第三十二話 封の精霊
俺達は負けた。
游蕩士としての希望を烈火に燃やされ。
防衛士としての名誉は大渦に呑まれ。
あらゆる建造物は地盤ごと狂風に吹き飛ばされ。
街民の生命は蟻のように容易く圧し潰された。
勝利の芽はどれだけ待とうとも姿を現さなかった。
いや、そもそも端から存在すらしていなかったのだろう。
四匹の幻妖が襲撃した時点で、敗北は確定していた。
だから、勝利を諦めたのだ。
己の生還を捨て、俺達は栄誉ある死を選択した。
四体の幻妖、何奴でもいい。…道連れにさえ出来れば。
全街民の避難が終わり、最期の戦いが始まった。
沢山の防衛士が死んだ。大勢の游蕩士が散った。
それでも、あの忌々しき蒼の竜だけは討ち取れた。
その時点で生存者は百名程度。本来の半数だ。
あと一匹は屠れるか、…そう思った時、麒麟が現れた。
――刹那、抵抗すら叶わぬ迅雷が全てを破壊した。
…俺達は全滅した。
けどそれは未来の人類を信じ、託した結果だ。
無様で映えある敗北を勝ち取ることが出来たから。
大きな未練も抱かずに、永遠の眠りに付き――
『 ――uuaaa♪ 』
――何故か、再び目醒めた。
シセルケトに自ら残った二百十人、全員。
腐食し、肉の剥がれ落ちた体のまま。壮健な状態で。
覚醒して目に飛び込んで来たのは小さな化物だった。
可愛らしい声をあげるソイツは、喜んでいた。
まるで新たな玩具を手に入れたかのように。
まるで初めての友達を持った幼児のように。
俺達の姿を見て、穴のような黒目を輝かせていた。
化物と化した俺達は自分達を亡骸と名付けた。
そして、主である小さな化物を『ドロプ』と名付けた。
由来は飴玉。円状の瞳をそれに見立てて、そう呼んだ。
その後数年は、何事も無くドロプと過ごした。
俺達は睡眠も食事も必要の無い死体だ。
唯一の制約はシセルケトから出られないことぐらいで。
娯楽を求め、朝から晩まで好きなだけバカ騒ぎをした。
また、有り余る時間を使い各々で研究も進めた。
生前には無かった趣味を見つけた者も居る。
俺も、ドロプにマフラーを編んでやったりした。
脆いマフラーだったが、ドロプは大はしゃぎだった。
…異常が生じ始めたのはその頃か。
体の不調を訴え始める奴らが、チラホラ出始めた。
俺も、ある日突然全身が砂利のように崩れ出した。
あぁ、死期が近いんだなと。俯瞰したようにそう思った。
元より、一度は死んだ身だ。心残りは無い。
俺達は、二度目の死を最大の落ち着きを以て受け入れた。
『 uaa…, uaaa…!! 』
ただ、ドロプだけは違った。
ドロプは疑問と絶望を抱きながら泣いた。
駄々を捏ねる少年のように、悲痛な喚き声を出していた。
不幸にも、ドロプが取れる選択は極僅かだった。
未熟で未発達な化物、妖力の熟練度は中の下程度。
これ以上"死"を遅らせる手段など、……一つだけ在った。
強大な力、数多の特権――それらを得られる唯一の手段。
"承認","意思","空位"――幸運にも条件は揃っていた。
ドロプが選んだのは精霊化。封の精霊の降誕だった。
◇
話し終わったオオラモは、一息ついた。
静聴していたのはロットとミドルの二人。
その他の男達とは随分と前に逸れていた。
オオラモは相変わらず輝く粒子を放出し続けている。
粒子――活性化した妖力は、宙に溶けて見えなくなった。
『それが、三百年前の話だなぁ。』
「…何個か聞きてぇことあるんだが良いか?」
『おぅ、包み隠さず全部答ぇるぜ?』
ミドルは真剣な顔で質問を投げかけた。
「1.お前らの強さで幻妖に負けたのか?
その気になれば、オオラモだけで一匹は倒せそうだが。」
『俺達は三百年間修業してこの強さだからなぁ。
正直、現役でそんだけ強ぃお前達が異常だ。
後は…麒麟の影響力だろうなぁ。
奴さぇいなければまだマシな勝負だったんだけどなぁ?』
「2.ドロプはどうやって死者蘇生をしたんだ?
『封』っつーのはそんな高次元の妖術なのか。」
『悪ぃが、俺達ですら詳細は分からなぃ。
辛うじて解明出来たのが"妖力孔"の存在だからなぁ。』
「3.精霊が得られる特権ってのは何のことだ?」
『それに関しても、研究が未発展でなぁ?
俺達の中に精霊と契約している奴は居なかったからなぁ。
"不老の体"と"特殊経路での妖力回復"しか分からなぃ。』
その時、ロットが首を傾げた。
「4.オオラモ、"にひゃくじゅうにん"っていったよね。
…ひとりぶん、かずあわないけど。いいまちがえた?」
『ぃや、三百年前目を覚ましたのは二百十人丁度だ。
良ぃ気づきだが、ロットは無視して大丈夫だなぁ。』
「5.街から出られねぇのが制約ってのは?
物理的にか? それとも、ドロプとの約束事か?」
『それぞれ、半分ずつ正解ってとこだなぁ。
そもそもドロプの妖術効果範囲がこの街内だけだ。
そこから外れれば、俺達はただの死体に戻ってしまぅ。』
「6.このにしゅうかん、ドロプのはんのうなかったよね。
ずっと、どこかにかくれてた? なら、そのりゆうは?」
「7.そもそもお前らの目的は何だったんだ?
"体にガタが"とか言いながら俺達を幻妖と戦わせただろ』
「8.しゅうだんじさつ、…そもそもなんのためなの?」
オオラモの返答を待たず、疑問を投げかけていく二人。
苦笑したオオラモは、頭をポリポリ掻きながら答えた。
『まず、亡骸化の妖術には欠点がぁる。
"妖力の超要求"と"精神的消耗"の二つだなぁ。
封の精霊と言ぇど、その負荷は軽視出来なぃ。』
ロットとミドルも、ここは感覚的に理解できる話だろう。
強力な技には、重大な反動が伴う。常識の範疇だ。
『そこでドロプが行ったのが、"冬眠"でなぁ?
あぃつはずっと、限界まで不活性な状態で過ごしてた。』
少し思案したミドルは、オオラモに聞いた。
「なぁ、それってどれくらいの期間だ?」
『そうだなぁ、…百年以上は、確実に。』
「…分かって来たぜ、ドロプはとんでもなく馬鹿野郎だ。」
ミドルは呆れたように首を竦めて見せた。
「そもそも、友達が欲しかっただけなんだろ?」
『…あぁ、死者を蘇生してしまうくらいにはなぁ。』
「なのに自分は眠りに付いてんだ。本末転倒だろ。」
オオラモは、少し寂しさを滲ませながら頷いた。
その時点でミドルとロットは察しがついたことだろう。
…オオラモが、自分達に求めようとしている終章を。
『…俺達は、ドロプを叩き起こした。
『癒』による集団自殺っていぅ手段を使ってなぁ。
それも全てお前達にしか頼めなぃことがあったからだ。』
死の進行を遅らせるのが『封』だとすれば、
死の進行を催促するのが『癒』ということになる。
きっと、長い年月を掛けて計画を練ったのだろう。
この街に独り閉じ籠ったドロプを――
『…ドロプを、あいつを。連れ出してくれ。』
…信頼の置ける。現在を生きる。
優しく強く聡い、そんな未来の人間に、託す為に。
それを聞いたロットは…ミドルに視線を投げた。
意味するのは"信任"――つまり、適役の推薦だ。
そんな視線を受けたミドルはニヤりと笑った。
彼は特別気負う様子も無く、軽く言ってのける。
「へへっ、友達になれば良いってだけの話だろ?」
オオラモは、優しく微笑みながら目を伏せた。
…彼の生命反応が、次第に薄れていく。終わりは近い。
---
『――ふんぬ"う"う"ぅぅうぅ!!!!』
「ケタイさん! だいじょうぶ!?」
『だめがもぉぉ"お"お"!!!!!』
天から降り落とされた巨大な瓦礫を一身で支えるケタイ。
すぐに数人が彼の救助に入り、何とか瓦礫の下敷きになるのは免れたようだ。
『ぬ"お"わ"あぁ!! …ふぃー、助かったよ~。』
「…その野太い声ってどっから出てるの?」
『そりゃわたしの喉から、それ以外無いでしょ~。』
「別人格の域だけどねー…。」
『けははっ、それも個性なの~。』
快活な笑い声を上げたケタイ。
その体からは、他の亡骸同様相当量の妖力が漏れ出し続けていた。
彼らが逃亡の末に辿り着いたのは、街の端。
つまり、封の精霊の妖術が最も弱まる場所だ。
普段ならば亡骸達は此処に寄り付かない。
ただ、『癒』による自殺には最も適した場所でもある。
となると、殆ど全ての亡骸達が同じ地点を目指すのは自然な話だ。
ヒシ等を除く多数の游蕩士もこの場に居た。
自分達を成長させてくれた師匠達の死に際だ。
"看取り"を考えるのは、当然の帰結とも言えた。
それぞれがそれぞれで今際の時を味わっている中。
晴々とした最期を歩む師弟が、此処にも一組。
「…ほんとに、死んじゃうんだね。」
『まぁね~、どう? リエルは寂しい?』
「…うん、寂しい。凄い寂しい。」
『なら良かった~、わたしも寂しいからね。』
微笑んだケタイ。対し、リエルは暗く俯いた。
『も~、どうしたのさ? 泣きそうなの?』
「…うん、泣きそうだよ。今も、頑張って堪えてるもん。」
『やめてよ~、ほら笑顔で、ね~!』
ケタイはリエルをそっと抱き寄せた。
二人の背丈はそう変わらない、体つきも。
しかし、ケタイの雰囲気はリエルよりもずっと大人だ。
彼の表情は底の見えぬほど深い慈愛に満ちていた。
それは、過ごした年数に依るものか。或いは…。
『良い? リエル。キュペは凄い眷属だからね~。
大事に大事に、育てるんだよ? 分かった~?』
「…うん、分かった。」
『 Pyuii♪ 』
リエルの背中をゆっくりと摩ったケタイ。
大切な我が子を撫でるような、柔らかい動作だった。
『リエルも、前向きに生きなね。卑屈にならずにね~。
大丈夫、わたしは知ってるの。リエルは出来る子って。』
「……うん、分かった。」
ケタイはリエルを抱き締める力を強めた。
宝物を放さぬように。可能な限りの寵愛を与えるように。
『わたしの願いはね~、リエルが幸せになること。
どんな人生になってもいい、どん底に落ちてもいい。
最後にリエルが"幸せな人生だったな"って思えたらね。』
「………うん、頑張るね。」
ケタイはリエルの頬に口づけをし、…手を離した。
大切な後葉の行く末を阻まぬよう、彼は潔く身を退いた。
『大丈夫、リエルは賢くて強くて優しい子だから。』
「…………うん。」
『絶対に独りじゃない、わたしは見守ってるよ。』
「……………うん。」
『短い時間だったけど、リエルに逢えて良かった。』
「………………うん。」
『…けははっ。ほらもう、泣かないの~。』
「………だって……、……だって…、」
ケタイは最後にリエルの目元を優しく拭い――
『……ばいばい! わたしの大切な愛娘…!』
――光り輝く粒子となりて、世界から消滅した。
---
此処は屋上だった。
俺とクロスが初めて出会った、あの屋上だ。
俺は容易に街を一望することが出来た。…良い眺めだ。
見れば、シセルケト全体を光り輝く粒子が照らしていた。
それは亡骸達が放つ最期の光なのだろう。
包み込むような、励ますような、導くような。
とても美しい、生きた死者達の人生を象徴する輝きだ。
「…綺麗ですね。」
『あぁ、俺もそう思う。』
俺とクロスの会話は、続かない。
今だけじゃない、二週間ずっとだ。
けれど、俺はそのことに心地悪さを感じていなかった。
この会話の間は…例えるなら、家族同士のソレだ。
まるで十数年間同じ家で一緒に暮らしていたかのような。
不思議な親しみやすさがクロスには有った。
「少し、聞いても?」
『答えられる範疇ならば、答えよう。』
クロスは街を見つめたまま、そう口にした。
…彼の瞳に映るのは、本当にこの街なのだろうか。
「クロスさんは、游蕩士か防衛士を?」
『遊蕩士をしていた。…随分昔の話だ。』
「その昔というのは、三百年前では無いですよね。」
『…あぁ、別の時代の話かもしれない。』
暈すような返答。しかし、確実に肯定だった。
クロスはシセルケトで絶命した人間では無い。
多分、もう少し先の時代。現代に近い時の防衛士だ。
「……それは例えば、アータミンだとか。」
『…根拠を聞かせてくれるか。』
クロスは静かに問い返して来た。
怒っている訳では無さそうだ、…純粋な興味か。
「俺の爺ちゃんは、《時雨》という技を確立させました。
その技は《月華》という妖術を応用させた物で。
…《月華》を確立させたのは、爺ちゃんの父だったと。」
『……二週間前から、気付いていたか。』
「会った瞬間から薄々は。」
再度、沈黙が流れる。
クロスの骨の体は、その密度を大きく減らしている。
全てが粒子として舞い散るのも時間の問題だろう。
『他に、聞きたいことは。』
「もう一つだけ良いですか?」
頷いたクロス、それを見て俺は言葉を続けた。
「…切断された腕を修復する方法を知りませんか。」
それは、俺の旅に生まれた二つ目の目標。
俺が如何なる犠牲を払ってでも達成したいことの一つ。
誰に課せられたでも無い。けれど、俺の義務だった。
普段以上に長い、長い、長閑な静寂の以後。
『――――――、――――――――。』
クロスは静かにそう言い放った。
「……詳しく、話を聞かせてください。」
それは、俺の関心を惹き付けるのに充分だった。
◇
『―――理論上は、可能なはずだが。』
「…本当に、ありがとうございます。」
『俺も試したことは無い。…試せなかったからな。』
俺は、今聞いた話を脳に深く刻み付けた。
決して忘れぬように、確実に街まで持ち帰る為に。
…その時、クロスの左腕が消失した。
『時間だな。』
「まだ、…話し足りないです。」
『これが本来の流れだ。文句は言えない。』
彼は、五十年前に消えていたはずの魂だ。
俺がクロスと逢えたのは、正に奇跡としか言えない。
しかし、確かに一度は巡り合ってしまった。
…その瞬間、"別れ"という未来が生じてしまった。
この寂しさと悲しさに、慣れることは無いだろう。
その時、クロスが珍しく自分から話を切り出した。
それも、今後の俺に深く関わるであろう話を。
『…ヒシ、魔人を知っているか。』
「――!! マグラという名の男なら。」
『……もう、そこまで知られているのか…。』
一人でそう呟いたクロス。
あぁそうか。クロスは<悪の天誅>での犠牲者だ。
彼がマグラの存在を認知しているのは、当然と言える。
しかし、次の言葉は俺を動揺させるのに充分だった。
『ならば、鬼人は知っているか。』
「……もしかして、ガドさんのことを…?」
…いや、落ち着け。それも自然な話かもしれない。
爺ちゃんですら、ガドの名前を知っていたから。
つまりガドはそれだけ深く<悪の天誅>に関わっていた。
彼の性格上、人間側としての参加だっただろう。
殺戮者マグラに立ち向かった、果敢な化物として…。
……感じたのは、形容しがたい違和感。
それは紡がれたクロスの言葉により、確信へと変わる。
『あの子達は、今も生きているか。』
「―――!!!! …はい、道は違えてますが。」
マグラはガドのことを"弟"と呼んでいた。
種族の違う化物同士で血縁関係など、在るはずが無い。
生まれつきの物では無いなら、義兄弟だ。
しかし、彼らは明確な敵対心をお互いに抱き合っていた。
自分達の意思で義兄弟になることなど有り得るか?
例えば、彼らを巡り逢わせた第三者がいるとすれば。
『…ありがとう。胸の痞えが取れた。』
例えば、それがこの男だとすれば。
五十年前に起きた、アータミン陥落事件。
深海に沈められた悲惨な事件の背景が、水面へ薄く浮上してくるようだった。
…クロスの右手首が消失した。
それを無視したクロスは俺に尋ねて来た。
『ヒシ、お前は化物か、人間か。どっちを選ぶ?』
「…最近は、よくそれを聞かれる気がします。
マグラにも、光の精霊にも聞かれました。」
『光の精霊は今もリフィが務めているのか?』
「…えぇ。クロスさんは何でも知ってますね。」
『当時の情勢に詳しいだけだ。…立場上な。』
多分、この人はもっと多くの知識を持っているのだろう。
それを聞き質す時間が無いことが、今は何よりも惜しい。
「俺は、…ごめんなさい、まだ決められません。
化物としても人間としても、やりたいことが多過ぎて。」
質問に対しても、中途半端に返すしか出来なかった。
しかし、その回答でクロスは満足したようだ。
『ヒシ、存分に悩め。決断は最後の最期で良い。』
大先輩からの、嘗ての"最強"からの言葉を噛み締める。
あまりにも貴重な、掛け替えの無い亡霊からの言葉を。
…しっかりと飲み込み、血液の如く体に巡らせた。
俺はこの言葉を、彼の存在を絶対に忘れてはならない。
「…おやすみなさい。クロスさん。」
『あぁ。――悪いが、あの二人を頼んだ。』
そうして、元遊蕩団団長は"光"になり、…消滅した。
---
街から、全てが、消えていく。
ぼくが三百年に亘って抑えていた物、全てが。
何故――そう問いかけても答えは出ない。
答えが出ないまま、ぼくの友達が死んでいく。
こんな災厄、誰が、何が原因だ。
異常を感じて眠りから覚めて見ればこの惨状だ。
こんなこと、百年は起こらなかったのに。
三十人くらい、新しい人間が増えているみたいだ。
そいつらが、ぼくの友達を殺したのか?
いや、三体くらい、化物が来てたみたいだ。
そいつらが、ぼくの友達を死なせたのか?
分からない。ほら、また一人死んだ。
楽し気に、快活に笑う、ぼくの友達だ。
オオラモと同じくらい、ぼくと仲良くしてくれたのに。
そんな、大切な友達が、妖力を撒き散らして、死んだ。
『 UAAAaaa…aaa…, ……ua,aa…. 』
あぁ、ダメだ。涙が止まらない。
眼に『封』を掛けても、止まらない。
抑えきれない、川が氾濫したみたいだ。
…だめ、だ。体が重たい。
眠気がする。気怠さを消しきれない。
やっぱり、蘇生は反動が、でかすぎるな…。
…でも、友達の為だから。ぼくは我慢できる。
だから、お願い。ぼくは、大丈夫だから。
『 ……u,aaaa……, 』
もう、死のうとするのはやめてよ。
また、独りになっちゃうじゃん。
そっちの方がやだよ。ねぇ、お願い。
……もう、死なないで。…独りに、しないで。
「よぉ、ドロプ! 何辛気臭ぇ面してんだ?」
『 ……uuaa…,……aa…? 』
――その時、軽薄そうな顔をした、ソイツが現れた。
---
ミドルは長い大通りに声を張り上げ、響かせた。
彼の視線の先には、涙をぼたぼたと垂らすドロプがいる。
「いやいや、俺にもお前の気持ちは分かるぜ? お前にしてみりゃ、目覚めた瞬間この状況だったんだもんな。そりゃ最悪の目覚めだろうよ。俺もなぁ、大事な会議がある日とかに寝過ごしたりすんだよ、紺糸の本部に設置されたソファが心地良過ぎてな。本部に入ってくりゃ絶対に目に付く位置で寝てんだぜ? なのに、あの馬鹿どもは誰一人として俺を起こそうとしねぇんだ。ふざけた話だよな。何なら俺の遅刻が確定した後に叩き起こしてくることもあんだぜ、ありゃ"俺の人生上最低の目覚め"だったな。だからな、俺は今のお前の気持ちがよぉく分かるぜ!」
『 …………UAAaaa…!!! 』
ドロプは、一つの建物の地盤を脆くした。
自重に耐えきれなくなった建物が倒壊していく。
…崩れ落ちた瓦礫がミドルの耳元を掠めた。
「危ねぇっ!!?? おいおい、流石の俺も死んだと思ったぜ。今まで何だかんだで生き残ってきた游蕩士ランキング万年優勝の座が揺らぐとこだったな。…ドロプ、そんな警戒すんなよ。俺は全く怪しい人間じゃないぜ? 超フレンドリー・ヒューマンだ。ほら、この太陽のような笑みを見てみろよ。な、心が浄化されてくだろ。俺も自分の笑顔にだけは自信があんだ。この表情でオトして来た美女は両手の指…いや両足の指を含めても数えきれねぇぜ。俺がニコって笑い掛けりゃ、例え雌熊だろうと猫なで声を出しながら俺に付き従うようになるんだからな。」
『 UUUAAAAAaaaaaaa!!!!! 』
再び幾つかの建物を破壊したドロプ。
飛び散った破片をミドルが華麗に躱していく。
「…冗談だぜ冗談! 怒んないでくれ、ドロプは雌熊が好みなんだな。悪かった、お前の女を取ろうしちまったみてぇだ。…あ、この剣が嫌か? なら安心しやがれ。…ほら、今投げ捨てたぜ、見えたか? あぁ、見えなかったかもしれねぇな。大丈夫、俺が今すぐお前の傍にまで歩いて行ってやるからな。」
『 UUAAAaaa…,』
未だに歩みを止めないミドル。
そんな彼を見て、ドロプの憤りは最高潮に達したようだ。
『 UUUAAAAAAaaaaa……!!!!!!! 』
大きな音を立てて破壊された、一際高い建造物。
それは朽ちた時計台のようにも見えた。
ドロプが狙ったのは、その頂点。
出っ張った塊が外れるように、彼は妖術を使っていた。
…丸腰なミドルの頭に、巨大な瓦礫が落ちていく。
それを一瞥したミドルは、その場に立ち止まった。
「……ドロプ。俺は避けねぇぞ。」
無謀で無策な、男の決心。
それは彼のいつもの虚言では無かった。
ミドルは、直立不動。本当に微動だにしない。
『 UA……!!?? ――――uu!!!! 』
…直後、確実にミドルを殺すかと思われた瓦礫…
それが粉々に砕け散った。他でもない、ドロプによって。
『 …u,a……?? 』
ドロプはすぐに困惑の表情を浮かべた。
自分の起こした行動が信じられないという様子だ。
その隙にも、ミドルは進行を続けていた。
「何驚いてんだ、自分でやったんだろ。
自分の意思で俺を守ったんだろ? 違うか?」
『 u,aaa…, AAAaaaa!!!! ………uu…!! 』
再び、ミドルに最も近い建物を倒壊させたドロプ。
…しかし、彼は落下する瓦礫から又もやミドルを守った。
滑稽な一人芝居を、ミドルは微笑みと共に観賞した。
そこに込められたのは侮蔑か憐憫か、恵愛か。
「なぁ、ドロプ。独りは嫌か?」
『 UUAAAaaa……, …aaaa……. 』
「だろな、俺も独りの時は凄ぇ寂しさを感じるぜ。」
『 …AAaaaa……. 』
まるで脳と体が同期していないかのように。
ドロプは、ちぐはぐな攻守を一人で繰り返した。
…やがて、その現状に嫌気が差したらしい。
彼はミドルの話に耳を傾けてみることにしたようだ。
「なんて言うんだろうな?
悪友と莫迦なことをやった後に、別れた時だな。
独りで帰路を辿ってると、無性に悲しくなるんだ。
俺、明日も誰かと居れんのかな…ってな。
漠然と、不安が圧しかかるあの感じが俺は嫌いだった。」
『 uaa,aaaa……, 』
それはドロプがあまり感じたことの無い感情だろう。
彼は、友達の居場所を瞬時に察知することが出来たから。
三百年間は、友達の生殺与奪を握っていたから。
…そう、三百年間は孤独じゃなかった。――本当に?
「そうやって帰ってると、通行人が目に入るんだよ。
誰かと楽し気に笑い合ってる奴らの姿がな。
そのとき独りの俺は"羨ましい"って思うんだ。
…なぁドロプ、お前も同じだったんじゃねぇか?」
『 …uaaa……??? 』
戸惑いに満ちたドロプの顔。
まだミドルの発言を理解出来ていない様子だ。
…そんな彼は、既に泣き止んでいた。
「羨ましかったんだろ、友達がいる奴が。
化物間でも友情ってのは芽生えるって聞いてるぜ?
大方、仲睦まじい化物の集団でも見たんじゃねぇか?
三百年前にそれを見ちまって、憧れたんじゃねぇか?」
『 ……u,uaaa……, 』
ミドルの指摘は見事に的を射ていた。
ドロプは化物の輪からあぶれた小心な化物だった。
仲良くなりたいのに、声を掛ける勇気は無い。
彼はいつも、ただ遠くの方から眺めていただけだった。
その時に発見したのが、この遺骸溢れる廃街である。
「だから死体の友達を造ったんだよな。
自分から絶対に離れない、放れられない友達を。
けどお前、そりゃ人形遊びと一緒だぜ?
いや、人形遊びにすらなってねぇよ。アホか。
お前は、人形が遊んでいるのを遠巻きに見てただけだ。」
『 ………uaaaa,…aaa……. 』
以前は違っただろう。
ドロプの身体状態が極めて安定していた頃は。
彼も亡骸と和気あいあいと遊んでいたはずだ。
けれど、ドロプに余裕が無くなってからは変わった。
彼は人形の維持に没頭し、遊ぶ暇も次第に消えていった。
マフラーを抱き締めながら独り眠っていただけだ。
「どういう気持ちで過ごしてたんだ?
"友達が嬉しそうでぼくも嬉しい"か?
…ふざけんじゃねぇ、違ぇだろ。
"寂しい""羨ましい"って思ってたんじゃねぇのか!?」
『 ……UAaaaa…,…ua,aaaa……. 』
図星を突かれ、再び大量の涙を流し始めたドロプ。
彼の使い古したマフラーがびしょ濡れになっていく。
そう、ドロプはずっと独りだった。
二百体の友達を造った後も、ずっとだ。
『憧憬』の精霊は、いつまで経っても孤独だった。
ドロプとミドルの間隔はもう小さい。
どちらかが動けば、触れ合えるような距離。
――だから、ミドルは大きく手を広げて待った。
「これは、オオラモ達が作ったチャンスだ。
命を賭けて生み出された、最後の機会だぞ。」
その通り。ここでドロプが拒めば、次は無い。
ここから先、墜ちた彼を掬い上げる手段は存在しない。
「来い、ドロプ! 俺達と一緒にだ!」
「紺糸は残念なくらい馬鹿な奴らの集まりだぜ。
んで、完璧なくらい気の良い奴らの集まりだ!」
「もう退屈させねぇ。憧憬なんか抱かせねぇ。
目移りする暇なんか無えくらい、刺激的な毎日だ!」
「気持ちを抑えるな! 差し出された手を退けるな!
―――この街を飛び出して、俺達に付いて来やがれ!!」
『 …uaa…,…UAaaAAAAAaaaaaaa…!!! 』
羨望を持ち続けた,抗拒を続けた、憧憬の精霊は。
生まれて初めて、自分の力で一歩を踏み出して。
――ミドルの胸板へ、勢いよく飛び込んだ。
ドロプの涙で、ミドルの服がみるみる内に湿っていく。
けれど、ミドルは彼の白く柔らかい体を強く抱き締めた。
「…お前は独りじゃねぇ、俺達の友達で、仲間だ。」
感情が極まったのか、ドロプの声は意義を成していない。
それを慈しんでいたミドルは、…ふと顔をあげた。
…そこに在ったのは、一人の男の姿。
その体は粒子に呑まれ……消えていく。
それでも男は、最後の力を振り絞り、朗らかに笑った。
「…これで、良かったか。…オオラモ。」
『あぁ、最高の最期さぁ。――あとは頼んだからなぁ。』
――そうして、最後の亡骸が天に召された。
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