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ナノライト  作者: かざぐるま
第五章 Wake up from sleep.
41/57

第三十九話 邪神

 



 数多の星々が、人間達の大行進を照らしていた。


 游蕩士約五百名、防衛士約二百名。

 医療者約六十名。眷属約二百体。内、精霊が六体。


 現人類が保有する戦力のほぼ全てが集結していた。

 一切の油断無く、雑談も無く、ただ前に進み続ける大隊。

 まるで戦争に出る兵士達のような様相だが、あながち間違いでも無いだろう。


 一つだけ違うのは、敵方が()()であるということか。

 だが、決して侮ること勿れ。人数有利など関係無い。

 敵はたった一匹で街を墜とせるだけの力を持った存在だ。

 計千体にも及ぶ大隊の生命など、御馳走としか見てない。



『 ――HAHAHAHAHA…!!!!! 』



 その事実は、遥か遠くから響く笑声からも明らかだった。


 迎撃隊は、その場でピタリと足を止めた。

 誰の指示も無かった。ただ、恐怖がそうさせたのだ。

 未だ姿すら見えぬ幻妖の悪声が、彼らの足を支配した。

 更なる進行は危険だと、本能的に理解させてしまった。

 …戦争の勝敗とは、部隊の士気に大きく左右される物だ。

 例えば、彼らが恐怖に呑まれたままならば、敗北は必至…


「 ―――()()()()!!! 」


「「「「「 …!!! 」」」」」


 そんな人類を叱責したのは、一人の男だ。

 指揮官たるベイドか? 現場責任者たるマネドか?

 否、その男はギルドリーダーでも防衛団団長でも無い。

 己の左腕を犠牲に街を救い、失意に襲われながらも見事復活を果たした男。


 ――テロス、其の人であった。


 英雄の息子。…いや、本人も紛うこと無き英雄であろう。

 <鱗片の影>での彼の活躍を知らない者など存在しない。

 一般防衛士として在しているのが不思議なくらいだ。


「 いいか!! 相手に弱さを見せるんじゃねぇぞ!! 」


 幻妖の中でも、大雑把な等級というのは存在する。

 例えばリエルを襲った突然変異種の雪猩(イエティ)

 奴は、幻妖の中でもかなりの下位に分類されるだろう。

 戦闘方法は物理のみ。知能も平凡。幻妖として突出した所が見られなかった。


 逆に、龍人(スケイル)は幻妖の中でもかなりの上位だった。

 物理,妖術ともに秀でており、攻守ともに隙など無い。

 『闇』の使い所や慢心しがちな性格を矯正すれば、無類の強さを誇っただろう。


 そんな幻妖を相手取ったテロスは、理解していた。

 幻妖戦は、相手の威圧感に呑まれた者から死ぬと。

 今回の相手は、龍人(スケイル)などとは比にならないと。

 そんな強敵を前にしたとき、味方を正しく鼓舞出来るのは自分しか居ないと。


「 お前らはアイツに喰われる為に居るのか!?

  違ぇだろ!! 俺達がアイツを喰いに来たんだ!!

  空気に飲まれるな!! 敗北は許されねぇぞ!!! 」


 テロスの怒号は、戦士達の視線を上げさせた。

 暗い足元に落とされていた目線を、前方へ向けさせた。

 …決意を秘めた表情の彼らが視たのは、"邪悪"だった。



『 KUHAHAHAHAHAHA!!!!!!! 』



 遥か遠方。闇夜の中に、更に深い『闇』が居た。

 黒色の背景の中で目立つのは、果たして白色だろうか。

 ――否。黒の中で存在感を放つのは、重い()()だけだ。


「……っ、進化してますねぇ…。」


 ギルドリーダーなど、実力者達の表情が固まった。

 彼らがヒシから聞いていたのは邪子(ダーク)の情報だ。

 奴の姿が完璧な人型だという事実に揺さぶられたらしい。

 …だが、不確定要素が一つ増えただけだ。対応は容易。

 人間達に出来るのは、敵手を観察することのみだった。


 やはり目を引くのは、背中から生える腕群だ。

 一点から延びるそれらは、枝分かれする樹木を思わせた。

 人間を真似たような腕に付けられた不均等な四本指は、

 己の身体すら満足に扱えぬ、人類という種全域を皮肉っているようでもあった。


「…ヒシは、四本指の腕が二本だと言っていたな。」

「だな。純粋に、武器数が増大してるって所か。」

「じみだけど、やっかいなしんかだね。」

「手数の多さは直接戦闘力に繋がりますしねぇ…。」

「関係無いわよ。…さっさと殺しましょ。」


 予想外の事態に対し、素早く意見を交わすリーダー達。

 流石は、かなりの場数を踏んでいる熟練の游蕩士達だ。

 一度揺さぶられ掛けた心を、己で立て直すのが巧い。


「…あぁ、()()は予定通り。タイミングは俺が計る。」


 ベイドが段取りの最終確認を行っていた。

 つまり、人間達は一塊になって立ち止まっていた訳だ。

 …絶好の餌場を見過ごす程、その幻妖は甘くなかった。



『 ――HAHAHAHA!!!!! 』



 邪人(ダーク)と化したソイツは、上機嫌だった。

 魚料理(リフィ)を生意気な少年に奪われ一時期は憤っていたが、

 道中で出会った雑多な化物達で、口直しは終わっていた。

 そんな時に出迎えてくれたのが考え得る最高の肉料理だ。

 食材自ら歓迎をしてくれたこの状況。…決まっている。


 ――喰わなければ、失礼に当たるだろう?


 邪人(ダーク)は大量の"黒腕"を夜空に掲げた。

 地上から、美しく健気な星々の明かりが消滅する。

 天を丸ごと覆い隠してしまった漆黒が向かうのは、一点。

 呆けた顔で空を見上げる、愚かな人間共が集まる其処だ。


 あぁ、確かに邪人(ダーク)の気分は上々だった。



「―――《照葉(てりは)》」



 ――己の腕を、巨大な壁に阻まれるまでは。


 あらゆる光が消えた世界が、再度照らし出された。

 天然の光では無い。あくまでも、人為的な『光』だ。

 それでも、人類は間抜けな口を揃えて呟いたのだろう。


「…綺麗。」


 水槽に黄色のインクを垂らし、照明を当てたような。

 キラキラと輝く『光』の壁は、天高くに伸びている。

 陽光のような眩さは無い。月光のような包容力も無い。

 けれども、神が人類に与えたような幻想的な障壁は…

 ――覆し難い勇気と希望を、多数の人間達に宿らせた。


『 HAAAAAA?????? 』


 対して、邪人(ダーク)の口から洩れたのは憤怒と怨恨だ。

 例えばこれが一度目なら、まだ怒りは軽かっただろう。

 だが違う。邪人(ダーク)ははっきりと脳内に刻み付けていた。


 …悠々と空を駆ける少年に邪魔されるのは、二回目だ。


 忘れもしない。その黄髪、金眼、不愉快な『光』。

 自身とは完全に真逆の位置に立つ、宿敵の存在を。

 特大の精霊(エサ)を横から掻っ攫って行った、泥棒の顔を。

 恨み深い邪人(ダーク)が、そう簡単に忘れるはずも無かった。


「……そろそろ、壊れる。」

 ――『 Leave.(離れようか)』


 邪人(ダーク)の怒りを全て受けた、特大の光壁が砕け散った。

 無論、黒腕が自分を殺しに来る事などヒシは想定済みだ。

 ヒシとリフィは《爛然(らんぜん)》崩壊前に退却を終わらせていた。

 …結果として宙に残ったのは、怒りに震える黒腕のみ。


『 ……HAAAAA…, 』


 行き場の無い怨念が暴れ狂うよりも早く…



「 防衛士諸君! 出陣だ!!! 」



 マネド率いる防衛士達が、誇りを胸に戦場へ飛び出した。




 ---




 勇ましく邪人(ダーク)へと駆けて行く二百人の防衛士達。

 その様子を安全地帯から見守る五百人の游蕩士達。

 地上に広がる光景を不審に思い、ヒシは未だ佇むだけの集団近くに飛び降りた。


「――っしょ。…すみません、遅れました。」

「いや、完璧なタイミングだった。ありがとな。」

「それで…、…これはどういった作戦ですか?」


 話し掛けたのは、指揮官のポジションに付くベイド。

 彼が無策で防衛士を突撃させた訳では無いのは明白。

 何らかの思惑が有っての指揮だろうと、一瞬で推測を終えたヒシは詳細を訊く。


 ベイドはヒシの顔を見遣り、…彼の足元を視た。


「そこに居るのが、リフィだな?」

『 …Kyaun. 』

「リフィの戦闘能力については、俺達も重々承知だ。

 だが、邪人(ダーク)はそれ以上に強かったとも聞いてる。

 となれば、馬鹿正直に正面から戦り合うのは賢く無い。」


 確かに、リフィ単騎としての戦闘力は絶大だった。

 それを降した相手に、果たして人類が勝てるのか?

 …否。全員纏めて喰われて、ゲームオーバーだろう。


「俺達が考えたのは、ギルド単位でのローテーションだ。」


 作戦を明かしたベイドの顔は、勝利の確信に満ちていた。

 これで勝てなければ、もうアイツを止める術は無いと。

 作戦実行のギリギリまで検討され、決定された戦略だ。


「まず、防衛団が先陣を切る。彼らの熱願だったからな。

 そして、渾身の大技を一発叩き込んだところで……。」


「ベイド。――身構えた方が良いかもしれませんねぇ。」


 まだ作戦の全貌が明かされていない頃。

 ニュートは、冷や汗と共に忠告を行った。

 …戦場で発生した想定外の出来事に焦っているようだ。


 ニュートの視線の先には、一人の男が居た。


 重量級の大剣――『深空』を両手に掲げ、

 険しい表情で邪人(ダーク)を睨み付ける、香色の髪の男。

 ヒシの義兄、ザウロスの養子、メーセナリアの英雄。



 テロスは、極小型の()()()()()()()を創り出していた。



「…兄ちゃん…?」

「おい、ニュート。アレはどう思う?」

「間違いなく、制御出来てませんねぇ…。」


 決死の表情で妖術を発動させているテロスの付近では、

 多数の防衛士達が、迫る黒腕と激戦を繰り広げていた。

 遠くから見る限り、防衛士側が劣勢なように見えるが…。

 問題は無いのだろう。彼らが行っているのは時間稼ぎだ。


 とすれば、気掛かりなのはテロスの様子だ。


 テロスが握る大剣の先端には、奇怪な"黒点"が在る。

 空間が歪んでいる。…いや、正確には周囲の月光が。

 まるでその点に吸い寄せられるかのように、弧を描きながら集まって行く。


 ただ、術者であるテロスに問題がある。

 流す汗は滝の如く。青褪めた体表は湖の如く。

 誰がどう見ようと、"正常"には感じられなかった。

 創った黒点に彼自身が飲み込まれそうな程の弱々しさだ。


「超圧縮した『力』の塊ですねぇ。相当なエネルギーだ。」

「あぁ、『力』か。『闇』では無いんだな。」

「兄ちゃんは『力』しか使えないので、違うと思います。」

「…さすがに、とめたほうがよくない?」

「俺もそう思います。兄ちゃんはそもそも妖術が…」


「――おいおい! お前らが止める必要は無ぇぜ!」


 小円を描いて会議を始めた游蕩士達に、声が掛かる。

 恐怖で震えるドロプを両腕に抱きかかえた、ミドルだ。

 不審がるシロンに、何かを察した様子のニュート。


「何の為にアイツが居ると思ってんだ?いいから見とけ!」



「 よし、準備は整った! 皆、下がりたまえ! 」



 戦場に響いた声は、現防衛団団長マネドの物だ。

 先代のシュックに比べればまだまだ経験は少ないものの、

 既に団長としての信頼は厚いようで、指示を聞いた者達が即時に後退していく。


「テロス、行けるかね。」

「…あぁ、後始末は任せたぞ…!」

「無論。それがワタシの仕事だからね!」


 マネドはテロスの背中を力強く叩いた。

 誠実な同僚から、そして旧来の友から託された想い。

 防衛士としての信念と、父からの信義も、全てを乗せ…



「―――《残威(ざんい)》ッ!!」



 制御不可能な暴力の化身が、世に放たれた。


 直後、恐ろしい風圧と轟音が人間達に襲い掛かった。

 後方で待機している游蕩士達が、蹲って耐え忍ぶ程の力。

 当然、最前線のテロスとマネドを襲う圧は尋常では無く…


『 ―――HAAAAA!!!!???? 』


 ――黒点を直接受け止めた邪人(ダーク)は、絶叫していた。


 幻妖が模る黒色の身体が、醜く引き延ばされている。

 餅のように、乾酪(チーズ)のように。児童に弄ばれるかの如く。

 万物を圧し潰すだけの力を得た黒点が、邪悪な幻妖を崩壊させようとしている。


『 …KUHAAAA…!!!!! 』


 当然、邪人(ダーク)も『闇』で抵抗を試みる。

 莫大なエネルギーを喰い散らし、己が物にしようと。

 数多の黒腕を動員させ、テロスの妖術に歯向かっていた。


「…死ぬのは、テメェだ!!」

『 ―――HAAAA…!!!!???? 』


 …そんな幻妖に対し、テロスは大声で怒鳴り散らした。

 直後、彼の創った黒点が自身の引力を更に強めてみせる。

 威力の増強に伴い、邪人(ダーク)の姿は一層酷く歪んでいく。

 それでも、テロスは妖術を止めようとしなかった。


 いや、正確には止めたくても()()()()()()()()()()()()



「――ここまでだ、テロス。…悪いがね。」



 直後、テロスの身体が力無く崩れていった。

 同時に彼の大剣からは『力』特有の輝きが失せ、

 猛威を振るっていた超重力場も妖力に還り霧散していく。


 それを為したのは、テロスの良き友人――マネドだ。

 あのまま行けば、邪人(ダーク)の身体は確実に崩壊していた。

 人類側最大の機会を、マネドは敢えて逃したのだ。


 …とは言え、利敵行為などでは無い。

 それが彼の役目であり、テロスの為だったからだ。

 情に流されず、冷静に判断を下す。…立派な務めだろう。


「な、言っただろ? あれが俺の弟子だぜ!」


 ミドルは嬉しそうに笑っている。

 そう、マネドに『封』を教えたのは他でも無いミドルだ。


 ヒシが言い掛けたことだが、テロスは妖術が苦手だ。

 彼が得意とするのは、大剣に『力』を纏うタイプ。

 つまり、自らの身体付近で用いる妖術を好んでいた。

 逆に、遠距離に妖術を設置する方式の妖術は、思考力に欠ける彼に向いてない。


 発動したとしても、暴発するのがオチだ。


 だから、制御役としてマネドが抜擢された。

 …少し語弊があるか。マネドが自ら志願したのだ。

 いつも全力で、暴走しがちなテロスを抑える為に。

 本来強力な妖術を扱えるだけの素質を持つテロスに、

 心置きなく、最大級の必殺技を使ってもらう為に。


「…凄ぇ男だぞ。人間な、地位を持てば天狗になるんだ。

 防衛団団長なんか、権力者の中の権力者じゃねぇか。

 少しは威張っても許される立場だろ。…けどな?

 マネドは、常に自分が出来る最善の仕事を考えてんだ。

 身体能力は並。思考能力も並。指揮力も並。平凡だ。

 それで、『封』で仲間を支えることを選んだんだぞ。

 団長の癖して、ただの游蕩士である俺に頭まで下げて!

 ――俺は、あの凡庸で愚直で真面目な男が大好きだ!!」


 大声でマネドの人柄を絶賛し始めるミドル。

 そんな彼に、游蕩士達全員の視線が集まっていた。

 ミドルは、狙い通りとばかりにニヤリと口角を上げると…


「――そんな男にばっか、良い恰好させられねぇよなぁ!」


 最高のタイミングで、戦意を煽ってみせた。

 雄叫びを上げる游蕩士達。ベイドは彼らを横目に…


「 防衛士は撤退!! 姫萩は出陣準備!!! 」


 冷静に、声を張り上げて指揮を飛ばした。

 続々と、前線の防衛士達が退却を始める。

 意識を絶たれたままのテロスも、抱えられ下がって行く。

 潮が引くように、素早く退いて行く人間達を…


『 HAHAHA……!!!! 』


 虚仮にされ、貶められた幻妖が黙って逃がすはずも無い。

 今までの戦闘を経て、邪人(ダーク)の戦果はゼロだった。

 一人の人間も喰らうこと無く、妖力だけ使わされ、

 挙句の果てに身体を引き延ばされ、笑い物にされたのだ。

 少しくらい新鮮な養分を貰わねば、収拾が付かなかった。


 待機組への合流を試む防衛士達を追う、黒腕の群れは…



「……お前が、ツバナちゃんを?」



 ――強力な毒液によって、ドロドロに朽ち果てた。




 ---




「説明しそびれてたな。簡単に作戦の共有をしとくぞ。

 まず、ギルド単位でのローテーションで攻撃をする。

 交代タイミングは俺が指示するが、基本は大技後だ。

 順番は防衛団、姫萩、卯杖、垂柳、紺糸、褐礫。

 もし一巡目で仕留めきれなければ、後は繰り返しだ。

 一周もすれば妖力も充分に回復してるだろうしな。」


 三週間街を離れていたヒシに、作戦概要を伝えるベイド。

 ヒシはそれを聞きながらも、気が気でない様子だった。


「それは分かったんですが…、アレは正気ですか?」


 彼が目線を向けるのは、異常な様相の前線だった。

 防衛士達二百人は無事に戦線から離脱しており、

 代わるように飛び出したのは姫萩の面々だった。



 ――正確には、少女二人と精霊二匹だ。



 一人は姫萩の寵栄リーダーであるモファ。

 彼女の傍らには、毒の精霊たるイムが控えている。


 一人は姫萩の一般メンバーであるリエル。

 彼女の側にも、やはり癒の精霊たるキュペが居た。


 しかし、二人の少女の間にはかなりの距離がある。

 自身の鉤爪型武器に『毒』を込めながら立つモファに対し

 大体五十メートル程後方に、リエルの小さな姿が在った。

 まるで、モファが独りで戦いに臨んでいるような光景だ。



 ――否。現に、モファは十数の黒腕を独りで凌いでいた。



 モファの頭上に浮かぶのは、巨大な粘液の塊だ。

 半透明な紫色の物質が、ふよふよと宙を漂っている。


『 HAHA!!! 』

「…………。」


 モファ目掛けて迫り行く、邪人(ダーク)の黒腕。

 その瞬間、彼女の頭上の奇怪な物質がプルっと震えた。

 同時に発射されたのは、同じく半透明の小型弾だ。

 音速で弾き飛ばされたその"毒弾"が黒腕に着地すると…


 ――太い『闇』の腕は、一瞬にして大地へ溶け落ちた。


『 HAHAHA!!!! 』

「……………。」


 邪人(ダーク)は、即座に再生させた腕を差し向ける。

 が、それも刹那の内に毒弾が撃ち落としてしまった。

 そして展開されるのは、『闇』と『毒』の激しい応酬。

 笑って攻める邪人(ダーク)に、無表情で迎撃を続けるモファ。

 二者の感情は全くの逆で、…しかし目的は同じだった。


「……殺す。」『 HAHAHA!!! 』


 防衛士二百人を動員して何とか抑えていた幻妖に、

 たった独りで立ち向かうモファ。…勿論、仕掛けが在る。

 人間が、幻妖に妖力量で張り合えるはずが無いのだ。



 ……妖力孔を無理矢理広げでもしない限り。



「…ハァ…っ、頑張れ、キュペ。」

『 Pyuiiii…!! 』


 モファの並外れた妖術を支えているのは、『癒』だった。

 妖力孔の拡大、妖力回復速度の増幅、毒弾自体の増強。

 リエルとキュペは、モファの能力強化に尽力していた。

 幾重もの能力補強。その恩恵を一身に受けたモファは…


「………………。」


 ――今や、全能力が幻妖の域に達していた。


 宙で繰り広げられる妖術戦は、苛烈を極めている。

 後方に控える人間達で、その様を捉えられるのは何人か。

 一般の人類では、何が起こっているかすら知れぬだろう。


 黒腕を撃ち落とす毒弾は、徐々に正確さを増していく。

 幾ら強化を受けているとは言え、モファはただの人間だ。

 許容量を遥かに超えた妖力に、予断の許されぬ戦況。

 並大抵の精神力の持ち主ならば脳が壊れてしまうだろう。

 …だが、モファの思考は時間を追うごとにより鋭く研ぎ澄まされていく。


 ――それを為すのは、(ひとえ)邪人(ダーク)への復讐心だった。


 "怒り"などという、生温い感情では無い。

 彼女は有するのは、既に死した少女への"執着"。


 眼前の醜く腐った気色の悪い暴君に、

 自身の寵愛するギルドメンバーが殺された。

 …彼女は、ただただ、その事実が、許せなかった。


『 ―――, Naaa…. 』

「おかえり、イム。()()()()()()()?」


 その時、彼女の傍でずっと固まっていたソレが動いた。

 『毒』の化身――イムは、モファの太腿に頬を寄せる。

 戦闘が始まって以来、冷たい仏頂面を保っていたモファの顔が少しだけ緩んだ。


『 Pyuii…, 』

「……っ、はぁ…、……」


 直後に、後方のリエルとキュペが地面に倒れた。

 同時にモファの巨大な妖術が形を保てずに崩壊する。

 『癒』の補助が切れ、維持が困難になったのだろう。

 辛そうに呼吸を繰り返す彼女らを見たモファは、呟く。


「……イム、キュペをお願いね。」

『 Naaaa. 』


 そうして、モファとイムは全速力で後退を始めた。

 彼女らは身体から力の抜けたキュペとリエルを担ぐと、

 ベイド達待機組を見据えて、溶けた大地を駆けて行く。


『 HAHAHA…!!!! 』


 さて、当然邪人(ダーク)は追撃を試みる。

 今の彼は、普段に比べれば比較的上機嫌であった。

 その理由は、モファとの撃ち合いが楽しかったから。

 流石は化物だ。"死"を間近に感じられる戦闘で、強い喜びを覚えていたらしい。


 例の如く、逃げる人間達に黒腕が向けられている。

 邪人(ダーク)はどちらかと云えば期待を抱いていたようだ。

 次はどんな強敵が現れて、己を楽しませてくれるのかと。

 他に類を見ない傲慢な態度で、迎撃を待ち望む化物へ…



『 ――――!!!!???? 』



 ――迫り来る猛炎は、恐怖を与えるに充分だった。




 ---




「リエルさんっ!」

「…あ、ヒシさん。久しぶりだねー。」

「大丈夫ですか、頭を打っていたりは…、」

「ふふっ、だいじょうぶ。…私、どうだった?」

「えぇ、ビックリするぐらい強かったです。」

「なら良かったー。結構特訓したんだよ。」


 生還したリエルにすぐさま駆け寄ったヒシ。

 彼女が崩れるように倒れたのが気掛かりだったのだろう。

 当の本人は妖力欠乏と貧血の症状がある様子だが、怪我も無く元気そうだった。


「…言っとくが、今回はリエルの志願だからな。」


 ベイドは、リエルの容態を気遣うヒシに言った。

 エフ森林遠征時のように自分が強制した訳では無いと、

 ヒシに責め立てられる前に明確にしたかったのだろう。


「分かってます。モファさんも近くに居ましたしね。」

「…今回は、私がリエルちゃんに無理させちゃったわね。」

「うぅん。ようやく私も、戦いの役に立てたから…!」

『 Pyuii♪ 』


 嬉しそうに、固く握った両手を掲げたリエル。

 その様子を見たキュペは笑い、…ヒシは表情を硬めた。


「…それで、俺の出番はいつですか?」

「あぁ、ヒシは…。…褐礫の後に頼む。」

「了解です。…本気の大技、でしたよね。」

「全力でぶちかましてくれ。」


 そう言葉を交わし、彼らは戦場へと目を向けた。



『 ……KUHAHAHA…!!!! 』



 焦熱地獄と化した、悍ましい光景へと。

 立ち込める噴炎を掻い潜りながら、攻撃を行う黒腕。

 立ち昇る業火を壁としながら、懸命に迎撃を行う卯杖。


 八十余名の卯杖メンバーには、当然ベリーも居た。

 ダラダラと汗を流す彼女は細剣に『風』を纏いながら、

 一本の黒腕を相手取り、…手首を断ち切って見せた。

 数ヶ月前とは見違える程の、素晴らしい戦闘だ。

 鋭い一撃から、弛まぬ努力を続けてきたことが窺える。


 だが、そんな少女よりも目を引く人物が一人。


「…アグニ。焼き尽くせ。」

『 ―――, ……Syuuu!!!! 』


 ――直後、黒腕が十本揃って灰と化した。


 そんな黒の灰を頭に被りながらも、構わず突き進む女性。

 右手に付いた惨い火傷痕を、想い出とばかりに振り回し。

 卯杖の証であるミサンガを、己の誇りとして掲げている。

 質実剛健。けれど人一倍情に厚く、人間らしさを備えた、

 つい最近まで、夢を追いかけ続けていた、彼女の名前は…


「…シロン。邪人(ダーク)――お前を殺す人間の名だ。」


『 HAHAHAHA!!!!! 』


 邪人(ダーク)は口元を三日月の如く歪めている。

 殺れるものなら殺ってみろ。――そう伝えるように。

 だが忘れるな。彼女は、狂暴な神を降した人間だ。


「―――《烈炎(れつえん)》」


 …その気になれば、本当に殺って退ける女だ。


 再び、シロンによって黒腕十本が焼け焦げた。

 だが、莫大な妖力を持つ邪人(ダーク)にはまだ余裕がある。

 …現に、今も『闇』で大量の腕を創り直している。


 ――距離を大幅に詰めさせる隙になるとも知らずに。


『 ――!!! ,…HAHA!!!! 』


 とは言え、邪人(ダーク)はまだ焦らない。

 多少実力が高かろうと、相手は所詮人間だ。

 化物の王者となりつつ自分に、敗北の目など存在しない。

 …などと、余裕綽々で考えていたのだろうが…。


『 Syuuu…!!! 』


 相手は、正式に"化物の頂点"だと認められた者だった。


『 ――HAAA!!!??? 』


 "自称王者"風情が妖術の質で勝れるはずが無いだろう。

 大量の黒腕がオシャカになった後に気付いても、遅い。

 シロンは既に、邪人(ダーク)の目前にまで迫っていたから。


「…………。」

『 ――!? ,HAAA!!! 』


 邪人(ダーク)は焦燥に駆られていた。

 それもそのはず。彼の知る人間は黒腕一発で沈む存在だ。

 総計三十本の黒腕が悉く燃え尽きるとは考えてなかった。

 まさか、シロンが此処まで辿り着ける実力者とは思っても無かったのだろう。


 ――だから、邪人(ダーク)は全ての黒腕を動かした。


 他の卯杖メンバーに割いていた黒腕を引き戻し、

 百本余りの妖術を以て、シロンを潰しに掛かったのだ。

 四方八方から迫る、漆黒の腕達。それを視たシロンは…


「―――《久遠(くおん)》…、」


 超圧縮された、白い炎の爆弾を創り出す。


 ――直後、超新星爆発の如き炎熱が夜空に放出された。


『 HAAA!!!??? 』


 それをモロに食らった百の黒腕は、当然消失した。

 のみならず、至近距離で爆発を受けた幻妖も傷を負い…

 焦げ付いた自身の顔を触りながら、惨い絶叫をしていた。


 その様子を、シロンは怒りを滲ませた瞳で視ている。

 そうだ。奴に殺された彼女の仲間達を思い出せ。

 最期まで気高く生きた仲間を、無慈悲に喰らった幻妖を…

 ―――この程度の苦痛で、許してしまっても良いのか?


「…やはり、お前は此処で死ぬべき存在だ…!」


 シロンは息を吐き、至宝とも呼べるその刀を構えた。


 スラリと反り曲がった刃は、品格を感じさせ。

 伝統を重んじる造形の柄は、高潔を匂わせていた。

 刀身にクッキリと現れた波模様は、険しい旅道のようで。

 …彼女が仲間達と歩んで来た、人生そのものにも視えた。


 与えられた名は――『白銀(はくぎん)


 何故炎を扱う彼女が、雪景色を思わせる名を付けたのか。

 その真意は、名付け親であるシロンにしか分からない。

 けれど、踏みしめた足跡がはっきり示される雪の世界は…

 彼女の瞳には、最も素晴らしい光景に映ったのだろう。


「……………。」


 真冬のような、冷たい瞳で仇敵を見つめながら。

 真夏のような、灼熱の心を胸中に燃え広がらせながら。

 『白銀』に、かつての仲間の意志を、確かに纏わせて…



「―――《烈炎(れつえん)》ッ!!!!」



 ――シロンは、邪人(ダーク)の全身を焼き焦がした。



『 HAAAAAAAA!!!!!????? 』


 響き渡るのは、炎に包まれた幻妖の悲鳴。

 その絶叫を聞きながら、シロンはその場で気を失った。

 無理もない。《久遠(くおん)》で大火傷を負った後の《烈炎(れつえん)》だ。

 彼女の体に蓄積された疲労と苦痛は、絶大だっただろう。

 これまで堪えていた疲弊が、安心感で押し寄せたらしい。


 …だが、残念だ。邪人(ダーク)は死んでいない。

 大負傷の中でも、受けた炎を少しずつ喰らいながら。

 業火に覆われながら、何とかその生命を繋いでいた。

 とは言え、先の火傷は彼が初めて負った物だった。

 "痛み"という物を味わった幻妖は、"餌"を求めた。

 己の傷を癒せるだけの、強力な力を秘めた食材が在れば…


『 HAAA…, ……HAHA…. 』


 ――丁度、目の前に転がってるじゃないか。


 シロンに、ゆっくりと、邪の手が伸びていく。

 触れれば細胞から喰らい尽くす、『闇』の腕だ。

 後数センチ。後数秒。――そこに、『光』の壁が現れた。


「……酷い怪我だネ、シロン。Youはよく頑張ったヨ。」


 颯爽と駆けつけ、シロンを間一髪で抱き上げたドリシェ。

 彼は、邪人(ダーク)に目もくれずに背中を向けて逃走をした。

 さて、これで目の前から餌が奪われるのは何回目か…。


『 ………HAAAA…, HAAAA???????? 』


 …邪人(ダーク)が、ブチ切れないはずも無かった。

 自らの身体に負った傷の痛みすら忘れ、『闇』を使い…

 シロンを抱えるドリシェへ、百の黒腕が迫って行く。



「……私達の出番ですねぇ。」



 ――吹き付けた暴風は、黒腕を纏めて消し散らした。




 ---




「…コイツはまた無茶しやがって…。」

「全くだヨ。もう少しで死ぬ所だった。」

「…けど、立派でした。本当に。」

「あぁ、Boy。そう言ってくれると嬉しいヨ。」

「けどこれじゃ、流石に二巡目は無理だな。」

「Umm…。申し訳無いが、卯杖はここまでだネ。」

「いや、問題無い。褐礫とヒシで確実に終わらせるぞ。」

「……えぇ。俺もそれが最善だと思います。」


 ベイドの言う通り、既に初期の作戦は崩壊しつつあった。

 長期戦想定で選択されたローテーションの案だったが、

 二周目を行うには、あまりに游蕩士達の消耗が激しい。

 数時間の休憩では回復しないような疲弊ぶりを見せる者が多数現れていたのだ。


 だが、作戦自体が失敗かと云われればそれは違う。


「犠牲者は今の所ゼロ。…朗報だな。」

「えぇ、邪人(ダーク)も相当な妖力を使ってます。」


 敵手の体力と妖力を削るという目論見は大成功だった。

 大技を放ち、戦線離脱。…つまり、『Hit and Away』。

 数の利を活かした古典的な作戦だが、これが良かった。

 幻妖に『闇』で回復させず、人類側の犠牲者は抑え、順調に敵方を削げている。


 求めていた最善とは云わずとも、上々の経過だ。

 それを確認し合ったヒシとベイドは、戦場を眺めた。



『 ……HAA, ……HAAAA…!!?? 』



 ――垂柳が邪人(ダーク)を圧倒する、劇的な最前線へと。


「C隊、妖術準備。B隊は下がりなさい。

 E隊は後二十秒ほど粘ってください。頼みましたよ。」


 垂柳の指揮を執るのは、当然リーダーのニュートだ。

 今回、垂柳から出された戦力はおよそ二百人。

 垂柳全構成員の五分の四にも及ぶ、大所帯だった。


 何故、ニュートがこの人数を引き連れてきたかは謎だ。

 エヴィル迷宮での犠牲者は、大部分が褐礫や卯杖だ。

 垂柳が然したる打撃を受けた訳でも無かっただろう。

 ならば、ニュートと仲の良い友人が死んだのか?

 …いや、彼個人が懇意にしていたのはゴウノアくらいだ。


 仇討ちでも無いのならば、何故この決戦に力を入れる?


「……C隊、撃て。」


 理由はシンプル。彼が、過去の己をタドクに重ねたから。


 仲間が死に逝くのを、指を(くわ)えて見ることしか出来ない。

 後悔だけを抱いて、独り街に帰還する。…そんな姿を。

 若き敗残兵を視て、心動かされぬ薄情な男では無かった。


「E隊、退却を。D隊はあの腕達を止めなさい。

 A隊、…私の妖術に合わせ、突撃です。構え。」


 この三週間、ニュートは一度もタドクを訪れなかった。

 それは、純粋に彼がタドクと交流を持っていないから。

 そして、…掛けるべき言葉が、見つからなかったから。


 ニュートは、タドクの悔しさを痛い程知っている。

 誰よりも苦しいのがタドクであると、理解している。

 己に、彼を励ます資格など宿っていないと分かっていた。


「………スゥ……。」


 この戦いは、ニュートの"償い"であり"自己満足"だった。

 二度と同じ悲劇を繰り返させないと新人游蕩士を鍛えて…

 それでも防ぎきれなかった大罪に対する、"贖罪"だった。


 せめて、この幻妖だけは消し飛ばさなければならないと。



「―――《息吹(いぶき)》」



 ――暴風を纏わせた『風』の矢を、力強く放った。


 宙を突き進む暴風の矢は、立ち塞がる黒腕を壊しながら…

 速度を一切緩めることなく、邪人(ダーク)を殺しに掛かった。

 直後、邪人(ダーク)本体の周囲で爆発的な土煙が巻き上がる。


「……HAAA…, …HAA…!!」


 暫くして晴れた視界の先には、荒い息を吐く幻妖が居た。

 奴の邪悪な『闇』を以てでも、喰い切れぬ程の妖術。

 それを数分おきに発動するニュートに、今の邪人(ダーク)は恐怖すら覚えていた。


「A隊、突撃。…食い荒らせ。」


 指令通り、垂柳が誇る四十人の戦士達が駆け出した。

 彼らが見据えるのは、邪悪で冒涜的な人型の幻妖だ。

 信愛する己がリーダーの為に、彼らは黒腕群を蹴散らす。


「――――、――――。」


 そんな実力者達の戦闘に立つのは、一人の少年だった。

 口を堅く閉ざし、けれども緑の瞳だけは爛々と輝かせ…

 何の気負いも無く、強敵との対面を純粋に喜んでいる者。


 ――垂柳のNo.3。…クリモだった。


 彼が引き連れているのは、一匹の小鯨だった。

 サミット迷宮の親玉であり、天鯨(ヘブン)と呼ばれる幻妖。

 『サーミン』と名付けられた、可愛らしい眷属だ。

 小型化したその容姿に、幻妖時代の威圧感は微塵も無い。

 …だが、大口から放たれる妖術の威力は未だ健在だった。


『 Voowwo…!!! 』


 サーミンが発動したのは『風』と『水』の合わせ技だ。

 惑星の果てに吹き付けるような、冷気を伴う旋風は…

 クリモに迫っていた数本の黒腕を凍てつかせて見せた。


 その事実を確認したクリモは、短剣に『無』を込めると…


「―――――。」


 ――無力な氷像に"波"を伝わせ、ボロボロに破壊した。


 切り開かれた突破口に、多数の游蕩士達が雪崩れ込む。

 彼らは、張り巡らされた黒腕に興味が無いようだった。

 ギラギラとした瞳が見つめるのは、幻妖の心臓だけだ。

 …さて、そんな垂柳メンバーの中に、他とは一風変わった少年の姿が在った。


「……ん…。」


 艶のある紺色の髪に、機能性の高そうな外套。

 垂柳メンバーに支給される緑色の腕輪は付けておらず、

 代わりとばかりに、右耳で青色のピアスが揺れていた。

 戦闘を突っ走るクリモに、まるで影の如く付き従い…

 今の今まで、何の違和感も無く闇に溶け込んでいた少年。



 ――紺糸の惑溺リーダー、ロット。



『 …!!! HAHAHA. 』


 彼の存在を最も早く察知したのは邪人(ダーク)だった。

 奴は、人間達の作戦をずっと早くから見抜いていた。

 自分に匹敵する強者(リーダー)は、一部隊に一人ずつだろうとも。

 だから、今回の二百人で警戒すべきはニュートだけだと。

 一番強い者を見極め、人類側の戦力に準じた黒腕の分配を正確に行っていた。


 …つまり、二人目の実力者が現れた現在は"異例"だ。


 作戦上では、垂柳の次が紺糸の順番だったはずだ。

 一足早いロットの投入で、流動的な戦況が生み出された。

 なるほど。これが人類側の切り札的戦略なのか。



「……ロット、何してんだアイツ…。」



 ――()。指揮官であるベイドは、戸惑っていた。

 ロットの突撃は、完全な想定外。イレギュラーだ。

 そもそもベイド達待機組は、彼に気付いてなかった。

 いつロットが戦場に飛び出したのかすら分からなかった。


 あまりに自分本位な動きだ。そう責め立てる声は――



『 HAAAAAAAA!!!!!????? 』



 ――()()()()()()邪人(ダーク)の絶叫により、掻き消された。


「……………。」


 それを為したのは、正に今噂されていた少年だ。

 彼が『闇』で喰らったのは、邪人(ダーク)本体の右腕。

 妖術で創られた黒腕で無い、正真正銘の肉体だった。

 つまり、そう簡単に復活する代物では無いという事であり

 邪人(ダーク)に確かな苦痛を齎す、人類史最大の一手だった。


「……ベイドさん。」

「あぁ、分かってる。」


 互いの眼を視ることも無く、ヒシとベイドは通じ合った。

 ニュートの狙撃があり、ロットの快進撃があるこの状況。

 敵が負っている傷は、シロンの烈火とテロスの超重力。


 …そして、ダメ押しの条件が一つ。


「モファ。イムの毒の効果が出るのは…。」

「アイツが人間と同じ構造なら、二十分。」


 戦闘中のモファの側に居た毒の精霊――イム。

 彼は、粘液(ポリア)と呼ばれる種族の特異な化物だった。

 身体を分断されようとも生命に支障を来すことは無く、

 その気になれば惑星を一周出来るまでに、体を薄く細く延ばすことも出来る。


 眷属と化したイムにも、その特性は健在だ。

 妖石という明確な急所が生まれはしたものの、

 物理耐性と肉体の自由度は全化物でもトップに君臨する。


 例えば、細く延ばした身体の一部を土に潜らせたり。

 例えば、敵に気付かれること無く小細工が出来たり。

 例えば、ノーリスクで強力な幻妖に『毒』を刺せたり。


 …ヒシは、その超人的な動体視力を以て捉えていた。

 モファが『毒』で『闇』の腕を次々と墜としている最中。

 邪人(ダーク)の足元から這い出たイムの触手が、奴に()()()()()()()()()場面を。


「……ヒシ。準備しとけ。」

「了解です、ご武運を。」


 …幸運なことにも、条件は揃っていた。

 千載一遇のチャンス。後は、踏み切る勇気だけだった。


「…何の為の指揮官だって話だよな…。」


 ……どうやら、覚悟は決まったようだ。



「 褐礫、出陣だ!! 確実にここで殺り切るぞ!!! 」



 人類の命運を賭けた、最初の決戦が始まった。




 ---




「――モズク~? まだ~?」

「もうちょっと耐えてくれッ…!」

「一秒で金貨一枚、よろしくね!」


 三本の黒腕を受け止めているのは、スイレンの氷柱だ。

 黒腕達には、それぞれ十数本の矢が突き刺さっている。

 きっと、氷が壊れそうになる度に、継ぎ足しながら何とか抑えているのだろう。


「……よし…、――ハアッ!!」


 そんな黒腕達を、モズクは『火』で焼き尽くした。

 準備に三十秒ほどの時間を掛けた、渾身の一撃だ。

 凡庸で、けれども着実に。豪快な炎は、モズクという男の性格に似合っていた。



 ◇



「……………。」


 フヅキは、八本の黒腕に命を狙われていた。

 他の者達に比べると異常なまでの警戒具合だが、

 邪人(ダーク)の幻妖としての勘は、正しいのだろう。


「…んっ、」


 フヅキの初撃は、二つの手首を切り落とした。

 続いて切り返された刃は、十二の指を宙へ飛ばした。

 フヅキが剣を鞘へ仕舞った時、一つの腕が消失した。


「―――《紙散(しさん)》」


 ――発動した妖術は、黒腕の残党を纏めて吹き散らした。


 仕事を終えて一息吐いたフヅキは、顔を上げた。

 彼女の無機質な瞳に映るのは、二十本の黒腕群だ。

 先程墜とした物の二倍以上が、彼女に迫って来ていた。


 当然、その程度の妖術はフヅキの障壁にもならない。

 こんなゴミ掃除、…彼女の野望に比べれば容易かった。



 ◇



 邪人(ダーク)は、これ以上無いくらい焦っていた。

 奴は、己の妖力量に圧倒的なまでの自信が有った。

 持ち合わせている分は勿論、敵からも奪えたからだ。

 尽きることなど有り得ないだろうと、…勘違いしていた。


 ――邪人(ダーク)がこの戦闘で仕留めた人間の数は、ゼロだ。


 幾ら莫大な妖力を有するとは言え、所詮は幻妖。

 『闇』の妖力消費量は絶大で、今は長期戦の最中。

 妖力の補給を封じられた一般幻妖の邪人(ダーク)に、勝ち筋は殆ど残ってなかった。


「―――《万喰(よろづぐい)》」

『 ――!!?? ,HAAAAAA…!!!! 』


 邪人(ダーク)の左腕が、ロットによって喰われた。

 皮肉な物だ。今までは捕食者だった化物が、今は唯の餌。

 為す術無く喰われるだけの存在に成り下がったのだから。


「―――《砕界(さいかい)》ッ!!」

『 …KUHA…, …HAA…HAAA…!! 』


 邪人(ダーク)の脳天に、巨大な岩石が激突した。

 奴が人型の化物に進化したのは、失策だとしか言えない。

 身体中に存在する弱点。貧弱な四肢。重たい頭部。

 人間というのはどうしようもなく脆い生き物なのだ。

 世界にはもっと優れた化物が存在すると云うのに…。


「―――《息吹(いぶき)》」

『 HAAAAAAA!!!??? 』


 邪人(ダーク)の心臓を、暴風の矢が射止めた。

 …これは勝負アリか。間違いなく致命傷だろう。

 例えば、これまでで少しでも栄養分を得れていれば…。

 それを肉体に変換し、簡単に腕を再生出来ただろうが。

 生憎と、邪人(ダーク)は空腹状態だ。奴のデカい胃は空っぽ。

 今や奴の糧となる物質など何処にも存在していなかった。


『 HAAAA……!!!! 』


「……あぁ。…《(さい)…》――」



 ◇



 ヒシは、待機する人類達の上空に浮かんでいた。

 ただ『光』の床を創ってそこに立っていただけだが。

 それでも、人間には"天使"のように視えたことだろう。


 この三週間、彼はリフィの元で修業を重ねて来た。

 師匠は『光』を扱う化物で頂点に君臨する存在だ。

 当然『光』に対する知見は深く、教えも上手かった。

 三週間前に比べれば、ヒシの実力は飛躍している。


 さて、その中でも最も効果があったのは"光壁"の操作だ。

 美しい黄色に発光する半透明の壁、質量は限りなくゼロ。

 変幻自在に形状を操れる、或る意味『光』の真骨頂とも言える活用方法だった。


 従来のヒシは、光壁を空中に設置していた。

 足場とも強力な盾ともなる、万能の妖術として。

 だが、"位置を動かす"という使い方には至っていない。

 精神力と妖力の摩耗を恐れて、手を出していなかった。

 光の精霊戦で、とっくに気付いていたというのに…。



 ―――光壁は、武器と成る。



「…………ふぅ……。」


 星空に創造されたのは、巨大な光壁だった。

 ヒシが、サミット迷宮で見せた物にも似た、()()だ。

 だが、あの時とは規模も用途も全く異なっている。


 街一つを軽く覆ってしまう程に広大で。

 成人男性の身長に匹敵する程の厚さを持つ。

 一枚の地層をそのまま剥がし取ったかのようだ。

 誰の眼から見ても、その頑丈さは明らかだっただろう。

 後はこれを忌々しき幻妖に叩きつけるだけだった。

 それだけで、この戦いは終わりを迎えるはずだった。



「………え?」



 …ヒシが立っているのは、戦場から数キロ離れた空中だ。

 多少の月明かりは在れど、今は真夜中。辺りは暗い。

 通常ならば戦場の様子など米粒のようにしか見えないが、

 ヒシは、『光』の化物として桁外れの視力を持っていた。


 彼は、黒腕に立ち向かう游蕩士達を視た。

 彼は、最前線で闘い続ける無口な同期を視た。

 彼は、幻妖を殺しに掛かるギルドリーダー達を視た。

 彼は、腕も脚も欠けた、瀕死で、漆黒の、化物を視た。





 邪人(ダーク)が咥えていたのは、人間の腕だった。





 何処から持って来たのだろうか。

 名が知れた游蕩士達に、腕を失っている者は居ない。

 となれば、然して有名でも無い人間の腕なのだろう。

 戦場を探せば、本来の持ち主が見つかるだろうが…。

 そんなことを考える余裕は、人類に与えられなかった。


 邪人(ダーク)が大量に腕を創る為、感覚が狂っているが…

 "腕"というのは、独りの人間に唯一無二の部位である。

 人間として活動する為には決して欠かせない物であり、

 もしも失いでもすれば、そう簡単に蘇る物では無い。

 一言に表してしまうなら、計り知れぬ程"貴重"なのだ。


 邪人(ダーク)はソレを咀嚼し、飲み込んだ。

 久方ぶりに喰らう人間の肉だ。奴は満足気だった。

 恍惚とした表情で、至福に溺れ、…更なる餌を求めた。


 邪人(ダーク)は瞬時に最も弱い敵を見極めると…

 腕一本で得た妖力を全て使い、その人間を叩き潰した。

 そうして、奴本体に送られたのは人間一人分の妖力だ。

 邪人(ダーク)は戦場を見回し、次に弱い三人に狙いを付け、それを纏めて喰らった。



 三人分の妖力で、五人の命が消えた。


 五人分の妖力で、十人の身体が消し飛んだ。


 十人分の妖力で、小隊一つが丸ごと喰われた。



 体内で無限の増殖を行う"悪性腫瘍"が如く。

 健全な生命が、穢れた黒腕によって冒されていく。

 とは云え、"悪"かどうかを議論する余地は無かった。


 大切なのは、始まってしまった殺戮の嵐をどうするか。

 邪悪の化身が有する、尽きることの無い食欲に対し…

 人類は、一体どう対処していくかという問題だった。




 …あぁ、結論から言おう。――()()()()()()()




 ---




 シロンは長い眠りから眼を覚ました。

 身体に焼けるような痛みが絶えず走っている。

 それはそうだ。彼女は《久遠(くおん)》を使ったのだから。

 制御しきれぬ妖術など、ただの自爆と相違ない。

 結果として命が有るのは幸運としか云えないだろう。


「………ん……、」


 起きた直後、彼女の耳に入ったのは騒音だった。

 何かが空を切る音と、酷い悲鳴と、不快な笑い声。

 それらにうなされながら、シロンはようやく瞼を開いた。


「――シロン、…無事みたいだネ。」


 シロンには、世界が倒れているように視えただろう。

 実際に伏しているのは彼女で、口には砂利が入っていた。

 その不快感に顔を顰めながら、シロンはドリシェを見た。



 ――黒腕に下半身を貪られる、ドリシェを視た。



 急速に、シロンの脳が回転を始める。

 自身が寝ていた時間の長さ。現在の戦況。

 それらを瞬時に理解して、…彼女は、呆然とした。


「…シロン、ミーはこの四年間、幸せだったヨ。」


「待て、ドリシェ。喋るな。口を閉じろ。」


「<罪の劫火>で、嫁も子も失って、絶望したさ。」


「…ドリシェ、頼む、…まだ、助かるから…、」


「お腹の子が生まれていれば、ちょうど二十歳。

 Ah、シロン。君と同い年ってことに、なるんだネ。」


「……お願いだ…、…私を、置いてかないでくれ…。」


「シロン。本当に、我が子のようだったヨ。

 強くて、優しくて、とっても良い子だった。

 キミに出会えただけでも、ミーの人生に意味は在った。」


「…私も、そうだった…!! ドリシェ!!!」


 柄にもなく涙を流すシロンに、ドリシェは微笑んだ。

 たったの四年。されど、宝物のような四年だっただろう。

 己の道を探求し続けた少女に、最大の祈りを捧げながら…



「――シロン、強く生きるんだヨ。」



 ―――後悔浮かばせぬ顔で、男は邪人(ダーク)に喰われた。



 ◇



「…バカなこと、しやがって…!!!!!」

「…っ、全く、馬鹿は君さ…、テロス。」


 テロスは、血を垂れ流すマネドに怒鳴っていた。

 籠る感情は憎しみなどでは無く、ただの悲しみだ。

 妖術の反動でまともに動けなかった自分を庇って

 黒腕に左腕を消されたマネドに対し、テロスはかつてない程の声で吠えた。


「…ハァ…、因果なものだね…。

 今度はワタシが左手を失ってしまった…。」


 首を動かして手の断面を眺めるマネド。

 その様子を見たテロスは、力強く歯軋りした。


 テロスの左腕の再生には、幾つかの条件があった。

 一つ、癒の精霊。…リエルに頼めば恐らく達成可能。

 一つ、高濃度の妖力場。…工夫次第で誰でも可能だろう。

 一つ、切り離された腕。…テロスの時は、腐敗しないようヒシが保管していた。


 さて、マネドの腕は邪人(ダーク)の胃の中だ。

 或いは、既に妖力へ変換され終わっている頃だろうか。

 全てを知る者として断言しよう。修復は()()()だった。


「…ッ!! 腕は治んねぇかもしんねぇけど!!

 まだ死んではねぇだろ!! 諦めようとすんな!!!」


「いいや。無理さ、テロス。…コレは、助からない。」


「分かんねぇだろッ!! 意識は手放すなよ!!!」


 確かに、マネドの傷はかなり深刻だった。

 戦場で出来る程度の応急手当じゃ、止血しきれない。

 それに、…彼らの背後からは黒腕も迫っていたから。


「…フゥ…、なぁ、テロス。よく聞いてくれ。

 何度も言うが…、やはり、団長に相応しいのは君だよ。

 君には信頼も、指揮力も、戦闘力も、…全て在る。

 ワタシは結局、団長として、何も出来ちゃいなかった。」


「黙ってろって言ってんだ!! 傷が広がるだろ!!!」


「…ワタシの後を継ぐべきは、テロス、君さ。

 だから、早く逃げろ。…君じゃ、ソレは止められない。」


 その通り。テロスには『闇』の腕を止める術が無い。

 剣で殴りかかれば、鉄の刃は容赦なく喰われるだろう。

 かと言って、遠距離から攻撃する妖術は持ってなかった。

 …無いことは無いが、それを使えばテロスも死ぬだろう。


 即ち、詰み。…それも、黒腕の狙い通りだった。

 彼に取れる選択はマネドを置いて逃げることだけだ。



「――《気迫(きはく)》!!!!」



 ――その声と共に、黒腕がボロボロと崩壊した。

 眼を見開き驚くテロスの横をすり抜けたのは、一人の男。

 名はミドル。人類最強の、『封』の使い手だった。


 マネドの傷口に、ミドルは手の平を(かざ)した。

 直後、灰色の指輪が優しく光ったかと思うと…

 "出血"という自然の流れを、完璧に抑えてみせた。


「…血は止めた。大丈夫、お前は助かるぞ。」

「…あぁ…、ワタシじゃ、止められなかったのに…。」

「へへっ、やっぱりまだまだヒヨッコだな!

 今日生き延びて、帰ったら猛特訓でもしやがれ!」


 緊張が解けたマネドと、呆れたように笑ったミドル。

 テロスは頬を叩き、マネドの身体をしっかりと背負った。


「テロス、ちゃんとそいつのこと生かせよ~!」

「…分かってる!! …絶対、死なせねぇ。」

「んじゃ、俺はまだやること残ってっから!」


 互いに背中を向けて駆け出したテロスとミドル。

 テロスの顔に浮かぶのは、防衛士としての覚悟。

 ミドルの顔に浮かぶのは、微笑みも安堵も捨てた、至極冷徹な怒りだった。



 ◇



 ヒシは独り、地獄と化した戦場を駆け抜けた。

 恐怖で退却を始める游蕩士達とは逆向きに。

 正面から迫り来る黒腕群を『光』で消し飛ばして。

 逃げ遅れた少年達を分厚い光壁で護ってあげながら。


 惨状が広がっているであろう最前線を目指した。


 リフィとは、とっくの昔に別れていた。

 あの狐も"守護"の精霊として奔走していることだろう。

 それでも、夥しい数の死体が幻妖に喰われて行ったが。


 さて、数分で最前線まで辿り着いたヒシは…



「……クソが…、」



 邪人(ダーク)に両脚を喰われた、ベイドの姿を視た。


「――、―――!!!!!」

「…ベイド、っ!!」

「…っ…、《息吹(いぶき)》ッ!」


 仲間の負傷に、声にならない声を出すクリモ。

 数十の黒腕を相手取りながら、焦りを見せたロット。

 一瞬だけ顔を歪め、すぐさま気を取り直したニュート。



『 HAHAHAHAHA!!!! 』



 ――そして、自由自在に空を飛ぶ邪人(ダーク)が居た。


 数多の餌を取り込み、完全な復活を遂げた邪人(ダーク)

 テロスによる大怪我も、モファによる中毒も、

 シロンによる火傷も、ロットによる四肢の欠損も、

 ニュートによって心臓に空けられた空洞も、…()()()()


 人間を喰らい続け、無限に養分が流れ込むのだから。


 三週間前、邪人(ダーク)は学んだ。

 敵には、空を駆ける少年が居るということを。

 自身もそれに対応する必要があるということを。

 だから、黒腕を駆使して空を飛ぶ術を収得してみせた。

 道中で喰らった大鳥の群れから、恐らく知識を奪い取りでもしたのだろう。


『 KUHAHAHAHAHA!!!!!! 』


 現在の邪人(ダーク)は、無敵だった。

 醜く地上を這うだけだった、あの時とは違う。


 "波"を直接身体に流し込まれる心配も無く。

 『闇』はより優れた『闇』で押し潰してしまえる。

 『風』の矢など、肌を軽く刺激するそよ風に等しい。


 『地』を扱うベイドから殺ったのは、作為的だった。

 未だ対空手段を持たない、下等な生物を嘲笑う為に。

 大地にしがみつくことしか出来ぬ哀れな弱者から…

 敢えてその両脚を削り取り、二度と美しい地上に立てないようにしてみせた。


 母なる大地を武器にして戦うベイド――


『 HAHA…, …KUHAHAHAHA…!!!!!!! 』


 彼から『地』を奪い取った邪人(ダーク)は、口元を歪めた。


 邪悪の化身は、眼下をぐるりと眺める。

 目的は勿論、次に喰らう相手を見定める為だ。

 無口な青年? 長髪の男性? 小柄な少年? いや…。


 自身の食を盗み取った、『光』の化物が居るではないか。



「――っ!!! ―――《陽日(はるひ)》っ!!!」



 耐え難い殺気を向けられたヒシの行動は速かった。

 愛剣『星影』を鞘に仕舞い、流れるように針剣を抜き、

 対遠距離最強の妖術を邪人(ダーク)の顔面に向けて放った。


 その妖術は、三週間前、黒腕を見事に貫いたはずだ。

 『闇』の塊である邪人(ダーク)に高い威力を誇ったはずだ。

 ヒシの狙いは精確で、凝縮した光は確実に頭部を焼いた。


『 ―――HAHA. 』


 …否。邪人(ダーク)の大口に飲み込まれていった。


 一体どれだけのエネルギーだと思っている?

 どれだけの熱量が籠っていたと思っている?

 恒星一つを丸ごと喰らい尽くしたような物だ。

 …あぁ、今の邪人(ダーク)にはそれが可能だった。


 さて、大技を放ち、反動で数瞬の硬直を見せるヒシ。

 漆黒の幻妖は嬉しそうに口を歪め、一本の黒腕を伸ばし…



 ―――ヒシの両眼を、くり抜いた。



「……っ、あ"ぁ"ッ!!!!」

『 HAHAHA, ――HAHAHAHA!!!!!! 』


 『光』の化物から瞳を奪うという行為。

 敵手の全てを否定するような、冒涜的な行いだった。

 だからこそ、邪人(ダーク)にとっては楽しくて仕方が無い。


 くだらない信念や誇りという物を、握り潰すのが。

 高貴な存在を貶めるのが。弱者を甚振り尽くすのが。

 それら全てを喰らう瞬間が、生き甲斐だと言うように。



 邪人(ダーク)は高笑いをし、…更なる進化を始めた。



 ゴキゴキと、鈍い音が人間達の鼓膜を震わせた。

 人型だった邪人(ダーク)の肉体に、亀裂が走っていく。

 普通の生物ならば、この時点で死んでいるだろう。

 だが、コイツは違う。原初より、そういう設計だから。

 幾重の雑種を喰い、生物としての優れた点を寄せ集め…

 より高次の化物へと、自身を作り替えて進化させていく。

 邪悪と絶望の化身として、星に生まれ落とされた化物。

 …ただソレは、既に生み親の想定の範疇を超えていた。


 邪人(ダーク)は、誰に求められるでも無く"神"と成った。


 …其処には、生物として認可されぬ程の異形が在った。

 垂れ流される漆黒のヘドロは大地をも抉り取り。

 群がるように生えた黒腕は獲物を求めて宙を漂っている。

 眼も無く、脚も無く、口も無い。頭部も、心臓も無い。

 泥を固めて作ったような黒い肉塊だけが、視認出来た。


 下手をすれば、小さな山くらいはありそうな巨大な塊。

 吐き気を催すソレは、空中にふよふよと浮かんでいた。

 最早、私ですらどの原理で動いているのか分からない。

 意思が有るのか、感情が残っているのかも分からない。

 確実なのは、ソイツの食欲が消えていないことだけだ。



 ――邪神(ダーク)…その名に相応しく、闇を齎す存在だった。



『 縺繧,蟆代*縺,鬟溘∋繧.??? 』


「「「 ――!!!!! 」」」


 邪神(ダーク)が何を伝えたいのか、誰も分からない。

 けれど、何をしようとしているのかは全員が分かった。


 邪神(ダーク)が何処を向いているのか、分からない。

 けれど、その興味が誰に向けられているかは分かった。


 ソレの真下に立つのは、五人の男達だ。


 脚を奪われた一人。瞳を喰われた一人。

 頭上に広がる暗闇を目にして、絶望した三人。

 誰にも、その禍々しき物体と戦う意志は宿らなかった。

 戦った所で全て貪られるだけだと、脳が理解していた。


 さて、肉料理(ニンゲン)を平らげた捕食者が、次に求めるのは?

 …"失意"という名の、あまりにも甘美なデザートだ。



『 繝上ワ,鄒主袖縺励#縺.?!?? 』



 ――邪を司る神は、自慢の黒腕を地上に振り下ろした。




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 脳回路が音を立てて壊れている。

 本来、人間が扱える代物では無いのだろう。

 化物の中でも、素質を持ったほんの一部が使う妖術。

 多少適性が在るからと云えど、相当な負荷が掛かる。

 命を擦り減らして使っているのだと、自覚はあった。


 ―――それの何が問題なんだ?


 四十の死体の上に、俺が立たされた理由を思い出せ。

 何故、そこに立つのは俺でなければならなかった?

 あぁ、皆が言っている。必要なのは、勝利への執着だと。

 何を犠牲にしても"勝つ"という覚悟が大切なのだと。

 彼女を殺された。地位を捨てた。友も上司も拒んだ。

 外的要因/内的要因で、あらゆる物を失ってきたのだ。

 積んだ犠牲は山のようで。けど、後一段分足りなかった。


 ―――自分自身の命を捧げること。それだけだ。


 なぁ、もう良いだろ。

 神なんざ、この世に存在しねぇよ。

 祈りも、誓いも、何も必要ねぇんだ。

 復讐を果たしたいなら、自分で動くだけだ。

 あの化物を殺して、"神"とやらを俺が否定して。

 それで、全部終いにしよう。それで、充分じゃねぇか。

 …ツバナ、終わらせたら、すぐ行くから、待ってろよ。




「――――目を醒ませ。」




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