第二十二話 火の精霊
火の精霊――アグニはよく"狂暴"と形容される。
それは蜥蜴のような姿をしていた前火の精霊を殺害し、武力を以て精霊という座を奪い取ったという逸話からくる印象だろう。
だが、その逸話が広く知られるきっかけとなった文献には記載していない情報がいくつかある。勿論嘘は書かれてないが、真実が全て記されている訳でもない。
化物というのは、時に群れを作ることがある。
同種族ではなく、全くの別種族同士でだ。
利害の一致と言えばそれまでだが、
その一言だけでは説明しきれない性質だとは思う。
それはアグニがまだ名前を持たなかった頃の話。
小さなコミュニティの中で生きていた頃の話。
針鼠、飛鳥、蜥蜴、土竜、子熊…。
姿形の違う十数種類の化物達。
彼らは寄り添い合って生きていた。
主食も寝床も習性もほとんど一致しない。
活動時間もバラバラ、共通言語などあるはずもない。
だが、彼らは自然と集まった。
その中でもアグニは最古参の化物だった。
そして、最強の化物でもあった。
強敵が来れば仲間を守りながら撃退し、
内輪でいざこざがあれば仲裁に入る。
彼に敵う化物など滅多に現れなかったし、
彼自身もその事実を喜んでいた。
彼にとって、その集団の平和が一番の願いだったから。
当然、出会いも別れも沢山あった。
数年も経てば集団内の化物は大きく入れ替わる。
昵懇の仲ともいえた一匹の蜥蜴との別れ。
最古参の一匹でもあった子熊の誉れある最期。
化物間で新たに生まれた一匹の小さな命。
その全てが彼のかけがえのない思い出だったのだ。
彼は悲しんだ。
焼け焦げた仲間の死体を目にして。
彼は悲しんだ。
かつての友が精霊になったと知って。
彼は悲しんだ。
あの人間がとてつもない『火』を使った理由を察して。
彼は悲しんだ。
この平和な住処が何故突き止められたのかを悟って。
彼は悲しんだ。
今の自分では決して敵わないと思い知らされて。
彼は心に決めた。
火の精霊となった友を殺すことを。
同胞を焼き尽くした人間を殺すことを。
彼が火の精霊の座についたのはその二年後だ。
――それでも貴方はアグニが狂暴な化物だと思いますか?
---
認めよう、この人間は強い。
僕の一生で見てもかなりの強敵に位置する。
身体能力はさることながら、最も優れているのはその精神力。
僕の火球をこれだけ凌げる人間がどれだけいるか。
あの男ですら五分と経たずに焼死体と化したのに。
それにお互いの妖術が発する熱の影響で、
この窪地の温度は40℃弱にまで引きあがっている。
とても並大抵の人間が耐えられる温度ではない。
例えば『水』で体を冷やしたり。
例えば『風』で周囲の熱気を飛ばしたり。
暑さへの対抗策はいくつか考えられる。
全ての妖術を操れる人間という種族ならば、
それらが最も容易で有効な対処方法だろう。
だからこそこの女性は異質だ。
暑さを気合だけで乗り切ろうとしている。
僕との、火の精霊との戦いで『火』しか使わない。
そんなことをすれば気温は上がるだけなのに。
自分の首を絞めるだけなのに。
…他の術を使えばもっといい勝負が出来ただろうに。
『 Syuu……! 』
「―――!」
本当に惜しい。
でも終わりにしよう。
半径十五メートルにも及ぶ巨大な火球を浮かばせる。
さながら、天に浮かぶ恒星のように。
人間の力では動かしようもない熱の塊。
『火』を司る精霊としての誇り。
強者で在らなければならない化物としての決意。
火の精霊という座が争いを引き起こす。
この圧倒的な力が僕の友を惹きつけた。
この強大な力が僕の仲間に手を掛けた。
ならば、僕が精霊で在り続けよう。
誰の手にもこの炎が渡らないように。
未来永劫、この席に座る化物は僕一匹だけでいい。
主人も配下も必要ない。五十年前にそう誓った。
逃げるなら逃げろ、人間。
人間など、嫌になるくらいあの日に殺した。
今更そこに躊躇いなど生じない。
約束を守る為なら、僕は殺すぞ。
僕の頭上に浮かぶ巨大な星。
それを見たその人間は静かに笑った。
---
無口で愛想の無い祖父に育てられた。
私が両親を亡くした五歳の時から、
祖父が病で倒れた十六歳の時まで。
倒れる直前まで鎚を持っていたくせに、
いざ倒れたら数日と持たない内に死ぬのだから驚きだ。
気持ちの整理などつく間もなく居なくなってしまった。
祖父がその刀を拾ったのは23歳の時らしい。
ちょうど五十年前、<悪の天誅>の真っ最中だ。
子供のような幻妖に殺されかけていた時、
フードを被った青年に命を救われたらしい。
その時の青年が使っていた刀を拾ったのだとか。
勝手に人の刀を盗ってきたのかとか、
拾ったというとその青年が捨てたみたいとか、
色々ツッコミ所はあるが、正直祖父には感謝しかない。
その刀が無ければ私は鍛冶師にならなかっただろうから。
つまり、当時六歳の私はその刀にまんまと魅入られた。
そこからは早かった。
二年間学校に通い、二年間祖父の仕事から見て学び。
十歳から二十歳の今までずっと刃を打ち続けている。
祖父は何も言わなかった。
学校での様子を聞いてくることは無かったし、
私が鍛冶師になることに対して反対も賛成も無かった。
ただ、死に際に一言。
――『俺は超えられなかった、』
その言葉がずっと忘れられない。
これから先も忘れることはないだろう。
結局、祖父も私と同じだったのだ。
たった一本の刃毀れした刀に惹かれて、
人生の全てをそれだけに注ぎ込む馬鹿な人間だった。
そんな祖父の生き様が、最高にカッコいいと感じた。
ただ一つを追い求めて死んでいった祖父に対し、
心の底からの敬意を抱いた。
祖父は言った。
自分は超えられなかったと。
ただ、その時の表情はいつになく穏やかだったのだ。
悔やんで然るべき事実を口にしたというのに。
祖父は、言葉を繋げた。
己の命が消え失せる直前。
最後の最期に残った力を振り絞って。
――『お前は超えろ。』
「……あぁ、超えよう。」
その約束を果たそう。
祖父と同じ馬鹿な人間として。
『 Syuu…! 』
火の精霊の火球は今にも爆発しそうだ。
その爆破に巻き込まれれば一溜りもないだろう。
だが、逃げるという選択肢は無い。
あの刀を超えるためには火の精霊の『火』が必要だ。
ここで正面から、今持ちうる『火』でぶつかってこそ。
「…………。」
刀を鞘に仕舞い、代わりに右手を空に突き上げる。
手首につけられた卯杖特製のミサンガが燃えるような赤色にキラリと輝いた。
一時間程度の戦闘で、数えきれないくらい避け続けた。
避け続けながら、目が焦げてしまうくらい見続けた。
見続けながら、脳が焼き切れるくらい考え続けた。
ミサンガを通し、上空に炎を創り出す。
本当に小さな、種火のようなか細い炎。
だがそれで充分。
「…まずは放胆に。」
妖力をさらに注ぎ込むと、豆粒のようだった種火が急激に膨張する。荒々しく粗暴な炎が天を埋め尽くした。
「次は堅実に。」
大きく広がった炎をある程度の大きさに纏め、その外側を新たな炎で包み込む。
「……丁重に。」
内側に包んだ炎に意識を向け、それの火力を徐々に引き上げていく。
火力の調節に失敗すれば溢れ出る。
かと言ってそちらにばかり意識を向けていれば外側が破れてしまう。
暴れる炎と包む炎。
二種類を極限まで練り上げ、
『 …Syuuu…… 』
「……ふぅ、」
火の精霊のソレに匹敵するような、
半径十五メートル弱の巨大な火の球が上空に完成した。
それを見た火の精霊は不機嫌そうに鳴く。
だがその顔に焦りの表情などは微塵も無い。
それはそうだ、所詮人間の粗削りな模倣技。
化物の頂点である精霊が創り出した火球には、
温度も練度も全くと言っていいほど届かない。
正面からぶつかり合えばどちらが優勢かは明らか。
「……そうだ、ここまでは模倣だ。」
まだ、終わらない。
模倣では、再現では超えられない壁がある。
こんな中途半端な技では終わらせない。
「私は、超えるぞ…!!」
『 ……!!! 』
天に掲げた手の平を固く閉ざす。
空に浮かんでいた巨大な火球は、それに呼応するように急速に収縮した。
数秒と経たない内に収縮は止まり、
雲のように白い小さな炎の塊のみが空に残された。
それはこの胸に秘めた想いの象徴。
熱く、静かに。燃え続ける意志を体現化した技。
――故に無敵。
この化物に私の炎までは焼き尽くせない。
『 Syuuuu……!!! 』
火の精霊の火球がゆっくりと迫りくる。
その火の球の中心に狙いを定め、
「――《久遠》!!!!」
永久に絶えることの無い炎を投げ飛ばす。
直後、光線と熱波が全身を突き刺した。
---
爆音、そして吹き荒れる超高温の風。
息を吸えば喉が焼けるような痛みに襲われ、
瞼を開ければ脳の奥底にまで届くような輝きに襲われた。
あらゆる超刺激を堪えながら、両手で握った剣だけは絶対に離さまいと握り込む力を更に強める。
そうして数十秒が経った頃、
ドロドロに溶けた《照葉》が目に映った。
「………。」
「……止んだ?」
「……あぁ、多分な。」
ベリーを庇うようにして立っていたヴァンも続けて目を開く。
「だから言ったでしょ? 危険だよ、ってね。」
「…まさか、《照葉》ですら熔けるとは。」
「ふむ…。あの一瞬でそれを張ったのかい?」
「意味があったかは怪しいですけど…。」
「いや……、上出来だね。――うん、上出来だ。」
「―――?」
ヴァンの腕に納まっていたベリーも恐る恐る目を開けた。
「…! シロンさんは!?」
そうだ、あの大爆発に最も近かった人間。
彼女は無事なのだろうか。
「大丈夫、シロンちゃんは無事だよ。
――こんなところで野垂れ死ぬ人間じゃないさ。」
立ち込めていた噴煙が晴れる。
シロンは生きていた。
服はボロボロ、顔には炭がついていて、
「っ……!?」
右手は直視するのも躊躇われるほどの状況だった。
肉は焼け爛れ、赤黒い液体が肩から指先まで流れている。
ベリーが声にならない声を洩らしたのも無理はない。
「死んではなくても…あんな状態じゃ…、」
「それは火の精霊も一緒さ。」
火の精霊に視線を向ける。
彼の怪我も酷いもので、彼の誇りを象徴するような鋭い棘達はそのほとんどが焦げ、"狂暴"と言われるにはあまりにも愛らしい丸々とした瞳は、その片方が完全に潰れて機能しなくなっていた。
両者ともに"満身創痍"という言葉が最も相応しい。
だが、その意志はまだ消えていなかった。
――両者ともに。
「……《烈炎》!!」
『 ………huSyuuu!!!! 』
火の精霊から放たれた十数個の火球を、
炎を纏ったシロンの刀が切り落としていく。
お互い擦傷だらけ、火傷だらけ。
だが、その『火』を消すことはない。
勝たなければいけない理由があったから。
「…シロンさんって、あんなに強かったんですね。」
「鍛冶師っていうイメージが強いからねぇ。
本当はバリバリの戦闘狂なんだけれども。」
「なんか、活き活きとしてますね。
龍人の時はもっと手堅い戦闘でした。」
「シロンちゃんの悪い癖かな。
あの子はね、そこまで他人に興味が無いんだ。
誰かを助けるということに本気を出し切れない。
彼女が本気を出せるのは、自分の夢に関わる時だけさ。
つまり、今だね。――今のシロンちゃんは、強いよ。」
『 Syuuu!! 』
シロンを囲むように生み出された火球群。
それを見たシロンは刀に『火』を込め直し、
「………、」
四つの青白い妖火を形成。
それらは目にも留まらぬ速さで火の精霊の火球を撃ち落としていく。
「次。」
「…普段よりも妖力量多くないか?」
「ちょっとしたコツがあるのさ、…ね、ヒシちゃん。」
「なんのことでしょう?」
「ぅははっ、なんのことだろうねぇ。」
「!」
『 Syuu!! 』
シロンの足元から炎が噴き出す。
彼女は間一髪でそれを回避、更に足を速める。
「――次。」
「元々、鍛造の為の妖石は全て自前で調達していた子だ。
妖力量自体はトップクラスに多い。
手先の器用さは十年間の鍛冶生活で培われ、
心の強さは生まれ持ち、…祖父譲りかな。
なんにせよ、彼女ほど游蕩士に向いている人材は無い。」
『 Syuu! 』
火球を刀で弾き、
『 …Syuuu!! 』
それを上回る炎で叩き落とし、
『 ……Syuuuu!!! 』
身を捻って避け、
「次。」
気付けば、シロンと火の精霊の距離は四メートルに満たないまでに縮まっていた。
---
なんだ、この人間は。
何故倒れない。
僕は知ってるぞ。
人間は僕達よりも圧倒的に脆い。
ほんの少しの火傷で泣き叫び、
死が迫ると途端に気が弱くなる。
僕の仲間を殺したくせに、
自分の命だけは必死に守ろうとする。
人間はそんな生き物だ。
腕からポタポタと血を垂らしながら、
何故そんなに力強く刀を振るえる?
何故治療の為に退かない?
すぐそこにお前の仲間もいるだろ。
さっさと逃げればいいじゃないか。
「――お前は、戦いを楽しいと感じたことがあるか?」
『 ………? 』
楽しい訳がないだろ。
負ければ死ぬんだぞ。
負ければ火の精霊がまた空席になる。
負ければまた争いが生まれる。
そんなのが、楽しい訳がない。
「私は背負うものが少ないほど楽しいと感じる。
誰かの想い、誰かの命は戦いにおいて枷になる。」
『 …………。 』
それは、そうなのかもしれない。
あの集団で暮らしていた時、仲間を守る為によく戦った。
戦いながらずっと考えていた。
『僕が負ければみんなが死ぬ』のだと。
…でも、それだけではない。
勝てば仲間が死なずに済むのだから。
僕が勝った時、仲間達が嬉しそうに笑うのだから。
「今私に付いている枷は一つだけだ。
その枷は、私が後ろに退くことを妨げる。
前に進むことだけを許す、…そんな枷だ。
だから私は全力でこの戦いを楽しめた。」
『 …Syuu…… 』
結局何が言いたい。
僕に問いかけて何をしたい。
無様な命乞いでも期待しているのか。
「火の精霊――アグニ。
お前にはどれだけの枷が嵌まっている?
その枷は、後退を制止する枷か?
それとも、前進を邪魔立てる枷か?」
『 …………。 』
僕は、火の精霊。
友を殺し、あの女に名前を付けられ、五十年。
挑んでくる化物を追い返し、時に殺し。
次第に僕に近づく化物は減っていった。
でも、それでいいのだと。
それが平和を守る為に必要なのだと。
『 ……………。 』
僕は、何の平和を守っているのだろうか。
確かに火の精霊を巡って失われる命は減っただろう。
僕の仲間のような最期を辿る化物は減っただろう。
でも、僕の仲間は、友は、もう戻らない。
僕を必要としている仲間達は、もう居ないのだ。
僕が必要としている仲間達は、もう居ないのだ。
『 ………………。 』
なら、僕はもうこの世界に不必要なのか…。
――気が緩み、ずっと保ち続けていた妖力が溶けた。
殺すなら殺せ、そう伝えるようにその人間を見つめる。
こいつの目的は僕の討伐だろうから。
最後に誰かの役に立って、大人しく死のう。
……こいつは何故、刀を構えない?
「私と来い、アグニ。」
『 …………? 』
何を言い出すのかと思えば。
その人間は言葉を紡ぐ。
「火の精霊としての責任も、
強者としてのプライドも必要ない。
他人のことなど考えなくていい。
お前が本当に必要だと思う枷を幾つか持ち、
それ以外の枷はすべて焼き払ってしまえ。
お前の未来を阻む重荷を、今ここで降ろしていけ。」
必要な枷…、…あぁ、これか。
五十年ですっかり古びてしまっている。
けれどそれは、他のどの枷よりも輝いて見えた。
「…ふふふっ、それでいい。
王者らしく思うままに、堂々としていろ。」
人間は、晴々とした顔で笑う。
「アグニ、お前が必要だ。」
『 ……Kyuii 』
…彼女が差し出した手に、そっと触れてみる。
――――眩い緋色の光が世界を覆った。
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アグニとの契約を済ませたシロンはその場で気を失った。
体力も精神力も限界だったのだろう。
むしろあの怪我であそこまで気を保っていた方が異常だ。
それからベリー達に別れを告げて、一日半で帰宅。
卯杖の面々は再び半月をかけて帰るらしい。
こういう時に『光』のありがたみを知る。
「ヒシ、テロス。荷物が届いとる。」
我が家にそれが届いたのは二週間後のことだった。
長細い大きな二つの箱だった。差出人はシロン。
箱の中には丁寧に梱包された荷物。
それをゆっくりと取り払っていく。
「――!!」
「うおぉおぉぉおお!!!」
中から現れたのは一本の美しい片手剣。
兄ちゃんの箱には大剣が入っていた。
同梱されていた手紙を読む。
シロンらしい整った字で書かれていた。
まずは討伐隊参加感謝の旨。
次に片手剣の説明が載っていた。
刀身は細く、しなやかに。
柄は握りやすく、放しやすい形に。
全体の重量の軽量化に尽力したとのことだ。
俺の戦闘スタイルに合わせてくれたのだろう。
文句の付け所のない素晴らしい一本だった。
「おおぉぉ! 『深空』だってよ!
かっけぇぇぇぇぇええええぇぇぇぇ!!!!」
テンション爆上がりの兄ちゃんを横目に、
手紙の最後の一文に目を通す。
「…………。」
そこにはこの片手剣の名が書かれていた。
『星影』
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