第三十一話 流れ
『 ――RRRRYYYYUUUU!!!!!! 』
「怯むんじゃねぇぞー!! …おし、弓用意! 撃てー!!」
ミドルの掛け声に合わせ、玄武に向けて大量の矢が放たれた。
『リエル、準備は~?』
「…うん、いけるよ。」
『いいね~、じゃあやっちゃえ。』
リエルの手に持つ妖石は『癒』の輝きを放っている。
ケタイの合図から数秒後、リエルが妖術を発動すると、その輝きは数秒で退いていった。
代わるように、空を飛んでいた無数の矢に変化が現れる。
『火』の矢は、炎の勢いが数倍に膨れ上がり。
『水』の矢は、凍えるような冷気を放ち始め。
『風』の矢は、狂風と化して大気を震わせた。
それらの矢は空気抵抗で勢いを弱めるばかりか、速度を上昇させながら、玄武の分厚い甲羅に突き刺さった。
それにより、甲羅には小さなヒビが入ったようだ。
しかし玄武が苦痛を訴えることは無かった。
まるで全くダメージが通っていないかのように。
――涅色に近い濃緑色の全身は巨山の如く。
苔が生えた背中の分厚い甲羅は大陸の如く。
長く発達した首は地上の生物を見下す為か。
太く成長した四肢は健気に育つ草木を踏み潰す為か。
超重量級幻妖――玄武は、人間へと吠えた。
『 RRRYYYUUUUU!!! 』
「全員撤退だー!!! 下がれ下がれー!!!」
直後、地面から土の怪物達が這い出てきた。
うねる細長い体、深く彫られた鋭い双眼。
太い胴体には奇妙な縞模様が無数に刻まれている。
玄武により『地』で創られた蛇の人形達は、後退を試みる紺糸のメンバーに集団で襲い掛かった。
「ミドルさん助けてえぇぇぇ!!」
「あぁマズい! ミドルのアレが無ぇと!」
「ミドルさーん!! コイツどうにかしてー!!!!」
「オメェら何やってんだ! 合図出したらしゃがめよ!!」
「「「「 はーい! 」」」」
「んだよまだ余裕そうじゃねぇか!」
「「「「 いいから早く! 」」」」
「…ったく、しゃーねぇなぁ!」
ミドルの剣が『無』により白色に輝き出した。
彼はその剣を構えると、右から左へと全力で振り、
「ぅおら! 食らいやがれ!!」
何も無い空間を真横に切り裂いた。
一秒後…何も起きない。
二秒後…やはり変化は無し。
五秒後…『地』の蛇が、纏めて砕け散った。
硬くて重たい、何かをぶつけられたかのように。
紺糸のメンバーから沸き起こる拍手。
それを向けられたミドルは自身満々に鼻を擦った。
『…こいつら、そろそろこの茶番飽きないの~?』
「…私に聞かれても分かんないなー。」
『 Pyui. 』
呆れ顔のリエル、キュペ、ケタイ。
それに同意を示すように、玄武が前進を始めた。
「!」
「マズいぞ! テメェらそんな馬鹿なことしてる暇あったらアイツを食い止めやがれ! 弓の準備もしとけー! 全くよぉ、今は幻妖との戦闘中だぜ? お前らも俺を見習って少しは気引き締めてみたらどう」
『ミドル~、君も早く準備しなね?』
「ちょうど今しようと思ってたとこだ!」
順風満帆だとでも言いたげに、上げた親指をケタイへ向けたミドル。ケタイは疲れたような顔をしながらも、それ以上の忠告は止めたようだ。多少なりとも信頼を寄せている証だろう。
ミドルの長剣が『無』で輝き始めた。
彼は刃先を玄武に向け、剣を勢い良く突き出した。
「――《気迫》ッ!!」
『 ……RRYYUUU…… 』
玄武の分厚い甲羅、その一部が大きく抉れ、破片が地面に散り落ちた。
流石の玄武もこの攻撃には堪えたのか。
威嚇するような低い唸り声をミドルに向けている。
それを耳にしたミドルはにやりと笑った。
「お前ら、聞いたか今の声! 俺達の攻撃もちゃんと効いてるらしいぜ! 勝ち目はある、畳み掛けろー!!」
「「「「 うぉおおおお!! 」」」
鼓舞された男達が玄武に突撃していく。
また、後方に控えていた男達も再び弓を構え始めた。
…その男達の更に後ろ。
最後列で戦闘を見守るのは亡骸二百体弱。
そして、援護役として抜擢されたリエルだった。
『リエル、十秒後ね~。』
「うん、分かった。」
彼女に与えられた任務は放たれた妖術の増強。
『癒』に特化した人間だからこそ果たせる役目だ。
「……………。」
…しかし、リエルは浮かない顔をしていた。
それはこの戦闘のみならず。二週間を通して、ずっとだ。
◆
「……っ…、……あ…。」
『――うん、一回休憩にしようか~。』
ケタイは水の入ったコップをリエルに渡した。
彼女は俯きながらそれを受け取ると、近くの瓦礫へゆっくりと腰を下ろす。
「……ごめん。」
『ん~? 謝る必要は全く無いよ~。』
「…でも、私が下手くそだから……。」
『人には向き不向きがあるからね~。それも個性なの。』
ケタイは細くて柔らかなリエルの髪を撫でながら、ニッコリと微笑んだ。
『多分リエルは妖力孔をイメージ出来てないのかな~?』
「…かも、しれない。うん、多分…。
…何が分かんないのかすら、自分じゃ分かんなくて…。」
『大丈夫、その為に師匠がいるんだからさ~。』
そう言いながら、ケタイは少し黙り込んだ。
その様子をリエルが不安げに見つめている。
…再び目を開いたケタイ。何かを決断したようだ。
『…うん、現実的な話もしないとね~。
リエル、ちょっと予定を変えようか~。』
「…うん、どうするの?」
『"鎧"を教えるには、少し時間が少なすぎるからね~。
『癒』を別の方法でも使えるようにしよ~。』
この時点で、訓練を始めてから既に二日が経過していた。
残りの日数は十二日、幻妖はそれ以上待ってはくれない。
訓練内容を切り替えるならば早い方が良い。
ケタイの判断は賢明と言えるだろう。
『とりあえず、後方支援に特化させよ~。
イメージもこっちの方が簡単なはず~。』
「………うん。」
けれど、弟子の心中までは汲み取れなかったらしい。
…いや、口を開かないリエルにも問題があるのだろう。
――私も前線で戦いたい。
この程度のことを伝えられないようでは。
いつまで経っても出来損ないの女童のままだ。
…変われなければ、兄と同じく灰に成るだけだが。
◆
「…っ!」
「マジで、こいつ…!」
『 RRYYUUU…, ―――RRYYYUUUUU!!!! 』
「…いつになったら倒れんだよ!!!」
戦闘開始から、一時間近くの時が経とうとしていた。
突撃、退却、突撃、退却、突撃、退却、………。
彼らが何度繰り返したか、数えることすら億劫だ。
一つだけ確かなのは、幻妖に挑む游蕩士達は既に精疲力尽といった様子であり。
対する幻妖――玄武は、全身に無数の傷を負いながらも未だに倒れる気配を見せていないという事実である。
「! 蛇が来るぜ、下がれぇー!!」
叫び続けたミドルの喉は潰れかけている。
むしろ、まだ声が出せることを賞賛されるべきだ。
…己の危機にも気が付いていない愚か者もいるのだから。
『! リエル~、』
「……ハァ…っ、…はぁ……。」
『早く逃げないとマズいかも~!!』
「……っ!!!」
ようやく顔を上げたリエル。
彼女の正面には迫り来る土の人形の姿があった。
つまり、後方支援に徹していたリエルの元にまで魔の手が伸びる程、玄武の侵攻が進んでいるということだ。
逃げ遅れた少女に、蛇が飛びつこうとした瞬間。
背後から現れたミドルが、『無』で蛇を弾き飛ばした。
彼はそのままリエルをお姫様のように抱きかかえ、玄武の攻撃から全速力で逃走し始める。
「…あ、ありがと。ミドルさん。」
「おぅよ! 惚れたなら正直に言えよな!」
「……それは無いけど…。」
「クァーー! そっちは正直に言わなくていいんだよ!」
ケタイら亡骸の傍にリエルを降ろしたミドル。
すると、数体の亡骸が彼に話しかけた。
『ミドルぅ、そろそろ手伝っちゃろか…?』
『そうさね。アンタも怪我だらけで…。』
『これまで死人が出てないのは奇跡じゃて。』
それは、加勢の申し出だった。
元はオオラモから紺糸に宛てられた依頼。
亡骸達は直接的な手を出さないルールだ。
しかし相手は幻妖。そう甘いことも言ってられない。
今の紺糸メンバーは誰が見ても分かるほど疲弊していた。
亡骸の言う通り、死人が出るのも時間の問題だ。
「……………。」
『なー、ミドル。分かってくれな?』
『お前達に、死んで欲しくないんじゃ。』
『これ以上の犠牲者は必要ねぇ、それだけさね。』
亡骸達に刻まれた記憶。
それは玄武に潰される街の民達。
それは土の蛇達に四肢をもがれる仲間の姿。
それは幻妖相手に無惨な敗北を遂げた、己の苦痛。
…今を生きる若者に向けた、死者からの願いだった。
それを、目を瞑りながらしっかり受け止めたミドルは、
「……へへっ、こっからだってんだ。」
『……ミドル………。』
亡骸に背を向け、枯れた声を張り上げた。
「―――オメェら、答えろぉ!!!!」
◆
『…ミドル。』
「あ? なんだよ改まって。」
訓練開始から三日が経過していた。
ミドルの足元には大量の瓦礫が転がっている。
一見その他の平凡な瓦礫と似ているが、…違う。
ナイフのように尖った角、腐食の見られぬ割れ目。
隣り合わせの物を繋ぎ合わせていけば、十数個の巨大な岩になることがはっきりと分かるだろう。
これらの瓦礫はこの数日で生まれた物だ。
他ならぬ、ミドルの妖術によって。
だからこそ、オオラモはミドルに問いかけた。
『お前、なんでサブリーダーなんかやってるんだぁ?』
悪意の欠片もない純粋な疑問だった。
それを受けたミドルは笑いながら答える。
「なんでって言われてもな? 普通に俺がやりてぇからやってるだけだけどよぉ。俺じゃサブリーダーに相応しくねぇってことかぁ?」
『あぁ、その通りだなぁ。』
「おいおい! そこまではっきり言われちまうと俺の立場が無ぇんだが。もっと気を遣えとまでは言わねぇけど、少しはオブラートに包んでくれよ!」
『…じゃあ、はっきり言おぅかぁ。
――なんでその強さで、リーダーじゃなぃんだぁ?』
元防衛団団長――オオラモにそう言わせるほど、ミドルの戦闘に対する適性は高かった。
『…当初の予定じゃぁ、妖力孔の操作に五日。
波の基礎に更に五日、応用に四日のつもりだった。
けど…、それ全部を三日で終わらせるとはなぁ…。』
「へへっ、俺にかかりゃこんなもんよ。』
自慢気に鼻を伸ばしたミドルだったが、そんな彼を見るオオラモの目つきは既に大きく変わっていた。
口だけは達者なお調子者サブリーダー?
莫迦を言うな、この男は超一流の戦闘屋だ。
おまけに指揮官としての腕も持ち合わせている。
リーダーとしてはこれ以上無いくらいに優秀だった。
『…正直、俺の時代に欲しかった人材だなぁ。』
「べた褒めじゃねぇか、あんだけ鞭を打ってやるって意気込んでた癖によ?」
『あぁ、こんな衝撃何百年ぶりか分からなぃ。』
どれだけ挑発しても賞賛の声を止めないオオラモに、流石のミドルも調子を狂わされているようだ。
「あー、なんでリーダーやらねぇか、だっけか?
理由自体は割と簡単なことなんだけどな?」
人差し指を立てたミドル。
「まず、俺は目立ちたがり屋の恥ずかしがり屋だ。
サブリーダーっつぅのが性格的に一番向いてんだ。」
次いで立てられたのは中指。
「それと、リーダーってのは戦闘狂がやるもんだ。
俺はそこまで命知らずな馬鹿になれねぇからな。」
最後に立てられたのは薬指。
「んで、俺は紺糸の野蛮な奴らが大好きだ。
ロットが直々に集めた、今のメンバーがな!」
◆
「 イエスかノーの二択だ!! 声出せよぉ!? 」
突如として戦場に響き渡った大声。
蛇の人形を返り討ちにした男達が驚いたように振り返る。
『 …RRRYYYUU……. 』
玄武がゆっくりと前進を始めた。
人間共の茶番に付き合う趣味は無いのだろう。
そんなことにも構わず、ミドルは叫ぶ。
「奴の攻撃に蹴散らされるのは、自然な流れかぁ!?」
「「「「 ……ノー!! 」」」」
「俺達が敗北するのは、自然な流れかぁ!?」
「「「「 ――ノー!! 」」」」
「だよなぁ! んな流れ、俺が止めてやるぜ!!」
愚かな大言壮語だ。
一人の人間にそんな影響力は無い。
それでも、ミドルは問いかけを続ける。
「お前らがアイツの甲羅を砕くのは、自然な流れかぁ!?」
「「「「 ――イエス!! 」」」」
「あのデカブツをぶっ倒すのは、自然な流れかぁ!?」
「「「「 ――イエス!! 」」」」
「だよなぁ!その流れ、リエルが後押ししてくれるぜ!!」
無責任な神風主義だ。
更に、頼る相手までをも取り違えている。
この小娘にそんな能力も覚悟も無い――
「分かったかリエル! お前に掛かってんだ!!
劣等感なんていらねぇんだ! やれんのか!?」
「……うん!! やれる!!!」
――改めよう。どうやら覚悟はあるらしい。
ミドルは『封』を込めた長剣を天に向けた。
大胆不敵に口角をあげると、再び大声を響かせる。
「加勢なんてものは必要ねぇ!
何にも縛られるな! "勝つ"ことだけを考えろ!!」
「「「「「 ――応!!! 」」」」」
『 ―――RRRYYYUUUUUU!!!!!!! 』
それは、幻妖に対する正面切っての宣戦布告だった。
…或いは、自然で残酷な流れを強いる世界に向けての。
◇
それからどれだけの時が経ったのだろうか。
男達の喉は枯れ、汗は滴り、血は舞い散った。
それでも彼らは脚を、腕を、声を止めない。
ただ一心不乱に、――勝利だけを求めて。
「……ぜぇ…、…ゼェ…、」
ミドルは背中から地面に勢いよく倒れ込んだ。
彼の体は泥まみれで、端々が破けていた。
『 ……ryu…Rryyuu……. 』
同時期に力無く地に伏した玄武。
奴の自慢の甲羅は跡形も無いまでに砕かれている。
太い脚や首にも無数の切り傷が刻まれていた。
お互いに、そこから一歩も動くことは叶わない。
両者の違いは生きているか死んでいるかのみ。
『 ………………. 』
「…ゼェ…、あぁ、――俺達の勝ちだぜ。』
―――野太い歓声が沸き起こった。
ミドルらしい、泥臭く華の無い勝利。
それでも、今の彼らには特大の報酬なのだろう。
◇
それを優しい目で見ていた一体の亡骸は、
『けははっ、君らは凄いね~。…合格かな。』
小さな呟きと共に『癒』の妖術を発動させた。
塞き止められていた流れを、正しく流れさせる為に。
やんちゃな坊主を、やんちゃな男達に託す為に。
「………!! ケタイさん、体が変だよ…?」
「おいおい…、お前ら、全員もだぜ?」
『心配すんなぁ? そういう筋書きだからなぁ。』
驚愕の声をあげるリエルとミドル。
そんな彼らに優しく答えたのは、オオラモだった。
無表情のロットもその横を歩いている。
「おぉ、お前らのとこも終わったのか?」
『結構前になぁ、…別件で遅れたけどなぁ?』
「べすと、たいみんぐ。」
『っはは、そぅいうことにしとぃてやる。』
オオラモはポンポンとロットを叩いた。
叩かれたロットは、相変わらずの仏頂面。
けれど、普段よりも少し柔らかな雰囲気だった。
オオラモとの勝負の結果は敢えて濁すが…、勝負自体がロットにとって有意義な物だったのだろう。
「オオラモさん、筋書きってどういうこと?」
『…つまりは、俺達の計画通りってことだなぁ。』
「…? 幻妖との戦いが?」
『いぃや、そこまではお前らの実力次第だったからなぁ。
俺達が考ぇてたのは、ここからの話の展開だなぁ。』
オオラモはポリポリと頭を掻くと、言葉を紡いだ。
『分かりやすく言ぅと、…"集団自殺"になるなぁ。』
…游蕩士達の顔が強張る。
「……なんで、そんなこと…。」
『少し語弊があったかもなぁ。
そもそも、俺達は三百年前に一回死んでる。
それを蘇らせたのが封の精霊だなぁ…』
『 ――UUUUUUAAAAaaaaaaa!!! 』
「「「「 …!!!! 」」」」
『…丁度、来たみたぃだなぁ。』
オオラモの視線の先には、一つの塊があった。
つきたての餅のような弾力がありそうな白い肌。
シルエットは丸っぽいが、尻尾のような物も見える。
短い手が二本、浮遊できるからか脚は無いようだ。
三日月模様の口元、ぼろきれのようなマフラー。
クリリとした二つの眼からは、…涙を流していた。
『 UUUAAAaaa…, UUUUuuuu…!!! 』
『紹介しとくなぁ。ぁれが封の精霊――ドロプだ。』
「…あいつ、何で泣いてんだ?」
『それ含め説明したぃんだけどなぁ…。』
オオラモは困ったように微笑んだ。
『とりあぇず、逃げなぃとマズぃかもなぁ?』
「……え?」
『 …UAAAAAaaaaa!!!!! 』
近くの高い建物が音を立てて倒壊を始めた。
大通りに佇む彼らへと倒れ掛かるように。
「! そういん、たいひ!」
「オメェら! こっちに…」
そう言いかけたミドルは、ある光景を目にした。
大通りに面する建物達全てが、自分達の逃げ道を塞ぐように突如として倒壊し始めている様子を。
明らかに人為的な出来事。
容疑者は封の精霊以外に存在しない。
「…っ! 全員今すぐ散れ!! 生き残れよ!!!」
直後、大路が瓦礫によって埋め尽くされた。
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『剣の軽量化…という視点は正しい。
だが、手段は同じでも最終的な目的が違う。』
「目的、ですか?」
『まず、剣の振るう回数は一回だ。
連撃も良いが、一振りごとの精度が落ちる。』
『次に、"時間"という概念の理解が求められる。
難しい話になるが…、ゆっくり身に馴染ませろ。』
『人間は、世の理を解する為に"次元"という物を考えた。
最初は、直線のみが存在する一次元を。
一次元を幾度となく重ね合わせると、二次元となり。
二次元を幾度となく重ね合わせると、三次元となる。
…これが、俺達の存在する"空間"としての次元だ。』
『ヒシ、勘で良い。四次元を説明してみろ。』
「…三次元を幾度となく重ね合わせた次元?」
『あぁ、そこで現れるのが"時間"だ。
そして『光』はこの四次元に干渉できる。』
「他の妖術じゃ出来ないんですか?」
『俺達はあくまでも三次元の存在。
己より高次元の世界は、知覚することすら不可能だ。』
「…なら、俺もその例に漏れず、だと思うんですが。」
『尤もだ。だから、頭に思い浮かべろ。
全く知りえない世界へ刃を差し込む自分の姿を。』
「…………。」
『いいか、ここに一冊の本がある。
これが四次元の世界――"時空"だと思え。
その内、一ページ。これが三次元の世界だ。
この一枚を剣で切れと言われたら、出来るか?』
「えぇ。」
『ならば、この本一冊を斬れ。出来るか?』
「恐らく。」
『ならば、この本を縦に百冊積み上げよう。
それを一刀両断してみろ。出来るか?』
「…それは、無理です。」
『四次元の世界を斬るというのはそういうことだ。
腕にかかる負荷は従来の数万、数十万倍にもなる。
剣を極限まで軽くする必要性は分かったか?』
「はい、何となく。
…けど、四次元を斬る必要性が分かりません。
そこまでして、どんな効果が得られるんですか?」
『…お前はさっき百二十回剣を振るったな。
掛かった時間は、大体二十秒くらいか。』
『それを総計した威力を、コンマ一秒で出せるとすれば。
相手に気づかれる間もなく、叩き込めるとすれば。』
「………。」
『《月華》は、相手の未来を斬る技だ。
数十万分割にした相手の数秒間を、一撃で断ち斬れ。』
◇
道の中央、ヒトリの青年が微動だにせず立っていた。
承和色の髪は透き通るような淡さを保ち。
長いまつ毛は綺麗な二重を引き立たせている。
小さな手で握る柄には麗しい彫刻が成されていた。
きっと彼好みに創られた片手剣なのだろう。
両耳のピアスは優しいそよ風に揺られ。
左手の指輪は天上からの光を鋭く反射させていた。
彼は瞼を閉ざし、精神を研ぎ澄ましていた。
彼が放つ音は、小さな呼吸音と緩やかな鼓動音だけだ。
その時、西門が激しい崩落音を鳴らした。
土煙が青年の元にまで届く。…が、彼はやはり動かない。
完全に崩れた外壁から姿を現したのは、一匹の幻妖だ。
白い体毛に巡らされた黒の縞模様は黄泉の稲妻のように。
翠色に輝く双眼は浮世の至宝のように、力強く在った。
大きく開いた口から鋭い犬歯を覗かせ、
周囲の大気には激しい電気を帯びさせ、
長い尻尾を見せつけるように振り回しながら、
その幻妖――白虎は、青年に飛び掛かった。
青年が、ようやく目を開いた。
金色の瞳で今にも自身を喰らおうとする獣を見つめ。
「………スゥ……。」
息を吐き、"星影"と名付けられたその剣を引き抜いた。
青年を覆うように、高密度の妖力が渦巻き始める。
それは、彼がガドの下で身に付けた妖力操作の応用。
全身を補強する為の精確な妖術の制御。
更に極めれば、"鎧"と呼ばれる域に達するだろう。
けれども、彼にとっては通過点でしか無かった。
鎧など、負荷が掛かる右手を補助する為のただの手段だ。
ここまでの流れで白虎はほとんど動けていない。
それは青年の体感時間が引き延ばされているから。
『光』の効果の一つだが、…それはもう少し先の話。
それでも時間が完全に止まっている訳ではない。
白虎は確実に青年に近づいている。
奴の鋭い爪が肉を引き裂くのも、時間の問題。
だから、そうなる前に青年が動いた。
彼の剣に膨大な『光』の妖力が注がれていく。
通常ならば妖石が壊れるレベルの妖力量。
しかし、その妖石は紛うことなく幻妖の物だった。
そこらの雑多な化物の妖石とはそもそもの格が違うのだ。
その剣を構えた青年は、自身の思考空間へ飛び込んだ。
彼の前に置かれたのは、積まれた数十万枚の薄い紙。
よく見ると、一枚一枚に白虎が描かれている。
コマ撮りのように、少しずつ動きが加えられた状態で。
まるで数秒後の白虎が投影されているかのように。
青年――ヒシは、『光』の剣を天高く構えた。
覚悟を決めたような、澄んだ瞳で紙を見つめると、
「―――《月華》」
光に届くほどの速度で、剣を振り下ろした。
積み上げられた紙が真っ二つに斬られた瞬間。
ヒシの意識は脳内から現実へと引き戻された。
此方でも、右手の剣は既に地面へと到達している。
現実の体もイメージと連動して動いたのだろう。
既にヒシの体感時間も通常の状態に戻っている。
しかし、白虎は止まっていなかった。
ここから先、ヒシが何をしようとも意味は無い。
既に彼の…彼らの未来は決まってしまったのだから。
獣の雄叫びをあげながら迫り来る巨大な幻妖は、
――その二秒後、全身から光を発しながら絶命した。
まるで、蓄積したダメージが発散されたかのように。
神が"死"という運命を定め、手を下したかのように。
断末魔をあげる余裕すら与えられず、刹那の内に。
三百年前の一大幻妖は、その長い生命に幕を下ろした。
◇
「――っ、痛…。」
ヒシは左手で自らの右手を押さえた。
彼の右手は不自然な方向に曲がってしまっている。
先の妖術に耐えきることが出来なかったのだろう。
修行中は、問題なく使えていたはずだが…。
『…少し無理をしたな。』
「…バレました?」
『あぁ、想像以上の威力だった。』
「まぁ、すぐ治るとは思うので…。」
練習の倍近い負荷が掛かっていたのだ。
骨折程度で済んだのが幸運とも言える。
ヒシは振り返り、後ろから歩いてきたクロスに微笑み……かけて、息を呑んだ。
「…その、体は?」
『あぁ、少し前からこうだったが。』
「……すいません、気づきませんでした。」
『二時間近く白虎を待っていたからな。』
「……もう、そんな経ったんですね。」
ヒシの体感時間からすればもっと長いはずだが、それすらも感じぬほど、彼が集中していたのだろう。
何にせよ、問題はすぐそこにあった。
クロスの体から夥しい量の妖力が漏れ出ており、身体自体もボロボロに崩れかけているのだ。
何が起こっているのかは分からない。
けど、ヒシも何が起こるのかは分かったようだ。
「…もうじき死ぬ、ってことですよね。」
『あぁ、俺もそう聞いている。』
冷静な会話だった。
聡明な二人だからこその落ち着き様だ。
ヒシは、クロスを見つめ、提案した。
「――少し、話しませんか?」
話したいことなど、幾らでもあったから。
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