第二十七話 毒の精霊
四歳の春。
母様と散歩をしているとき。
その小さな塊を見つけた。
薄紫色の、ぷよぷよとした物体。
太陽の光でキラキラと輝いているように見えた。
可愛い物好きだった私がそれに触れない訳が無い。
きっと自分の宝箱にでも仕舞おうと考えていたのだろう。
その物体が動き出すまでは。
当時の衝撃を忘れることは無いだろう。
…何せ、ただでさえ可愛い物が"生き物"だったのだ。
護衛で付いていた召使いの声も、
母様の朗らかな笑い声も聞かずに。
まだ幼かった少女はこう言った。
『私、この子飼いたい!』
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薄暗いジメジメとした洞窟の奥底。
ぴちゃ、ぴちゃ。水音が響く。
都会で耳を澄ましても聞こえない様な小さな水音。
ここまで鮮明に響くのは他の音源が無いから。
少し語弊があるかもしれない。
音源に成り得る物自体はあるのだ。
ただ、その生物がピクリとも動かないだけで。
鍾乳石から滴る水が己の体に追突しようと。
洞窟の鼓動に殺戮を急かされようと。
その生物は一切の興味を示さない。
諦めきれない想いに縛られたまま、
何をするでもなく洞窟の奥で鎮座する。
全く無価値な永遠の命がそれを可能にさせている。
そんな生物にも活性化の時機というものがあった。
粘体をぷるりと揺らし、
体を引きずるようにして動き出す。
期待と諦念を浮かばせながら。
八つ当たりのように石の壁を溶かしながら。
ゆっくりと、侵入者の気配を探る。
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父様は厳格な人だった。
運輸業界の最も偉い人だとか、
何百人の部下を持つ凄腕だとか。
子供の私には何を言っているのか分からなかったが、
とにかく仕事のできる人だったらしい。
父様が私に喋りかける時となれば、
食事のマナー、挨拶の仕方、勉強の大切さとか。
小難しいことばかりで正直少し怖かった。
そんな人だったから、
私が■■を飼うことにも否定的だった。
世話は出来るのか、責任は持てるのか。
色々問い詰められたけど、とりあえず全部頷いた。
病原菌は無いのか、暴れ出したりしないか。
知らないけど、とりあえず全部頷いといた。
最終的に母様の説得が入り、
■■は無事に私の家族になった。
あの時ほど母様に感謝を述べたことは無いだろう。
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長く入り組んだ洞窟。
何年前から住み着いているのかもう覚えてない。
内部構造は定期的に変わるけど、
その都度新しい道筋が頭に入り込んでくるから。
■■が洞窟内を迷うことは無い。
いつでも真っ直ぐ出口に向かうことが出来る。
前の侵入はいつだったっけ。
三十日前くらいかな、男の人だった。
すぐに追い払ったけど。
待ち続けても意味が無いことは分かってる。
ここに人間が訪れることは滅多にないし、
数万人の中の一人が来る確率など考えたくもない。
しかも人間には寿命があるのだから。
時間制限まで付けば、その無謀さは際立つ。
……この曲がり角の先かな。
数は多分一つだけ。
たまたま迷い込んだだけの人間だろう。
さっさと追い払って彼処に戻ろう。
居た。
細い脚。
色白の肌。
鋭い爪のような武器。
深く被ったフード。
そこからはみ出た髪は、萩色で…、
…いや、違う。
期待しちゃダメだ。
そんなはずないじゃんか。
こんな場所に居るはずないじゃんか。
「――――イム?」
全身に電流が走るかのようだった。
違う、違う、違う。
まだこちらを見ていない。
まだこちらに気付いていない。
そんなはずは…、
「――――ぁ。」
体を引きずり、鳴り響いてしまった水音。
…今度は、確実に存在を視認された。
記憶の底で眠っていたモノが蘇る。
イムを呼ぶ甘く優しい声。
イムに被さる艶のある美しい髪。
違う。もっと核心的なことがある。
彼女は、イムをイムだと知っていた。
それを知っているのはほんの数人。
"かあさま"、"とおさま"、"めしつかい"。
あとは、イムをイムだと名付けた少女。
気持ちがぐちゃぐちゃになって。
自分がどうしたいのすら分からなくなって。
『 ……Naa…,……Naaa……!! 』
気付いた時には逃げ出していた。
とにかく、遠くへ。遠くへ…!
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イムはなんでも食べた。
人間は雑食動物だというけど、
イムに比べればまだ可愛らしいものだろう。
道端の雑草も小石も全部飲み込んでいたし、
私の宝箱を丸ごと食べたこともあった。
…今でも覚えているくらいの大喧嘩。
数日間はお互い顔も合わせなかった。
結局寂しくなって、泣きながら仲直りしたけど。
イムはすくすくと大きくなった。
最初は私の拳くらいだったのに、
気付けば顔くらいの大きさになっていた。
半透明な体で消化器官とかは無かったけど、
どこで栄養を吸収していたんだろうか。
その頃には召使いもイムと遊ぶようになったし、
父様から受ける苦情の数も大分減っていた。
同じ屋敷に住まうモノとして、
いや、家族の一員として確かに認められていた。
――さて、話は少し変わる。
イムを拾ってから二年。
私がちょうど六歳の誕生日を迎える頃。
端的に言うと、私は苛められていた。
加害者は同じリソルディアに住む少年少女達。
苛めの要因は…、今になってもよく分からない。
ずっとイムと遊んでいるだとか、
金持ちの家に生まれただとか。
まぁ、その程度の物だろう。
まだ学校にも通ってない、年端の行かない子供達。
だが環境に依るものか、人間の本能か。
弱い者を甚振ることに容赦などなかった。
近寄れば殴られ、蹴られ。
遠くから見つかれば石を投げつけられ。
その頃にはもう外に出るのも嫌になっていた。
幸いにも屋敷の中は広かったし、
イムと遊べるスペースも充分にあったから。
痛めつけられる為にわざわざ外へ行く必要が無い。
私は屋敷に引き籠るようになった。
母様は私を心配していた。
父様に何度も相談していたようだ。
私を苛める子供の家へ直接出向くこともあったらしい。
父様は傍観を貫いていた。
傍観…、"無視"と言えば分かりやすい。
その程度のこと、自分の力で乗り越えろと。
齢六歳の少女にそう告げた。
イムの様子は変わらない。
イムだけはずっと私の傍に居てくれた。
笑いながら走る私の友として。
泣きながら眠る私の枕として。
…イムはずっと傍で見ていた。
私が苛められる様子も。
涙を流しながら辿る帰路も。
勿論、私を苛めていた子供達の顔も。
どこかに付いているであろう眼で見ていた。
私が何故家を出なくなったかも。
どこかに在るであろう脳で考えていたんだろう。
私が眼を覚ますと、屋敷がざわついていた。
玄関に行くと数人の大人達が顔を真っ赤にしていて。
彼らが私を苛めていた子供の親だとすぐに気づいた。
だが、その子供達の姿は何処にも無い。
母様は彼らにずっと謝っていた。
父様はこれまでに無いくらいの形相だった。
…その二人の足元には、檻があった。
私の親友、イムが閉じ込められた、檻が。
――何故。
近づきそう叫ぶと、召使いが経緯を教えてくれた。
夜中の間、イムが屋敷を抜け出したこと。
何軒かの家に忍び込んだこと。
眠る子供達に噛みついたこと。
同時に、体の内部に『毒』を注入したこと。
私は言葉が出なかった。
ショックを受けたからではない。
何故イムがそんなことをしたか、悟ったから。
イムにしてみればただの敵討ちだ。
親友が苛められたから、やり返した。それだけ。
でも事はそう簡単ではない。
――飼われていた化物が他者に危害を加えた。
その事実が重要だった。
幼い私は、"契約"というシステムを知らなかった。
当然、イムを眷属にしていた訳では無い。
そのことは余計被害者家族を憤らせたらしい。
眷属化をしたとて、安全は保障されないのだが…。
何にせよ様々な要因で過失はこちらにあると判断され。
多額の賠償金を支払うことによって一件は解決した。
幸い『毒』を受けた子供達の命も無事だったらしい。
小さな化物の小さな復讐。
それで終われば良かったのに。
次の日、父様はイムを捨てた。
---
あぁ、捨てられたんだ。
すぐにそう悟った。
悪いことをしたという自覚はある。
でも先に手を出したのはあいつらだし。
あれくらいの痛み。
もふぁが受けたものに比べれば大したことない。
もうもふぁに手を出すことは無いよね。
檻を溶かし、外へ出る。
見たことの無い土地だった。
モファの家に帰るのは無理だろう。
今更帰るつもりもない。
『 ………Naa……。 』
…嗚呼。
……あぁ。
………あ、ぁ。
ねぇ、もふぁ。
イムね、寂しいよ。
『 …Naa…,……Naaa!! 』
寂、しい。
なんで、隣にいないの?
ここどこ? ねぇ。
やだよ。帰りたい。
また遊ぼうよ、もふぁ。
寂しい、寂しい、寂しい、
寂しい寂しい寂しい寂しい、
寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい、
…気づいた時には、洞窟の入り口に立っていた。
ジメジメとした暗い洞窟が、招くように口を空けている。
餌を求める迷宮が早く入って来いと言っている。
――いいよ、早くイムを殺してよ。
入ってすぐ、大きな蜥蜴が居た。
そいつは毒液を撒き散らしながら迫ってくる。
これで死ねるのだと…、
――やだ、やだ…! 死にたく、ない!
…気づけばドロドロの死体が目の前にあった。
結構進んで、蝙蝠の大群に会った。
そいつらは笑いながら襲い掛かってくる。
次は死のうと…、
――もふぁ、もふぁ、もふぁ…!
…気づけば辺りは静まり返っていた。
最深部、半円形の大きな空間。
天井から鍾乳石が伸びている。
待ち構えていたのは巨大な蜘蛛。
気持ちの悪い糸を張り巡らせている。
これには勝てないな…、
――…寂しいよ、遊びたいよ。
――暗い、気持ち悪い、お腹もすいた…。
――もふぁ…、宝物食べちゃってごめんね、
――そしたら、もっと遊んでくれるかなって、
――ごめん、ごめん、もふぁ…、もふぁ…!
――…やだよ、死ぬの、生きたい、
――生きて、かえりたい、…もふぁ…、
――…会いたい、会いたい。もう一回だけ、
――…ぁ、死んだら、もう、会えない…?
――生きないと、会えないんだ…、
――…そっか、そうなんだ、…じゃあ…、
『 ――Naaaaaa!!!!! 』
勝たないと。
勝って、生きて、会わないと…!
……体中が痛かった。
蜘蛛は跡形も無く溶けている。
天井から鍾乳石が落ちてきた。
蜘蛛を倒したから、洞窟が崩れるのか。
崩れたらイムも石に埋まってしまう。
それでは困る、まだ死ねない。
その時、二つの声が聞こえた。
淡々とした声と、半笑いの声。
それぞれ全然違う声だったけど。
イムに何かを相談しているようだった。
細かいことは分からない。
でも大切なことは聞き取れた。
『『 生き残りたいなら…、 』』
生きたい、生きたい。
力を貸してくれるなら借りよう。
二つの声に対し了承の旨を伝え…、
イムは、トキシン迷宮の親玉。
――兼、毒の精霊という座についた。
---
『 …Sya, a, aa… 』
「……………。」
地面に転がる妖石に目もくれず、
ようやく掴んだイムの姿を追いかける。
イムはいとも簡単に処分された。
父様の中に葛藤などは無かっただろう。
ただ不要になったものを廃棄しただけだ。
だが、私にとって。
母様にとって、それは度し難い行為だった。
その日から、母様と父様の言い合いが増えた。
普段の朗らかな姿からは想像もできない程、
母様は父様を厳しく非難していて。
父様は呆れたように首を横に振り。
召使いだった初老の男は私を宥めてくれた。
どうしてそういうことが平然と出来るの?
だから責任が取れるかどうか聞いただろう。
あの子の気持ちを考えたことはある?
他人様に迷惑をかけたんだぞ。
モファも沢山辛い思いをさせられたわ。
やり返していい理由になっていない。
屋敷に冷たい空気が流れて。
数日後、母様は私を連れて屋敷を出た。
ユルドースの端、小さな家の中。
温かみのある生活が始まった。
何故か、召使いの男が家事をしに来ることがあった。
仕事はどうしたのと聞くと、解雇されたのだと。
…あの優秀さで解雇などされるはずも無いだろうに。
8歳で学校に通い始めた。
フヅキとシャオレに会ったのは確かその時。
シャオレは7歳の時に学校に入ったらしいけど、
私とフヅキが先にB組に上がって、ちょっと泣いてたな。
フヅキは私が辞めた後も二年間通って、
16歳の時にはA組まで行ってたのだとか。
…まぁ、あの不良は14歳でA組だとか言われてたけど。
父様の訃報を聞いたのは14歳の冬。
過労で体調を崩しやすいというのは聞いていた。
私と母様が家を出た辺りから無理を続けていて、
冬の寒さも相まり遂には逝ってしまったそうだ。
父様には母様が必要だったのだろう。
母様という"ストッパー"が無くなった結果だと思う。
同時に、母様にも父様の存在は不可欠だったではと、
……知らせを聞いて涙を流す母様を見て、思った。
遺書もなく、遺言もなし。
結果、遺産は母様と私に受け継がれた。
既に使用人には暇を出してあるらしく、
あのあまりにも広すぎる屋敷も私達の物になった。
…元手はある。
…あの職業に年齢制限は無かったはず。
…行動を起こすならば早めにすべき。
やるべきことは一つだった。
まず母様に相談をした。
止められたし、心配もされたけど。
その為に学校へ通い始めたのだ。
無知を減らして、街の外に出る為に。
一度失ったものを取り戻したくて。
次に実績が必要だった。
当時14歳の少女に実績などあるはずが無い。
でも、伝手だけはあった。
16歳という若さで幻妖を倒し、
垂柳の寧静というギルドを立ち上げた男。
<罪の劫火>で亡くなった父の意思を継いで、
褐礫の約諾というギルドを纏め上げる男。
二人とも、私より三歳年上。
学校に通っているときに面識は作っていた。
実績として2ギルドからの推薦があれば充分。
あと決めるべきは活動方針。
イムの捜索はあくまで個人的な話だ。
それを方針としてもギルドメンバーは集まらない。
そう考えかけて、やめた。
私にとって大切なことは一つだけで。
イムの捜索もそれに含まれるだろうから。
『孤独な生き物の庇護』
捨てられてしまった生物を。
帰る場所を失った子供達を。
拾って、育てて、護ることが出来るギルド。
そんな彼らの家になれるようなギルド。
<姫萩の寵栄>が創立した。
――――…………。
「……イム。」
洞窟の奥に向けて名前を呼ぶ。
音の響きが良い、きっとイムにも聞こえているはず。
だが、返事は帰ってこない。
「………イム。」
どくどくと脈打つ心臓を抑え、もう一度。
13年越しの再開、緊張はしてしまう。
ベイドから聞き出した情報。
毒の精霊の性格は、『執着』。
もしイムが精霊になっていれば、
間違いなくソレになるだろうと予想していた。
ニュートが発見したこのトキシン迷宮。
そして薄紫色の粘体生物。――それも、精霊。
父様が游蕩士に依頼してイムを捨てさせたのは、
トキシン迷宮から数百メートル離れた場所。
ここにイムが居るというのは、
ほとんど確信に近い推測だった。
ただ、イムの気持ちまでは分からない。
自分を捨てた人間を恨んでいる?
もう人間の街に戻るつもりなど無い?
人間を殺すことに『執着』している?
相手はあくまで精霊。
イムに憎悪があれば私も即死する。
迷宮探索に一人で来たのもその理由だ。
姫萩のメンバーをこんな危険に巻き込みたくはない。
服が汚れるのも厭わずに細い道を進み。
巨大な妖力を頼りに暗い穴を抜け。
辿り着いたのは、広い空間だった。
美しい鍾乳石が天井に敷き詰められている。
地面は所々が水溜まりになっていた。
その空間の端で体を震わすのは、小さな化物。
幾度となく夢に見た、私の親友。
フードを取り、顔を曝け出す。
「…イム。」
『 ……Naa, 』
イムは壁際に逃げたまま、私を見てくれない。
---
感動の再開。
そのはずなのに、モファの顔を直視出来ない。
ずっと会いたかったのに、近寄れない。
「…イム?」
『 …Naaa…, 』
その理由は分かってる。
イムは、モファに会うのが怖かった。
勝手な復讐して、
色んな人を悲しませて、
別れも告げずに離れ離れになって、
きっと、モファにも沢山の迷惑をかけてだろう。
モファのことを沢山悲しませてしまっただろう。
ずっと会いたかった。
でも、いざ前にすると、どうしようもなく怖い。
イムは嫌われてないだろうか。
モファは怒ってないだろうか。
「…ずっと、ずっと、会いたかった。」
『 ……Naa……, 』
イムも会いたかった。
ずっと、ずぅっと、会いたかった。
でもその前に謝らないといけない。
勝手にいなくなったことを"ごめんなさい"しないと。
そう思い、壁から離れて、モファの方を向いて、
逃げる暇もなく、抱きつかれた。
「…っひぐ…、イム、いむぅ…、」
まるで幼い少女に戻ったかのように、
「…ほんとに、…っひぐ…、会いた、かった…!」
ぼたぼたと涙を流すモファ。
「…遅くなって、…ほんとに、ごめんね…、」
『 …Naa,…Naaa…!! 』
全然、遅くなんかない。
むしろ早かったくらいだ…、
『 Naaaa…! …Naaaaa……!!! 』
イムも、ずっと会いたかった。
やっと会えた、やっと戻れた。
「…っんぐ…、…もう、絶対離さないからね…、」
『 Naaa……,Naaaa………!! 』
体を締め付ける強い力。
同じくらいの力でモファに抱きつく。
イムも、離さない。
これから先はずっと隣で。
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