第三十三話 清算
静かで穏やかな夜だった。
空には、粗目糖のような星々が一面に設置されている。
ボク達がメーセナリアを出発して何日が経っただろうか。
エヴィル迷宮までは、三週間は掛かると聞いている。
ならばそろそろ折り返し地点には来ているのだろう。
「…全く、考え無しに返事をしたばっかりに…。」
まさか往復で二ヵ月弱も要する旅だとは思わなかった。
時間効率で考えれば、あの時の軽率な同意は失策だ。
まぁ、ゴウノアの勢いに押された部分は否めない。
彼は厄介な上司味が強すぎる。それが長所でもあるが。
「さて、付近に幻妖でもいればいいのだけれども。」
彼らと旅をしている以上、移動中に羽目は外せない。
だからボクは毎晩独りで狩りに勤しんでいた。
彼らの拠点から数百キロメートルは離れてる場所だ。
此処なら派手なことをしても勘付かれはしないだろう。
「……ハズレかもなぁ。ざんねん。」
しかし、辺りには幻妖は疎か化物すら存在しない。
珍しいが、こういう日もある。魚釣りみたいなものだ。
ダメな日はダメで、潔く身を退くのが賢者というもの。
今日はボウズで帰ろう。……そう思った時、
「…ん~? …思わぬ大収穫になりそうだねぇ。」
感じたのは巨大な妖力の気配。間違いなく幻妖級。
…いや、幻妖の中でも、相当な上物。超大当たりだ。
ただ懸念点は、ソイツが真っ直ぐボクに向かってくる事。
ふむ、ボクも妖力は隠しているはずなのだけれども。
ソイツは星々の間を切り抜け、あっという間にボクの眼前まで到達した。
「……はて、ボクに何か用でもあるのかな?」
『下らん前口上など必要ない。…お前は死ぬべきだ。』
直後、ソイツは巨大なガラスの斧を軽々と振り上げた。
…参ったな。想像以上の強者になっているらしい。
「ふふっ、まだ甘いかもね。――《削除》。」
ボクは奴の斧に手を翳し、柄の部分を消滅させた。
ソイツは驚いたように目を開き、即座に距離をとった。
どうやら、お茶を濁すことには成功したみたいだ。
「ね、ボク達がその気になれば決着なんて即決さ。
そうなる前に、少しくらいはお話でもどうだい?」
軽く煽ってみると、ソイツは不機嫌顔を深めた。
…ふと、ボクの腰の物に視線が注がれる。
『…その刀は、自前か。』
「その通り、中々良い出来映えだと思わないかい?」
ソイツは、明確な敵対心を持ちながら息を吐いた。
『そんな鈍刀はさっさと捨てろ。ユメハ。』
「大抵の幻妖相手ならこれで事足りるのさ。マグラ。」
…気づいているのはお互い様、といった所か。
一度は刃を交わした中だ。そうで無ければ困る。
「…ふふっ、名前まで知られてるのは意外だったかな。」
『我も認知したのは最近だ。…合点は行ったが。』
「一体どこから漏れたのかなぁ? 不思議だねぇ。」
『此の無益な茶番が厭わしい。さっさと始めるぞ。』
「せっかちな子だなぁ。ボクにも準備があるのにさ。」
そう言って、ボクは自身のポケットに手を入れた。
…さぁて、どれにしようかな。まぁ、先に様子見か。
『………死ね。』
マグラが、先程とは比にならない程巨大なガラスの斧を構えた。殺人に特化した形状だ。
ボクは愛刀を構え、それを正面から受け止めた。
…衝突の瞬間、凄まじい風圧と土埃が発生した。
『…まだ巫山戯ているのか?』
「ん~? そんなつもりは無いのだけれども。」
ボクがポケットから取り出したのは、草刈鎌。
手の平サイズの、とても扱いやすい愛刀だ。
雑務にはもってこいな刃で、ボクも長年重宝している。
「安心しなよ、さっきの鈍らよりは幾分かマシさ。」
揶揄うようなボクの発言に、顔を顰めたマグラ。
嘘は言ってない。この鎌も幻妖級の妖石入りだ。
…まぁ、戦闘用かと言われれば違うのだけれども。
『……陳腐だと言っているんだ…。』
――直後、鎌がきっちり十六等分に砕けた。
それを持っていたボクの手からも、大量の血が零れる。
「…あちゃー、ボクの相棒になんてことを。」
『最後の忠告だ。…粗末な芝居を今すぐに辞めろ。』
マグラは、ガラスの欠片をボクに突き付けた。
鎌を破壊したのもこの破片かな。見た目以上の切れ味だ。
「ふむ、随分と可愛げが無くなったみたいだね。」
『そんなものを生まれ持っていた覚えは無い。』
「生意気さは変わらないね、一応ボクが先輩だよ?」
ボクはお道化たように首を竦めてみた。
この手には、血が付着した一本の刀が握られている。
いつの間に、って? 企業秘密さ。
何処から、って? 肌身離さず持ち歩いてるけどね。
誰の血か、って? ははっ、そんなの決まってるでしょ?
『―――!!!!!』
――直後、マグラの片翼が数億個の破片と化して散った。
また、彼の心臓部からは極々少量の血が噴き出る。
「ぅはは! 斬られたのがガラスの翼で良かったね?
胸傷も、運良く薄皮一枚が裂けるだけで済んだみたい。」
『…不愉快だ。その刀の名は何だ?』
後退したマグラは、ナイフの如き口調を以て聞いてきた。
今までは話す気すら無かった癖に、都合の良い後輩だ。
けど、着眼点は好いね。鑑識眼は持ち合わせてるらしい。
そうで無ければ困る。ボクも最高傑作を出したのだから。
「この刀はねぇ…、――『蓬莱』。完成形さ。』
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チフリズ湖、延いてはシセルケトへの遠征。
それを無事に終わらせ、メーセナリアに帰還した俺は…
「……ぅむむむむ……。」
…頭を抱え、唸っていた。
原因は目の前に提示された通帳、それに刻まれた数字。
まず前提知識として、俺は游蕩士になって十ヵ月目だ。
その間の出費としては、食費と旅費の二つのみ。
我ながら、ほぼ自給自足の省エネ生活だったなと思う。
游蕩士としての収入が支出を上回るのは自然な話で。
使い道の無い貯金が際限なく溜まり続けていた。
最後に口座を確認した時点で、三十万フルク前後だった。
三十万フルクと言っても伝わりづらいかもしれない。
一年間豪遊してもお釣りが出る程度と思って欲しい。
それで、だ。今俺が持っている通帳。
貯金残高の欄に書かれたのは、六十万という数字だった。
「…これ、なんかの手違いですか?」
「いいえ? 一切の狂いなく、ヒシさんのお金です!」
役員の女性は満面の笑みでそう答えた。
あぁ、俺も彼女の管理能力は信頼している。
けれど、気付けば貯金が二倍に膨れ上がっていたのだ。
すんなり受け入れろという方が無茶である。
「ベイド、シロン、ニュートの三人ですよね?」
「えぇ、振り込みをされたのはそのお三方のみです。」
それは本人達から聞いていた通りだ。
ならば、誰かが法外な金額を振り込んでいるのだろう。
ベイドは地の精霊討伐依頼。
契約時に提示された報酬は三万フルク。
…振込金額は五万フルク。少し色を付けてくれたらしい。
俺は"報酬は不必要"と豪語していたから、かなりの恩情が含まれていそうだ。
シロンは火の精霊戦援護依頼。
提示された報酬は…そういえば何も言われてなかったな。
けれど、振込金額は四万フルク。大金だ。
正直働きに見合ってない金額だが、有難く貰っておこう。
ニュートは爬竜の妖石分+サミット迷宮攻略依頼。
両方とも、報酬量は曖昧なままで終わっていた。
さて、実際に振り込まれた金額は二十一万フルク。
「………??????」
「体調が優れないようなら、医務室へ…」
「…いえ、少し眩暈がしただけなので…。」
仮に、サミット迷宮の攻略報酬が三万フルクだとしよう。
すると、妖石売却による俺の取り分が十八フルク程度。
事前の話し合いで、売上金をニュートと半分で分け合うというのが決まっていたから。
生み出された利益は三十六万フルクだったのだろう。
そこに、他業者の手数料等を諸々加味して…
「マジで、幾らで売れたんだ…?」
幻妖の妖石は、俺が思っていた以上に高価らしい。
それはその値段に見合うだけの価値があるということで。
並々ならぬ需要が付き纏っているということでもある。
…幻妖狩りは、割の良いビジネスなんじゃないか?
「出金はなさいますか?」
「…いえ、今は大丈夫です。ありがとうございました。」
「いえいえ、また何か御用があれば、お気軽にどうぞ。」
役員さんに礼を言い、俺は事務所を出た。
強い日差しが全身に降りかかったが、不快では無かった。
夏の暑さも峠を越えたようだ。段々と涼しくなってきた。
扉の前で待っていてくれた二人と一匹に声を掛ける。
「すみません、待たせました。」
「ううん、全然! どうだった?」
「もう少し頑張れば、家が建てれるくらいは…。」
「え、そんなに? 使い道は決めてるの?」
「当分は貯金ですかね。」
「ふふっ、ヒシさんらしいね!」
『 Pyuii! 』
リエルとキュペは予想通りと言うように笑った。
テロス――兄ちゃんはそれを物珍しそうに眺めている。
「…俺さ、お前らの関係性未だにわかんない。
付き合っても結婚しても無いの? はよすれば?」
「茶々入れないでください、早く行きますよ。」
「俺達がお前のこと待ってたんだが!」
口を尖らせた兄ちゃんを無視し、俺は歩き出した。
向かう先は我が家。帰るのは一カ月ぶりか。
いつも通りの帰路。少し違うのは、リエルとキュペが横を歩いていること。
…一旦、お金の話は忘れよう。
◇
家に辿り着いた。
リビングを歩き抜け、同伴者を小部屋へ通す。
まぁ、ただの俺の自室なのだが。
「…なんか、お前の部屋寒くね?」
「そうですか? 普通くらいだと思いますけど。」
勘の鋭い兄を受け流し、俺は寝台の下を探る。
指先に硬い物が当たった、力に任せそれを引っ張り出す。
「おっきい箱だね。」
『 …Pyuii…? 』
「……この箱、妖具か?」
リエルの腕に抱えられたままのキュペが首を傾げた。
兄ちゃんも同じ違和感を感じたようで、少し警戒した様子で俺に聞いてきた。
指摘通り、それは箱型の妖具だった。
妖石は一般的な爬竜の物が使われている。
製作時期がいつなのか、見当が付くだろう。
…『水』の妖具だと分かれば、その用途までもが。
「…少し、教育に悪いかもしれません。」
俺はそう忠告し、箱を開いて中身を取り出した。
それは、袋に入った一本の腕だった。
筋肉がバランス良く付いている、逞しい成人男性の左腕。
妖具で冷却を続けていた為、腐敗などは見られない。
断面は鋭い刃物で斬られたように滑らかだった。
この場で唯一、一肢が欠損している男が呟く。
「……ヒシ、それ、俺の腕か…?」
「えぇ、俺が回収してました。妖具はユエさんに。」
箱の中は、一面雪景色だった。
冬の一部を切り取って模型にしたような、純白の世界。
兄ちゃんの腕を保管する為だけに拵えられた逸品だ。
キュペや兄ちゃんは、この妖具が発する微細な妖力を見事に感知したのだろう。
「…けどヒシさん、それをどうするつもりなの?」
「繋げます。兄ちゃんに、元通りになるように。」
「「 ……! 」」
目を見開いた兄ちゃんとリエル。
それは、タラジャさんですら匙を投げた未開の技術。
世間に不可能とまで嗤われたロストテクノロジー。
可能性は極めて低い。…けど、確かに在った。
「…キュペ、出来る?」
『 ――Pyuii…? 』
調理器具も材料も、不足無く揃っていたから。
◆
『精霊が居れば、…不可能では無い。』
「……詳しく、話を聞かせてください。」
俺の問いに対して、クロスは最大限の希望で返した。
その返答に食いつかない訳にはいかない。
『ヒシ、"精霊の特権"は何だと思う。』
「…不老、超常的な妖力量、…しか知らないです。」
『あぁ、良い線を行っている。』
俺を讃えるように頷いたクロス。
…しかし俺の回答は、大正解では無かったようだ。
『不老権、交信権、…そして拾得権。この三つだ。』
「後ろ二つは想像も付かないです。」
『あぁ、今重要なのは拾得権だけだ。』
クロスは白骨化した指で俺を差した。
『お前は、酸素を取り込み二酸化炭素を排出するだろう。』
「えぇ、生きる為の活動ですね。」
『ならば、二酸化炭素を取り込み酸素を排出出来るか?』
「それは、植物の活動では?」
少なくとも、俺達動物でそれが出来る者はいない。
クロスは俺の指摘に小さく頷いた。
『同じように、俺達は常に妖力の入替を行っている。
そして、吸入する妖力と排出する妖力は全くの別物だ。
排出した妖力を再び取り込むことは絶対に出来ない。』
「…感覚的に分かります。」
『但し、精霊に限ってはそれが出来る。』
…成程。それは特権と呼ぶに相応しい。
不必要とされた物を、彼らは力に換えられるのだ。
利用できる妖力量は並の化物と比にならない。
『妖術とは、"空想の具現化"。
術者が思い描けば、あらゆるイメージが現実と成る。
例えば、腕の修復を精確に捉えることが出来れば…。』
そこまで話して、クロスは一度口を噤んだ。
少し迷っているような、そんな表情。…言葉が続く。
『―――理論上は、可能なはずだが。』
意図的に濁らされた締め括り。
自身の発言に掛かった責任を気にしているのだろう。
自身が後世に与える影響を思案しているのだろう。
…クロスは、見た目以上に繊細な心の持ち主だ。
「…本当に、ありがとうございます。」
取り敢えず、必要な情報を引き出すのには成功した。
◆
「兄ちゃんの腕が治るのは、自然な流れだと思う?」
俺は、キュペにそう問いかけた。
洗脳染みた方法。…我ながら、嫌な大人だ。
純心な子供を都合の良い方向に転ばせる、クソ野郎だ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか。
『 ――Pyuii♪ 』
キュペは曇りの無い表情で手を挙げた。
それは同意,了承。…OK、第一段階クリア。
俺は壁側から水の入った大きな桶を引っ張った。
その中に、切断された兄ちゃんの腕を沈める。
「…水に入れちゃってもいいの?」
「えぇ、こっちの方がやりやすいと思うので。…兄ちゃんとキュペも、手を。」
包帯を外した兄ちゃんは、左の上腕を水に入れた。
キュペも、短い翼の先を水面に浸した。
俺も桶に右手を突っ込み、千切れた方の腕を掴んだ。
その断面を兄ちゃんの欠損部に近づけ、合わせる。
「じゃあ、始めましょうか。」
「…ヒシ。ちょい待ち。」
開始の合図を兄ちゃんによって遮られる。
その顔は、かつてないほど険しく歪んでいた。
兄ちゃんは怒気を孕ませた口調で言い放つ。
「俺、お前に"治してくれ"なんか頼んでないよな?」
「…余計なお世話でしたか?」
「あぁ、余計も余計。お節介だ。」
…それを聞いたリエルは、不機嫌そうな顔になった。
彼女は珍しく兄ちゃんのことを睨み付ける。
けれど、俺は兄ちゃんの発言の意図を理解していた。
「『お前の貴重な人生を俺に使うな。』
――そういう真意で間違いないですか?」
「……よく分かってんじゃんか。」
「えぇ、何年兄弟やってると思ってるんですか。」
兄ちゃんは、無事な方の手で頭を掻いた。
「お前、母親捜すんだろ? 今すぐにでも会いたいんだろ?
別に寄り道すんなとは言わないけどな、お前の人生だし。
けど、…少なくとも。―――俺の元に寄る必要は無い。」
真剣な顔で話す兄ちゃん。
俺は、その底に秘められた愛情をしっかりと感じ取った。
だからその顔に対して乱暴な意見を以て反論してやった。
「ノロマな兄ちゃんには分かんないかもしれないんですけど
俺、世界中で一番足が速いって自信を持ってるんです。
だから、その気になればこの星を一周だって出来ます。
月に旅行したいなと思えば、二秒も掛からないです。
十分弱もあれば、空に輝く太陽にだって辿り着けます。」
「…だから?」
息を吸い、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「腕の治癒なんて、近所の駄菓子屋に寄るような物です。」
…兄ちゃんは目を丸くして俺を見つめた。
俺の下らない例え話に拍子抜けした様子だ。
それでも、俺は言葉を長い鎖のように繋げていく。
「義務じゃ無い。頼まれても無い。
けど、俺がやりたいんです。ただのエゴです。
生涯のほんの小さな一手間で、不可欠な寄り道なんです。
…拒まないでください。俺の"自由"を認めてください。」
俺は、瞳を一切揺らすことなく、真っ直ぐ兄を見つめた。
それを見た兄ちゃんは、クシャりと顔を歪める。
「ヒシ。お前、ずるいぞ…。」
「ごめんなさい、お願いします。」
「…可愛い弟の頼みを、断れる訳ねぇじゃん…。」
そう言った兄ちゃんは、抵抗を止めた。
体の自由を俺に許したのだろう。…第二段階クリア。
「じゃあ、キュペ。お願い。」
『 …pyui…, …Pyuii…? 』
「うん、分かってる。俺が準備するから。」
『 …Pyui…! 』
不安げな顔をしていたキュペに笑いかける。
すると、キュペは理解したようだ。力強い返事をする。
…部屋内が『癒』特有の可愛らしい桃色で包まれていく。
キュペの懸念点は、妖力量。
使うのは腕の再生という無茶苦茶な妖術だ。
当然、その効果に見合っただけの妖力が要求される。
しかしキュペはそれに足るだけの妖力量を保有してない。
…少し語弊がある。
彼はほぼ無尽蔵の妖力を入手できる精霊だ。
その気になれば、超次元の妖術だって扱える存在だ。
しかし、それはあくまでも高密度の妖力場が在る前提。
この空間に、そんな都合の良い物は存在していなかった。
――無いなら、創れ。
「………よろしく。」
『 ――――Pyui!!! 』
キュペの声と、同時。形容し難い不快感が全身を走った。
底冷えするような、吐き気が遥か奥の方から込み上げて…
………耐えろ。自分が望んだことだ。
キュペが行ったのは、俺の妖力孔の抉じ開け。
貯水槽の蛇口を限界まで捻り開けるように。
空いた穴から流れ出た妖力が、部屋を満たしていく。
そうして溜まった妖力を、キュペが根こそぎ吸入し。
回収されたソレは妖術と成り、腕の断面を癒していく。
水槽からポンプへ。ポンプからホースへ。
流麗に、高密度の妖力が神秘の業へと姿を変えていった。
一切の抜け目が無いように見えるその流れ作業は。
…水源の枯渇という理由で、止まりかけていた。
「…っハァ…、…きっついな……」
「ヒシさん! すごいしんどそうだよ…?」
これも予想はしていたが、見立て以上だ。
…こんな早くに俺の妖力が尽きるとは。
幻妖を三体狩っていても、まだ足りないとは。
「……ふぅ……、」
――最終手段だ。
俺は空いた左手で、一つの"鍵"を取り出した。
床付近で、その質素な鍵の持ち手を摘まみ。
誰にも聞こえない声で、彼女の名前を呼ぶ。
「………オミナスさん。」
一人の女性が、意地悪く笑みを浮かべた気がした。
◆
「お久しぶりですね、ヒシさん!」
「……えぇ、オミナスさん。」
真っ暗な星空の下、彼女は笑った。
病的なまでに細い腕を口に当て、堪えるように笑った。
儚い白装束を風に揺らしながら、嘲るように嗤った。
「また随分と警戒心の強いことで。」
「警戒するなという方が無理ですよ。」
「ふふっ、それはどうも。…鍵を差し上げます。」
彼女は流れるような動作で俺にそれを投げ飛ばした。
いつ創り出した? 妖術の動作が全く見えなかった。
…やはり、このヒトは危険だ。
「…今回は二つですか?」
「えぇ、長い旅を総合的に評価しました。」
「ずっと観ていたという認識でいいですか?」
「あははっ、逆に見ていないとでも?」
ずっと何処かで潜んでいたのだろう。…いや、或いは…。
思考をシフトさせ、俺は一本の鍵をオミナスに投げた。
「おや、もう使うんですか?」
「ええ、母の居場所を教えてください。」
「…これはこれは。」
俺の質問にオミナスは興味深そうな顔をした。
彼女も、この質問が来るとは予想していなかったのか。
正直、俺も相当悩んだ。この人を信頼していないから。
けれども、そもそもオミナス相手に駆け引きは無理だ。
勘と根拠を入り混ぜた脳が、そう判断を下している。
だから敢えての正面突破。罠なら罠でいい。
…直後、俺の眼前に折り畳まれた紙が出現した。
「ふふっ、そういう勇ましい行動も好きですよ?」
「…この紙が、貴方の回答ですか?」
「はい! 必要な時に開いてくださいね。」
中に正確な位置情報が記されているのだろうか。
そう推測しながら、俺は紙をポケットに仕舞った。
「一つ、聞いても?」
「簡単な物なら答えましょう。」
「例えば…、質問以外に鍵を使うことは?」
「…ふふっ、面白い提案をしますね。」
「ちょっとした確認です。…それで、可能ですか?」
「えぇ、但し条件は厳しくなりますよ?」
オミナスは人差し指を宙でクルクルさせる。
「まず、使用する鍵の個数は内容次第で私が決めます。
また、私に不利過ぎる契約は結びません。
その都度、要望を聞いてから柔軟に対応しましょう。」
手慣れた説明。…何度か説明経験がありそうだ。
だとすれば、俺以外にも契約者が居る可能性は高い。
思い当たるのは数人。いや、二人。
…まぁ今はいい。本題だ。
「"妖力の提供"――出来ますか?」
それを聞いたオミナスは嬉しそうに微笑んだ。
「あぁ、それならば分かりやすくていいですね。
使用する鍵の個数に応じて妖力量も一考しましょう!」
「手持ちが一つなので、一つ分で。」
「ふふっ、それに応じた妖力を工面しておきます。」
工面? 最初から豊富に持っている癖に何を言うのか。
俺に譲渡される妖力など、この人にすれば小粒だろう。
「――必要な時に、鍵を持って呼んで下さい!」
◆
直後、部屋から溢れ返るほどの妖力が現れた。
どうやら、鍵を通して此方に送り込んだらしい。
役目を終えた小さな鍵は、粒子と化して消えた。
触れただけで酔いそうになるまでの、濃密度妖力。
そのおかげで、何とか必要な妖力は揃ったらしい。
「…キュペ…。」
『 ――――PYUII!!!! 』
「……お願い…!!」
直後、部屋から一瞬にして妖力が消え失せた。
キュペの体内に収束された『無』の妖力達は、
俺の部屋を掻き回しながら『癒』に姿を変え、
その全てが妖術として桶の水に放出されていく。
「………お願い……!!!!」
―――木製の桶が、音を立てて弾け飛んだ。
「「「『 ――!!! 』」」」
俺達の、声にならない驚愕が大気を震わせた。
それは桶が壊れたからか、水が飛び散ったからか。
服がびしょ濡れになったからか、床が洪水状態だからか。
――――再生した腕が、そこに在ったからか。
「……成功、した…?」
「…ヒシさん、…くっついてるよ…!」
『 Pyuii…♪ 』
間抜けな声が漏れた俺。
感激したように震えた声を出すリエル。
一仕事終えたように額の汗を拭ったキュペ。
そして……
「………あぁ……」
信じられないと、瞠目するテロスの姿があった。
兄ちゃんは左手の指をゆっくり動かした。
掴めるはずもない空気を掴もうとするように。
二度と還らないと思っていた物を取り戻して。
その感情を表す手段を持ち合わせていない様だった。
…それは、俺も同じだったが。
兄ちゃんは、見事に修復した左腕を掲げた。
「…なぁ、ヒシ。これ、どう思う?」
「治ってるように見えます。」
「だよなぁ、俺もそう見えちゃう。」
兄ちゃんは床を見ながら、一言呟いた。
「…ありがとな。」
ヒシという器から、あらゆる感情が吹き零れた。
それらは入り乱れて、ぐちゃぐちゃになって。
「…良かった…、っ…、…治せて、よかったっ…!!」
一滴の涙という形で、現実世界に表れた。
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「ねぇ、兄ちゃん。」
「どうしたわが弟よ。」
「また、防衛士やれば。」
「…うーん、やっちゃおっかな!」
「うん、それが一番似合ってる。」
「正直新人の訓練とか飽きてたんだよね。」
「ね、多分向いてないよ。」
「マネドから団長の座奪うか!」
「ふふっ、良いね。爺ちゃんも喜ぶよ。」
「でも団長って雑務だよな。」
「そりゃね、仕事に追われる日々でしょ。」
「一日お試しでやって、すぐ辞めるか。」
「防衛士ごと辞めることになりそう。」
「その程度でクビになんの??」
「まぁただの業務妨害だしね。」
「お堅い職業だなぁ。」
「一応公務員ってこと忘れてる?」
「一応ってなんだよ、俺ちゃんと働いてたぞ。」
「壁の上で眠りこけてたじゃん。」
「あれも仕事の一環じゃん。」
「その主張は絶対通んないよ。」
夕方の大通りを、兄ちゃんと共に散歩していた。
風が心地よい、喧騒が心地よい、夕日が心地よい。
全ての物が、俺には光を纏っているように見えた。
ほんの小さな寄り道、それでも確実に意味はあった。
体にしがみついていた物が、全て取れたようだ。
綺麗さっぱり、清算することが出来たようだ。
「…それ、何食べてるの?」
「飴玉! お前も食うか?」
「今十個くらい口に放り込まなかった?」
「これを一気にガリって噛み砕くのが…。」
「――っ。ヒシ、テロスさん!」
駄菓子屋で甘味品を買い、食べ歩いていた兄弟。
そんな俺達を呼び止める声が掛かった。
「…? ベイドさん、どうしたんですか。」
「急で悪いな、緊急会議だ。…テロスさんもな。」
切羽詰まった様子のベイド。
一か月前も緊急会議だったが、様子がまるで違う。
彼は兄ちゃんの腕を一瞥して、事情を悟ったようだ。
兄ちゃんも会議に加われと、そう示している。
向かう方向的に、…目的地は游蕩士の本部か。
となれば、会議の規模は相当に大きいはずだ。
少なくとも街を巻き込んだレベルの話し合いになる。
「…すいません、簡潔で良いです。一体何が?」
俺は前を歩くベイドに問いかけた。
ベイドは俺を振り返ることすらせずに即答する。
「――エヴィル迷宮攻略隊が、全滅した。」
空を飛ぶ鳥を撃ち落とすように。
階段の小さな一段を踏み外すように。
子供が作った無邪気な落とし穴に引っ掛かるように。
不意に、意想外に、忽然と告げられたその言葉は。
夕空へ浮上していた俺のことを、大地に叩き落とした。
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