第三十六話 光の精霊
狐は、自身の失錯をどこか他人事のように眺めていた。
消えた下半身、吸われ続ける妖力、それを嘲笑う敵手。
巨大な漆黒の両腕から逃れる力は、最早残っていない。
――呆気の無い最期だな。…そんなことを思いながら。
狐…『リフィ』は、永い生涯の幕切れを静かに待った。
『 ………Kyuu? 』
けれど、彼が幾ら覚悟を決めようと、その瞬間は来ない。
身体は冷たくなるどころか、何故か温まり始めていた。
触覚を刺激するのは、包み込むような優しい抱擁だ。
嗅覚を刺激するのは、何十年前かに別れを告げたはずの懐かしい匂いだ。
…彼が眼を開いた先には、少年の顔が在った。
『 …Kyuun……, 』
「…大丈夫、掴まってて。」
その一言でリフィは現状の全てを理解した。
自分はこの少年に窮地を救ってもらったのだと。
闘争的な化物と云えど、やはり血は争えないのだと。
…己の主は、命尽きる時まで責務を果たし遂げたのだと。
『 ――Haaaa…???? 』
邪子の冷え切った声が世界中に響いた。
奴が自身の食事を邪魔されるのは、これで三回目。
それも、全てこの二十四時間で起こった出来事だ。
こうも不幸が続くのは、未だ心が幼い幻妖にとって耐え難い苦痛であるらしい。
『 …Haaaaa……, 』
不満のみから成る溜息が吐き出された。
地獄にも似た純黒の口元を小さな楕円に変形させながら
無表情の邪子は、冷酷に漆黒の両腕を振り上げた。
「―――っ!!!!」
数瞬と経たぬ後、ヒシの耳朶が噛み千切られた。
『闇』で模られた一本の腕が彼の耳元を掠めただけだが。
もしも彼が首を傾げていなければ喰われるのは脳だった。
瞳で捉えることなく、妖力の気配だけで回避を成功させた点は確かに見事だ。
…だが、忘れるな。邪子が持つ腕は二本だ。
「……!!!」
『 HaHa!! 』
空を跳ぶヒシは、頭上から迫る『闇』の塊に気が付いた。
それは、ブクブクに肥えた邪子の左腕だった。
嘸かしリフィの濃密な妖力が美味しかったのだろう。
蓄えた大量の妖力により、今の邪子は思う存分『闇』を使うことが出来た。
……その程度で終わるほど、ヒシは弱くなかった。
彼は乱れぬ動作で針剣を引き抜くと、先端を空に向け…
「―――《陽日》!」
――凝縮した『光』で、漆黒の腕をぶち抜いた。
ほんの少し、驚きと恐れを抱いた邪子。
奴が怯んだその数瞬の隙を見逃さず、ヒシは逃げた。
『 ――Haaaa?????? 』
脇目も振らず、恥を覚えた様子も見せず。
宿敵を前にして、背中を見せながら退却していく少年。
その様子を、邪子は底無しの憎悪を以て睨んでいた。
――弱腰の雑魚に世界最高峰の食材を奪われた。
"食べ物の恨みは怖い"――とはよく言うが、
人間同士の諍いなど、奴の怒りに比べれば可愛い物だ。
ヒシの顔は殺害対象のリストに刻み込まれたことだろう。
邪子はヒシの全てを喰い尽くすと心に決めた。髪の毛一本に至るまでだ。
『 ………………. 』
だが、幸か不幸か。…或いは、大凶か。
地上を這う幻妖に、空を駆ける手段は未だ無かった。
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数十分、いや数時間。俺は夜空を走り続けた。
あの幻妖が対空手段を持っていないのは知っている。
一度射程距離から脱せれば、完璧な安全を確保出来る。
既に脅威は去ったと、窮地を凌いだと知りながら。
…奴から距離を取り続けなければ落ち着かなかった。
「……ッ、限界かな…。」
それでも、俺の妖力は有限だ。
エヴィル迷宮までに約五時間『光』を使い続け、
邪子に対して最大出力の《陽日》で立ち向かった。
妖力だけで無く、精神的,肉体的にもキツイ部分はある。
論理的に考えて、此処で一旦休憩を挟むべきだろう。
…感情だけで妖力を無駄遣いした奴の台詞では無いか。
「―――、……はー…。」
少しずつ高度を落とし、転がるようにして着地した。
腕に抱えていた物体を地面に下ろし、深く息を吐く。
未だに心臓が激しく鳴っている。指の震えが止まらない。
ここまでの恐怖を感じたのは何ヶ月ぶりだろうか。
…あぁ、奇縁か。俺は前に似た恐怖を味わわされている。
『 Kyaunn……. 』
――他ならぬ、光の精霊によって。
その相手を命懸けで助け出したのだから、不思議だ。
傍観するつもりが、気が付けば死地へ飛び出していた。
何と無く、救わなければならないと思ってしまった。
我ながら、アレは正気の沙汰じゃ無かったと思う。
結果的に成功したから良いが、流石に命知らず過ぎだ。
冷静さを欠いていたのは素直に反省するべき点だろう。
「…ふはぁ…、――無事?」
光の精霊にそう訊くと、彼は小さく頷いた。
まぁ何はともあれだ。最悪の事態だけは免れたたしい。
奴に精霊を喰われるのは、俺達にとっても好ましくない。
精霊は妖力の権化だ。ソレを吸収した幻妖など、愈々手が付けられなくなる。
『 ……Kyuun…?? 』
思考を巡らせながら光の精霊を見つめていると、
彼は訝しむような様子で小さな狐顔を斜めに傾げた。
普段の高貴さを消した、愛くるしい小動物の姿が在る。
そのギャップに心を揺り動かされながらも、俺は今後取るべき対応を考えた。
「………………。」
まず注目すべきは光の精霊の下半身。
俺が観た時点で、邪子に喰われていた部分だ。
だが現時点で何の傷跡も残さず、完璧に再生済みだ。
これは彼が俺のような特異体質に有るという訳では無く、
既に契約が交わされた個体――眷属という事に起因する。
――その事実自体は三ヶ月前に確認していた。
今日の出来事で、改めて推測の確実性が高まっただけだ。
眷属は妖石に損害を受ければ二度と復活出来ないから…
後数センチ邪子の攻撃がズレていれば、彼は本当の意味で死んでいた。
数時間前、コイツは確実に死に掛けていた。
…だとしたら、何故ここまで冷静に居られるのか。
まるで、自分の生死に全くの関心を寄せていないようだ。
『 Kyuu……, 』
一旦、そっちの疑問は遠くへ放り投げる。
俺が気になっているのは、コイツの主の存在だ。
前回も今回も、コイツは独りで行動していた。
眷属というのは、主が居て初めて成り立つ状態だ。
言い方は悪いが、眷属は主公の所有物という扱いになる。
――精霊を放し飼いにしている何者かが存在する。
これは憶測でしか無いが、人類では無いだろう。
今の人間達に、この化物を服従させられる者は居ない。
それに、ベイドが大々的に精霊収集を行っているのだ。
もし精霊を保有する者が現れれば、即座に褐礫の下へ情報が伝達されるだろう。
光の精霊を従え得る可能性を持つ者を弾き出す。
真っ先に頭に思い浮かんだのは、ユメハだ。
少し話しただけだが、彼には底知れぬ実力が有った。
鮮明な自負に満ち溢れた、面妖な雰囲気の男性だ。
…だが、彼はエヴィル迷宮の犠牲者だったか。
次に候補として考えられるのは、オミナス。
呼称以外、俺は彼女の情報を何も持っていない。
目的も年齢も妖術も、何もかもが謎に包まれている。
…しかし、"俗世には不干渉"というスタンスの人だ。
下等な生物達を高みから見下ろすような、第三者的位置。
彼女は、人間や化物という括りから外れた異形の怪物という気がしてならない。
だとすれば、人型化物――マグラやガドか。
確かに、彼ら二人は精霊にも匹敵する力の持ち主だ。
光の精霊とも交流が在りそうな雰囲気ではあった。
…けど、片や人間を憎む者。片や暴虐を抑える者だ。
激しく衝突する二者間に、神の如き精霊が入り込む余地も必要性も無さそうだ。
――そもそも、この精霊の目的が不明だ。
何故、三ヶ月前に俺の命を狙った。
何故、命を賭して邪子と闘っていた。
何故、大切な物を喪失したような無気力顔をしている。
…"守護"の精霊として、何奴から何奴を守っているんだ?
……あ、そうか。――直接聞けば良いのか。
「――光の精霊、君は何?」
この問いは、コイツが俺に訊いてきたことだ。
――『 What Are You. 』…難しい質問だと思う。
己が何物かを探求する学問が世に存在するくらいだ。
光の精霊が人類の言語を解しているのは確実。
人型で無い化物としては、最高位の知能を持つだろう。
後は、応えるに足る質問であると判断してくれるか……
『 Kyaun. 』
――空中に、『光』の線で文字が書き出されていく。
『 I am 』から始まる、文法の整った美しい文章だ。
傑作と名高い長編小説を読んでいるような気分になる。
俺の意識は、彼が綴る壮絶な物語に引き込まれていった。
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妖星歴:二二七年。
力の精霊が大陸を整地してしまってから幾何か後。
癒の精霊が眠りに就いてから百年の時が流れた頃。
水の精霊がディプバーレを滅ぼすよりも百年も前。
地の精霊がエフ森林を治めた瞬間より二百年も前。
封の精霊が人形遊びに夢中になるより三百年も前。
――■■狐は林の中で瞳を醒ました。
此処はどこなのか。いつから其処に居たのか。
己は誰に生み出され、何の使命が与えられているのか。
狐は枯れ葉に身を預けながら、永遠の思索に耽った。
気付けば辺りは白色に染まり、生物達は消えていた。
気付けば辺りは桃色に染まり、新たな命が芽生えていた。
気付けば辺りは緑色に染まり、健やかな草花が視えた。
気付けば辺りは橙色に染まり、狐は再び枯れ葉を観た。
そうして訪れた、二度目の花びら咲き誇る季節。
鮮やかな景色の中に、狐の知らない生物が在った。
今まで出会った生物とは違う、知性を持った動物だ。
三つのそれらは、狐を見るや否や走り去って行った。
未知との遭遇。狐は思考を駆け巡らせた。
もしかすると、自分は彼らの領地に入ったのか。
もしかすると、自分は始末されてしまうのでは無いか。
だが、可能性を列挙する間にも未知の生命体達は幾度と無く狐の元を訪れた。
訪問する彼らを視る度に、狐は知識を付けた。
夏風が吹く頃、彼らが己に友好的であると知った。
秋風が吹く頃、彼らは狐を崇める為の小屋を造った。
冬風が吹く頃、狐は彼らの参拝を待ち望んでいた。
春風が吹く頃、狐は彼らの言語を完璧に理解した。
人間、或いは人類と呼ばれる存在を、狐は慕った。
己が崇敬の対象だということを受け入れ、望んだ。
狐は人間達との絶妙な距離感を好ましく思っていた。
彼らは時折、狐に願望や希望を持ち掛けた。
『豊作』『祟り神』『子宝』『化物』『息災』
中には狐が手に負えない案件も含まれていたが、
狐は出来る限りの要望を叶えようと努めていた。
そんな狐に対し人間達は最大の敬意を示したし、"守護神"として讃え祭った。
――不死蛇が破壊の限りを尽くすまでは。
或る冬の日。轟音を聞いた狐は村へと下りた。
本来民家が並ぶ場所には、巨大な窪みが在った。
本来田畑を耕す場所には、惨い毒沼が広がっていた。
本来子供が遊ぶ場所には、焼け焦げた塊が転がっていた。
狐が集落跡地を見渡す限り、生存者は居ない。
九つの頭を持つ蛇だけが、荒野に独り佇んでいた。
残忍な怪物は失意の狐を見つけると、大きく笑った。
――■■狐は泣きながら怪物に立ち向かった。
燃え盛る首を落とした。…眩く輝く首が生えた。
嵐を纏う首を落とした。…破滅を促す首が生えた。
絶対零度の首を落とした。…狐を妨げる首が生えた。
苦雨凄風の首を落とした。…厚皮を張る首が生えた。
星々を殺す首を落とした。…未来を読む首が生えた。
美しい白色の瞳に猛毒を浴びて。
異様に強くなった重力に脚を砕かれて。
降り注いだ落雷で体中の毛を散らされて。
万物を永遠に解けぬ石に変えてしまう咆哮を受けて。
――再起不能になった狐は、…■姫を視た。
初め、狐は姫のことを生き残りだと認識した。
流水のように清らかな衣装を纏う姫を、救おうとした。
しかし、狐はすぐに己の浅ましい誤解を恥じる。
…蛇の首を二本弾き飛ばした姫の姿を視たからだ。
更に、蛇の首がそれ以上増殖することは無かった。
狐は期待した、姫が忌々しき怪物を仕留める未来を。
だが、蛇を檻に閉じ込めた姫を視て、その考えは変わる。
狐は理解した、姫の目的を。彼女が怪物の肉体で何をするつもりなのかを。
…己が肉体が、同様の使い方をされるということを。
だが、瀕死の狐に対し姫は意想外の提案をした。
提示された条件は双方に利が在る物で、合理的だった。
泥と血に塗れた狐がソレを呑まない理由は無かった。
…奇遇にも、狐は帰る場所を失ったばかりだったから。
――光の精霊或いは■■狐…個体名,リフィ。
◆
狐は姫と共に大陸中を巡った。
狐は姫を敬うと同時に恐れていた。
姫の瞳に光は無く、姫の声に感情は無い。
姫の髪は艶が在り、姫の術は芸術が在る。
姫は他のあらゆる生物を避けているように視えた。
姫は百年ごとに体を入れ替える。
九五年目に子を産み、子は直後に檻へ入れられた。
百年目になると、姫は檻の子へ己の意識を移した。
周期の意味を訊くと、姫は"肉体の寿命"だと応える。
狐は、滅することの無い永遠の命の仕組みを理解した。
無論、狐は精霊として不老の肉体を手にしている。
だが、狐が就くまで光の精霊の座は空席だった。
何故姫は精霊と成らなかったのか…、狐は訊いた。
姫は"自分の名前は捨てたから"と無機質に応えた。
狐は、姫の過去に何が在ったかをぼんやりと想像した。
姫はしばしば人間の街に潜入していた。
狐は姫が書物を読み漁っているらしいと知った。
調査の理由を訊くと、姫は"本を覚える為"だと応える。
狐は、狂気とも云えるまでの母性愛を理解出来なかった。
姫が街に居る間、狐は暇を持て余していた。
だから、狐は一人の男と二人の少年に出会った。
男は人間、少年は片方が"鬼"、片方が"魔"だった。
狐は、彼らが所謂"家族"という存在だと理解した。
狐は己が精霊だということを男に即刻見抜かれた。
己が妖力を隠していることを鬼に小さく指摘された。
己が何奴かの眷属だということを魔に怒鳴られた。
狐は、仲睦まじい家族の構成に自分が加えられたことを理解出来なかった。
それから、狐は小屋で殆どの時を過ごした。
男は人間の中でもかなりの権力者だったらしい。
子持ちの男は街と小屋とを忙しなく行き来していた。
小屋に残された鬼は泣き虫、魔は意地っ張りだった。
狐は手を出すこと無く、二人の喧嘩を傍観していた。
狐は、生まれて初めて"家族"の温もりを理解した。
――さて、狐が男と出会ってから四年目の話だ。
いつも通り、狐は魔と共に狩りの旅へ出ていた。
魔の強さは異常だ、精霊である狐を超えそうな域だった。
だからその日、魔は初めて幻妖を単独で撃破して見せた。
魔は大層喜び、男に戦果を報告する為に帰路を辿った。
…小屋で待っていたのは、死に逝く男だった。
心臓を十字架の如き短剣で射止められた男。
短剣の柄に両手を優しく掛けながら泣き叫ぶ鬼。
周囲に散らばる人間達の死体。毒の精霊の亡骸。
――怒り狂った魔は、人間の街に絶望を齎した。
狐は堕ちた魔を止めようと歩を進め、…姫に阻まれた。
感情の籠らぬ顔で呟く姫。珍しく反抗する様子の狐。
姫は、昔日に狐と交わした契約を再度口にして見せる。
―――名を与える代わり、精霊に成れ。
―――私を慕う眷属として、絶対服従しろ。
―――私を庇う守護神として、旅に付き添え。
―――金輪際、人類との間に親密な関係は持つな。
約束を守れないのならば、此の場で縁を切ると。
冷酷に告げた姫に対し、…狐は潔く絶縁を選んだ。
その後、鬼と共に魔を退け、鬼とも道を違えた狐は…
――――独り、大陸を彷徨い続けた。
化物から人間を"守護"するだけの精霊として。
目的も行先も無く、不老の身体を擦り減らしながら。
何処かで失ってしまった、己の死に場所だけを探して。
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――俺が読み終えたと同時、光の文字は虚空へ消えた。
超大作だったが、…大丈夫。全て眼で視て覚えている。
端々に散りばめられていた重要な情報を整理していく。
服を畳んで箪笥に仕舞うように。丁寧に、大切に…。
「……姫って、誰?」
脳内を纏めながら、俺は光の精霊に訊いた。
恐らく、彼女が全ての起源であり、中心人物だ。
一匹の精霊を作り上げ、己の所有物とした実力者。
だが、そんな幻妖の情報は何処の文献にも載ってない。
…光の精霊は俺を見据え、再び文字を創り出した。
――――『 You. 』 …衝撃的な三文字を。
揃いかけていたパズルのピースが総崩れする。
俺が、姫? 支離滅裂だ、何を言っているのか。
性別も違う。力量も違う。性格も似てない。
そもそも六百年前に俺は産まれていないだろう。
…産まれて、無い。そう、生まれてない。
姫は女性。扱う妖術は『光』。清潔な衣服。
髪が綺麗。読書好き。大陸巡り。名前は無し。…母性愛?
「………あぁ……。」
舞い散ったパズルのピースを再び組み立てて。
一欠片分だけ空いた穴に、…最後のピースを嵌め込む。
幼い頃から持ち続けたピースだ。まさか、この場面で使うとは思わなかった。
「――姫は、俺の母親?」
『 ………,……Kyaun…. 』
恐る恐るといった様子で頷く光の精霊。
"男","鬼","魔"が指す人物は、既に察している。
<悪の天誅>が起こったのは、今から五十年前。
つまり、俺の母とコイツが決別したのもその時期だ。
「………っ…。」
…待て、違う。何かを見落としている。思い出せ。
――姫は百年で体を入れ替える。
――子供を産むのはちょうど九五年目。
――百年という周期は、彼女の肉体の寿命。
俺がメーセナリアに預けられたのは、五歳の誕生日。
俺が五歳だということは、母はあの時で百歳だった。
爺ちゃんは俺の母の行方は分からないと言っていた。
…俺は、もう一度母に会って話がしたかったのだ。
「―――もう、母さんは、死んでる…。」
……だから、その事実は受け入れ難い物だった。
『 Kyuun…, 』
光の精霊は気の毒そうに俺を見つめている。
成程、コイツはずっと昔から主人を失っていた訳だ。
人間の守護神として、化物を狩り続けていた訳だ。
エフ森林跡地でも、凶悪な残党を掃討していたのだろう。
そこに偶々現れた間抜けな化物が、俺だったという話だ。
これで、一通りの答え合わせは終わっただろうか。
…いや。未だ一つ、解決していない問題が在る。
「……!!!!」
俺はポケットから綺麗に折り畳まれた紙を取り出した。
鍵と引き換えに、オミナスから受け取ったメモ用紙だ。
中に書かれているのは、『母の居場所』…鳥肌が立つ。
――記された地点には、何が在るんだ?
幸いにも、俺は未だ中身を開いて確認していない。
オミナスは"必要な時に開け"と指示を出していたから。
脳の中心から、煮え繰り返るような怒りが生まれた。
…母の白骨化した死体を見る覚悟が決まったら開け、と?
「…ふざけてんな。」
自分でも、過去最低音の呟きが零れたと理解した。
猛獣の如き重い唸り声だっただろう。けどそれで良い。
あの女は、現在も俺のことを観察しているだろうから。
今はこの怒りを届かせるだけで充分。…斬るのは今度だ。
「…提案する、光の精霊。」
静かに俺のことを眺めていた狐に、向き直る。
彼の瞳は薄く濁っていて、気力が籠っていない。
きっと、この五十年間。ずっとそうだったのだろう。
…その瞳に、確かな光を灯す為の、一言を。
「――俺と一緒に、人類を護ろう。」
それを聞いた狐は、意表を突かれたように鳴いた。
暗い眼に、"興味"と"懐疑"の色が付く。関心は引けたか。
大切なのはココから。冷静に、誠実に、――対等に。
「…俺は知っての通り化物で、弱いから。
人類を護るって言っても、未だ力が足りてない。
でも、お前と一緒なら。多分邪子にも勝てる。」
この狐は、単身であの幻妖と張り合っていた。
相当な勇気と力量が在る証拠だ。正直羨ましい。
けど、それじゃ何度挑んでも敗北に終わるだろう。
俺達『光』の化物は、共闘でこそ真価を発揮するから。
「光の精霊…いや、リフィ。信じて。
俺はお前を絶対捨てない。この先、ずっと一緒に居る。」
彼は、六百年間で失い続けた精霊だ。
住処を失い、家族を失い、主人を失った小動物だ。
なのに未だ人類の守護をし続ける、心優しき化物だ。
「―――大丈夫、死ぬ時まで放さないから。」
だから俺は、リフィに永遠の友情を誓った。
志を同じくする化物へ、絶対の約束を持ち掛けた。
被害者として生き続けた精霊に、小さな光を与えた。
『 ――Kyaun. 』
リフィの瞳から、薄く掛かっていた霧が退いて行く。
代わりに表れたのは、信頼を示す透明の輝きだった。
晴天の如く、一切の陰りを消し去った表情を以て…
―――リフィは俺の手を掴み、契約を承諾した。
◆
「猶予は三週間。それまでに絶対的な力を付けたい。」
――『 Specifically.(具体的には?)』
「化物を狩りつつ、妖術の練度も上げたいなって。」
――『 More Details.(もう少し詳しく)』
「…粒子として具現化した『光』を動かす訓練。」
――『 OK.…Hard.(良いね。厳しくするよ)』
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