふふっ、社会から溢れた化物が何を言うんですか。」
どうやら俺は社会という枠組みから外されているらしい。
…本当に、毒を吐いて人をイラつかせるのが上手い人だ。
「あぁ、嫌であれば断って頂いて構いませんよ?
その場合は、彼らの血筋が死に絶えるだけです。」
ピクリと、自分の指先が反応するのを自覚した。
血筋? 救出対象は一人では無いのか? いやそもそも…。
「古い友人って、相手は人間ですか?」
「そうですねぇ、それに近しいとは思いますが。」
何故、この期に及んではぐらかすのか。
この人は俺に依頼を受けて欲しいのだろう。
であれば、必要な情報は開示すべきでは無いのか。
…いや、違う。敢えて情報を小出しにしているのだ。
俺の想像力を掻き立て、知識欲を煽り、扇動する為に。
おまけに人の死が掛かっているということを零して…。
どういうやり方をすれば俺が都合良く動くのか、完全に把握した上での依頼だ。
「リフィ、どう思う?」
だからこそ、最も信頼出来る者の意見を仰いだ。
上司でも、部下でも、奴隷でも無い、一匹の化物。
俺の大切な仲間であるリフィが、宙に形成した一文は…
―――『 Leave to You.(任せるよ)』
俺に対しての高い信用度が窺える物であった。
地獄に落ちる時は一緒だ。…そんな意図にも思える。
なら、大丈夫。俺も安心して奈落の底へと飛び込める。
「…オミナスさん、俺達はその依頼を受けます。」
二人揃って救出に向かう、という部分を強調する。
無論この展開はオミナスにとって予想通りだったらしい。
都合良く進む展開に対しての歓喜を丸出しにしながらも、彼女は準備を進める。
「では、件の場所へ貴方達を飛ばしますね!
少しだけ身を預けて欲しいのですが、よろしいですか?」
「えぇ、"転"ですよね。」『 Kyaun. 』
"転"は『無』という属性の極致なのだと思う。
ソレの使用に求められるのは、抜きん出た知能。
人類最高峰の思考能力を持つタドクでさえ、死に直結する反動で苦しむのだ。
「ふふっ。では、あの子を頼みましたよ?」
嘲笑混じりにソレを扱うこの女は、明らかに異常だ。
無の精霊…そんな言葉が俺の思考に浮かび、消えた。
最後に視えたのは、恐ろしく綺麗なフィンガースナップ。
―――反転した世界で、潮の匂いが俺に笑い掛けて来た。
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