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ナノライト  作者: かざぐるま
第四章 Rise and Fall.
35/57

第三十三話 清算

 



 静かで穏やかな夜だった。

 空には、粗目糖のような星々が一面に設置されている。

 ボク達がメーセナリアを出発して何日が経っただろうか。

 エヴィル迷宮までは、三週間は掛かると聞いている。

 ならばそろそろ折り返し地点には来ているのだろう。


「…全く、考え無しに返事をしたばっかりに…。」


 まさか往復で二ヵ月弱も要する旅だとは思わなかった。

 時間効率で考えれば、あの時の軽率な同意は失策だ。

 まぁ、ゴウノアの勢いに押された部分は否めない。

 彼は厄介な上司味が強すぎる。それが長所でもあるが。


「さて、付近に幻妖でもいればいいのだけれども。」


 彼らと旅をしている以上、移動中に羽目は外せない。

 だからボクは毎晩独りで狩りに勤しんでいた。

 彼らの拠点から数百キロメートルは離れてる場所だ。

 此処なら派手なことをしても勘付かれはしないだろう。


「……ハズレかもなぁ。ざんねん。」


 しかし、辺りには幻妖は疎か化物すら存在しない。

 珍しいが、こういう日もある。魚釣りみたいなものだ。

 ダメな日はダメで、潔く身を退くのが賢者というもの。

 今日はボウズで帰ろう。……そう思った時、


「…ん~? …思わぬ大収穫になりそうだねぇ。」


 感じたのは巨大な妖力の気配。間違いなく幻妖級。

 …いや、幻妖の中でも、相当な上物。超大当たりだ。

 ただ懸念点は、ソイツが真っ直ぐボクに向かってくる事。

 ふむ、ボクも妖力は隠しているはずなのだけれども。

 ソイツは星々の間を切り抜け、あっという間にボクの眼前まで到達した。


「……はて、ボクに何か用でもあるのかな?」

『下らん前口上など必要ない。…お前は死ぬべきだ。』


 直後、ソイツは巨大なガラスの斧を軽々と振り上げた。

 …参ったな。想像以上の強者になっているらしい。


「ふふっ、まだ甘いかもね。――《削除(さくじょ)》。」


 ボクは奴の斧に手を翳し、柄の部分を消滅させた。

 ソイツは驚いたように目を開き、即座に距離をとった。

 どうやら、お茶を濁すことには成功したみたいだ。


「ね、ボク達がその気になれば決着なんて即決さ。

 そうなる前に、少しくらいはお話でもどうだい?」


 軽く煽ってみると、ソイツは不機嫌顔を深めた。

 …ふと、ボクの腰の物に視線が注がれる。


『…その刀は、自前か。』

「その通り、中々良い出来映えだと思わないかい?」


 ソイツは、明確な敵対心を持ちながら息を吐いた。


『そんな鈍刀はさっさと捨てろ。ユメハ。』

「大抵の幻妖相手ならこれで事足りるのさ。マグラ。」


 …気づいているのはお互い様、といった所か。

 一度は刃を交わした中だ。そうで無ければ困る。


「…ふふっ、名前まで知られてるのは意外だったかな。」

『我も認知したのは最近だ。…合点は行ったが。』

「一体どこから漏れたのかなぁ? 不思議だねぇ。」

『此の無益な茶番が厭わしい。さっさと始めるぞ。』

「せっかちな子だなぁ。ボクにも準備があるのにさ。」


 そう言って、ボクは自身のポケットに手を入れた。

 …さぁて、どれにしようかな。まぁ、先に様子見か。


『………死ね。』


 マグラが、先程とは比にならない程巨大なガラスの斧を構えた。殺人に特化した形状だ。

 ボクは愛刀を構え、それを正面から受け止めた。

 …衝突の瞬間、凄まじい風圧と土埃が発生した。


『…まだ巫山戯ているのか?』

「ん~? そんなつもりは無いのだけれども。」


 ボクがポケットから取り出したのは、草刈鎌。

 手の平サイズの、とても扱いやすい愛刀だ。

 雑務にはもってこいな刃で、ボクも長年重宝している。


「安心しなよ、さっきの鈍らよりは幾分かマシさ。」


 揶揄うようなボクの発言に、顔を顰めたマグラ。

 嘘は言ってない。この鎌も幻妖級の妖石入りだ。

 …まぁ、戦闘用かと言われれば違うのだけれども。


『……陳腐だと言っているんだ…。』


 ――直後、鎌がきっちり十六等分に砕けた。

 それを持っていたボクの手からも、大量の血が零れる。


「…あちゃー、ボクの相棒になんてことを。」

『最後の忠告だ。…粗末な芝居を今すぐに辞めろ。』


 マグラは、ガラスの欠片をボクに突き付けた。

 鎌を破壊したのもこの破片かな。見た目以上の切れ味だ。


「ふむ、随分と可愛げが無くなったみたいだね。」

『そんなものを生まれ持っていた覚えは無い。』

「生意気さは変わらないね、一応ボクが先輩だよ?」


 ボクはお道化たように首を竦めてみた。

 この手には、血が付着した一本の刀が握られている。


 いつの間に、って? 企業秘密さ。

 何処から、って? 肌身離さず持ち歩いてるけどね。

 誰の血か、って? ははっ、そんなの決まってるでしょ?


『―――!!!!!』


 ――直後、マグラの片翼が数億個の破片と化して散った。

 また、彼の心臓部からは極々少量の血が噴き出る。


「ぅはは! 斬られたのがガラスの翼で良かったね?

 胸傷も、運良く薄皮一枚が裂けるだけで済んだみたい。」


『…不愉快だ。その刀の名は何だ?』


 後退したマグラは、ナイフの如き口調を以て聞いてきた。

 今までは話す気すら無かった癖に、都合の良い後輩だ。

 けど、着眼点は好いね。鑑識眼は持ち合わせてるらしい。

 そうで無ければ困る。ボクも最高傑作を出したのだから。



「この刀はねぇ…、――『蓬莱(ほうらい)』。()()()さ。』




 ---




 チフリズ湖、延いてはシセルケトへの遠征。

 それを無事に終わらせ、メーセナリアに帰還した俺は…


「……ぅむむむむ……。」


 …頭を抱え、()()()()()

 原因は目の前に提示された通帳、それに刻まれた数字。


 まず前提知識として、俺は游蕩士になって十ヵ月目だ。

 その間の出費としては、食費と旅費の二つのみ。

 我ながら、ほぼ自給自足の省エネ生活だったなと思う。

 游蕩士としての収入が支出を上回るのは自然な話で。

 使い道の無い貯金が際限なく溜まり続けていた。

 最後に口座を確認した時点で、三十万フルク前後だった。


 三十万フルクと言っても伝わりづらいかもしれない。

 一年間豪遊してもお釣りが出る程度と思って欲しい。


 それで、だ。今俺が持っている通帳。

 貯金残高の欄に書かれたのは、()()()という数字だった。


「…これ、なんかの手違いですか?」

「いいえ? 一切の狂いなく、ヒシさんのお金です!」


 役員の女性は満面の笑みでそう答えた。

 あぁ、俺も彼女の管理能力は信頼している。

 けれど、気付けば貯金が二倍に膨れ上がっていたのだ。

 すんなり受け入れろという方が無茶である。


「ベイド、シロン、ニュートの三人ですよね?」

「えぇ、振り込みをされたのはそのお三方のみです。」


 それは本人達から聞いていた通りだ。

 ならば、誰かが法外な金額を振り込んでいるのだろう。


 ベイドは地の精霊討伐依頼。

 契約時に提示された報酬は三万フルク。

 …振込金額は五万フルク。少し色を付けてくれたらしい。

 俺は"報酬は不必要"と豪語していたから、かなりの恩情が含まれていそうだ。


 シロンは火の精霊戦援護依頼。

 提示された報酬は…そういえば何も言われてなかったな。

 けれど、振込金額は四万フルク。大金だ。

 正直働きに見合ってない金額だが、有難く貰っておこう。


 ニュートは爬竜(リザード)の妖石分+サミット迷宮攻略依頼。

 両方とも、報酬量は曖昧なままで終わっていた。

 さて、実際に振り込まれた金額は()()()()()()()


「………??????」

「体調が優れないようなら、医務室へ…」

「…いえ、少し眩暈がしただけなので…。」


 仮に、サミット迷宮の攻略報酬が三万フルクだとしよう。

 すると、妖石売却による俺の取り分が十八フルク程度。

 事前の話し合いで、売上金をニュートと半分で分け合うというのが決まっていたから。

 生み出された利益は三十六万フルクだったのだろう。

 そこに、他業者の手数料等を諸々加味して…


「マジで、幾らで売れたんだ…?」


 幻妖の妖石は、俺が思っていた以上に高価らしい。

 それはその値段に見合うだけの価値があるということで。

 並々ならぬ需要が付き纏っているということでもある。


 …幻妖狩りは、割の良いビジネスなんじゃないか?


「出金はなさいますか?」

「…いえ、今は大丈夫です。ありがとうございました。」

「いえいえ、また何か御用があれば、お気軽にどうぞ。」


 役員さんに礼を言い、俺は事務所を出た。

 強い日差しが全身に降りかかったが、不快では無かった。

 夏の暑さも峠を越えたようだ。段々と涼しくなってきた。


 扉の前で待っていてくれた二人と一匹に声を掛ける。


「すみません、待たせました。」

「ううん、全然! どうだった?」

「もう少し頑張れば、家が建てれるくらいは…。」

「え、そんなに? 使い道は決めてるの?」

「当分は貯金ですかね。」

「ふふっ、ヒシさんらしいね!」

『 Pyuii! 』


 リエルとキュペは予想通りと言うように笑った。

 テロス――兄ちゃんはそれを物珍しそうに眺めている。


「…俺さ、お前らの関係性未だにわかんない。

 付き合っても結婚しても無いの? はよすれば?」

「茶々入れないでください、早く行きますよ。」

「俺達がお前のこと待ってたんだが!」


 口を尖らせた兄ちゃんを無視し、俺は歩き出した。

 向かう先は我が家。帰るのは一カ月ぶりか。

 いつも通りの帰路。少し違うのは、リエルとキュペが横を歩いていること。


 …一旦、お金の話は忘れよう。



 ◇



 家に辿り着いた。

 リビングを歩き抜け、同伴者を小部屋へ通す。

 まぁ、ただの俺の自室なのだが。


「…なんか、お前の部屋寒くね?」

「そうですか? 普通くらいだと思いますけど。」


 勘の鋭い兄を受け流し、俺は寝台の下を探る。

 指先に硬い物が当たった、力に任せそれを引っ張り出す。


「おっきい箱だね。」

『 …Pyuii…? 』

「……この箱、妖具か?」


 リエルの腕に抱えられたままのキュペが首を傾げた。

 兄ちゃんも同じ違和感を感じたようで、少し警戒した様子で俺に聞いてきた。


 指摘通り、それは箱型の妖具だった。

 妖石は一般的な爬竜(リザード)の物が使われている。

 製作時期がいつなのか、見当が付くだろう。

 …『水』の妖具だと分かれば、その用途までもが。


「…少し、教育に悪いかもしれません。」


 俺はそう忠告し、箱を開いて中身を取り出した。


 それは、袋に入った()()()()だった。

 筋肉がバランス良く付いている、逞しい成人男性の左腕。

 妖具で冷却を続けていた為、腐敗などは見られない。

 断面は鋭い刃物で斬られたように滑らかだった。


 この場で唯一、一肢が欠損している男が呟く。


「……ヒシ、それ、俺の腕か…?」

「えぇ、俺が回収してました。妖具はユエさんに。」


 箱の中は、一面雪景色だった。

 冬の一部を切り取って模型にしたような、純白の世界。

 兄ちゃんの腕を保管する為だけに拵えられた逸品だ。

 キュペや兄ちゃんは、この妖具が発する微細な妖力を見事に感知したのだろう。


「…けどヒシさん、それをどうするつもりなの?」

「繋げます。兄ちゃんに、元通りになるように。」

「「 ……! 」」


 目を見開いた兄ちゃんとリエル。

 それは、タラジャさんですら匙を投げた未開の技術。

 世間に不可能とまで嗤われたロストテクノロジー。

 可能性は極めて低い。…けど、確かに在った。


「…キュペ、出来る?」


『 ――Pyuii…? 』


 調理器具も材料も、不足無く揃っていたから。



 ◆



『精霊が居れば、…不可能では無い。』

「……詳しく、話を聞かせてください。」


 俺の問いに対して、クロスは最大限の希望で返した。

 その返答に食いつかない訳にはいかない。


『ヒシ、"精霊の特権"は何だと思う。』

「…不老、超常的な妖力量、…しか知らないです。」

『あぁ、良い線を行っている。』


 俺を讃えるように頷いたクロス。

 …しかし俺の回答は、大正解では無かったようだ。


『不老権、交信権、…そして拾得権。この三つだ。』

「後ろ二つは想像も付かないです。」

『あぁ、今重要なのは拾得権だけだ。』


 クロスは白骨化した指で俺を差した。


『お前は、酸素を取り込み二酸化炭素を排出するだろう。』

「えぇ、生きる為の活動ですね。」

『ならば、二酸化炭素を取り込み酸素を排出出来るか?』

「それは、植物の活動では?」


 少なくとも、俺達動物でそれが出来る者はいない。

 クロスは俺の指摘に小さく頷いた。


『同じように、俺達は常に妖力の入替を行っている。

 そして、吸入する妖力と排出する妖力は全くの別物だ。

 排出した妖力を再び取り込むことは絶対に出来ない。』

「…感覚的に分かります。」

『但し、()()()()()()()()()()()()()。』


 …成程。それは特権と呼ぶに相応しい。

 不必要とされた物を、彼らは力に換えられるのだ。

 利用できる妖力量は並の化物と比にならない。


『妖術とは、"空想の具現化"。

 術者が思い描けば、あらゆるイメージが現実と成る。

 例えば、腕の修復を精確に捉えることが出来れば…。』


 そこまで話して、クロスは一度口を噤んだ。

 少し迷っているような、そんな表情。…言葉が続く。


『―――理論上は、可能なはずだが。』


 意図的に濁らされた締め括り。

 自身の発言に掛かった責任を気にしているのだろう。

 自身が後世に与える影響を思案しているのだろう。


 …クロスは、見た目以上に繊細な心の持ち主だ。


「…本当に、ありがとうございます。」


 取り敢えず、必要な情報を引き出すのには成功した。



 ◆



「兄ちゃんの腕が治るのは、()()()()()だと思う?」


 俺は、キュペにそう問いかけた。

 洗脳染みた方法。…我ながら、嫌な大人だ。

 純心な子供を都合の良い方向に転ばせる、クソ野郎だ。


 そんな俺の心情を知ってか知らずか。


『 ――Pyuii♪ 』


 キュペは曇りの無い表情で手を挙げた。

 それは同意,了承。…OK、第一段階クリア。


 俺は壁側から水の入った大きな桶を引っ張った。

 その中に、切断された兄ちゃんの腕を沈める。


「…水に入れちゃってもいいの?」

「えぇ、こっちの方がやりやすいと思うので。…兄ちゃんとキュペも、手を。」


 包帯を外した兄ちゃんは、左の上腕を水に入れた。

 キュペも、短い翼の先を水面に浸した。


 俺も桶に右手を突っ込み、千切れた方の腕を掴んだ。

 その断面を兄ちゃんの欠損部に近づけ、合わせる。


「じゃあ、始めましょうか。」

「…ヒシ。ちょい待ち。」


 開始の合図を兄ちゃんによって遮られる。

 その顔は、かつてないほど険しく歪んでいた。


 兄ちゃんは怒気を孕ませた口調で言い放つ。


「俺、お前に"治してくれ"なんか()()()()()()()?」

「…余計なお世話でしたか?」

「あぁ、余計も余計。お節介だ。」


 …それを聞いたリエルは、不機嫌そうな顔になった。

 彼女は珍しく兄ちゃんのことを睨み付ける。

 けれど、俺は兄ちゃんの発言の意図を理解していた。


「『お前の貴重な人生を俺に使うな。』

 ――そういう真意で間違いないですか?」

「……よく分かってんじゃんか。」

「えぇ、何年兄弟やってると思ってるんですか。」


 兄ちゃんは、無事な方の手で頭を掻いた。


「お前、母親捜すんだろ? 今すぐにでも会いたいんだろ?

 別に寄り道すんなとは言わないけどな、お前の人生だし。

 けど、…少なくとも。―――俺の元に寄る必要は無い。」


 真剣な顔で話す兄ちゃん。

 俺は、その底に秘められた愛情をしっかりと感じ取った。

 だからその顔に対して乱暴な意見を以て反論してやった。


「ノロマな兄ちゃんには分かんないかもしれないんですけど

 俺、世界中で一番足が速いって自信を持ってるんです。

 だから、その気になればこの星を一周だって出来ます。

 月に旅行したいなと思えば、二秒も掛からないです。

 十分弱もあれば、空に輝く太陽にだって辿り着けます。」


「…だから?」


 息を吸い、微笑みながら言葉を紡ぐ。



「腕の治癒なんて、近所の駄菓子屋に寄るような物です。」



 …兄ちゃんは目を丸くして俺を見つめた。

 俺の下らない例え話に拍子抜けした様子だ。

 それでも、俺は言葉を長い鎖のように繋げていく。


「義務じゃ無い。頼まれても無い。

 けど、俺がやりたいんです。ただのエゴです。

 生涯のほんの小さな一手間で、不可欠な寄り道なんです。

 …拒まないでください。俺の"自由"を認めてください。」


 俺は、瞳を一切揺らすことなく、真っ直ぐ兄を見つめた。

 それを見た兄ちゃんは、クシャりと顔を歪める。


「ヒシ。お前、ずるいぞ…。」

「ごめんなさい、お願いします。」

「…可愛い弟の頼みを、断れる訳ねぇじゃん…。」


 そう言った兄ちゃんは、抵抗を止めた。

 体の自由を俺に許したのだろう。…第二段階クリア。


「じゃあ、キュペ。お願い。」

『 …pyui…, …Pyuii…? 』

「うん、分かってる。俺が準備するから。」

『 …Pyui…! 』


 不安げな顔をしていたキュペに笑いかける。

 すると、キュペは理解したようだ。力強い返事をする。

 …部屋内が『癒』特有の可愛らしい桃色で包まれていく。


 キュペの懸念点は、妖力量。

 使うのは腕の再生という無茶苦茶な妖術だ。

 当然、その効果に見合っただけの妖力が要求される。

 しかしキュペはそれに足るだけの妖力量を保有してない。


 …少し語弊がある。

 彼はほぼ無尽蔵の妖力を入手できる精霊だ。

 その気になれば、超次元の妖術だって扱える存在だ。


 しかし、それはあくまでも高密度の妖力場が在る前提。

 この空間に、そんな都合の良い物は存在していなかった。


 ――無いなら、()()


「………よろしく。」

『 ――――Pyui!!! 』


 キュペの声と、同時。形容し難い不快感が全身を走った。

 底冷えするような、吐き気が遥か奥の方から込み上げて…


 ………耐えろ。自分が望んだことだ。


 キュペが行ったのは、俺の妖力孔の()()()()

 貯水槽の蛇口を限界まで捻り開けるように。

 空いた穴から流れ出た妖力が、部屋を満たしていく。


 そうして溜まった妖力を、キュペが根こそぎ吸入し。

 回収されたソレは妖術と成り、腕の断面を癒していく。


 水槽からポンプへ。ポンプからホースへ。

 流麗に、高密度の妖力が神秘の業へと姿を変えていった。

 一切の抜け目が無いように見えるその流れ作業は。


 …()()()()()という理由で、止まりかけていた。


「…っハァ…、…きっついな……」

「ヒシさん! すごいしんどそうだよ…?」


 これも予想はしていたが、見立て以上だ。

 …こんな早くに俺の妖力が尽きるとは。

 幻妖を三体狩っていても、まだ足りないとは。


「……ふぅ……、」


 ――最終手段だ。


 俺は空いた左手で、一つの"鍵"を取り出した。


 床付近で、その質素な鍵の持ち手を摘まみ。


 誰にも聞こえない声で、彼女の名前を呼ぶ。


「………オミナスさん。」


 一人の女性が、意地悪く笑みを浮かべた気がした。



 ◆



「お久しぶりですね、ヒシさん!」

「……えぇ、オミナスさん。」


 真っ暗な星空の下、彼女は笑った。

 病的なまでに細い腕を口に当て、堪えるように笑った。

 儚い白装束を風に揺らしながら、嘲るように嗤った。


「また随分と警戒心の強いことで。」

「警戒するなという方が無理ですよ。」

「ふふっ、それはどうも。…鍵を差し上げます。」


 彼女は流れるような動作で俺にそれを投げ飛ばした。

 いつ創り出した? 妖術の動作が全く見えなかった。

 …やはり、このヒトは危険だ。


「…今回は二つですか?」

「えぇ、長い旅を総合的に評価しました。」

「ずっと観ていたという認識でいいですか?」

「あははっ、逆に見ていないとでも?」


 ずっと何処かで潜んでいたのだろう。…いや、或いは…。

 思考をシフトさせ、俺は一本の鍵をオミナスに投げた。


「おや、もう使うんですか?」

「ええ、()()()()()()()()()()()()()。」

「…これはこれは。」


 俺の質問にオミナスは興味深そうな顔をした。

 彼女も、この質問が来るとは予想していなかったのか。

 正直、俺も相当悩んだ。この人を信頼していないから。


 けれども、そもそもオミナス相手に駆け引きは無理だ。

 勘と根拠を入り混ぜた脳が、そう判断を下している。

 だから敢えての正面突破。罠なら罠でいい。


 …直後、俺の眼前に折り畳まれた紙が出現した。


「ふふっ、そういう勇ましい行動も好きですよ?」

「…この紙が、貴方の回答ですか?」

「はい! 必要な時に開いてくださいね。」


 中に正確な位置情報が記されているのだろうか。

 そう推測しながら、俺は紙をポケットに仕舞った。


「一つ、聞いても?」

「簡単な物なら答えましょう。」

「例えば…、質問以外に鍵を使うことは?」

「…ふふっ、面白い提案をしますね。」

「ちょっとした確認です。…それで、可能ですか?」

「えぇ、但し条件は厳しくなりますよ?」


 オミナスは人差し指を宙でクルクルさせる。


「まず、使用する鍵の個数は内容次第で私が決めます。

 また、私に不利過ぎる契約は結びません。

 その都度、要望を聞いてから柔軟に対応しましょう。」


 手慣れた説明。…何度か説明経験がありそうだ。

 だとすれば、俺以外にも契約者が居る可能性は高い。

 思い当たるのは数人。いや、()()


 …まぁ今はいい。本題だ。


「"妖力の提供"――出来ますか?」


 それを聞いたオミナスは嬉しそうに微笑んだ。


「あぁ、それならば分かりやすくていいですね。

 使用する鍵の個数に応じて妖力量も一考しましょう!」

「手持ちが一つなので、一つ分で。」

「ふふっ、それに応じた妖力を工面しておきます。」


 工面? 最初から豊富に持っている癖に何を言うのか。

 俺に譲渡される妖力など、この人にすれば小粒だろう。



「――必要な時に、鍵を持って呼んで下さい!」



 ◆



 直後、部屋から溢れ返るほどの妖力が現れた。

 どうやら、鍵を通して此方に送り込んだらしい。

 役目を終えた小さな鍵は、粒子と化して消えた。


 触れただけで酔いそうになるまでの、濃密度妖力。


 そのおかげで、何とか必要な妖力は揃ったらしい。


「…キュペ…。」



『 ――――PYUII!!!! 』



「……お願い…!!」


 直後、部屋から一瞬にして妖力が消え失せた。


 キュペの体内に収束された『無』の妖力達は、


 俺の部屋を掻き回しながら『癒』に姿を変え、


 その全てが妖術として桶の水に放出されていく。


「………お願い……!!!!」



 ―――木製の桶が、音を立てて弾け飛んだ。



「「「『 ――!!! 』」」」


 俺達の、声にならない驚愕が大気を震わせた。


 それは桶が壊れたからか、水が飛び散ったからか。


 服がびしょ濡れになったからか、床が洪水状態だからか。



 ――――()()()()()が、そこに在ったからか。



「……成功、した…?」

「…ヒシさん、…くっついてるよ…!」

『 Pyuii…♪ 』


 間抜けな声が漏れた俺。

 感激したように震えた声を出すリエル。

 一仕事終えたように額の汗を拭ったキュペ。


 そして……


「………あぁ……」


 信じられないと、瞠目するテロスの姿があった。


 兄ちゃんは左手の指をゆっくり動かした。

 掴めるはずもない空気を掴もうとするように。

 二度と還らないと思っていた物を取り戻して。

 その感情を表す手段を持ち合わせていない様だった。


 …それは、俺も同じだったが。


 兄ちゃんは、見事に修復した左腕を掲げた。


「…なぁ、ヒシ。これ、どう思う?」

「治ってるように見えます。」

「だよなぁ、俺もそう見えちゃう。」


 兄ちゃんは床を見ながら、一言呟いた。



「…ありがとな。」



 ヒシという器から、あらゆる感情が吹き零れた。

 それらは入り乱れて、ぐちゃぐちゃになって。



「…良かった…、っ…、…治せて、よかったっ…!!」



 一滴の涙という形で、現実世界に表れた。




 ---




「ねぇ、兄ちゃん。」

「どうしたわが弟よ。」

「また、防衛士やれば。」

「…うーん、やっちゃおっかな!」

「うん、それが一番似合ってる。」

「正直新人の訓練とか飽きてたんだよね。」

「ね、多分向いてないよ。」

「マネドから団長の座奪うか!」

「ふふっ、良いね。爺ちゃんも喜ぶよ。」

「でも団長って雑務だよな。」

「そりゃね、仕事に追われる日々でしょ。」

「一日お試しでやって、すぐ辞めるか。」

「防衛士ごと辞めることになりそう。」

「その程度でクビになんの??」

「まぁただの業務妨害だしね。」

「お堅い職業だなぁ。」

「一応公務員ってこと忘れてる?」

「一応ってなんだよ、俺ちゃんと働いてたぞ。」

「壁の上で眠りこけてたじゃん。」

「あれも仕事の一環じゃん。」

「その主張は絶対通んないよ。」


 夕方の大通りを、兄ちゃんと共に散歩していた。

 風が心地よい、喧騒が心地よい、夕日が心地よい。

 全ての物が、俺には光を纏っているように見えた。

 ほんの小さな寄り道、それでも確実に意味はあった。

 体にしがみついていた物が、全て取れたようだ。

 綺麗さっぱり、清算することが出来たようだ。


「…それ、何食べてるの?」

「飴玉! お前も食うか?」

「今十個くらい口に放り込まなかった?」

「これを一気にガリって噛み砕くのが…。」


「――っ。ヒシ、テロスさん!」


 駄菓子屋で甘味品を買い、食べ歩いていた兄弟。

 そんな俺達を呼び止める声が掛かった。


「…? ベイドさん、どうしたんですか。」

「急で悪いな、緊急会議だ。…テロスさんもな。」


 切羽詰まった様子のベイド。

 一か月前も緊急会議だったが、様子がまるで違う。

 彼は兄ちゃんの腕を一瞥して、事情を悟ったようだ。

 兄ちゃんも会議に加われと、そう示している。


 向かう方向的に、…目的地は游蕩士の本部か。

 となれば、会議の規模は相当に大きいはずだ。

 少なくとも街を巻き込んだレベルの話し合いになる。


「…すいません、簡潔で良いです。一体何が?」


 俺は前を歩くベイドに問いかけた。

 ベイドは俺を振り返ることすらせずに即答する。



「――エヴィル迷宮攻略隊が、()()()()。」



 空を飛ぶ鳥を撃ち落とすように。


 階段の小さな一段を踏み外すように。


 子供が作った無邪気な落とし穴に引っ掛かるように。


 不意に、意想外に、忽然と告げられたその言葉は。



 夕空へ浮上していた俺のことを、大地に叩き落とした。




 ---




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